2012-02-05 新年会 京都写真クラブ
府立図書館で必要な本を借り出してから、額縁の博報堂へ寄ると改装中だった。店主にお聞きすると二階を画廊スペースにされるとの事、オープンは4月3日の予定。上品な仕上がりになるだろうと期待したい。ギャラリー16のSHOUKA展(成安造形大学 卒業制作&進級制作展)を拝見---北村和也の仕事に3Dの様な効果が感じられて面白かった。それから急いでギャラリー・マロニエに移動しマン・レイ展の打ち合わせ。(12月4日から2週間と決まりました、詳細は改めて報告します)。
そして、パパと奥野さんと連れだって四条高瀬川下がるの「珉々」へ、今宵は京都写真クラブの新年会、店の前に20名程のメンバーがそろっている(盛況)。奥野さんが12月のHow are you photography?と京都写真展のスケジュールなどを報告してから宴会が始まった。写真をアップしたので、雰囲気は判りますよね。よく飲みました、カメラを撫で回して羨ましいことといったらありません、ライカのデジタル欲しいな。それにしても飲んで食ってのバカ話、肉体商売のカメラ・マンはこうじゃなきゃいけません。
恒例の記念写真は、喫茶フランソファから出て来た女性にお願いしてパチリ、みんな好きだね。
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バーで一杯、しめに河道屋銀華の辛味大根おろしそば。阪急に乗ったのは12時過ぎだった。
2012-02-04 オリジナル欠けでも嬉しい。
man ray 40 RAYOGRAPHIES 14/50 27.5 × 21.5 cm. PP.28
久しぶりにAbeBooks.comで買い物をした。1972年の2-3月にパリの4運動画廊で開催された「マン・レイ 40レイヨグラフ展」のカタログ。既に2冊架蔵していたのだが、ブリュッセルの古書店の説明には「 Exhibition catalogue 25 February - 25 March 1972, Galerie des 4 mouvements, French introduction, b/w illustrations, list of works, ex. 14/50 printed on paper Arch, 26 p. Dimensions: 27x21 cm. Condition: VG. Slightly dirt soft cover.」とあって、アルシュ紙に刷られた特装版らしい。注文前に調べてみると展覧会に合わせオリジナル写真(レイヨグラフの複写写真(20×25cm)を木皮台紙に貼付)が入ったカタログを60部造っている---販売用50部(No.1-50)と広報用10部(No.I-X)。このカタログ、これまでにオークション目録などで見ている、しかし、レイヨグラフといっても複写品なのでオリジナル性は低く、パスばかりしていた間に手の届かない価格帯となってしまった。ちなみにAbeBooksにロンドンの古書店から出品されている特装版は5750.00ポンド、これではどうにもならない。そんな訳で、オリジナルが欠落したカタログであってもアルシュ紙に刷られたもの、どんなカタログなのか気になり、廉価だったので注文した。1月31日の深夜に注文先から「カタログを送った。到着したら御返事をいただきたい。」とのメールが入ったので、楽しみにしていた訳。それが4日で京都に到着した。このブログを紹介しがてら、嬉しいと返事をしたいと思っている。
2012-01-30 アクシオン 第2号
ACTION No.2, 13 Mai 1968. 43.5 × 30cm.
