参院選、民主は過半数割れ

 日曜日は参院選挙だった。例によって、投票時刻期限の午後8時前に投票に行った。今回は「たけのこ新党」と揶揄される自民党離党組の新党が多く出来たことによって、候補者の新人の数が多く、誰が誰やらさっぱり分からない選挙だった。

参院選:民主大敗、50議席届かず 自民、改選第1党に(毎日jp)

 結果的には与党・民主党議席を10議席ほど減らす結果となり、逆にその分が自民党議席が増える結果となったようだ。あれだけ民主党批判を拠り所に出てきた新党は、みんなの党以外は全く議席を獲得するには至らなかった。それでも与野党議席数が逆転しただけに、またも一段と、国民はあまり望んでいない政争が続きそうである。


 永田町は政局で波乱を起こしたくて躍起だったようだが、国民の方は意外に醒めているせいか、投票率は58%程度に留まったようだ。「このままでは日本は危ない」という煽り文句が聞かれても、無党派層は今回も大きくは投票行動に至らなかったようだ。それだけ候補者に魅力を感じていないということだろうか。自分もそうではあるが、なんとか候補者と政党を別にして投票してきた。候補者の方は、開票直後は旗色が悪かったが最後に逆転で現職を抜き当選したので、死票にならずに済んだ。


 今回は新党も含めてタレント、スポーツ選手の候補者、また女性候補ばかりの選挙であっただけに、良識ある有権者の方が辟易としたのではないだろうか。知名度と人気と、女性ならば好印象との短絡的な発想にしか思えないし、本当に日本は危ないという危機感を持っての候補者選びなのかとも言いたくなる。スポーツ選手はそれぞれの競技ではプロであるが、それなら政治家のプロは居ないのかということになる。石井と谷は当選したが、少なくてもスポーツ選手が有権者の投票行動にインパクトを与えるような選挙ではなかった。


 スポーツというか、プロレスラーで初めて議員に当選したのは、もう21年前になる参院選でのアントニオ猪木だった。実は自分が初めて投票に行ったのは「スポーツ平和党」を旗印にした猪木に1票を入れようという気になったからであった。当時はまだ自民党と反対だけの社会党の時代だった。わざわざどちらの候補にも、ましてや共産党にも投票するために投票所に行く気すらなれない。そこに猪木登場である。全国のプロレスファンのみならず、何かを期待する人が多かったのか、猪木一人で100万票近くを獲得して当選した。それでも小政党だけになかなか当選圏内に入らず、最後の1つの議席に滑り込んだ。もう明け方近くだった。当選が決まった瞬間の猪木と選挙事務所スタッフ全員の「ダーッ」は感動的でさえあった。当時は、まるで猪木のプロレスのように最後の最後で大逆転のバックドロップで勝利、などと報じられた。


 国内ではプロレスラーに何ができると批判もあったが、それは猪木の当時の国際的評価を知らなかったからである。当時イラクで人質事件があったが、そこに乗り込むことができたのもイスラム圏でも名の知られる猪木しかできないことだった。その後、猪木にあやかった馳(猪木の選挙中の秘書兼ボディーガードを務めた)や大仁田も議員になったが、大政党をバックにしていただけに猪木のようなインパクトはない。総じて今の候補者も知名度はあれど、何かをやってくれるという期待度は少ない。