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2012-12-05 次に熊本に行く時に必ず再訪問したいと思った3つのスポット このエントリーを含むブックマーク このエントリーのブックマークコメント

一泊二日で熊本に出張してきたのですが、かなりいろんな場所に行きましたので、その中から「次に熊本に来たらまた来よう」と思ったおすすめスポットのご紹介。

#個人的な備忘録でもあるので、詳しい説明は書きません。気になる方は調べてみたらいいと思います。


「ささの」

初日の夜は熊本市内の料理屋を3〜4軒次々にハシゴしたのですが、その中で一番良かったのが「ささの」。

馬刺しはもちろん、馬レバー、天草大王、ぐるぐるなんとか(覚えてない)、辛子れんこんなどなど、地の旨いものをおまかせで出してもらった。味にハズレなし。*1

席は必ずカウンターで。


道の駅阿蘇

車での周遊ならば道の駅めぐりで地元のいろんなものを発見できるわけだけど、道の駅阿蘇は、地元の人が作っている惣菜がめちゃくちゃ旨い!

高菜めし、馬スジ煮込み、馬スジカレー、あか牛コロッケ、などなど。

で、それらを買って弁当代わりにするのがオススメ。道中の飲食店にアテもなく入るよりはるかに賢いと思うます。


地獄温泉

阿蘇山の周りには山ほど温泉が出ているので幾つか立ち寄り。

どの温泉もそれぞれ素晴らしかったけれど、特に地獄温泉が良かった。温泉に結構あちこち行ってる中でも個人的ベスト3に入る温泉

白濁の硫黄泉、もちろん源泉かけ流し。15分も浸かっていれば皮膚の表面がピリピリしてきてこれぞ温泉!という感覚を文字通り肌で味わえる。

もちろん露天あり。宿泊もできるみたいなので次は泊まりで来てみたい。温泉三昧。


さて、土産で買ってきた高菜めしと辛子れんこんで晩飯といきますか。

*1:正確に言うと、他の店より旨かったということ。

2011-01-17 震災の備忘録 このエントリーを含むブックマーク このエントリーのブックマークコメント

Facebook向けに書いたけど、わりときちんと書いたので、はてダにも残しておこうと思う。



たまに思い出して書いておかないと本当に忘れてしまいそうである。16年の月日は長い。



1995年1月。当時大学4年生。卒業研究が遅れていて焦っていたことを覚えている。


15 日の日曜日が成人の日だったため振替休日になっていた翌16日。貧乏学生だったためにそれまで持っていなかったビデオデッキを三宮まで買いに行った。うきうきした気分で阪神電車に乗って帰宅し、早速テレビにコードを繋いで電源を入れるところまで整えたところで、ビデオテープを買っていなかったことに気付いてがっかり。明日の朝にでも買ってきて試そうと、楽しみにして就寝。


自分の住まいは、阪神御影駅から徒歩5分ほどの2階建てアパート。1階と2階に3軒ずつの小さな古びた木造アパートで、自分は1階の一番道路側の部屋に住み、その奥は女子大生、さらにその奥はおばあさんが住んでいた。2階も学生や単身ばかりだったと記憶している。

当時、毎日明け方の決まった時間にアパート横の道路を通るトラックがあった。通るたびに道路に面した自分の部屋の窓が軽くビリビリと鳴るような勢いで、眠りつつもトラックが通り過ぎたことを感じることが多かった。



翌日、1月17日。火曜日。

その日も、深い眠りの中で、「ビリビリ」という音がした。あぁ、いつものトラックだ。

しかし、その音がなかなか鳴り止まない。やがて、地面の下からドンドンと突き上げるような振動。

熟睡しつつも何が起こったのかと体を起こそうとしたところ、窓のカーテンが仰向けに寝ている自分の顔の上にかぶさってきた。寝ているところに何故カーテンが下がってくるんだ?意味がわからない。窓ガラスが割れる音もする。顔に砂のようなものが降りかかってくる。

ようやく目が覚めて意識がハッキリする頃には振動はおさまっていた。顔にかかったカーテンや砂のようなものを手で払って上半身を起こしてみると、体がアパートの外に出ている。上を見上げると明るい月が見えた。


何が起こったんだ??布団から体を起こしただけなのに俺なんで外に出てるの?


