黄土高原 紅棗がみのる村から




2017-02-20 プノンペン経済の不思議

S21に行った翌日、私はまったくの偶然から、“キリングフィールド”から奇跡の生還をされた、今年80歳になるBさんという方にお会いするチャンスに恵まれました。彼は1970年から、75年にプノンペンクメール・ルージュに追われるまで、日本の通信社で働いていたカンボジア人です。外国のメディア関係者が次々と帰国する中、最後までプノンペンに留まって命がけで情報を発信していた人で、生々しい彼の証言を編集した本もいただきました。そこで私は、あらためて自分の無知、無関心ぶりに落ち込み、カンボジアに来たことを後悔したくなったくらいでした。

そして、恐らくは、これをごらんになっているみなさんも、カンボジア内戦に関してはあまりご存じでないと思いますので、下にWikiのURLをあげておきますが、Wikiはあくまで、個人の投稿から編集されているウェブ上の百科事典です。

カンボジア内戦

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AB%E3%83%B3%E3%83%9C%E3%82%B8%E3%82%A2%E5%86%85%E6%88%A6

クメール・ルージュ

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AF%E3%83%A1%E3%83%BC%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%83%AB%E3%83%BC%E3%82%B8%E3%83%A5

これを読むだけでも、いかに大国の政治力学にクメールの民が翻弄され、故郷を追われ、愛する人を殺害され、未来や希望すらも奪われていったか想像に難くないと思います。信じがたい大虐殺が進行しているさ中、いくら情報が不足していたとはいえ、様々に絡み合った利害関係の中で、世界はこぞって沈黙を通したのです。

クメール・ルージュがプノンペンを制圧して、大虐殺が始まったのは、サイゴンの大統領官邸に南ベトナムの解放戦線が突入して、長かったベトナム戦争が終結した、まったく同じ時期でした。73年に米軍がベトナムから撤退して後、『べ平連』(ベトナムに平和を!市民連合)は解散しましたが、“カ平連”を立ち上げようという話は、ついぞ耳にすることはありませんでした。

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ここで自分自身の話に戻ります。私がプノンペンに到着した夜のことは、すでにここに書きました。華人経営のホテルに泊まり、華人経営のコンビニで、米ドルで買った、韓国産眞露と、日本産かっぱえびせんで第一夜を過ごしたという話です。結局プノンペンには5泊したのですが、意外だったのが物価の高さです。私は当初、カンボジアはベトナムよりも物価は安いだろうと考えていました。

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いま、ネット上でアジア諸国2015年ひとりあたり名目GDPを探ってみると、日本は第4位で、32,478ドル。中国が10位で、8,140ドル。ベトナムは18位で、2,088ドル。カンボジアが最後から2番目の24位で、1,144ドルです。(1位はマカオ、最下位はネパール)。ところが、プノンペンでは、私が実際に感じる限り、ベトナムよりも高めだし、場合によっては中国並みなのです。トゥクトゥクというバイクTAXIをときどき利用しましたが、“外国人料金”とはいえ、ベトナムよりずっと高いのです。一度やや高級そうなベーカリーに入って、コーヒーを飲んで、菓子パンを4つ買いましたが、800円ほどとられてちょっと驚きました。初日に買ったかっぱえびせんも、0.9ドルでしたから100円くらいしたということです。路上の屋台の食べ物も、中国並みで、施設の入場料は、外貨獲得のために日本並みです。

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なぜこんなに物価が高いかといえば、考えてみれば、商品のほとんどが輸入品だということがあげられます。とにかく、ちょっとしたスーパーの棚に並んでいる商品は、日本、韓国、中国、ベトナム産のものばかりで、どれがいったいカンボジア産なのだろうかと探してみてもさっぱり不明です。レジ袋がえらくいいものだなと思ったら、これもベトナム産なんだそうです。乗り物に至っては、HondaYamahaのバイクはもちろんのこと、ToyotaNissan、Ford、Hyondaiなどなど、もちろん国産車など何十年先になるのか。そしてなぜかレクサスがものすごく多いのです。みな中古車らしいのですが、それでも高級車です。いったい誰が乗っているのでしょうか?