1968年に学生から起こったパリの五月革命とわたしが写真を始めたタイミングが一致しているに最近気がついて、西川長夫の『パリ五月革命 私論』(平凡社新書、2011)を読んでいる。氏の「国内植民地論」と云う指摘になるほどと思い、自己の中に通っている「境界線」の存在を改めて考えさせられている。社会に出ようとした20代の日々と、定年をむかえた現在が、同じような不安をもたらしているのだと思う。「わたしとは誰なのか」の問いがいつもわたしを悩ませる。「マン・レイに狂ってしまった」きっかけに全日本学生写真連盟の鶴舞合宿(1968年)があったのは、すでに告白しているが、どのように、マン・レイと出会い、魅了されてしまったのか、検証の時期にいるように思う。
今秋に計画しているマン・レイ展では「わたしとは誰なのか」に応えたい気分があり、原点であるパリの五月革命に関するオリジナル資料を取り寄せた(トゥール南部の街、デカルト発24日)。『アクシオン 第2号』には「街路を占拠せよ!」と大きく書かれている。発行日の5月13日を先の西川長夫の本から引用すると「ゼネスト、レピュブリック広場からダンフェール=ロシュロー広場に至る100万人のデモ。夜8時過ぎ、多数の学生がカルチェ・ラタンにもどりソルボンヌを占拠、となるだろう。」(158-159頁)。この時、マン・レイはどうしていたのだろう、わたしはそれを知りたい。
2012-01-28 名古屋で一杯
2012-01-22 薔薇の花束
還暦のお祝いに素晴らしいお花を頂いた。特別に栽培されたレリアン・ローズ・ギャラリーの薔薇、薄紙に包まれた花びらの薔薇を頂くなんて、初体験だった。添えられたカードに「石原輝雄様 記念の年に彩りを」とあって嬉しくなった。東日本大震災からの復興が、放射能汚染によって足踏み状態である昨今の、消費税増税のみで目先の帳尻合わせを狙う政府の施策に、辛い気持ちが続いていたから、還暦から始まる、つぎの一回りに向けてRrose Selavyの「C'est La Vie」をおいて、気楽に楽しくやっていきたい。「なんとかなるのよ」と何時も思って還暦の年になった訳だから、これからも真面目に---コレクションに関してだけど---、感謝の気持ちを忘れないようにしたい。ジャン=ポール・エヴァンのチョコレート(これも頂いた)、錠前がモチーフのセリュルを口に入れて、家人ともども幸せが倍加された。眼と口と同時に楽しませなくちゃいけないね(深謝)。
JEAN-PAUL HEVIN CHOCOLATIER Paris
2012-01-21 草間彌生展 at 国立国際美術館
国立国際美術館 草間彌生展 2012.1.7-4.8
チューリップに愛をこめて、永遠に祈る(撮影可能な部屋)
16日のレセプションには仕事が入って出席出来なかった草間彌生展(国立国際美術館1月7日〜4月8日)へ行った。若い女性を中心に多くの観客がつめかけている(おかけんたのギャラリー・トークと重なった為だろうか)。長く現代美術の先頭を走りアメリカでも活躍しジョセフ・コーネルとも交流のあった草間のキャラクターは、マスコミ受けするのか、80歳をすぎた女性作家の天性の明るさのような作風が時代の風潮に合うのか、人気は高いようだ。今展は「永遠の永遠の永遠」と題し、新作を中心とした展示。会場数カ所で写真撮影も可能(フラッシュ、三脚使用は不可)な、作品とのふれあいを楽しめる展示となっている。彼女の初期作品からある程度接している眼には、幻覚や幻聴を描きとめ「統合失調症」と共生した平面作品やソフトスカルプチャーなどから離れた、新作の明るいピンクに楽しみを感じる訳。展示会場では子宮に導かれたような鏡の部屋である「魂の灯」の体験(30秒)が特に感動的だった。
大いなる巨大な南瓜 B2Fに展示(撮影可) 右下のサイン部分を撮る人も多い