視力の悪い目をこすって周りを見渡してみて、ようやく事態が把握できた。

アパートの2階部分が道路と反対側へ倒れるようにして1階を押し潰していたのだ。そして、窓ガラスのあった壁が自分の布団の上に倒れてきていたのである。倒れた際に窓ガラスは完全に割れていた。たまたま自分の寝ていた場所に倒れてきていたのが窓のところだったため、上半身を起こしたら体が外に出たのだ。


そんなことで自分は、全壊したアパートの1階から奇跡的に無傷で脱出できた。


数分して、近所の他の家からも続々と人が出てきた。自分は上下パジャマのみしかも裸足で道路に突っ立っていたためやがて急激に体が冷えてきた。自分の部屋のところに戻ってみたらかろうじて上下のジャージだけは引っ張り出せたのでそれを重ね着し、靴と靴下とスタジャンを一度も挨拶さえ交わしたことのない近所の方にお借りした。

部屋から取り出せた物は、あとは携帯ラジオだけ。眼鏡も、買ったばかりで使っていないビデオデッキも、何十冊も持っていた村上春樹文庫本も、高校の卒業アルバムも、すべて瓦礫と化した。


6時を過ぎて少し空が明るくなってきて、近所の惨状が明らかになってきた。あちこちで家屋が倒壊している。

「あそこの家にご主人が下敷きになってるので手伝って」と近くの人に呼ばれる。行ってみると木造の一軒家が1階も2階も完全に押し潰されている。それでも中のご主人の元気な声が聞こえるらしい。

どこからともなく集まってきた男性約20人の中に混ざる。傍に転がっていた太い木材をてこのように瓦礫に突っ込んで屋根を持ち上げようとする。みんなが力を合わせて少し隙間ができる。もう少しだ。大きな余震が来る。しかし誰もその場を離れない。みんな助けようと必死だ。やがて、ご主人が瓦礫の中から這い出してきた。拍手。安堵。

そんな手助けを5軒ほど行なってまわったが、8時を過ぎたころからはもう、手のつけようがない家ばかりになる。レスキュー自衛隊も、さんざん呼びに行っているのにやって来てくれない。やがて周囲は絶望感に包まれていく。


昼頃。今ごろ京都の両親がテレビを見て心配しているかもしれない。電話で生存を伝えたい。

しかし通じている公衆電話がなかなか見つからない。ようやく見つけたら100人ほどの行列ができていた。1時間近くじっと並ぶ。ようやく自分の番。「哲也です。生きてるし。後ろにいっぱい並んでるからとりあえずこれで切るで。心配せんでいいから」。たぶんこの程度の電話だったと思う。あとで聞いたのだけれど、実家も震度5くらいあって棚から物が落ちたりした後片付けで必死だったらしいが、神戸もその程度の被害だと思っていたらしい。こっちは生きるか死ぬかだったんだよっ!…というのは今では語り草。


昼過ぎ。近くのマクドナルドで食材を配給してくれるという噂を聞いて貰いに行く。貰えたのはバンズ2食分。飲み水の無い状態で、パサパサのバンズを何の味付けもなく食べることがこれほど苦痛だとは思ってもみなかった。


