黄土高原 紅棗がみのる村から




2016-08-17 1キロ 12000円っ?!

ところで、忙しいわりにはここ最近ちょっと“凝っている”ことがあって、それは何かというと、サソリ捕りです。サソリは漢方薬の材料としてけっこう高値で取引されるので、日が暮れるとブラックライトを持ってウロウロしている村人は少なくありません。いくらで買ってもらえるのかは、もちろん知りませんでした。

先週のことですが、磧口で年に一度の大きな市が立ち、何人かの村人が出かけるというので、私も一緒についてゆきました。実は1か月ちょっと前に、私がいつも力仕事などを頼むシーピンが、借金して7人乗りのミニバンを購入し、“黒タク”を始めたのです。日本の白タクですが、こちらはずっとおおっぴらで、ごく一般的な市民(農民)の足です。先日チビなつめを離石の動物病院まで連れてゆけたのも、この車があったからです。それで、シーピンは欲がないというより、計算がまったくできない男で、いつも村から離石まで10元で行っているのです。招賢から離石のバスが10元なので、村からだったら20元もらわなければダメだと、いくらいってもダメです。離石までは片道40キロの上に悪路、ガソリン代が往復で50元近くかかるのに、行き返りたとえ満席でも120元です。減価償却ということがわからないのです。磧口も往復で20元×4人ということでしたが、私は以前ときどき黒タクをチャーターして、片道で80元でした。それがかなり前の相場です。私はいつも言い値の倍を払っていますが、それでも安いのです。

とにかくものすごく暑い日で、日陰で微動だにしないか、市をぶらついて熱中症に挑戦するかの選択しかない状況で、私はみなを置いてほうほうの体で先にバスで戻りました。目的は、磧口で取材した何人かの安否を尋ねることだったので、それは無事に済ませました。

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ところで、一緒に行った村人の2人は、実は捕まえたサソリを売りに行くことが主目的でした。界隈では、やはり磧口まで行かないと仲買人はいないようです。それで、いったいどんな取引なのか興味があってついてゆきました。人ごみをかき分けかき分け、街はずれまで歩きましたが、この赤い椅子に座っているのが仲買人のおっさんです。後方は黄河

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これ全部サソリ。これをどうするのかと聞いたら、河北省のなんとかいう町まで持ってゆくのだそうです。死んだらよくないでしょう?と聞くと、サソリは何か月でも絶食できるから死なない、死んだふりしても生き返るというのです。それで、いったいいくらで買ってくれるのかと聞くと、なんと、1斤330元、つまり1キロで(現レートだとおよそ)12000円ほどだというのです。これには私もびっくり!1キロというとかなりの量ではありますが、上述のシーピンの黒タクの減価償却等々抜きで10日分ということになります。しかもサソリが出るのは日没から2,3時間ほどで短時間労働です。深夜気温が下がって来るともう出てこないのです。この界隈はそんなに多くはないですから、夫婦で一生懸命集めて1か月くらいの労働でしょうか?黒タクよりはずっといい稼ぎです。

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サソリが棲んでいるのは、土や石やレンガの割れ目、裂け目です。だから、新しく造ったコンクリートで固めたような建物にはいません。古い土ヤオトン、特にすでに人が住んでいなくて、あちこち崩れかかっているような場所がねらい目なのです。私が住んでいるヤオトンも、続きの2部屋は無住で、危険が迫りつつあるほど崩れかかっています。庭に造ってある、使われなくなった石組みのかまどにもよくいます。帰路にふと、私が普段使っている懐中電灯にブラックライトも付いていたことを思い出し、磧口から戻った翌日から、さっそくサソリ捕りを始めたのです。これがないとまず発見することが困難です。

サソリはブラックライトを当てると、見事に薄緑の蛍光色に発光します。私の小さな懐中電灯でもはっきりとわかります。それを割り箸ではさんで、ちいさなガラス瓶に入れるのですが、サソリは足裏がつるつるで、ガラスやプラスチックやホーローの壁を登って来ることはできません。だから、蓋なしで大丈夫です。ただ、箸では逃げられることも多く、プロは長いピンセットを使っています。そして、私が前住んでいて、今も鍵を預かっているイージャオの庭にはものすごくいるのです。しかも巨大なヤツが。でも半分は捕りそこねますね、割れ目に逃げ込む足はけっこう速いです。