新作ポートレートNo.100「青春を前にした我が自画像」(2011年)の両眼から反射した光が床に四つのマルを映す(ピンスポットが2つだから)ので、思わず近付いて見た。この展覧会はテーマ・パーク風だと思う。撮影可能スペースを出ると、正面に「撮影禁止/Do not take photo」のプレート、導入部の撮影可能の表示にすごいと思ったけど、全部ではなかった、オリジナル不在の看板風スペースの3箇所。記念写真は楽しいのだけど、わたしの場合、草間の個性が強すぎて個々の作品には入り込めなかった。売店で求めた絵葉書は、精子が蠢くNo.065「月の夜の河」の一枚。コーネルに寄り添う草間のポートレイトが眼に残る。国立国際美術館コレクションを展示するB2Fには、草間作品が3点、特に「銀色の希死」(1976)の男性器風ソフトスカルプチャーに懐かしさを感じた---この強迫性に草間の原動力を思うから。なお、出品目録に「展覧会の感想をブログ、ツイッターでぜひご紹介ください」とあった。参加型の展覧会、観客とコラボする展覧会が益々増えるだろうな。年齢を重ねると性がなくなるから「無害の草間」は良いことなんだろうか---
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美術館を出ると雨足が強くなっていた。夕方、若い友人が還暦祝いの小宴を催してくれるので移動、料理の美味しい店だった。感謝を込めて写真をアップしておきたい。この店のお造り盛り合わせは絶品、続いての焼物の盛り合わせにも、幸せを感じる。吟醸をいくつか頂き、リクエストにタラ白子醤油焼き、なると金時の天ぷら、れんこんまんじゅう湯葉あんかけなどをたのむ。幸せな一時だった。
乾杯のスパークリングは泡立ちと豊かな果実味が申し分ない大分の安心院。
本日のお造りには「ひっさげ」など 美味いです。
サザエのうにのせ焼き
佐賀牛のステーキ(本わさびとデンマークの海塩で)
しめは かにと生姜の土鍋ごはん これも美味い。
2012-01-18 横浜でマン・レイ展
マン・レイ展 2011.12.5--2012.3.9 平日開館9:00-17:00 Fuji Xerox Art Space 電話045-755-5111
マン・レイ展の案内葉書(15×10.5cm)とカタログ(29.7×20.9cm pp.12)
横浜在住の友人が、JR横浜駅前の「富士ゼロックス R&Dスクエア」でマン・レイの展覧会が開かれていると教えてくれた。それで、ネットで確認すると東京・赤坂にあった企業メセナのギャラリー「Fuji Xerox Art Space」が2010年5月に移設したらしく、東日本大震災の影響で臨時休館した後、再開して『結Yui ―井上尚子@バーチャル予感スイッチ研究所―』展を開催、次いで開かれたのが「マン・レイ展」であるようだ。企業を取り巻く厳しい環境の中で、メセナ活動を続ける姿勢に「有難う」と感謝の気持ちを伝えたい。これは、ぜひとも拝見しなければと「マン・レイ狂い」の血は騒ぐのだが、開館は平日の9:00-17:00と云う。会社を休んで上京となると厳しい事柄であり、展覧会資料は作られていないかとお尋ねした。会場の受付か事務局に「宅配便・着払いの送料自己負担」でお願いすれば、いただけるとの話し、事務的だけどこれも有り難い。
しばらくして、京都に到着した荷物を開き、ブログを書き始めている。展示されているのは、ポショワール版画の『回転ドア』(10点組、1926年 ed.79/105)、 フォトグラーベ刷りの『電気』(10点組、1931年 ed.104/500)、 展覧会記念のオブジェ風カタログ『Le pain peint Beaux - Arts』(1970年 ed.500)、 ポール・エリュアールとの詩画集『容易』(1935年 ed.852/1020)の4アイテム。モダンでお洒落な展示になっているだろうと想像できるラインナップである。カタログの執筆は国立新美術館の南雄介さんで「マン・レイの<回転扉>をめぐって」として、デュシャンとの関連にふれつつマン・レイは「過去の自分を素材として、つねにそれと自由に戯れることを忘れなかった」と言及し、<回転扉>の様々な特性からマン・レイの個性について「あらゆる境界を、なんの深刻さもなく、やすやすと横断していった」と評している。---楽しく拝読させていただいた。