午後。午前に知り合った近所の男性と街の様子を見に行くことに。その男性は30歳くらいのサラリーマンで、隣りのアパートに単身赴任で住んでいた。

東灘区阪神御影駅周辺を歩く。悲惨だった。

火事はほとんど発生していなかったものの、古い木造住宅が軒並み倒壊している。

「そこのあんたたち、なんで助けてくれへんの!!」

女性の激しい声に振り向くと、2人の小さな子供を抱えて、完全に倒壊した家の前で地面に座り込んで半狂乱で泣き叫ぶ母親の姿があった。

なにもできなかった。無力だった。泣いた。


夕方。自分のアパートに戻ってくると、自衛隊の人たちがようやく来て、捜索活動をしているところだった。

隣りの部屋の女子学生と、その奥の部屋のおばあさんが、遺体で回収された。立ち会ったが、直視できなかった。

1階の住人は自分だけが生き残ったことになる。「生かされた」と、この時強く思った。


夜。避難所に指定された近くの高校の体育館へ。体育館はほぼ満員だった。

4箇所で石油ストーブが焚かれていたものの、板張りの床が冷たく体が芯から冷える。布団や毛布を持ち合わせていないために寒さが辛く、ここでは寝られそうにもない。

入り口にトラックが止まる。毛布の配給らしい。それがわかるや否や体育館の中の人々が一斉に入り口に殺到する。十分な枚数が配給されるとアナウンスされているにもかかわらず、我先に毛布に群がる。倒れる人。怒号。無秩序。被災者の群集心理とはこういうものである。

夜遅くになって、海辺のガスタンクが爆発するとこの辺りまで被害が及ぶ可能性があるということで、避難所の全員が山手の方へ退避することに。今から考えれば、2kmも離れたガスタンクが爆発したところで避難所まで被害が及ぶことは無かったと思う。これも後から聞いた話では、ガスタンクが爆発するというのは根拠の無い噂だったらしい。

ともかくも山手へ歩いて移動する途中、行動を共にしていた単身赴任の男性が、自分のアパートは軽量鉄骨で建物にヒビもなかったからおそらく大丈夫だろうということで、その方の部屋で一晩過ごさせていただくことにした。


翌日早朝。就寝中の男性をそのままに、部屋をお借りした御礼の文章と、少しでも役立つだろうと自分の携帯ラジオを残して、静かに部屋を出た。

そして、ひび割れてデコボコの国道2号線をひたすら東に歩くこと4時間、西宮北口まで復旧していた阪急電車に乗って実家に戻ったのである。



前日の救助活動の合間に、大家さんから「家が潰れてしまって申し訳ないがとりあえず」と実家へ帰る電車代などを頂いた際に、

「人生はいつ何が起こるかわからない。だから自分のやりたいことをやりなさい」

と言われたことが、今の自分を形作っているのかもしれない。



長々と書いてしまって今更だけれど、果たしてこの文章は誰かの役に立つのだろうか。

しばらく考えてみたけれど、直接役に立つことは無いかもしれない。

しかし、それで良い。これは自分の備忘録。体験した者が体験を風化させずに後世に伝えることは、体験した者にしかできないことだ。


それができる自分が、16年経った今を生きている。それだけのことだ。

2009-10-02

【読書】弱者の戦略

弱者の戦略―人生を逆転する「夢・戦略・感謝」の成功法則

弱者の戦略―人生を逆転する「夢・戦略・感謝」の成功法則

先週購入してしばらく手を着けていなかったのですが、ワケあって昨日10月1日の夕方に一気に読了。そのワケはこれを一番下まで読んでください(笑)。


「小さな会社・儲けのルール」で著者の栢野先生の名前はしっかり覚えていたので、先週、他の目的でジュンク堂に行ってふとこの本のタイトルと著者名が目に留まった時にピン!ときました。


弱者の戦略。

ハイ、弊社は弱者です。

というより世の中大半の会社が弱者です。そのことは本書にも書かれています。


自分が弱者であると認識できれば、この本はとてもわかりやすいはずです。

p.21

  1. 商品戦略 どんな商品・サービスで勝負するか? 自分の天職は何か?
  2. 地域戦略 どこで勝負するか? どう攻めるか?
  3. 客層戦略 誰をお客様にするか? ライバルに勝てるお客様は誰か?
  4. 営業戦略 どうやって新規のお客様を獲得するか? 集めるか?
  5. 顧客戦略 どうやってリピートや安定客にするか? 口コミや紹介をもらうか?
  6. 組織戦略 人員体制は? 採用や教育、やる気や評価制度は?
  7. 財務戦略 成功するお金の使い方は?
  8. 時間戦略 成功する働き方は? 時間の使い方は?

