アンコ椿は恋の花/馬鹿っちょ出船

 何気なく「涙の連絡船」を口ずさんだのは、悲しいことがあったからだろう。歌詞がうろ覚えだったのでついネットで聞いてみたのが大間違い、たちまち都はるみの歌のうまさに参ってしまい、懐かしさも手伝ってネットで聞けるだけの歌を聞いた。聞くほどにその歌のうまさに熱狂し、熱狂のあまり、CDやDVDを発注し、都はるみ本を買い、そして映画のDVDまで買い込んだ。
 彼女が出演した映画は標記の他に、いずれもヒット曲をタイトルにした「涙の連絡船」それに「さよなら列車」がある。この二作はまだVHSのままでDVD化されていない。中期のものでは「北の宿から」が映画になっており、これはDVDもある。その他市川雷蔵の「若親分凶状旅」や「トラック野郎 望郷一番星」で客演し、「男はつらいよ」のマドンナにもなっている。「寅さん」嫌いの私だが、都はるみの出た「旅と女と寅次郎」はいっぺんちゃんと見てみたい。
 標記の映画は、はじめから内容には期待してなく、ただ17歳の都はるみが見たく、その歌が聞きたいだけだったので、大満足。ただ「アンコ椿は恋の花」のジャケットに、「都はるみがパンチをきかせて歌いまくる」とあったので余計な期待をしてしまったが、結局「アンコ椿」のフルコーラスが最初と最後の2回と、「さすらい小鳩」のワンコーラスだけだったのでがっかりした。「馬鹿っちょ出船」は挿入歌「よさこい鴎」が絶品。
 映画の内容は、歌詞に合った話を作るために脚本家が大苦労した、とだけ言っておこう。そして都はるみは演技がうまい。初出演にしてこのうまさはただものではない。彼女は実は12歳のときに所属していた劇団「ポニー」から、橋幸男の映画「潮来傘」にエキストラで出ていたから、厳密に言えば初出演ではないかもしれないけれど。やはり「美空ひばり」にも共通するカンのよさがあるのだろう。
 彼女の歌手人生に関する若干の知識も得、これまでよく知らずにいた、彼女の引退とその後の復帰にまつわるドラマも今更ながら知った。「よさこい鴎」のチャキチャキ娘、その天然無垢の声を持った少女が、やがて妙齢の女となり、その女の盛り(36)で惜しまれて引退。しかしまもなく(42)復帰し、それから少し不幸の陰りを隠しながらも美しく加齢していく。そんな、人生というものを一身に体現しているような彼女だからこそ、彼女が歌う人生の歌は心に響く。
 都はるみ本は、以下の三冊。

 中上健次「天の歌」
 大下英治都はるみ 炎の伝説」
 有田芳生「歌屋 都はるみ

 中上のもの以外は都はるみ本人にも取材しているはずなのに、それぞれはるみ像に若干の違いがあるのが面白い。しかし共通して言えることは、都はるみは母親から歌ばかり歌わされていることに反発し、「歌手」である自分に真に満足はしていなかったということだ。「大阪しぐれ」で彼女は初めて歌手で良かったと思うに至り、そして「夫婦坂」を遺言のようにして斯界を去っていく。
 都はるみへの傾倒と熱狂で有名な中上健次の「天の歌」は星野哲郎市川昭介などの周辺の人物には取材をしたが、原則として本人には取材せず「想像力だけで書いた」ものだが、その「天の歌」によると、幼少のはるみは母親の歌う「船頭可愛や」が嫌いだったらしい。その歌詞にある「夢も濡れましょ 汐風夜風」という言葉に、意味は不明ながらも何か猥雑で気味の悪いものを感じたから、と中上は「想像」する。はるみの引退中に書かれたこの「天の声」では触れられていないが、私には、この「船頭可愛や」と彼女が一番好きな歌という「大阪しぐれ」との共通点に興味を持つ。最初は、「はるみにとって気乗りのしない曲だった(炎の伝説)」、「最初は嫌いで『自分の歌ではない』とさえ思っていた(歌屋)」この「大阪しぐれ」という歌が、なぜ彼女の一番好きな曲となり、彼女を歌手でよかったと思わしめた曲になったのか。その要因を「大阪しぐれ」の歌詞、「夢も濡れます、大阪しぐれ」に求めるのは、最近流行らない精神分析学的な思考だが、都はるみが復帰後、道浦母都子の短歌から作った「邪宗門」という傑作をものするようになることを考えれば、あながち見当違いの解釈でもないだろう。

1965年 桜井秀雄