カタログの奥付を読むと「出力・製本: 富士ゼロックスシステムサービス株式会社」とあった。それで気になって、事務局に問い合わせると、今回のマン・レイ展カタログからオンデマンドを採用したそうで、同社のカラー・オンデマンド・パブリッシング・システム「700 Digital Color Press」からの出力との事。通常の印刷物と比べて遜色もなく、軽やかな印象が展示物の<回転扉>とマッチしているのかと思った(ポストスクリプトにパーセント掛けているのかしら)。そして、これが大切なのだが、展示品の限定番号が表記されているのが嬉しい。版画は複数枚存在するけど、同じモノではなく、一つ一つが個別の名前(作品の来歴)を持っている。展示される時に一般的な版画では紙面に示されるので判るが、この『回転ドア』や『電気』では別のシートに記入されてるので、コレクターとしては有り難い訳。
富士ゼロツクスの企業姿勢と製品群から版画コレクションの考え方は理解できる。マン・レイが2012年に活躍していたら、写真を核に「複製」のテクノロジーを自由気ままに楽しんだろうな。入場は無料と案内葉書にあるので、どうぞ気楽に、<回転扉>を行ったり来たりして頂きたい。京都からも近いから、わたしも拝見しなくては。
2012-01-14 第22回 瑛九展
青山の「ギャラリーときの忘れもの」で瑛九の展覧会が開かれている(1月21日まで)。
左から: 『作品』『作品』『赤にむらがる黄』
左から: 『離陸』『丘』『作品』『森のドラマ』『ピエロ』
ケースの中には、瑛九、杉田秀夫個人展覧会カタログなど
二階まで吹き抜けの個人宅のような空間で、亭主の綿貫さんから「瑛九」への熱い思いを、作品とともに聞いていると、幸せな感覚に包まれ、「瑛九とマン・レイって同じではないか」と強く感じた。よく知られたフォトデッサンだけではダメで、油彩や水彩、展覧会資料といった重層的な展示の仕方が、瑛九を蘇らせて、作家が生きていた時のお宅へお邪魔している気分といったところなのだ(マン・レイのフェルー街のアトリエも二層式だった)。光に魅せられた二人の純粋な好奇心。光の核であるような二つの個性は洋の東西も時代の相違も問わず、心の中を駆け巡っていく。マン・レイと出会う前に瑛九を知っていたら、きっと瑛九のコレクターになっていただろうと、確信させるような心の状態なのだ。今日は特に油彩『赤にむらがる黄』(1958年)が良いと思った。亭主がリトグラフの『雲』(1957年)の色調や太平洋を往復したフォトデッサンの『Kiss』(1950年)について、図録などを広げて解説して下さるという贅沢な授業で有り難い。
展示されているのは、油彩、水彩、フォトデッサン、銅版画、石版、型紙など30点あまりだろうか。赤い印の付いたモノも幾つか、「作品の価格は突然あがったりするから」とは亭主の話。「瑛九」が新興写真の文脈から海外でも注目され、新しいコレクターが、幾人も登場してきているとも。作品と作品にまつわる物語に惹かれてコレクターとなった人種の一人であるわたしにとって、マン・レイ評価が不確かだった時代(40年程前だけど)だからこそ、重要と思えるコレクションとなった訳で、評価が定まらない作家を収集していく冒険に人生の魅力を感じた訳。そこで、海外勢における「瑛九」評価だけど、これから、さらに高くなるだろう。資金力が国内勢とは、数桁の開きがあるのだから、わたしなど太刀打ちが出来ない。「ときの忘れもの」での瑛九展はこれで22回目、その前も含めると何回になるのだろうか、「瑛九」命の亭主に連帯の挨拶を贈りたい。
コレクター桝田輝郎氏と亭主・綿貫不二夫氏
4時前に、会場で谷中安規のコレクターである桝田輝郎氏とお会いした。谷中との出会いにまつわるエピソードをお聞きしながら、評価が定まっていない時代の売り手と買い手の呼吸についてなるほどと思った。特定の作品だけを求めていたのでは、大切なモノは手許にやってこない。常に視線の端に、大事なモノは潜んでいる。若い人達には、自分の「マン・レイ」や「谷中安規」を見つけて欲しいと思った。対象とする作家は異なるけど、この道は同じだから。でも、羨ましい。この様子は画廊のブログを参照下さい。
