WINGSに矢沢あい、ウイングスにやざわあい、ういんぐすにヤザワアイ

コートニー・ラヴ矢沢あい、二人のコラボレーションから生まれたファンタジー&ロマンス作品「プリンセスアイ物語」(英題:Princess AI)が、2004年1月28日発売のコミック誌『WINGS(月刊ウィングス)』(新書館発行)と、2月16日発売の女性ファッション誌『KERA(ケラ!)』(インデックス・マガジンズ発行)にて連載が開始されます。

プリンセスの物語が少年魔法士と一緒の雑誌に載るだけでゲロリといっちゃいそうな私をオタクとでもなんとでもお呼びくださいまし。レヴィ君、新しい姫が君の隣にいるよケッケッケ。必死で普及活動をしてファン仲間一名をゲットした私に対し連載前から話題になるアイちゃん。なんか虚しくなってみたり。この漫画を皆が電車の中で読むかどうか、わたくしめは息を潜めて見守ることにいたしましょう(描くのは矢沢ではないらしい)

BLOGとはどういうものかしら?

最近知ったんです、ブログっていう言葉。で、色々調べていたら日々の日記さん経由で3分で理解する Blogなんてものを発見して読む。私のBLOG定義は定期的にどっかの面白サイトやニュースを拾ってきてリンク貼ってそれに感想つけてるサイトさんだと思っていたけど違うのかな(つまり今日の日記みたいなのがBLOG)。あんまり興味ないしBLOGを目指して日記がこれ以上変な方向にいっちゃったらいやなので変に意識しないようにしよう。少なくとも未来の自分のための日記としては最近ここはいい働きをしていると思う。

作者の意図を知る喜び

最近ここに書いている漫画あれこれ文は、あんまり他にないものだと自負しているんだけども、それは結局拡張した萩尾論でしかないからだと気づいたから。何を読んでも萩尾望都と比較してしまう(同時に何を読んでも萩尾望都に還元される)ということを意識しながらやっていかなくちゃダメだなと思った。少なくとも公言しておかないと誤解を与える可能性があるし。私は漫画の評論がしたいんじゃなくて、ただ作者さんの使うテーマについての指摘をしたり、意見を言ったりするだけ。こういうのもネット上の一意見としてならアリじゃないかと図々しく甘えてみたりして(エヘッ)
で、昨日のコメント欄に関連して。去年読んで面白かったのはFF8 リノア=アルティミシアシンとザナルカンド FF10の構造分析。前者はFFシリーズ中でも最強に評判の悪いヒロイン・リノアが実は魔女になってしまうことが約束されており、FF8は期間限定のハッピー・エンドだったという私の心を打つ設定*1を暴きだしている。後者はもっと論理的に構造を分析し、製作者の意図をうかがい知ることが出来る。私はFFしかやらないへタレゲーマーなのでゲームのことは良く分からないが、FF10FF8の焼き直しと言えるそうで、喪失と再生のテーマを扱ったわかりにくい*28エンディングをものっすごくわかりやすくした感じが10には確かにある。
今年読みたい文はなんと言っても「冨樫義博論」と「浦沢直樹の精神病理」の2本。誰か書いて欲しいなぁ。

  • 冨樫義博論…虫、ゲームの中に入る、遺伝子と身体の変容(隔世遺伝、マクバク族、虫編)という三作連続のテーマの指摘およびそれに関する考察
  • 浦沢直樹の精神病理…浦沢直樹はメチャメチャに回想や小エピソードの挿入がウマい。どれもシミジミいい話なんだ。それに対してモンスターも20世紀少年も大筋は同じ、狂った社会だ。「命は平等だ!」*3と叫ぶテンマも、終わりの風景云々言ってるヨハンも、大量殺人も描いているのは浦沢さんその人だ。善と悪がせめぎあう物語構造の中、モンスターの終わりは一体何を意味していたのか。彼が描きたかったのは何なのか。