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それに対して、国境を跨ぐ経済というか、プノンペンからサイゴンに行く乗り心地のいい立派なバスは、10ドルと安いのです。つまりベトナム並みということになります。到着した日に、空港からホテルまで多分20キロなかったと思うのですが、TAXIは12ドルでした。

経済学に関してはまったく無知ですが、いったいなぜこんなにおかしな経済なんでしょう?都市、といっても、カンボジアにはアンコールワットがあるシェムリアップを除いては、プノンペン以外にはほぼ存在しないと思います。都市と農村の格差といった程度のモノではなく、プノンペンとそれ以外の地域では、まったく違う経済が流通していて、農村部ではいまだに自給自足、物々交換に近い経済構造なのでしょうか?

つづく

maotouyingmaotouying 2017/02/20 19:26 文子さま
なぜかメールが戻って来てしまいます。いずれにしろ、gmailは中国に入ると使えなくなる可能性が高いので、ご面倒ですが、yahooで臨時メルアドを作成して送ってください。

2017-02-16 「S21」

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プノンペン市の南部に位置するこの建物は、かつて高等学校の校舎でした。カンボジアの学生(生徒)たちは、フランス統治の名残とはいえ、白いシャツに紺のズボン、女性は紺の巻きスカートと、とても清楚でかわいい制服を身に着けて登校します。ここもかつてはそういった少年少女たちでまばゆく光り輝いていたことでしょう。

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1975年4月、当時のロン・ノル政権が崩壊して、ポル・ポト率いるクメール・ルージュがプノンペンを制圧、市内の人間をすべて農村部に強制退去させた後に、ここは「S21」と呼ばれる“政治犯強制収容所”となりました。そもそもその存在が極秘にされていたため、正式な名称はなく、「S21」という記号で呼ばれていました。後に地名をとって、「トゥール・スレン政治犯収容所」と呼ばれるようになり、現在は「トゥール・スレン虐殺博物館」として一般公開されています。2003年にはユネスコの世界記憶遺産に登録されたようです。

私がプノンペンに到着したのは、1月21日でしたが、翌日、ホテルから歩いて行ける距離にあったここに行ってきました。5分歩くだけで汗がしたたり落ちる灼熱の午後、当然のことながら心弾む訪問先ではなく、のろのろと時間をかけて、気分的にはようやく“たどり着き”ました。

7ドルの入場料を払うと、音声ガイドの機器が渡されて、それに従って館内を見て回りました。この音声ガイドはとてもよくできていて、15カ国語で作成されており、32カ所のポイントの説明の後に、それぞれまた指定されたボタンを押すと、より詳しい状況説明とか生存者の証言などを聞くことができます。

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一番最初のA棟に入ってまず衝撃を受けるのですが、各部屋(小さめの教室)には鉄製のベッドが一台と、壁には無残な虐殺死体の写真が一枚ずつ掲げられています。これらは、1979年1月にベトナム軍がプノンペンを制圧した時に、その異臭に気づいてここを発見し、その時の状況をそのまま写真にとらえたものが掲示されているのです。クメール・ルージュは最後の収容者たちを虐殺して後に逃亡したのですが、その直後の写真ということになります。(音声ガイドで、「残酷な写真があるので、決して無理をしないでパスするように」と、たびたびアナウンスがあります。それほど凄惨な写真です。)

ベッドの上には鉄製の箱がひとつずつ置かれていて、用便をたすためのものだろうとは思ったのですが、後で知ったところによると、これはもともと弾薬箱で、蓋を開けるのにやや特殊な技術がいるのだそうです。それで、収容者がそれを自ら開けて用を足せば、彼は軍の関係者として即刻処刑の対象となるという、巧妙な仕掛けが隠されていたのです。

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最後に独居房に収容されていたのは14人で、名前もわからない彼らの遺体は、中庭に葬られ、今も14個の白い墓石となって、訪れる人たちに、墓標もなく残された言葉もなく、密やかにそして痛切に、クメールの悲劇の歴史を訴え続けているのです。

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この収容所では、旧政権関係者、いわゆる知識人技術者、医者、学生、宗教者などなど、つまり都市部の“一般市民”が連行され、凄惨な拷問の後に、“アメリカCIAの手先”“ベトナムのスパイ”という供述書に署名させられ、つかのま拷問の責め苦から解放された後に、市の南西15キロほどにあったチュンエク村の“キリングフィールド”に送られて殺害されたのです(キリングフィールドは国内各地に何カ所かあった)。受け取ったパンフによると、ここには12,000〜20,000人が収容され、生存が確認できているのは、わずか12名だそうです。