よしっ、8つの戦略はすべて暗記できていたぞ(笑)。

これを、大企業を真似ず、身の丈に合わせて(=すなわち小さく)、徹底して実践する。

そうやって成功した数多くの事例がこの本には記されています。


加えて、

p.179

大きく分けると、ビジネス系の人生成功には、

  1. 「夢」系=夢・やる気や情熱や天職意識・使命感など。
  2. 「戦略・戦術」系=ビジネス戦略やマーケティングや営業方法。
  3. 「感謝」系=感謝・感動・感性・感激・許し・掃除・奉仕など。

私はこれらをまとめて、「人生の成功は夢×戦×感」と提唱しています。

これらが「結論から言うと、全部大事です」と書かれています。


戦略だけではうまくいかない、得体の知れないものであっても夢は追い続けなければならないし、調子に乗ってしまって感謝を忘れないようにしなければならない。そんなことを感じました。


3時間ほどかけて読み終えたら夕方17:30。ひと息つく間もなく著者自身のセミナーに乗り込んだのはここだけの話です(笑)。

セミナーの様子は別エントリにします。

栢野克己氏のセミナーに参加しました


10月1日に栢野先生が大阪でセミナーをされるというメルマガが届いたのが9月29日の夜。ついに大阪へ!、というわけで即座に参加申込み。

申込みのひと言につい「栢野先生の本は2冊ほど読ませていただき」と書いてしまったけれども、よく考えたら「小さな会社・儲けのルール」しか読んでなくてもう1冊は数日前に「弱者の戦略」を買ったばかりでまだ読んでいなかった。これはまずい!(笑)

というわけで、セミナーの始まる3時間前に新大阪に到着し、会場近くの喫茶店で「弱者の戦略」を読了してから、セミナーに臨んだのでした。


開始10分前に会場に着いたら…あれ?もう始まってる?

しかしセミナーの案内に「出入り自由」と書いてあったので、勝手に入って勝手に着席。

どうやらセミナー直前の個別相談が長引いていたようです。

そのうち個別相談が終わり、参加者それぞれ名刺交換するうちに、15分遅れでセミナースタート。

参加者は20名程度だったでしょうか。実に様々な肩書きのメンバーでした。


事前の予習(笑)が功を奏し、しっかりとセミナーにのめり込むことができました。

iPhoneメモ帳でメモを取っていたので、今、それを見返しながらこれを書いていますが、成功事例・戦略事例がてんこ盛りです。もちろん、8つの戦略と夢・戦略・感謝の話も。

個人的には、後半の交流会の運営ノウハウにも興味が沸きました。長続きする交流会には多くの共通点があるようです。30年近く続いているGMF *1など他の幾つかの異業種交流会にも参加してきたので、なるほどなぁ…と実感しながら聴きました。

とにかく、あっという間の3時間でした。


その後、栢野さん含め参加者の一部で近くの居酒屋にて懇親会。

2時間ほど、普通の雑談(笑)。

いずれにせよ面と向かってのコミュニケーションはとても大事です。懇親会重要。


23:30頃に新大阪駅で解散しました。

その後、道すがらの2分ほどで栢野さんに言われた個人的アドバイス。

セミナーをやりなさい!」…ナント!

実は1年半前に周りの同業者を集めて勉強会を開催しはじめたものの、私が最低迷期だったこともあり、うまく続かずに挫折したのでした…。

よし、またやりますか!