上の写真で2日分、2軒だけです。縄張りがあるから、あまり他人の庭には行けないです。もちろん、これを売りに行くつもりはありませんが、やり出すとこれがけっこう面白いんですね。キノコ採りや山菜採りと同じで、捕るのが面白いのです。ちょっとスリリングだし。ただ、絶対に登ってこないとはいわれてますが、やっぱり寝るときは瓶の蓋をして寝ます。いまはチビなつめが部屋にいるので、何かの拍子にひっくりかえしたりしたら大騒動ですからね。

YozakuraYozakura 2016/08/18 14:58 Maotouyingさま
 この蠍を捕獲し仲買人に転売する商売が山西省では繁盛しているとの由、初耳です。
 但し、都会から遠く離れた辺境に位置し「これと云った産業にも欠ける地域では、漢方薬の材料となる毒虫の捕獲が主力産業となるのは、如何にもありそうなことだ」と感じ入って居ります。

 そして、この捕獲事業の加熱ぶりは、直ちに、25年以上も前に聞いた
「鹿児島県の離島---奄美大島や徳之島---に於ける毒蛇買い上げ事業」を想い出しました。
 これは、「同地域に生息する毒蛇のハブを地域の保健所が鹿児島県や地元自治体の予算で買い上げることで、毒蛇に依る咬傷被害を減らし地域社会の安全を高める目的がある」のだそうです。

 買い上げ価格は、以前は一尾4000円だったそうですが、2年前より一尾3000円に値下げされたそうです。理由は、県予算の緊縮と地元予算の縮小、並びにハブの乱獲防止によるそうです。

 この「鹿児島県による毒蛇買い上げ事業の変遷」に関しては、以下に面白い新聞記事がありました。検索要素のみ、列記しておきます。

[奄美新聞、ハブ買上価格引き下げ、2014.01.04]

 お元気で。

maotouyingmaotouying 2016/08/19 23:02 なにしろ“収穫期”が短いですから、“主力産業”というにはちょっと無理がありますが、乱獲で年々少なくなり、逆に年々高くなっているようです。ただ、この界隈は人も住んでいるし、新しく建てた家も割合に多いので、乱獲気味ですが、この広い高原に散らばる過疎の村、集団移転した村などに行けば、ぞっとするほどいると思います。絶滅はぜったいにしないでしょうね、気候の大変動がない限り。
すでに秋の虫が鳴くようになり、ウロウロする村人も急に見なくなりました。私は今のところ30匹くらい捕まえましたが、さてこれをどうしましょう?なんでも、生きたまま塩水で茹でて、それから乾燥させると漢方の材料になるそうです。

六文銭六文銭 2016/08/21 17:05  そんなにサソリがいることが驚きです。映像以外ではサソリは見たことがありません。

2016-08-14 ワンとニャーでくたびれたぁー!

3日前のことですが、しばらく見なかった“チビなつめ”がやって来ました。一見まったくフツーでしたが、後ろ足の付け根のところに大きな穴が開いているのを発見したのです。中の肉が丸見えで、本人、いえ本犬はぜんぜん痛がっていないのですが、見てるこっちの方がドキッとするほどの深い穴です。まだ膿んではいないようでしたが、放っておけば必ず腐敗が始まって徐々にダメになってゆくのは目に見えています。犬同士のけんかかしらと思ったのですが、なんと、村人のひとりに、鉄の棒で殴られたというのです。たしかに、チビなつめは、なつめに似て、よく吠えるのですが、襲って来るわけでもないこんな小さな犬をまともに殴りつけるなんて、ヒドいもんです。ただし、このいきさつには、村の権力闘争の影響が潜んでいると私はにらんでいます。殴ったのは、旧村長派の男で、チビなつめの飼い主は、新村長派の“重鎮”なのです。

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それはともかく、急な事故ならあきらめもつきますが、徐々に腐敗が進行して、最後はまだ息があるのに谷に投げ捨てる、という当地の一般的な習慣は、私には耐え難いので、離石の動物病院まで車で連れてゆくことにしました。一昨日のことです。その日の朝には、飼い主もさすがに申し訳ないと思ったのでしょう、100元くれました。そして、帰って来た翌日にも、とうもろこしとかぼちゃを持って来てくれましたが、こういう人は、当地ではほんとうに珍しいです。

動物病院といっても、要はペットショップですが、私が連れてゆくと必ずボラれるので、運転手のシーピンに頼んだのですが、多分効果あって、70元で済みました。ちょちょちょっと、ぞうきん縫うみたいなもんでした。でもしっかり消毒もしてくれたし、多分これで大丈夫でしょう。

