懺悔とコピペ


 なんで写真に撮ると、自分が目で見て感じているとおりに映ってくれないんだろうと、だいたいいつもレンズや器械の性能に不満ばかりが募るんだけど、肉眼にはほぼ真っ黒にしかみえない夜明け前や日没後の空のかすかな残照を、勝手に増幅してなにやら神秘的な色に映して見せてくれる時だけは、器械はエラいなあ、、などと現金に思ったりする。

 よる。鶏肉を揚げたやつをたらふく食ったのち公園で缶コーヒー。今日はまた一段と冷える。千切れるような冷たい夜風に磨かれ、夜空が巨大な御影石のお墓ように艶めいていた。広場の端に腰掛け煙草を吸ううち、だんだん背中の方から寒くなった。
 帰宅するとボ先生が放送していたので途中から拝聴。柱みたいな換気扇はたしか「臭突」という名前だったと思う。ワタスみたいな風景が好きな人というか、そのスジでは土嚢やら未舗装路地と同列に好まれるアイコン、モチーフと聞いたりする。ワタスもあれば「ああ、いい雰囲気だなあ」とは感じるけど、さすがに臭突マニアみたいな執着はないかなあ。
 それから小川さんの配信の録画を観る。ちょうどワタスの出かけに告知があったので気にしてたんだけども、今回は生で観れなかった。おしるこの話が出てたりした。自分はやはり餅がメインだから「缶のおしるこ」と聞いて、小川さん渋いなあと感心する。
 「ポタージュ会」というのを提案されていた。「おれはポタージュ奉行だから」などと相変わらずの小川節だった。「クルトン」という言葉が出てこなくて「あのパサパサしたやつ」というのもおかしかった。
 コーンポタージュ派の小川さんからの、クラムチャウダーに対する評価、位置づけみたいなものが気になった。それからやはり伏兵ヴィシソワーズあたりへの評価も俄然気になってくる。仮にコーンポタージュをUKのニューウェーヴとするなら、クラムチャウダーはUSニューウェーヴ(とくにレジデンツとかラルフレコード関連)という雰囲気がある。そうするとヴィシソワーズはNDWみたいな存在感じゃなかろうか、などと徒然と思いを馳せる。あの低温ならではの舌にダイレクトで味と食感がぶつかってくる違和感や新鮮さみたいなのは、いかにもNDWな雰囲気がある。
 聞きかじったことを口にしたくなるのは自分もそうで、たまに「プリンプリン物語」だとか無性に発音してみたくなる。言ってみた後に、そうでもなかったな、、というちょっと物足りない感じがいつもあって、発音する(音になる)前の「プリンプリン物語」に自分がどれだけ期待してたのかと、そのつど思い知らされ、いつもしょうもねえなという気分になる。

 明け方。久しぶりにjkさんの配信を聴く。jkさんのおっしゃる通り、wikiを見てもうさん臭かったけど「ソマチット」の話は面白かった。「生きているものを食べないと補えない」という話を聴いて、ついこないだ備忘した折口信夫の言葉を思い出した。



「遊び」は日本の古語では鎮魂の動作なのです。楽器を鳴らすこと、舞踊すること、または野獣狩りをすること、鳥・魚を穫ることをもあそびと言ふ語で表してゐますが、これは鎮魂の目的であるからです。つまり鳥、獣を穫つたり、魚を釣つたりするのは悦ぶためだといふ風に解釈されますが、さういふ生物が人間の霊魂を保存してゐるから其を迎へて鎮魂するのです。

 ソマチットはまるで、ここでいう霊魂のようだなあと。





 昨晩布団の中で、半年くらい前のやんご先生の放送での出来事が急に思い返され、それについて考えていた。
 ふだん、やんご先生の配信に限らず配信中に掲示板に書き込むということはほぼないのだけれど、その半年ほど前のやんご先生の配信中、某巨大掲示板では有名という、とあるコピペを貼ってしまったことがあった。