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壁には1000枚ほどの犠牲者の写真が掲げられています。そして、1枚1枚の写真の絶望的なまなざしに曝されて、私はすっかり落ち込んでしまったのです。正確な数字は今もって特定できないようですが、ポル・ポト政権下では、およそ200万人、国民の1/4が殺害、もしくは餓死したといわれています。

70年代の後半といえば、そんなに遠い昔のことではありません。虐殺が世界に知られるようになる前には、ポル・ポトを支持する発言をしていた日本(および世界)の知識人もいたのです。アメリカはベトナムから米軍を撤退させると同時に、ロン・ノル傀儡政権を擁して、同じ反共理論で、カンボジア国内に大混乱を引き起こし、ポル・ポト政権を誕生させたともいえるのです。これらの歴史にいかに私(たち)が無知、無関心であったか、2000個の眼差しに問い返されているようで、私はその後数日間、プノンペンではとても“観光”をする気にはなれなかったのです。

上海たろう上海たろう 2017/02/17 12:01 ユダヤ人の迫害、アフリカの虐殺、敷衍すれば戦時中や文革の時代の中国においてもそうですが、人の意識が暴力的な権力によって間違った方向へ向かうとき、こういう凄惨な共喰いが起こるのだろうと思います。

日本社会もカチカチの権力社会になってきて、不満をもつ人も増えました。特に、実習生や留学生の外国人、在日外国人の家族も、日本のコミュニティで暮らすのが普通になってきた今、問題を見ないふりをしたり、今までの古く日本的な既存観念の解釈枠に押し込めようとすると、さらなる混乱や衝突を招くこと必至で心配です。

同じ意味で、最近、日本って動物に冷たいというか、例えば人の社会に犬が共存し辛いんだなと思いました。犬は家族のペットなんだからそっから出るな!みたいな、、、今や介助犬や人間より人間らしい存在でもあるのに、社会で許容するという柔軟性に乏しい。。。

さんこさんこ 2017/02/18 08:22 恐ろしいですね。権力者に知らぬ間に引きずられてゆく、おおくのたみ。その一人かも知れぬと思うとき。
じぶんで、最後まで理性を保ち、抵抗できるかどうか。どうすれば悲惨な残虐なことにならずに、道をゆくことが出来るのか。烏合の衆にならずに踏みとどまれるか。ベッドの上の容器は、恐ろしいものだったのですね。

2017-02-04 GA SAI GON

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GA SAI GON」、英語くらいしか外国語を知らない日本人としては、これをとりあえずは「ガー サイゴン」と読んでしまうのではないでしょうか?しかしベトナム語では「ヤー サイゴン」と発音します。日本人の発音で意味は十分に通じます。鉄道のサイゴン駅という意味です。

2日午後10時、私はヤーサイゴンから、ベトナム統一鉄道急行列車SE4という列車に乗ってハノイに向かいました。これがなかなか大変だったのです。上の写真は念のため前日に確認に行った時に撮ったものですが、2日当日は午後からずっと雨でした。荷物もあることだしTAXIで行こうとしたのですが、なかなかつかまりません。ようやく停まってくれたと思ったら、ヤーサイゴンまで20ドルだとふっかけて来たのです。荷物さえなければ歩いてだって行ける距離なので、私は追い払ってバスで行くことにしました。ところがバス停まで行く間がものすごい冠水で、もう完璧に水浸しの中をじゃぶじゃぶ歩き、それでもまだバスは走っていて乗ることができました。ところがこのバスはヤーサイゴンまでは行かず、かなり遠いところから歩かなければならないのです。私の泊まったホテルは、ベンタインという、サイゴンの最中心部ともいえる交通の要にあったのに、そこからヤーサイゴン行きのバスは出ないのです。これもまたヘンな話で、それだけ鉄道の利用者が少ないという意味なのでしょうか。しかも夜で雨が降っていたから、万一でも道を間違えたら乗り遅れると思って、道で出会う人出会う人に、「ヤー サイゴン?」「ヤー サイゴン?」と声をかけては駅に向ったのです。

しかし、サイゴン駅がなぜこんなに小さいのでしょう?つい最近、クアラルンプール中央駅の白亜の殿堂を見て来たばかりなので、よけいに合点がいきません。もしかして、ベトナム戦争で爆撃されて跡形もなくなったのでしょうか?私が普段使っている、最たる地方都市JR松本駅の方が、外見は数倍立派ではありませんか?

