泛洲社

■泛洲社
先代旧事本紀大成経神功皇后紀に、

武神雷神,於鹿嶋濱。振威主神,於楫取濱。三神泛洲濱,而皆令祭之。又命津守連祭其二神,楫取祠是。

四年,春三月,既鹿島、楫取、泛洲神社成。

があります。


武神雷神とは、武甕槌神であって、勿論鹿嶋神社で馴染む神樣でした。
振威主神とは、韴靈こと経津主神で、楫取こと香取宮で鎮座しています。
最後の三神とは、表筒男命中筒男命底筒男命住吉三神なのですが、泛洲社をそのまま住吉社にするのが些か不適切かもしれません。

調べたところで、住吉松葉大記に

香取ノ二神ヲ住吉二モ祭ラシメ給フ、俗二沖洲ト云フ、是即泛洲社也、今二至テ小社ヲ存セリ。東国二下リケル人ノ正シク予二語リケルヲ今此二又泛洲浜二於テ三神ヲモ祭ラシメ給フ也、所謂泛洲明神ハ住吉三神也。常陸国鹿嶋郡ノ海浜二沖洲社アリ

どうやら、昔は泛洲よりも沖洲(おきす)と呼ばれていたらしい。
泛洲で検索してもなにも出てこなかったために、沖洲で調べって見たら息栖(いきす)神社が引っかかりました。

古くは「おきす(=沖洲)」と呼ばれていたことから、元は香取海に浮かぶ沖洲に設けられたと考えられている。社伝によれば、応神天皇の時代に、現在地よりも南西の日川地区に創建されたとされ、大同2年(807年)になって現在地に移転した。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%81%AF%E6%A0%96%E7%A5%9E%E7%A4%BE

鹿島神宮香取神宮とともに東国三社と称せられる。


住吉三神は、海上交通の守護神として勧請された神々。
創祀は応神天皇治世と伝えられる。
もとは下流の日川の港に祀られていたが、大同二年(807)に現在地に遷座したといわれ、
国史の社名から当時は沖洲に鎮座しており、その後陸続きになったものと思われる。
社名も当時は「おきす」だったのだろうが、「息栖」と表記されるようになって以後、「いきす」と変わったのだろう。
鹿島・香取との関係は深く、祭礼には鹿島から神官が参加していた。
江戸時代になって利根川の流路が変わるとさらに参拝者が増え、東国三社として大いに隆盛した。

http://flxsouko.web.fc2.com/tohoFSSjinja_ibaraki02.html

これであってると思いますが、資料が少ないうえに大成経独自な表示が結構困ります。