みたいなことを書いてくれる人がいたら神なんだけどなぁ。字数は問いませんよ書いてくださるならば!自分で書けって?自分で書けるならどんなに素晴らしいか…

*1:バッドエンド、サッドエンド、アンハッピーエンドマニア。あの喪失感が最高

*2:もしかしてファンの間では今や公然の事実なんでしょうか、リノア=アルティミシア

*3:私はそうは思えないです…

中島みゆきとSMAP、地上の星と世界に一つだけの花

誰も書かなかった中島みゆき論〈序章〉

このようにみると、この歌は決して単純にサラリーマンの応援歌という次元の歌ではないことが分かる。ここには有名になりたいという現代人のあくなき野望や憧れのもつむなしさがうたわれており、そしてそのようなむなしさの上で成り立つ現代社会の虚構性が批判されているのである。(中略)
地上の星」は、無名の人々の輝きをうたっているのだから、それを一段高い紅白の壇上から、いかにも天上の綺羅星のごとくに輝くスター達の年に一回の大饗宴で国民に披露されるその絵は、まさに「地上の星」のコンセプトとは正反対だからである。 だから中島みゆきの紅白初出演が黒部ダムからの中継で行われるというニュースを知ったとき、「えっ、そんな場所で!」という信じられない思いよりも、むしろ「地上の星」を違和感なしに歌える場所があったのだということに感動し、そういう場所をみつけてくれたNHKスタッフに感謝したくなった。

はてなダイアリー 生成の無垢 id:dakie:20040106

ところで、もし「どの国のどんな人も、ナンバー1ではなくともオンリー1だ」というのならば、もうそれは「オンリーワン」というより「オンリーオール」となるのではないだろうか。しかし「オンリー」による限定は、そんなに軽々しく普遍化できる要素ではないはずだ。「オンリーオール」という形容矛盾は要するに、いずれの陣営にもコミットしない立場をとる中立主義の立場を意味するのであるが、これはたんにナンバーワンをめざすために引き受けなければならない責任や重圧を回避したいという<巻き込まれ>(entrapment)意識をあおるものでしかない。(中略)
ちなみに「オンリーワン」を推薦しているSMAPは、2003年ヒットチャートで「ナンバーワン」になってしまっている。だからあの歌詞の本当のメッセージは「ナンバーワンにならなくてもいい、なぜならナンバーワンになれるのだから」というものなのだ。理解さえしなければ成功する。みんなその種のアイロ二―を感じとっている。そして結局みんなそうした情けない人間なのだということを確かめて、おたがいのダメッぷりをさらしあい安心する。

一年で社会は変わったのだろうか。

お笑いネタの大辞典

というのを昨日やっていた。50年の歴史を振り返って昔の映像→今の若手のコンボを繰り返すんだけれども、昔のコントに全然笑えない私(19)を発見。インパルスのブラよろ改変のようなネタに死ぬほど笑っていた癖に。あと、ドランクドラゴンの塚地は、私は好きではないがオタクキャラで売っている。パペットマペットやら長井秀和やら、何だか最近の笑いはサブカルっぽいなぁ。

ふしぎ遊戯 玄武開伝(1)渡瀬悠宇ISBN:4091384714

amazonのリンクも勿論つけちゃうぞ☆な懐かしの作品の続編。ふしぎ遊戯は中学生の時流行ったものだ。で、のっけから渡瀬お得意のお転婆キャラにドキドキ。開始10ページもたたないうちに「ハイカラさんが通る」と同じ自転車激突と「妖しのセレス」と同じひったくり退治が行われる展開に私の心もなんかヒートしてますよ渡瀬先生。で、本の中に入ったら美少女が磔にされてますしなんか犬夜叉を思わせるような。そんで彼女は七星士の証「女」の字が出ている時は女、普段は男だというこれまたらんま1/2としか思えない設定。しかし、デジャブラッシュはこれだけに収まらず。渡瀬お得意の「この娘凄い熱…肌で熱を下げれば…」でいつの間にか男に戻っていてアッパッパー→別の男には躓いて不意に胸を触られてドッキドキ→さらにそいつにお決まりの温泉覗きをされてしまい大慌て、の三連コンボに顔から火が出る思いを体験できること請け合い*1
とりあえず、おかえりなさい、渡瀬先生…

*1:妖しのセレスと全く同じじゃないか。いいのかこんなんで