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しかもすぐ近くの売店にはワンコが6匹ものさばっていたんですよ。(裏側にあと2匹いた)

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構内の売店では、こんな本が。全部で10種類くらいしか置いてなかったのですが。

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待合室からホームに入ったところ。プラットホームは5本あるみたいです。私が乗るのは、1番ホームから。

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サイゴン駅が終着駅であることがおわかりいただけると思います。

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車両はバックで入って来ました。私が乗ったのは11号車で、一番後ろの車両でした。

私はこのチケットをチヤウドックを発つ前に購入しました。チヤウドックに鉄道駅はないので、旅行社を通したのですが、買うときに「コンパートメントではない寝台席を」と、3回も確認しました。彼女は英語は堪能だったのですが、これまで買ったことがなかったのでしょうか?いざ乗車してみたら1等寝台のコンパートメントだったのです。同室になったのは、40がらみの目つきの鋭い男で、ひとこともしゃべらず、缶ビールを開けては時々電話でなにやら連絡を取り合っているのです。私のカンからいうと、どう見てもヤクザか公安。おまけに鉄の扉で複雑な鍵がついていて、私には最初開け方がわかりませんでした。

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他の部屋には3人くらいは乗っていて、女性客や子どもも多かったのですが、なぜか私たちの部屋には誰も入って来ません。男はさっさと電気を消してしまうし、私は予期することのなかった“まんじりともしない夜”を過ごすハメになってしまったのです。けっきょくこの男とは終着駅に着くまで、ただのひとことも言葉を交わしませんでした。

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長い夜が明けると、右を見ても左を見ても、小雨にかすむ中、延々と田んぼが広がります。ほんのときどき、小さな町らしきところを通るのですが、工場の煙突が見えるわけでも、高層のビルが目に入るわけでもなく、すぐにまた田んぼが広がって、ときどき働いている農民の姿がチラホラ。ベトナムはとにかくコメの国であるという光景が、これでもかこれでもかと続きました。

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ときどき停車する駅。ヤーサイゴンであの程度ですから、他は推して知るべし。しかし、のどかそうないい雰囲気でした。それに比べて、仏教寺院はどこに行っても豪華です。

実は私にはもうひとつ誤算がありました。このサイゴンとハノイを結ぶ統一鉄道は、北京とハノイを結ぶ国際列車のように、いわば観光客向けの列車ではないかと思っていたのです。車内も特別仕様で、Wlfiも設置されており、当然食堂車も豪華。。。などなど。なぜなら、料金は飛行機の1.5倍〜2倍もして、私が払ったのは7500円ほどでした。ところがまったく思惑がはずれて、これはフツーのベトナム人が、短い距離で、バスよりは楽に移動できる、あるいは(椅子席はおそらく)バスよりも安いという、単なる選択肢のひとつに過ぎなかったようです。そういったことどもも知りたかったので、2等寝台の方を頼んだのですが、それもかなわなくて残念でした。

3日午後3時、途中に唯一ある大きなステーションダナンに到着しました。ここから外国人観光客(主に欧米系)がどっと乗り込んできて、私たちの部屋もようやく3人になりました。でもこの人も夜までには下りてしまうかも知れません。とにかく入れ替わり立ち替わりが激しくて、サイゴンからハノイまでずっと乗る人はほんとうに少ないのです。飛行機の方がずっと安いのですから、それも当然でしょう。

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ダナン辺りではかなり長い時間、海岸線に沿って列車が蛇行を繰り返し、ずいぶん高い位置から、天然の要衝ダナン港を望むことができます。天気が悪かったので海の色はどんよりと鈍色にかすみ、水際では波の頂がはげしく崩れ落ちる様子がよく見えました。今はリゾート地としての開発が進んでいるようですが、ここはかつて、アメリカ海兵隊が上陸して北爆のための基地を建設し、その100年以上前には、フランス海軍が初めてインドシナに砲撃を加えた場所です。カンボジアはいうまでもなく、どこの国も、とりわけアジアは、そういった負の歴史をかかえつつも、たくましく生き抜いてきたんだなぁとあらためて考えさせられました。

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結局2日目の夜は、ハノイまで行く若夫婦が一緒で、ゆっくりと眠れました。翌早朝5時20分、ヤーハノイ到着。サイゴン−ハノイ間、1726劼31時間かけて走ったわけです。単純計算してみて下さい。あまり列車が利用されない理由はおそらくはこれでしょう。途中国道と併行して走るところでは、バスがどんどん追い抜いてゆきました。