で、帰って来てからがまた大変で、飼い主のおっさんがちょうどウチの前にいて、チビなつめをもらってほしいというのです。今さらいうまでもなく、私はしょっちゅう家を空けるので飼えない、といくらいっても、私がいない時には自分が面倒をみるから問題ない、とか、お隣が犬嫌いなのでダメだといっても、自分から頼むからとか、とにかく周りにいた人も一緒になって、私が飼い主になれば誰もいじめないから一番いい、などと無責任な言葉で口を揃えるのです。

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もちろん、絶対に飼うことはないですが、とにかく傷口がふさがるまではと、今現在、チビなつめは私のところにいるのです。外に放すと犬同士のけんかなどでまた傷口が開いたりしたら目も当てられないですから。酷暑の中の一日仕事で疲れ果てて、死んだように眠っています。

で、ちょうど病院に行ったその日からお隣が出かけて、子ネコの面倒も見なければならないのです。この両者の駆け引きがなかなかに面白いのですが、私はいま学校のツアーの準備で忙しいので、そんなことを楽しんでいる時間はないのです。この駆け引きを書き出すと長くなるので省略。またの機会に。

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ワンの方はけっこう気にせずおおらかですが、ニャーの方はやっぱり警戒心満々です。

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ニャーは自分の方が先客だったのに、ワンに私の部屋を占拠されておもしろくありません。

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前はこんな感じで自由に遊びまわっていたのですが、今はだいたい高い位置にいます。

2016-08-10 いつまでモツかわかりませんが。。。

まったくひどい目に遭いました。今も継続中です。

私はパソコンを2台持ってきています。1台はVAIOで、これは主に、映像処理とDVDの焼き付けに使っています。撮影したフィルムを編集してDVDにして届ける、というこの作業をこまめにやって来たおかげで、葬儀など貴重な映像を撮らせてもらうことができました。ただ、この間VAIOはよく頑張ってくれましたが、この機種が、村で使える無線ネットワーク用のデバイスを認識してくれないのです。それで、ネット用に、かつVAIOは重くて移動の時にあまりに不便なので、その半分の大きさの中国ブランドLenovoを、日本で買って持ってきています。

この2台が、まったく同じ日に使えなくなったのです。パソコン自体が壊れたわけではありません。ネットも繋がるのです。ただその先がすべてフリーズ、VAIOもなぜかフリーズで、にっちもさっちも行かなくなっていたのです。

きのう、離石のカスタマーサービスに持って行って、とりあえず、使えるようにはなったのですが、原因ははっきりしないということで、いつまた使えなくなるかはわかりません。VAIOはダメです。

で、ベトナム戦争のことが尻切れトンボになっていますが、要するに最後に書きたかったことは、ベトナム戦争と集団的自衛権のことです。韓国アメリカに次ぐ兵員をベトナムに派遣していたわけですが、全斗煥、盧泰愚の2人ともがその時の指揮官だったという大きな理由で、学校では“平和のための活動”と教えられていたようです。

朝鮮戦争の記憶が冷めやらぬ時期でもあり、この米兵よりも恐れられたという猛虎軍団が、無辜の住民を大量に虐殺し、女性を暴行して多くの混血児をベトナムの村に残したという事実を、最初に韓国社会に告発したのは、ベトナムに留学していたひとりの韓国人大学院生だったそうです。その後にNGOの活動が中心となって、謝罪や補償がすすみ、そのことと、今の韓国企業の進出とは当然切り離しては考えられないでしょう。

というようなことを最後に書いて、ベトナムの旅報告を終えるつもりだったのですが、ま、このブログを見てくださっている方々は、みなさんご承知のことばかりだと思いますので、これで終わります。

で、いつまでモツかわからないので、この際、癒し系でしめておきましょう。

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六文銭六文銭 2016/08/11 01:23  戦後を支えた人たちがどんどん逝くなか、ベ平連関連の人たちも逝ってしまいました。その結果日本では、米軍の主要出撃拠点だったにも関わらず、ベトナム戦争関連の歴史的事実は完全に風化しています。その点、韓国は、直接的に関与しただけにその後遺症が残っているのでしょうね。
 アジア人をしてアジア人と戦わせるというトラップにかからなかったのはひとえに、現行憲法のおかげでしょう。その点、韓国は朝鮮戦争のツケを支払うという意味で出兵を余儀なくされたのでしょうね。
 東西冷戦の枠組みが解けたなか、韓国は経済発展を続けるベトナムとの関係修復に必死なのでしょう。
 その点日本は、何事もなかったかのようにベトナム進出をしていますが、この国の歴史感覚の無さを象徴しているかのようですね。
 私のまわりにも、公務員でありながら職を賭して米軍脱走兵をかくまった人がいますが、その脱走兵そのものがいろいろ問題含みで苦労したようです。今、それを聞くといささか喜劇含みですが、当時としてはとても先鋭的な運動であったと思います。

