あなたの常識は、世間の常識か

「常識だろう?」と叱られた

「常識だろう?」と良く目上の方に叱られます。そんな事言われても、若輩者の私には世の中分からないことばかりで、困ってしまいます。言い訳するにも、「常識だろう?」といわれた時点で、その人には何を言っても無駄ですし。以前老眼の人にメールや書類を提出する際に字を小さくしてしまったら「字は大きくしてくれないと読めない。それくらい常識でしょ?」と叱られた。私は老眼じゃないので分かりませんし、メールはメーラーの設定次第でフォントを大きくできるじゃんよ。まぁ、私も私で冗談っぽく「常識だろう?」とも使いますが。
さて、常識とは・・・

【常識】〔common sense〕
(1)ある社会で、人々の間に広く承認され、当然もっているはずの知識や判断力。
「―では考えられない奇行」「―に欠ける」
(2)「共通感覚」に同じ。

【共通感覚】〔哲〕
五感の根底にあってそれらに共通するものの感覚。また、ある社会で一般に通用する判断力、すなわち常識をも意味する。

辞書的な意味でも"ある社会で"という制約が存在するのです。つまり、制約を破ると一切の念能力を失う・・・ではなくて、ある社会での「常識」は違う世界では「非常識」な可能性だってあるのです。昔の人は上手いこと言ったもので、所変われば品変わるということですね。しかし、それを念頭におかずに「常識だろう?」と言われても、言われた方は困るわけです。

東京ルール

東京ルール

東京ルール

東京ルールという本があります。「エスカレーターは左側による」とか、「自分の降車駅でなくとも一度出て、降りる人を通さなければならない」などなど、東京の常識を面白おかしく書いてあります。その中で、特に印象に残ったのは「全国どこでも、東京と同じ番組をやっていると思っている」という点。東京人にはキー局、地方局という概念が理解しがたいという話。東京に限らず、関東で育った人の多くは全国区のニュースの後に、寂しいローカル局のニュースが流れるているという事実を知らず、低予算で作られた侘しい地方CMも知らないのです。テレビの力というのは偉大で、東京ルール=全国ルールだと思っている人が以外にも多い。そして、地方のローカルールをおかしいというわけですが、あなた方のほうこそ「井の中の蛙、大海を知らず」だよと言いたい。
まぁ、地方出身者も都会に出てきて、実は全国区だと思っていたらローカルルールだったということも良くあります。こちらも同じく「井の中の蛙、大海を知らず」なんですが、この場合田舎物と扱われるわけです。

世界共通な常識やルールなんて存在しない

さて、前振りはさておき、そろそろ本題。
児童小銃 .456 - 「ネットを戦場にするな」について以前から、ネットにおけるルールの問題が議論されています。特に最近は、違う文化圏同士の衝突が見られ、その文化圏同士の常識の戦いという気がします。この解決策として、新しいルールを作るという案もありますが、一旦ルールを作るとルールのためのルールができたり、ルールを守らない人を魔女狩り的に吊るし上げたりと、いろんな問題も出てきます。そもそも、これだけネットが肥大した現在では、ネット全体に通じるルールを作り出すことなど不可能でしょう。また、タルタルソースも空を飛ぶ:サイト管理人は神ですか?、にもあるように未だ俺様ルールを持ち出す人も後を立ちません。

トラックバック問題

ネットにおけるルールの問題の分かりやすい題材としてトラックバックを用いましょう。トラックバック問題に関してはRandomToneメモスペース - trackback、に良くまとめられています。非常に多くの文化圏が存在し、それぞれに独自な暗黙のルールがあります。また、ある文化圏に属していても色んな考えの人がおり、まさに多種多様です。この中でルールを決めるというのはまさに不可能です。
さて、ネットの歴史はまだ浅いですが、それでも先人達は偉大な言葉を残しています。例えば、かつてネットの掲示板に書き込む際は、しばらくROMし、その場の雰囲気に慣れてから書き込むというのが慣例でした。そしてその中から生まれ、2ちゃんねるなどで良く見る言葉として「半年ROM」というのがあります。これには、半年くらいはその場の雰囲気を掴み取り空気を読めるようになってから書き込めという意味が込められています。これをトラックバックに当てはめるのならば、トラックバックする際にそのblogの形式をしっかりと見極めてからトラックバックしなさいということで、まさに「所変われば品変わる」、自分が常に「井の中の蛙」であることを念頭においておけば良いのではないでしょうか。