さて、友人の瀧口修造コレクターのT氏と神保町へ出た後、東京駅の焼き鳥屋へ寄って、作戦会議。欲しいモノばかりが眼の前に現れるコレクター人生は、嬉しくもあるが恐ろしい。破滅への道と達観への舵取りは、どこで決まるのだろう。凡人、二人は清酒・鮎正宗で酔っぱらい役立たずとなってしまった。
鮎正宗(新潟)
2012-01-13 三越前で…
三越本店本館一階中央ホール、天女(まごころ)像。
ライオン像
仕事で上京。二日間真面目に働いた後、夕方、エフェメラ好きの知人と待ち合わせて世間話となった(今回はわたしの方が遠来の客)。勤務先の支店が日本橋小網町にある関係で、待ち合わせは「三越百貨店のライオン前」。待ち合わせ場所としては有名だが小生は初めて、もっとも、同年配の男性では、心ときめくことはないか。少し早く着いたので店内をブラブラ、一階の化粧品や宝飾売り場の豪華な感じは、家人だったら喜ぶだろうが、「エフェメラ好きにネックレス」では、「ちと、お高い」、マダムと売り子を眺めて一回り、二回り。中央ホールの天女像の堂々とした演出につられて、またまた、ぐるりと、写真を撮ったり。---この像の制作は佐藤玄々で、京都の妙心寺内にあるアトリエで、準備したと云うから「縁」があるのだろうな、「瑞雲に包まれた天女が花芯に降り立つ瞬間の姿」と解説にあるけど、豪華絢爛すぎて、どうしたものか。ライオン像の方は正面玄関に一対、ロンドンのトラファルガー広場にあったのを模したと云い、「気品と勇気と度量」の象徴で1914年の設置。「待ち合わせの場所としても有名です」と銘板にあった(なるほど)。寒空の下、銀座の中央通りを行き交う人々を観ながら、「この国の行く末」に心が重いことといったらない。しばらくして、日本橋側から知人がにこやかに登場。信号を渡って野村ビルYUITO・3階のフレンチ「ディブラッスリー アンド スウィートルム」へ。マロン・ピンクを基調とした女性好みの軽やかな店内、50代後半と還暦の男性二人では、落ち着かないが、アルコールの力で楽しめるかと期待する。小島直征おすすめのコースは、スープ、前菜に金目鯛のマリネ、パスタにタラバ蟹と雲母のリングイネ、メインの皿が鴨胸肉のロースト、そして、栗を使ったミルフィーュにコーヒー。
店の雰囲気と合わない二人が、スパークリングで再会を祝し世間話を始める。既にエフェメラ好きと紹介したが、鉄道好きでコンピューター屋、そして、プレス・ビブリ・オマーヌ繋がりで、さらに、妙心寺となったから、驚くことばかり。どうして、この世代の男性はこんなのかしら、首をひねっても判りませんね。電子制御で電車を走らせたかった人は、鉄道模型でループが理解出来ないと言う、ポイント・ツー・ポイントしか頭にないと言う。空想のレイアウトを『鉄道模型趣味』に書こうとした人が、年を経て、エフェメラ好きとなってしまったベクトルはどこにあったのだろう。阪急電鉄の整備状況やターミナルの構造、複々線の加速状況の関東との比較、それに、またまた、硬券の魅力となるから、「おたく」談義が続く事夥しい。そんな訳で、白ワインは「プイィ フュイッセ クラシック」ミネラルの香りが料理を引き立て、話題をさらに弾ませる。コースの後にブルー・チーズなどをつまんで、フライヤーの交換や流通における効果、人との繋がりについての「意志とスタイル」をお聞きする。わたしも、名鉄電車や名古屋地下鉄の昔話に、楽しい事といったらありません。マン・レイの話題よりもこちらの方が中心だったか、こうした、世間話を詳細に記録しておく事は、あまりよろしくないので、これくらいにしておきたい。友情の始まりなんだろうな、有難う、そして、また、飲みましょう。
Roasted Duck Breast with Steamed Vegetable and Calvados Sauce
2012-01-08 スイスピン求む !!