さんこさんこ 2016/08/11 16:27 アメリカ兵を脱走させて、外国へと送ったべ平連のひとたち。今はわずかしか残っていませんね。そして、必死に彼等を匿ったりしたのに、当の本人はそれほどには感じていなくて〜〜〜ということも後から聞きましたが、そんなものかもしれませんね。韓国の兵士は、過酷な戦場に行かされたのですね。沢山の死者が出ていますから。  最後の可愛いコネコさん、可愛すぎますね。よだれ。

YozakuraYozakura 2016/08/18 14:16 Maotouyingさま
 ベトナム反戦運動と、べ平連による脱走支援活動が話題となっていますので、一言、お報せします。
 今年2016年6月7日から6月12日まで、東京都台東区谷中にあります小さな画廊にて「10-8 山崎博昭・追悼、ベトナム反戦闘争とその時代展」が開催されました。
 会場こそ手狭ではあったものの、展示内容は、
 羽田空港傍を1967年10月8日に反戦デモ行進中に死亡した京都大学生の日常生活と政治意識、当時のベトナム反戦運動、そして、彼の死を契機に広まった「在日米軍兵士の脱走支援活動」の発展ぶりが詳細に展示されていました。
 一口に云って、実に充実した内容でした。

 昨年2015年7月には、ベ平連の指導者の一人であった鶴見俊輔氏も死亡し、嘗て活躍した関係者も続々と鬼籍に入りつつあります。
 そうした時季に、こうした追悼記念展示会が短期間ながらも開催され、一定の成功を収めた事実を記憶の片隅に留めて戴ければ、幸いです。
 この展示会は、上段に記した「」内部の用語で検索されると、浮上します。御関心あれば、自己責任でどうぞ。お元気で。

maotouyingmaotouying 2016/08/19 22:54 そうですか、私たちの世代(の一部)には感無量のところがありますね。個人的には特にいろいろ。。。

2016-07-29 ベトナムの旅 その12

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私たち“団塊の世代”(の一部の人間)にとって、ベトナムという言葉からのイメージは、ベトナム戦争に始まってベトナム戦争に終わるといっても過言ではないでしょう。思い起こすことは多々あります。ただ、今回の旅は、12月に予定されている、高校生のためのツアーの下見であって、旅のコンセプトは、国境を歩いて越えること、異文化体験、モノの流通などであって、現在の高校生に“ベトナム戦争”は旅の目的とするには無理があります。もちろん事前の学習会で触れるとは思いますが、関連施設など、下見の対象には入れませんでした。

それで私は、若い同僚をタンソンニャット空港に見送った後、ベンタイン広場に戻り、そこから歩いて「戦争証跡博物館」というところへ行ってきました。ベンタイン広場から北西の方角に15分くらい歩くと、上の写真で有名な現「統一会堂」、かつての南ベトナム大統領官邸の高い塀に行き当たります。今回は時間がなくて入りませんでしたが、大会がないときは、市民に開放されていて、自由に出入りできるカフェもありました。そしてそのまま蝉時雨の中を塀に沿ってまた15分ほど歩くと、博物館の前に出ます。

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想像していたよりずっと小さな建物で、設備も、正直なところ地方のやや立派な公民館程度のものでした。館内の展示物はほとんどが写真と説明パネルでしたが、かつてどこかで見たことがある、キャパや沢教や石川文洋などの“有名”な写真も多く、1枚1枚、いろいろ思い出しながら見ていたら、けっきょく時間切れになってしまい、全部は見られませんでした。石川文洋、中村悟郎のコーナーは、それぞれ2部屋くらいとってあって、ここだけ日本語のキャプションがついていました。

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もひとつ意外だったのは、観覧していた人のほとんどが欧米系の若い人たちだったことです。この写真は団体客ではないはずです。おそらくは、全体の90%くらいを占めていたと思いますが、みな口数も少なく、一枚ずつ時間をかけてじっくりと見ている人がほとんどでした。彼らの心が読めるはずもありませんが、例えば私たち日本人が、南京や731の写真や資料を見るときのつらいやり切れない思いと、共通するところもあれば、まったく異にするところもあるのでしょう。若い人たち同士で意見交換ができる場があればいいのになあと思いました。