成分解析にみる心理学

成分解析+亜種2匹

★ カ ド ル コ ア 世 代 ☆にあるアプリケーション成分解析 Ver0.1Aが流行っているようで、僭越ながら自分もやってみると

最終防衛ライン2の成分解析結果 :

最終防衛ライン2の94%は理論で出来ています。
最終防衛ライン2の4%は真空で出来ています。
最終防衛ライン2の2%は根性で出来ています。
アプリケーション成分解析 Ver0.1A

なんと、94%もが理論でできているらしい。
さて、面白いソフトではあるのですが、ダウンロード、解凍後に起動ってのは面倒で、web上でお手軽にできるのは無いかなぁと思っていたら、成分解析 on WEBなんてのがあった。とは言うものの、本家とは成分を解析する手法が違うのか、on WEBの場合だと

最終防衛ライン2の88%は華麗さで出来ています
最終防衛ライン2の8%は言葉で出来ています
最終防衛ライン2の3%は理論で出来ています
最終防衛ライン2の1%は心の壁で出来ています
成分解析 on WEB

若干の心の壁が検出されました。
さらに、偽成分解析なるFLASHも存在しますが、こちらは偽成分解析とだけあって、結果は同じものでも毎回異なるようです。
さて、ITmediaが、アプリケーション成分解析 Ver0.1Aの作成者を取材していてびっくり。アレの半分は何でできてる?――「成分解析」が人気、によるとソフトを作ったきっかけはバファリンらしい。しかし、バファリンにはやさしさが含まれていないようですが。
さて、記事中に

 「当たるように乱数を操作したり、成分の並び替えを行ったり、ということはやっていませんが、解析結果を見ると人は『ある程度当たっているもの』として解釈してしまうようです」

という文があります。確かに、色んなサイトや身内を見渡しても「当たっているなぁ(笑)」と冗談っぽく言っています。出鱈目であること承知しているのに当たっていると感じてしまうのはなぜなんでしょうか。

占いの心理学

知人に心理学を専攻している人がおりまして、その人曰く「多くの占いは、誰にでも当てはまるようなことが書かれているから人は占いを信じてしまうのだ」らしい。なるほど、占いに限らず性格分析なんかも、誰にでも当てはまりそうな当たり障りの無いことが書かれていることが多いですね。また、街角の占いなんかでは「異性関係で悩みがありますね」などと、誰もが持っているであろう悩みで客をひきつけることが多いようです。
その他にも占いや性格分析などでは「人は褒められると悪い気がしない」という心理も働くようで、多くの正確分析では先ず褒めて、その後に欠点が少し書かれていることが多いですね。そもそも、短所は長所とも言いますから、物は言いよう。例えば、優柔不断→思慮深いや自分が無い→人の意見を良く聞くなど。

さらに、占いなどでは自分以外の項目を見ない人が多いというのもポイントかもしれませんね。
しかし、占いなどを信じてしまう理由のもっとも的を射た回答は占いとの賢い関わり方にあるように、「占いが当たっているように感じられるのは、占われた本人がその結果の中から自分に当てしまる部分を積極的に探そうとするから」ということでしょう。成分解析の結果をなんとなく当たっていると信じてしまうのは、そもそも当たっているかどうかという心理を元に結果を見ているからなのでしょう。
2001年の記事ですが窓の杜 - 【連載】ひぐちたかしのオンラインソフトよもやま話 第18回:当たるもソフト当たらぬもソフト 〜占い系ソフトに期待したいこと〜にもあるとおり、webで展開されている占いの多くは娯楽の一つ。ブログで話題になることも多く、占いの結果よりもそれを話題にすることでネタが一つできたって感じですよね。だからこそ、インスタント占いツクレールなんてサイトがあるんでしょう。

参考:超心理学講座・信じやすさの心理学