初カキコ…ども…
俺みたいな中3でグロ見てる腐れ野郎、他に、いますかっていねーか、はは
今日のクラスの会話
あの流行りの曲かっこいい とか あの服ほしい とか
ま、それが普通ですわな
かたや俺は電子の砂漠で死体を見て、呟くんすわ
it'a true wolrd.狂ってる?それ、誉め言葉ね。
好きな音楽 eminem
尊敬する人間 アドルフ・ヒトラー(虐殺行為はNO)
なんつってる間に3時っすよ(笑) あ〜あ、義務教育の辛いとこね、これ

 魔が差したとしか言いようがない。
 アタスみたいなもんは日頃から魔が差したまま生きてるようなもんだけど、とくに魔が差したとしか言いようがない。
 当時、自分がよく観ていたサッカー関連の板でやたらとこのコピペを観かけて、気になっていたんだと記憶している。それで、こういう人がやんご先生の放送を聴いてる状況を想像したらすごく面白く感じてしまい、迷った末に貼付けたんだと思う。
 日頃からアタスが某掲示板に対して感じる部外者意識みたいな話は前にも書いたと思うけど、その中でも「コピペ」という様式はとくに理解できなくて「なにが様式美だ、クソ面白くねえな」と常々疑問だったのだけれど、この「初カキコ…ども…」はなんか妙に心にひっかかるものがあったんだと思う。
 それで貼ってみたコピペへのやんご先生の反応なのだけれど、このレスに辿り着く数レス前からもう様子がおかしかった(先生は日頃からちゃんと先のレス見ておられるから)。心ここにあらずというか、ソワソワした感じで、もうレスを飛ばして読むんじゃないか?と思った矢先、先生は意を決したように、息も付かないような高速で一気に例のコピペを読まれた。もう東北弁も気持ちを込めて読むもへったくれもない。とにかく早く読んでなかったことにしようという勢いで読まれた。先生の本気を見たような気がした。そして「あなたという人はこの放送をどういう気分で聴かれているのですか?」みたいなことを話されていたと思う。呆れたような、半ば諭すような、「こういう子に聴かれているという自分の放送のなにが間違っていたのか」というような、なんともやりきれないような気分を一言一言に発散させながら。
 それを聴いて、アタスはなんだか「嗚呼、取り返しのつかないことをしてしまった、、」と闇々たる気分に突き落とされた。そうか、コピペととらずに真剣に真っ正面からあれを読むと、先生くらいになると本気でリスナーのことを心配なされるのだと。。出来心とはいえ、ワタスはなんということをしてしまったんだろう、、と。



 そういえば同じ頃、タンブラーに流れてきた中二病ポエムにも心が立ち止まったのを思い出した。



I am bone of my sword.
体は剣で出来ている。
Steel is my body, and fire is my blood
血潮は鉄で、心は硝子。
I have created over a thousand blades.
幾たびの戦場を越えて不敗。
Unaware of loss.
ただ一度の敗走もなく、
Nor aware of gain.
ただ一度の勝利もなし。
Withstood pain to create weapons waiting
for one’s arrival.
担い手はここに独り剣の丘で鉄を鍛つ。
I have no regrets.This is the only path.
ならば、我が生涯に意味は要ず。
My whole life was”unlimited blade works.”
この体は、”無限の剣で出来ていた”。



 この英訳を挟んでる感じとか、真に迫ってくる虚無を感じる。これも出所をたどると、けっきょく某掲示板なのだけれど。。そういうの専門のスレッドということでまとめられたものを読むと、そこまでまで面白いとは感じられないのだけれど*1、なんの説明もないまま単体でこういう玉を投げてよこされると、重度の運動音痴の人みたいに手元でアワアワとお手玉してしまうような感じがいたします。
 こっちをやんご先生のところに貼らなくてよかった。こっちを貼っていたら、どんなことになっていたんだろう。あの時の反応を思い返すと想像したくないけれど、でもあえて先生に朗読して欲しいような、、なんだか複雑な気持ちになります。。