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外は土砂降りの雨で、TAXIにしつこく勧誘されましたが、急ぐわけでもないので拒否。30分ほどで雨も上がり、バス停にいたおじさんに行き先の紙を見せると、目の前に停まっていたバスに乗れと言われ、車掌になにやら言ってくれて、20分ほどでここで降りろと合図されました。なんと、幸運なことにそこから5分も歩かないで、目的のホテルの看板が見えたのです。

思惑がおおいに外れた列車の旅ではありましたが、それもこれも乗って見ないことにはわかりません。もう2度と乗ることはないでしょうが。

そうそう、同室になった男のことですが、やっぱり公安ではなかったかと思います。駅の外に出ようとしてフト振り返ると、彼は誰もいない跨線橋の上に立って、着いたばかりのホームをじっと見つめていたのです。

六文銭六文銭 2017/02/05 02:24  本当に駅舎は小さいですね。一番上の写真を見たとき、「え?これがほんとうにサイゴン駅?」と思いました。鉄道利用客が少ないのは何故でしょう?

さんこさんこ 2017/02/08 17:07 寝台車の恐怖は、なんだか昔観た映画、ジュリアを思い出させます。

雨が降ってもすぐやんだりしますね。私が傘をさして歩いていたら、怪訝な顔をされました。夏だったから、誰も傘なんて持っていなかった。

上海たろう上海たろう 2017/02/09 16:51 公安顔、ありますね。

中国から帰って、日本にも日本の公安がいて、分かるようになってしまいました。なんかしらパターンがあるから。笑

maotouyingmaotouying 2017/02/10 23:42 その男は観光客でもなく、“鉄道マニア”的な行動があったわけでもなく、なぜ飛行機よりずっと高い1等寝台に乗っていたのか、何か理由があったはずです。最後に、跨線橋の上から、降りしきる雨に煙る暗いホームを見下ろしている姿を発見して、思わず「アッ!」と声が出そうになりました。ほんと、サスペンス映画のワンシーンみたいでした。
私はまだハノイにいるのですが、実はすでにノービザの期限が切れていることに気づき、今おおあわての状態。ほんと、どこまで無計画な人間なんでしょう。無事帰国できるのでしょうか?

かっちゃんかっちゃん 2017/02/13 15:34 のりさん、ご無沙汰してます。ブログを見る限り、お元気そうで何よりです。^^ 
また拝見させてもらいに来ますね。

maotouyingmaotouying 2017/02/14 10:18 おおっ、そういう呼び方をするのはウチの卒業生やな。無事に社会人をやっとるようで、安心。。。

文子文子 2017/02/16 00:12 初めまして。いつも拝見しています。「記憶にであう」も一気に読ませていただき、衝撃を受け感銘しました。
いくつかお伺いしたいことがあり、できればメールでやり取りさせていただければと思います。どうぞよろしくお願いします。

maotouyingmaotouying 2017/02/16 22:09 文子さん、本を買っていただいたようでありがとうございます。ただ、ここに私のメールアドレスをアップするのはちょっとマズいのですが、ご質問というのは、この場では差しさわりがあることなのでしょうか?

文子文子 2017/02/17 23:50 大野さま、お返事ありがとうございます!このコメントを入力するときに入れる私のメールアドレスが大野さんに届くしくみなのかと思っていました。どうやってご連絡差し上げることができるでしょうか。。。
端的に言うと、「大野さんに会いたいです!」ということなのです。
「記憶にであう」を読ませてもらったり、このブログを拝見していて、日本と中国の歴史の中で起こってしまったこと、人間のしわざそのものにも絶望的な気持ちになるのですが、私にとっては何より、そういう場や人や歴史の傷跡に出くわしたあと、単身そこに住んじゃって今に至るというような生き方をされている大野さんに、ぜひ会っておかねば、という単純で衝動的、しかし確信的な希望です。
日本は岡山県というところで、私も中山間のやがて消え行くかもしれない集落の高齢者を取材したりしていたことがあり、彼らが持つ積年の経験に裏打ちされたしぐさや考え方暮らし方や生命の見つめ方、にはっとして何か残しておかねばと思わされるような瞬間にたくさん出会って来ました。「いつかここも(自然に)のみこまれるじゃろう。」と言いながら、近くまでせまり獣道を消し去って行く自然を淡々と見つめる眼差しの人。映画かなあと思ったこともあったのです。
また、もしこの先何か映像や資料をまとめたり、協力できることがあればさせてもらいたい(おこがましいかぎりですが)と思ったりもしています。

