ケーキ食べ過ぎバカ時代再来

Pierre Herme

院生時代、主食をケーキと言っても問題ないくらいケーキを食べていた。まだ若かったので周囲の目を気にすることもなく、買ったケーキを公園で食べたり東京駅の銀の鈴でホールケーキ完食したり。しかしここ数年は落ち着いていたのだが、この1週間のケーキ摂取量には瞠目すべきものがある。今日はピエール・エルメのプチフール8個セットを食べた。それからクイーンアリス迎賓館のモンブランを食べた。しかも全部貰い物。欲すれば自ずとやってくるものなのだなぁ。しかしそろそろ自重しないとあっという間に巨漢になってしまうことだろう、危険危険。

真実と現実

今日はすごいもんを見ることができた。電車の中で斜め向かいに7歳くらいの男の子とその父が仲睦まじく座っていたのだ。男の子は両手でリプトンレモンティのペットボトルを弄びながら、お父さんとお出かけが嬉しくて仕方がないという風情であった。なんとも幸せな休日の過ごし方であると微笑ましく様子を眺めていると、男の子が手を滑らせてペットボトルを落としてしまったのだ。私はてっきりキャップが閉まっているものと思い込んでいたのだが、事実は異なり男の子の足元にリプトンレモンティの水溜りが出来てしまったのだ。その色合いと来たらもう狙ったと言わんばかりの黄色で、その時点で私は、お漏らししたみたいだな、と内心状況を楽しんでいたのだが次の瞬間には私のその余裕は奪われていた。あ〜あと言いながら男の子が脚を広げると、彼の上半身は完全に無傷なのに対してこれまた狙ったみたいに股間から太ももの内側にかけてびしょぬれになっていたのだ。これじゃあ誰の目にもお漏らしとしか映らないではないか!堪えようと思うも咄嗟のことに我慢ならずクッと笑いが漏れてしまった。彼と私との間にある距離は凡そ2m、この距離で笑ってたら私が頭のおかしな人だと思われてしまう。私は心頭滅却のために全身全霊をかけ、その場をなんとか凌いだのであった。
ここで注意したいのは、私の笑いは彼に対する嘲りではないという点である。嘲るほど彼の人間性に興味があるわけがないのだ。私におかしみを感じさせたのは彼の状態と真実との間にある大いなる隔たりである。単にちょっとしたミスで飲み物こぼしただけなのにも拘らず、状況を知らない人間が見たらどう見たってただのお漏らしだ。しかもお漏らしを許容されるには微妙な年頃である。多くの大人は彼の真実などには興味がなく、自分の目に写る範囲だけで彼をお漏らしと断定し眉をひそめるに違いないのだ。単にこぼしただけなのに!このギャップに笑わずにいることは私にとっては不可能に近い。この真実と現状とのここまでの断絶はそうそう起こりうるものではないと思う。大変貴重なものを見ることができた。ボーダフォン携帯によってアンラッキーと断言された私の11月14日であったが、この一事だけでも十分面白い日であった。

認識の誤りを認める

秋葉原文学フリマ。私が当初予想していたものとは全然違っていた。全然おしゃれじゃないし、あの10月の私の文学フリマに対する認識は明らかに思い込みであり、青山という会場に対する偏見によるものであると証明がなされた。
しっかしなんとも押し付けがましいの!ちょっと私の目線が冊子の方に行っただけで売り子たちはすかさず「どうぞ!」と勧めてくる。いや、それだけならいいんだけど問題は私がそれを手に取った後である。「良かったら是非!」。買えと?この私に?こんな海のものとも山のものとも付かぬものに対して判断する時間も与えずに出費しろと??私の財布を何だと思っているのだ。今日の私の所持金は982円だぞ。そうそう簡単に買ってる場合じゃないのだ。それを知った上での狼藉か?
全体的にそんな雰囲気だったのだがこれより更に上の段階に進んでいるサークルもあり、彼らの冊子を手に取っただけの私に対して「どれに興味もたれました?」と興味を持つことを前提に話しかけてきたのだ。さしてどこにも興味を持っていなかった私であったが(だって一文字も読む時間を与えてくれないのだから当然だろう)、小心者なのでとってつけたようにその時開いていたページを指し示してしまい訳のわかんないことを口走ってしまった。そんな私の態度に相手は更に気をよくしてついには「面白いので是非買っていってください!」と言っちゃったのだった。面白いって…、それを判断するのは私の役目じゃないか?
雰囲気に馴染めぬ私ではあったが本当は今日は目的があってこの会場まで足を運んだのだ。それについては長くなるので割愛。