実はこれより前、ダナンからホーチミンに向かう飛行機に乗った時、いかにもアメリカ人らしい大柄な人たちの小グループとすぐ近くの席に乗り合わせました。私よりは少し年齢が上、つまり、おそらくはベトナム戦争を実際に経験した元米軍兵士たちではなかったかと思います。もちろん話しかける勇気はなかったのですが、彼らもまた物静かで、窓の下に広がる熱帯雨林に時々目を向けているようでした。

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実際、見たことがある写真が多かったのですが、その中で特に私の目をひいたのは、数枚の韓国兵の写真でした。

(とにかく、絶え間なきフリーズでどうしようもないので、ここでいったん休止します)

2016-07-27 ベトナムの旅 その11

PCの調子が悪くてまた空いてしまいました。またぞろ寿命かしらと頭が痛いです。これまでにも何度か書いたことはあるのですが、アップできなくて。とにかく、日本で買っているPCなので、修理するときにいつも困るのです。PC本体自体のもろもろは中国語で表示がされないので、離石くらいのカスタマーセンターでは対応できる人がいないのです。これまでも何度か太原まで行きました。

それはともかく、ベトナムの旅報告もあと2回で終わりにします。なんだか目まぐるしく重苦しい事件が頻発しているし、いい加減にしないと。それに、そろそろ今年の“ハルビン・撫順ツアー”の準備にも入らなければなりません。こちらの方は9月です。

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もう一度カントー。ホテルの窓からです。この川はメコンの支流のカントー川ですが、物流、人流の盛んなところで、漁船、果物や野菜を積んだ船、観光船、浚渫船とさまざまな船が通って見ているだけでも楽しいです。もっとも昼間は写真のように静かで、一番交通量が多くなるのは、近くで水上マーケットが開かれる5時6時のようですが、私はついに起きられませんでした。また次の機会があると余裕なので、ついつい寝坊をしてしまって。

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ホテルで借りた自転車で20分くらい走るとカントー川がメコンの本流、といってもなんだか河口あたりでは2つに分かれているようで、これはハウザンと呼ばれている方の川に合流します。カントー大橋が見えますが、これはどうやら町のシンボルになっているようです。

3枚目の写真の屋形船は、水上レストラン。このあたりには、海鮮レストランがあちこちにあって、水上に井桁に橋を渡した上に建てたあずまや風のレストランもありました。大小のあずまやがひとつひとつ独立していて、なかなかいい雰囲気ですが、足元はそのまま水面だし、蚊が多いんじゃないでしょうかね。

黄河も、水際ではあまり“流れ”を感じない河(もちろん私が住んでいるあたりでは)ですが、メコンはもっともっと穏やかで、船が通った時くらいしか波が立ちません。黄河と同じく、水は完全に“泥水”ですが、この“泥”が堆積して、悠久の文化をはぐくんできたのでしょうね。日本のような“清流”では、やはり“四大文明”級の文明の萌芽にはほど遠かったということです。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A1%E3%82%B3%E3%83%B3%E5%B7%9D

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ベトナムは仏教国ですが、街中でお寺をよく見ました。大乗仏教ですが、日本の寺とはなんとなく雰囲気が違います。

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若い人が線香をあげて一心に祈っていました。中学生くらいの3人組の少女たちも見ました。堂内はみな靴を脱いであがります。話は飛びますが、カントーで泊まったホテルのハウスクリーニングの若い女性たちは、靴を脱いで部屋に入って来たので驚きました。中国でも日本でも、ましてや西欧ではあり得ないと思いますが、ベトナムの靴を脱ぐ文化というのは興味がありますね。

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お坊さんが一生懸命拭き掃除。街の普通の人たちが、毎日のように来て祈っているような雰囲気でした。街のあちこちで黄色い菊を売っていたのは、やはりここに供えるためではないかと思います。

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すぐ向かいにあったクメール寺院。

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スーパーの2階にあったフードコート。sushibox 微妙です。今回は口にする機会がなかったので、味の方は不明。韓国資本はいろいろ。韓国料理の店も見ました。

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まったく言葉が通じなかったので、何だかわからないのですが、これがめっちゃおいしかったんです。メインは甘く煮た切りイカ。それにナッツと香辛料がたっぷり。で、これをすぐ向かい側にあった公園のベンチで食べていたら、公園管理人がやって来て、自転車を出せ、というのです。乗り入れどころか、持ち込みも禁止みたいです。だいたいゴミも落ちてなくて、街はきれいでした。