今また日本は「戦争」を知らない世代によって「公に人を殺し殺される状況」に近づいているような政治状況になっていると思います。あんなにむごたらしく悲しい多くのできごとや加害/被害の集団的な記憶がありながら、どうしてなんでしょう。
大野さんがされている記憶の記録、とても貴重なことだと思います。多くの人、特に若い人に知って欲しい。

3月末に中国に行こうと思っています。
そのときにもしお会いできたらと思い、ご連絡差し上げました。
お忙しいとは思いますが、どうぞよろしくお願いいたします。

maotouyingmaotouying 2017/02/18 00:18 3月末なら間違いなく村におります。よろしかったらいらしてください。ただ、おひとりで離石まで来られそうですか?失礼ながら、中国語は?北京から毎日「大武」というところまで飛行機が飛んでいますし、列車でも来られます。ある程度時間はとれそうですか?あまり短い時間だと、ただただバタバタしてしまうので、おすすめしません。
時間が取れて、おひとりで離石まで来られる、ということであれば、3月末から4月いっぱいなら大丈夫です。

maotouyingmaotouying 2017/02/18 12:26 文子さま、メール確認しました。のちほど連絡させていただきます。

2017-02-01 無事サイゴン到着!

昨日朝、バスのチケット売り場に行ったら、今日も明日もチケットは売り切れだと言われたのですが、めげずにその後2回行って見ました。それで気の毒に思ったのか、ほんとうにキャンセルがあったかどうかはわかりませんが、とにかく今日の朝7時のバスに1枚だけ席があるということで、何が何でもゲット。サイゴンのホテルもなんとかなって、今はほっと一息、ビールなど飲んでいます。(ちなみに、みんなホーチミンていわないんですよね、サイゴンです)

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交通安全を祈ってでしょうか、線香がたてられていました。ここに菊の花を飾っている車両もたくさん。運転席の前の所に花瓶に花を入れてる人もいるんですよね、ほんとうに花好きです。

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ベトナムの長距離バスは、3,4時間以上になるとほとんどが写真のようなスリーピングシートになって快適です。もちろん靴脱いで乗ります。逆にチャーターの観光バスはみな椅子席のようです。

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途中でフェリーに乗ってメコン(支流)を渡りました。とにかく、あちらこちらにフェリー乗り場があって、日常的に、みんなバイクで行ったり来たり、つまり橋を渡る感覚なんだと思います。

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これはメコンの本流の方。驚いたことに、橋の上で、ものすごくたくさんの人がモノを売ってるんですね。水とか果物とかいろいろ。こんなに暑い中で、それでも停まって買う人がいるんでしょうね。

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けっきょく7時間かかってサイゴンに到着。料金は700円です。

ベトナムドンがなくなったので、両替に出たら、町の中央公園春節の花飾りでものすごく賑わっていました。ベトナムの人たちの暮らしぶりも、以前よりずっと平和で豊かになってきたようです。人々の服装や表情からも、現在、ベトナムの経済が急成長しているということがしのばれます。

さんこさんこ 2017/02/08 17:03 無事に到着、良かったですね。

花がいっぱいで、ほっとさせてくれますね。

2017-01-30 収穫いっぱいの寺巡り

泊まったホテルは中心部に出るのに3、4キロですが、町はずれのヌイサムという200mほどの山までも3,4キロで、とにかく一直線というメインストリートに面していました。朝起きると、ホテルの前のその道路を、次から次から次へとバイクが山に向かって爆走してゆきます。ヌイサムは聖なる山といわれて寺がいくつもあるそうで、そこへみな初詣に行くのです。昨夜もバイクで行ったところです。ホテルのすぐ前が市内バスの停留所になっているのを知って、バスに乗りました。町の人たちでぎっしり満員です。

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ところがしばらく走って山の麓あたりに来ると、もうものすごい人並みとバイクの列で、バスがぜんぜん動かなくなってしまったのです。あちらこちらに寺の塔が見え、ずいぶんたくさんの寺があるようです。車掌がどこまで行くのか?と(多分)聞いているのですが、さっぱり通じないので、とにかく終点まで乗るつもりでした。乗客は下りたり乗ったりで少しも減りません。終点まで行けば、みんな下りるだろうと思っていました。ところがみんなが、ここで降りろ、ここで降りろと何度も合図するのでなんだかヘンだなぁと思っていたら、英語が少しわかる兄ちゃんが近づいてきて、このバスは巡回だから、もうじきに山を下りるというのです。今乗っている人はすでに参拝を終えて帰る人たちだというのです。