70年代に版画家などが使ったスイスピン、額に入れるよりフラットな佇まいが気に入って幾つか持っていたのだが、折れたりして手許にあるのは7個になってしまった。画材店に問い合わるとスイスのメーカーでは生産中止、廃版との事、ネットで探しているのだがうまく見付からない。スイスピンを秋に予定しているコレクション展で、ポスターなどを展示するのに使いたいのだが、お持ちの方はいらっしゃいませんか? 扱っている画材店やメーカーをご存じの方はいらっしゃいませんか? 譲って頂けると嬉しいのですが。
4.0×1.3cm 加え巾1cm
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使用した状態
版画家の山本容子が『展覧会の展覧会』(朝日新聞社、1999年刊)で「スイスピンの思い出」と題したエッセイを書いている。「いつもこの方法で額装していた。わたしの場合、1979年の個展までの4年間、お世話になった。」(8頁) それを、わたしも観ていた訳。そして、わたしがギャラリー16で高松次郎の「この七つの文字」を求めた時、使われた「現代的な額装」が「スイスピン」だった。だれかの引き出しに残っていると思うのだが---
2012-01-03 有難うございます。
還暦
昭和27年1月3日に、3人兄姉の末っ子として名古屋で生まれて60年、つつがなくこの年になりました。伊勢湾台風(小学1年)、東京オリンピック(中学1年)、70年安保(高校3年)と経験し、京都で働き出してから40年、良い伴侶と子供に恵まれ、自分の好きな事だけを続けてきました。これもひとえに家族の理解、会社の同僚、多くの仲間の支えによるものだと、感謝しています。有難うございました。
わたしは人生の岐路に立ったとき、いつもマン・レイを基準に考えます。彼は60歳のとき、ジュリエット夫人とハリウッドに住んでいましたが、翌年3月パリに戻ります。同じ年齢の時、マン・レイも「最初の愛である絵画、パリ」について考えていたのだと思います。干支(十干十二支)の一巡りにどれだけの意味があるのかは判りませんが、やりたい事、やらねばならない事が山積みとなっている、わが心に幸あれと祈るばかりです。
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「何年かして、パリに戻ってから、この理論を実行に移すことを許された機会があったが、結果はとても満足すべきものだった。そして成りゆきをめぐっては批判も不平も無かった。誰も偶然のはたらきのことをとやかくは言えなかったわけである。(マン・レイ自伝『セルフポートレイト』美術公論社 1981年刊 千葉成夫訳 360頁)
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若い友人が還暦のお祝いと言って、手作りクッキーを焼いて届けてくれました。今年、最初のマン・レイとの出会いで嬉しい事といったらありません。食べよーっと
LEFT; Like-- Catalogue of The exhibition of Man Ray at Alexandre Iolas, Milano. RIGHT; Like--Le Violon d'Ingres, A l'heure de l'observatoire and Man(Mixed media)
2012-01-01 謹賀新年
頌春
本ブログご訪問の皆様、旧年中はお世話になりました。本年も宜しくお願いいたします。
昨年は公私ともに激変の年だった。3月11日の東日本大震災については「決して忘れない、忘れられない」事柄で人の絆の大切さを改めて教えられたが、政治とマスコミの豹変ぶりに「怒り心頭」し東電を頂点とした大企業の隠蔽体質に「NON」、これからは武田邦彦のように事実を見極め、自分の足で歩かねばと強く思う。それ以来、テレビのニュース番組を観ないし、新聞記事も信じていない。それで、パリの五月革命のときのポスターに「PRESSE NE PAS AVALER」と書かれたものがあるのを思いだした。また、勤務先の業績も厳しく、多くの別れを強いる事となった。日本経済が活性化するのは、何時の事だろうか。静かに慎ましく実直に生きる人々の暮らしに、エールを送りたい。
「私」については、充実した一年だった。長く準備を続けてきた『三條廣道辺り---戦前京都の詩人たち』を上梓し、友人、知人、未知の人にお知らせしたところ、好意的な評価をいただき、限定75部がもう残っていない状況で有り難い事だと思った。原稿執筆の苦労は別として、プリンター故障の対応など本にする過程での造本(印刷、製本などの手作業)の困難も、プログ読者の方々のメールでの励ましによって、乗り越えることが出来たと、改めてお礼を言いたい。有難うございました。