というわけで、栢野さん*2、参加者の皆さん、ありがとうございました。

*1:今年に入ってから諸事情で開催が見送られていいるようです。そろそろ復活しないかな…。

*2:いつの間にか栢野先生から栢野さんに呼称が変わっていますが…とても人間味のある方なので仕方ありません(スミマセン)

2009-05-26

「人に何かを残す」という生き方


5月の半ばに、突然、伯母がこの世から居なくなった。

もう、こんなことがあるのかというくらい突然だったそうだ。夜、いつものように自宅の前に出て片付けをしているうちに、ちょっと躓いたのか、転倒して頭を強打してそのまま意識不明。そして3日後に永眠。


事故にあったわけでもなく、病気を抱えていたわけでもなく、誰も、何も予期していない、突然の死。

こんなことがあるんだなぁと親戚一同、葬儀の後もまだ何となく信じられないというくらいにあっけない死。


どう説明したらいいのか、何か不思議な感覚。悲しいという感覚はあるのだけど、悔やまれるというよりも「仕方ないよね」という感覚に近い。本当に運が悪かったんだなぁ、これが運命だったんだなぁ、そんな感じ。

本人もまさかここで死ぬとは思っていなかっただろうし。PCのコンセントに足を引っ掛けて電源を落としてしまったかのごとく、何の前触れもなく日常生活が強制終了するというのはどんな感覚なのだろう。


考えても答えは出ない。だから「一日一日を大事に生きよう」「伯母さんの分まで長生きしよう」という言い方が出てくるのだけど、それってどういうことだろうかと、葬式からの帰りの電車の中で考えていた。

一日一日を大事に生きる、たしかにそれは大事なんだけど、たまには何もしない一日や後ろ向きの一日があってもいいだろうし、伯母さんの分まで長生きと言っても、それを毎日想いながら生きていくことって現実的にはどうなんだろう?


それで、電車を降りる頃に考えたのが、

「人に何かを残していこう」

という生き方。

日記を書き残すとかそういうことではなくて、人を動かしたり影響を与えたりするような「何か」を残すことを意識しながら生きていこう、ということ。

お客さんや仕事仲間や同僚に、友だちや家族に、愛する人に、まだ見知らぬ誰かに。自分が生きた証などと畏れ多いことは言わないけれど、それでも、いつ訪れるかわからない死の間際に少しでも「あぁ、あの人にあんなことをしたなぁ」と回想できるようにしたい。


そうしたら、いつ死んでも、「今まで生きてきて良かった」と思えると思うんだ。

2009-05-05

【読書】小さな会社・儲けのルール

実は2003年に購入した本。記憶では1回しか読んだことがなく、しかも内容はほとんど忘れていた。

ここしばらく自分のことでいろんな「事件」があり、あらためて手に取った次第。


結論は「自分はこれを100回は読むべき」。今まで何をやっていたんだろうと、ゴールデンウィークの最中ながら深く考えさせられた。


書籍の説明に

中小企業が成功するための戦略とマーケティング、営業のノウハウを披露した1冊。

とあるが、決して難しい理論を振りかざすことなく、むしろいろんな意味で「弱者」である中小零細企業経営者に向けて相当平易でわかりやすい内容になっている。


とにかく、

p.5

この本は営業中心にまとめていますから、本気で独立を考えている人、独立後うまくいかず立ち止まっている人にはとても役に立つはずです。

「転ばぬ先の杖」としてこの本の購入を強くすすめます。

いや、押し売りします。

なぜなら、そうすることが必ずあなたのためになるからです。

これは決して誇大ではないと、私は思う。

そして、あとがきに

p.262

いつの時代も、平凡なことを非凡に続けること。これが、なにもない弱者が生き延びるための、最強の戦略鉄則だと思います。

とあるように、この本は、読みながらその内容を実践していかなければ意味がない。今すぐ実践できるテクニックやそのヒントが100個くらいは載っていると思うので、何回か読んで終わりではなく、100回くらいは目を通さなければならない。


すぐ手に取れる場所に置き、あとはコツコツ実践あるのみ。

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