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それで降りようとすると、車掌が私の手を引っ張って、あそこに行けと教えてくれたのが、「福田寺」でした。ベトナム中国に侵略されるまで文字がなかった国なので、昔使われた文字はすべて漢字です。現在のベトナム語というのは、フランス統治時代に宣教師が考案したものだそうで、発音中国語に近く、文字はフランス語に近いんだそうですが、とても現在の普通語に似ているとは思えず、広東語とか南部の言葉でしょう。

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本堂に上がるのに靴を脱ぐのはわかるとしても、ここはものすごく広い寺域で、外にも出たりするのですがずっと裸足、とにかく怪我をしそうで、場所によっては恐る恐るへっぴり腰で歩かなければなりません。

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胎内巡りのコースもあって、ここは暗いし、何度も小石を踏んで血が滲みました。複雑な長い洞窟で、100体を越えるような数の観音様やら如来様やらいました。

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一番高いところまで行くと景観が開け、気持ちの良い風が吹き渡ります。遠くに広がるのはカンボジアの田園です。

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山門を出ると“フランスパン”を売っているというのがいかにもベトナム的。見たこともない珍しいものをあれこれ売っていて、屋台の万華鏡ですが、なにしろ移動が多い身なので、極力控えています。あたる、ということはないのですが、昔と比べてほんとうに胃腸がヤワになってきています。でも、サトウキビジュースとココナツジュースは、もうほんとうにまるまる生絞りで乾いたのどにはもうたまらな〜い!!サトウキビのちょっと渋みのする味はなつかしいです。マンゴーはまだ季節じゃないんですね、残念。

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こういうものを売っている店がたくさん並んでいて、このあたりの名物なんでしょうね。魚の干したものとか、“腐らせた”ものとか、ようするにクサヤのような感じで、店に近づくだけでものすごく臭いのです。“通”の買い物ですかね。

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5分ほども坂を下ると、「西安寺」というのがありました。白い象と黒い象が出迎えてくれます。

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ここがまたけったいな寺で、どう見たってヒンズー教の神様みたいなのがいるし、見上げるとイスラムモスクみたいだし、孔子像のようなのもあったし。。。何から何までごちゃごちゃになっている感じなのです。詳しいことは私も知りませんが、神佛回儒現世混交なのでしょうか?3枚目の人なんか“真珠”のネックレスしてるし、4枚目の人はメガネかけてるんですよね、本物のメガネでした。

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裏にあった墓地、漢字のものもありました。

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これはまた近くにあった霊廟、なぜかここだけ内部撮影禁止と出ていました。

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とにかくお供えの豪華なことこの上ないです。子豚の丸焼きは、まだまだ次々と運ばれてきます。坊主がこんなもの山のように食べていいんでしょうか?米だって日本みたいにみみっちい量じゃなくて、ど〜んと20キロ入りです。

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笑ったのはこれ。賽銭箱でしょうね、他に用途は考えずらいし。。。

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ここからホテルまでは1時間かからないので歩きました。途中にあった寺。中国でもベトナムでも、布袋さんを祀っているところは多いですね。

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この線香は何日も燃え続けるそうです。1本が数千円と高いです。布袋さんの前に並んでいる赤いろうそくは、小さいのがひとつ100円でした。寺の現金収入もかなりのものだと思われます。

しばらく行くとオープンカフェがあったのでひと休みしました。それで、奥の方にあったトイレを借りてから帰ろうとすると、なんだか古ぼけたカップや杯などが10数点埃をかぶって並んでいます。売り物なのか飾り物なのかわからなかったのですが、How Much? と聞いてみると答が返ってきました。こちらは物価が安いし、みんな稼ぎは必要なのだから私は滅多に値切ることはないのですが、ちょうどキリがよかったので、コーヒー代を含めて100,000ドン(≒500円)でどうかというとあっさり交渉成立。要はコーヒー代だけで、私は“骨董品”の杯3つと、小さな蓋物の容器をゲットしたのです。ベトナム人の篤い信仰の実態も垣間見れたし、やっぱり旅に出たら歩くのが一番。ほんとうに収穫の多い一日でした。