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愛・蔵太の気になるメモ(homines id quod volunt credunt)

2007-07-22

[]1955年の漫画バッシング(悪書追放運動)について

 以下の本から。

手塚治虫とボク

手塚治虫とボク

★『手塚治虫とボク』(うしおそうじ/著/草思社/1,890円)【→bk1】【→amazon

1950年代にマンガ家として、60年代にはアニメーターとして活躍した著者が、盟友手塚治虫と、その時代を回想する。月刊児童誌全盛時代のマンガ家たちの横顔。「悪書追放運動」のてんまつ。映画界からマンガに転身したアニメーターたち。『鉄腕アトム』にはじまる初期のTVアニメはどのように製作されたのか。『0戦はやと』や『マグマ大使』誕生のいきさつなどを記す。本書は、戦前からの映画人である筆者が綴った、日本アニメーション史でもある。

 未だに年に何冊か出る(ぼくの感覚としては3か月に1冊ぐらい出る)「手塚治虫関連本」で、著者・うしおそうじ氏と手塚治虫の話なんですが、この本のキモは戦前〜戦後の日本アニメ関係者について言及しているところでしょうか。下川凹天・幸内純一・北山清太郎にはじまり、太平洋戦争で戦死するPCL漫画映画部の大石郁雄とその門下の人たち(うしおそうじ鷺巣富雄氏もそのひとり)など、全然知らない・あまり知らないアニメーターの名前が数十ページにわたって書かれています。

 その中では1941年、海軍が拿捕した米軍輸送船の中にあったディズニーのアニメ映画「ファンタジア」(海軍戦利品)を、東宝砧第一スタジオで見て泣いた、というエピソードがすごいですが、他にもピープロ時代、手塚治虫の『マグマ大使』を特撮TV化するにあたって、箱根・湯河原温泉で宴会中(「漫画集団」の忘年会)の手塚氏に、名刺に「マグマ大使』のパイロット製作を許諾します。うしおそうじ」と書かせてトンボ帰りするとか、いろいろ楽しい話があるので、まぁそういうのは本のほうを読んでもらうことにして。

 気になったのは1955年の漫画バッシングに関する章だったのでした。

 今でも定期的に、もっぱらエロ方面での「規制」の動きが話題になりますが、漫画の行きすぎた表現・描写とその影響力についての口出しというのは、多分これが最初のことなんじゃないかと思うわけです。

 しかし1955年、昭和30年というと、戦争が終わってから10年しか経ってないわけですからね。現在の「戦争体験者」が、軍隊を経験した最低年齢の人でも八十代で、それをたとえば「漫画バッシング」時の漫画家・編集者で考えると、「昭和30年代で二十代(後半)〜三十代(前半)」だった人ということになると現在やはり七十〜八十代。伝聞情報としてならともかく、その時代にどのようなことが実際に起きていたのか、当時現役だった人の証言を聞けるのはもうあと数年ぐらいなんじゃないかと思います。

 『手塚治虫とボク』の中で語られていることは、たとえば以下のようなことです。

1・1954年3月、手塚治虫が年収217万円で、関西長者番付・画家の部でトップになる(当時の確定所得申告時期は今と少し違っていたのかな)

2・同年の『週刊朝日』4月11日号で「知られざる二百万長者」の取材記事が載る(要確認)*1

3・1955年1月21日、第四回青少年問題全国協議会で、青少年に有害な文化財に対する決議がおこなわれる(協議会のメンバー確認)

4・それを受けて翌日の1955年1月22日、鳩山一郎内閣総理大臣が、衆議院本会議の施政方針演説で「不良出版物」のことについて触れる。

 これは「国会会議録検索システム」で見ることができます。

国務大臣鳩山一郎君)(前略)覚醒剤、不良出版物等のはんらんはまことに嘆かわしき事態でありますが、特にわが国の将来をになりうべき青少年に対し悪影響を与えていることは、まことに憂慮すべきことであります。政府としては、広く民間諸団体の協力を得まして、早急にこれが絶滅のため適切有効な対策を講じ、もつて明朗な社会の建設に邁進いたしたいと存ずるのであります。(後略)

4・それをマスコミが取り上げ、「悪書追放運動」が全国的運動となる。

 という展開になるわけですが、そのすったもんだの中から、『手塚治虫とボク』の中のテキストを引用します。p138-141

 大人漫画家たちの中で、誌上対談に出席し、凄まじい勢いで手塚治虫を面罵した『漫画集団』の領袖近藤日出造の言葉をボクは忘れない。岡本一平門下の近藤は「口も八丁手も八丁」という才能を生かし、戦時中も敗戦時も、戦後のデモクラシー時代も、つまり戦争のときも平和のときも民衆世論をコントロールできると思っているらしく、オピニオンリーダーをもって任じる人であった。

 近藤日出造は『中央公論』の一九五六年七月号に、『子供漫画を斬る』と題した文章を書いている。そのなかで近藤が述べた、子供漫画に対する憎しみにも似た言葉をあげてみる。*2

 俗悪な子供漫画は大阪がもとである。だいたい大阪人というものがそういうものだ。売れて金さえ儲かればそれでいいという恥知らずなのだ。その恥知らずのつくったのがこういう赤本漫画だ。赤本が売れて法隆寺が焼ける。それが今の日本の姿だ。

 これでは批判にもなんにもなっていない。根拠のない断定に基づいた感情論である。つづけて近藤は二の太刀で斬り込み、俗悪低級、暴力肯定右翼雑誌として『冒険王』『漫画王』などの児童雑誌批判をした。その際『漫画王』の内容を吟味しながらこう書いた。