マン・レイ・コレクションについては、カタログ(1975,1976,2004,2010,2011) ポスター(1971,1974) リーフレット(2004,2011) 雑誌(1936,1947) 単行本(1925,1915/1976,1955,1992,2009) などを加えたが、リストを確認しつつも、悲しくて考えさせられたのは、交流のあったS氏の死去にともなう蔵書類が明治古典会の七夕大古書入札に現れた事だった。幸い友人の好意によって重要な一冊『天使ウルトビーズ』を確保出来たが、蔵書の行く末に心痛める年齢になってしまった。そんな訳で、新収集品を示すような意匠で今年の年賀状を作成した。数年前に纏めた『マン・レイ展のエフェメラ』に挿入した未収集品44点の内、4点を入手した事を報告しておきたい(継続は力なんです)。
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さて、2012年は、どんなマン・レイと出会うだろうか、諦めなければなんとかなると強く思い、明るい夢をみる。希望はいつも心に優しく、上手くいくだろう。そして、秋には久しぶりのコレクション展を計画。コンセプトは決まっているので、必要な作品、資料を買い足して、展覧会を充実したものにしたい。そして、案内状やカタログを制作し、多くの人にマン・レイの魅力とエフェメラの重要性をアピールするつもりである。みなさんご声援よろしくお願いいたします。
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元旦のお昼は客人と座敷でお抹茶と主菓子で、新年の挨拶。高島屋の迎春生菓子フリーチョイスは、本家玉壽軒の「昇り龍」「春信」、千本玉壽軒の「初笑」、長久堂の「花佳人」、京都鶴屋鶴壽庵の「壽の鶴」「福寿草」、総本家駿河屋の「干支上用」「此の花きんとん」の8種。上用好きの女性陣は「花佳人」の瑞々しいピンクを所望していたが、わたしはきんとんが好きだ、全種類を味わうわけにはいかないが、今回では黄味しぐれでこしあんの本家玉壽軒「春信」、水仙花が口の中で溶けて美味かった。
そして、昼から沢山呑みました。田作をあてに八海山純米吟醸、Mさんから頂いて正月にと思っていた活性清酒・濱川商店のうすにごり・美丈夫、若い友人のお土産イタリアのスパークリングBELCANTO DIBELLUSSI、それに、年末の客人から頂いたロートレック生家産の赤ワインChateau Malromeなどをりゅうひ巻で、酔っぱらいました。
2011-12-31 ほしつきさん
トイレのほしつきさん
厳しい年の締めくくり、追い打ちのように昨夜遅く「税制抜本改革案骨子」が了承されたと云う。消費税増税だけではないが、その前にすべき事があるだろう、この次期では経済活動を直撃し、人々の疲弊が増大する。それに、短期間での二段階アップ案、システム開発者は対応しきれないだろうな。
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わが家の迎春準備も、自室の片付け(これはあきらめモード)と正月菓子の受け取りだけとなった。京都では水回りの鏡餅に「ほしつきさん」を飾る。大ぶりの丸い子餅の上に、親指ぐらいのポチを付けたもので、半紙の上に供えてある。名古屋にはなかったから、初めて見た時には驚いた。今では、これを飾らないと気分があらたまらない感じである---パソコンに打ち込んでいたら家人がレモン湯を持ってきた。今年も終わるのだな。
高島屋へのお使い前に団栗橋から祇園、縄手と一回り、メディア・ショップ、ジュンク堂BAL店と古書・新刊をチェックし帰宅。早く風呂に入って一杯やらなくっちゃ---
団栗橋から鴨川を望む。
新橋通りから辰巳大明神へ。
大和大路通り三條下ル 鬼焼き蒲鉾のキク嘉老舗。
2011-12-29 MARESCALCHI MAN RAY 1976
遅れたクリスマスの贈りもの
千葉市美での『瀧口修造とマルセル・デュシャン』展から戻り、自宅でメールの確認をしていたら、イタリアの古書店から最新リストが入っていた。AbeBooksに掲載前のようで、ピール頭のまま直ぐに注文した訳。ところが、クリスマスの郵便事情、なかなかやってこなかった(17日間)。そろそろ、書留番号を照会せねばと思っていたところ、到着。早速、取り出すと、なかなかよろしいカタログで満足した。1976年の5月--6月にかけてイタリア・ボローニャのマレスカルキ画廊で25点のデッサン、オブジェ、写真、油彩などが展示された。テキストはジョルジオ・ルッジェーリによる『先駆者マン・レイ』。
23.8×16.8cm pp.24
店主のジョバンヌに無事到着のメールを入れなくては。




















































すばらしい!また添えられた言葉は暗涙ものです。
神戸でもお祝いをしましょう!奥様とどうぞ。