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とにかく至るところカフェだらけ。これは郵便局の前の路上で日が暮れて店開きしたところ。こういうプラスチック製品の簡素な移動カフェも多いです。写真のように、みな道路の方に向けて椅子を並べるのです。どこに行ってもだいたいそう。それで“厨房”というのは屋台みたいなのが多くて(もちろん店舗を構えてる方が主流)、時には自転車屋台で、そこから運んでくれます。美術館や書店や軍事博物館の庭にもあって、博物館は休みでもカフェは賑わっていました。

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カントーの本屋で。一番人気はダントツに英語。で、並んだ本の種類から見ると、2番目に多かったのが日本語だったのです(1、2位の差は巨大)。ついでハングル。そしてドイツ語フランス語。なんと最後が中国語でした。私たちが泊まった安ホテルでも、フロントはみな英語が話せました。流暢といってもいいくらい。

歴史的には漢字文化圏のはずだし、お隣なんだから、中国語はもっと通じると思っていたのですが、国境の税関を除いて、まったく通じませんでした。街に出てしまえば英語も通じないし、これは本番までになんとか、ベトナム語を勉強しなければならないのではないかと、寄る年波も顧みることなく、最近は考えているのです。しかし、今の環境でベトナム人を見つけ出すのは不可能です!

六文銭六文銭 2016/07/28 23:53  改めてヴェトナムの地図を眺めてみたら、カントーもそうですが、その南部というのはメコン川が運んだ土砂が堆積してできた扇状地なのですね。
 日本でも裂きイカとクルミなどを佃煮風にしたものがありますが、香辛料や写真で見るように青い野菜(?)が入っているのはないですね。
 公園のベンチで思い出しましたが、名古屋の鶴舞公園は、ポケモンGOというゲームで、なんかゲームの対象物がゲットできる「聖地」だとかで、スマホをもったいい大人たちが夜中までうろついているようです。先週末の特殊現象かと思ったら、今日もそんな具合で大勢の警官が出動しているようです。
 あの近くの図書館へ通い、その後あの公園を散歩する習慣の山下さんが、別の意味での彼女の「聖地」が荒らされるとオカンムリです。
 なんか世紀末ですね。世紀末と言っても変革の予感を孕んだそれではなく、「世も末」といった意味でですが。

maotouyingmaotouying 2016/07/29 00:42 ポケモンGOとかいうゲームに世界中が熱狂しているようですね。どういったものかよくわからないのですが、やり始めたら面白くてやめられなくなるんでしょうね。それはその世界の優秀な人材の“英知”を結集して作られたものだから当然でしょう。しかし、皆が皆、どうしてそんな仮想世界にのめり込めるのか、私にはわからないです。
それで突然思い出したのですが、宮柊二に『山西省』という歌集があって、彼は昭和14年から18年まで、今私が暮らしている山西省に従軍しています。その中に何首か印象に残っている歌がありますが、「ひきよせて寄り添ふごとく刺ししかば声もたてなくくづをれて伏す」というのがあります。おそらく、無抵抗の捕虜を刺殺したのでしょうが、人ひとり殺すということのリアリティが生身の肉を通して哀しいほどに伝わってくるような気がします。仮想世界のゲームでは得られない感覚ではないかと思います。
つい先日も相模原で大量殺人がありましたが、これもやはり仮想世界のゲームだったんでしょうか?

六文銭六文銭 2016/07/29 11:42  相模原の件は、たしかに本人の精神状態などにいくぶんの問題は見られますが、テロル、ないしヘイトクライムとして、「邪魔者は殺せ」というある程度普遍化しつつある傾向と現実的なつながりをもっているだけに一層怖いものがあります。彼は犯行に至る前に、「ヒトラーが自分に降りてきた」といっていますが、それなりに凝り固まった優生学的差別主義者の確信犯です。
 いまの日本の動向からして、密かな賛同者がかなりいるようですので、第二、第三の惨劇の可能性も残されています。一見無縁な自己責任論や、生産性至上主義も、そうしたヘイトクライムをじんわりと養成する温床になっています。

maotouyingmaotouying 2016/07/30 11:48 「ヒトラーが降りてきた」とはすごいですね。サリン、秋葉原、相模原と、専門家がこれからまたいろいろ“読み解いて”くれるのでしょうが、20年後の世界−私は生きていないでしょうが、いったい何が降りてくるのでしょうか?恐ろしいです。