 この雑誌の表紙裏から、手塚治虫の『ぼくのそんごくう』という多色刷漫画が始まり、七頁を埋めている。その画法が、アメリカ日曜新聞の亜流を行ったようなものでも、さすが格段の腕前で、この程度の絵が揃っていればPTAの有力者も、目くじら立てて漫画の追放を企むこともあるまい。しかし、その手塚治虫が、この頃しきりに大人漫画への進出を志し、今のところ『絵の点』での力量不足のため、進出思うにまかせず、との噂をきく。一応『大人漫画家』で通っている絵の下手糞な僕が、こうした噂を伝えるのはどうかと思われるが、僕は、この噂を伝えることにより、一般の子供漫画家というものが、いかに箸にも棒にもかからない粗末な『絵描き』であるかをいいたかったのだ

 近藤日出造さんの元テキストをちゃんと読んでみたくなりました。*3

 しかし1950年代中ごろに、手塚治虫が「大人漫画への進出」を考えていた、というのはあまり聞いたことのない話で、これは漫画家同士の派閥・縄張りを利用して内部分裂を図ろうとした孔明の罠、のような気がします。1955年の手塚治虫といえば、リボンの騎士鉄腕アトムを筆頭に、毎月十本以上の月刊連載を抱えていた超多忙時代。1960年代後半ならともかく、ちょっと考えられないことではありました。(追記:一応大人漫画も描いていたみたいです。コメント欄参照)

 ということで、気が向いたら関連資料でも読んでみたいと思いますが、ネット上でその「悪書追放運動」についてくわしいことの分かるテキストがあったら教えてください。

 

「悪書追放運動」に関するもくじリンク集を作りました。

1955年の悪書追放運動に関するもくじリンク

*1:記事については以下の日記で書きました→1954年4月当時の手塚治虫に対する週刊朝日の評価

*2:この件に関しては一部うしおそうじ氏の勘違いもあるようです。詳しいことはぼくの以下の日記を参照。→近藤日出造「赤本が売れて法隆寺が焼ける」ってどこ情報よ?

*3:こちらで読めます。→1956年7月当時の「漫画」に対する近藤日出造の意見

あずまあずま 2007/07/21 18:14 > 1950年代中ごろに、手塚治虫が「大人漫画への進出」を考えていた
1955年に手塚は文芸春秋の漫画読本で「第三帝国の崩壊」という大人漫画を発表しています。しきりに大人漫画への進出を狙っていたかはどうかはともかく、50年代中頃の時点で既に大人漫画に手を出していた事は事実です。

あずまあずま 2007/07/21 18:21 調べてみたら同年に「昆虫少女の放浪記」という大人漫画も発表しているようです。これも漫画讀本掲載。

lovelovedoglovelovedog 2007/07/21 18:45 情報どうもありがとうございます。追記します

JLOPSJLOPS 2007/07/22 07:28 アドルフに告ぐ、なども確か大人マンガだと思います。
後、手塚氏が大人漫画への進出を考えていた、と言うよりは、高校になったらやめてく子供たちを引き止めると同時に当時流行していた劇画にとらわれていく大人にも読んで欲しかっただけだと思います。
すこし非客観的分析が入っていますが、作家(漫画家)としてより多くの人に純粋に読んでもらいたいと言うのは正常な感情だと思います。

あずまあずま 2007/07/22 12:29 「アドルフに告ぐ」や「陽だまりの樹」のような歴史もの、あるいは「奇子」や「MW」のような70年代のビッグコミック系大人向け漫画、あるいは「空気の底」や「時計仕掛けのりんご」などの60年代の大人向け漫画はまた別の話じゃないでしょうか。lovelovedogさんも本文中で「1960年代後半ならともかく」と述べているように。
劇画の台頭も60年代頃に始まるので、ここでの話とはまた別では?

lovelovedoglovelovedog 2007/07/22 13:13 SFマガジンに書いていた「SFファンシーフリー」が、ぼくの知っている手塚治虫の大人漫画の一番古いものだったのでした

JLOPSJLOPS 2007/07/23 06:30 確かに年代を混合しておりました。
しかしながら、劇画のほうはともかく、手塚氏の自伝、ぼくはマンガ家によると、彼は高校生がマンガをやめていくのを懸念していたとの記述がどっか(うろ覚え)にあった気がするのですが…

後、ついでですが、同本内の手塚氏によると事の発端はA・E・カーンと言うジャーナリストの死のゲームと言う本で、その本の中に「漫画の影響は冷たい戦争の必要によく合致している、なぜなら、何百万と言うアメリカの子供たちを暴力蛮行突然死と言う概念に鳴らしているからである。」
と言う近年のゲーム非難に良く使われている物に良く似た文章だったそうです。

lovelovedoglovelovedog 2007/07/23 08:30 『ぼくはマンガ家』もちょっと読んでみようかと思います(昔はぼくの手元にあったと思うし、読んだ記憶もあるので、再読)

てんてけてんてけ 2007/07/23 09:16 小松左京が集英社文庫「SFセミナー」で、
戦争が終わって政府の小説への干渉がなくなってヤレヤレと思っていたら、左翼陣営から「小説も道徳で律するべきだ」という意見が出始めたって書いてたんですけど、この時期ですかね?

lovelovedoglovelovedog 2007/07/23 21:56 左翼陣営というよりはっきり言って共産党ですね。ただ戦後の共産党はすぐに「戦闘・闘争主義」を廃棄せざるを得ない状況に追い込まれてしまったような流れがあるので、今で言うところの保守反動・右翼勢力っぽいところが「悪書追放運動」と関係ありそうなイメージがありました。でも児童文学関係からの圧力は右か左かよくわからない

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