黄土高原 紅棗がみのる村から




2017-06-20 寄る歳波はいや高く

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炎天下50℃を振り切る黄土高原の村から勇躍帰国早々風邪をひき、なんとこの間4回も医者を訪い、4回目は精密検査の結果を聞きに行ったのですが、特に問題はないといわれたにもかかわらずはっきりしない状況が続いたのですが、あさってには春秋航空で石家庄に向かいます。

村に戻ってからまた。

上海たろう上海たろう 2017/06/20 23:58 かわい〜棗ちゃん。うちのタロとお腹眼差し、、、

とにもかくにもお気をつけて。
無理は禁物。

六文銭六文銭 2017/06/22 02:20  しばらく更新がなかったので、心配していました。「問題ない」はいいのですが、やはり無理は禁物。一日3万歩はやはり敬遠した方がいいのでは。

maotouyingmaotouying 2017/06/24 09:34 昨日昼頃石家庄に到着し、鉄道駅で太原行きの切符を買おうとしたら、夜の8時過ぎまでないといわれたのですが、その一言を素直に信じるには、私の中国暮らしも長きに達し、もう一度別の窓口に並んで、難なく特急の切符をゲットして夕方には太原に到着しました。ところが予約していたホテルの隣の団地で給水パイプが破裂したとかで、水が出ない。まあ時々は、あり得る事態です。
“体調が……“などといっていては、そもそも生きてはゆけない地に戻って、ようやくなんとか元気になりました。明日には村に戻ります。

2017-05-31 「残留日本兵問題」はまだまだ続きます。

「残留日本兵問題」がこま切れ状態で続いていますが、そもそもこういった文章は、まず下書きというか、原稿にしておいてアップするというのが常識ですが、私にはどうしてもそれができないのです。大昔から。このブログの“記事を書く”というページを開いて、直接書き込むことしかできないのです。現場主義だから。

それで、記事というか、翻訳ですが、次々いろんなのが出てきて、中にはこれはちょっと、というのもあるし、難しい文章でなかなか読み込めないのもあるし、数値や日付が微妙にちがっていたり、不勉強で初耳のことも多くて読み浸ったりで、なかなか進んでゆかないのです。それにコンテンツが多すぎる。そもそも中国人は“軍事モノ”が好きだし、特に閻錫山はいろいろ話題がてんこ盛りの人ですから。

それと、“忙しい”というのはほんとうで、実はビザの滞留期限が迫っていて、6月5日までに出国しないと“不法滞在”になってしまうのです。出国すればいいだけなので、香港に出て日帰りも理論上は可能。しかし、香港に行くより、日本に行った方が、航空券はずっと安いです。例の春秋航空で、石家庄から名古屋まで8000円。ま、常用薬も切れて来たし、一時帰国しますが、そのためにはいろいろ忙しいのです。畑はどうするかとか、鉢植えを誰に預けるかとか、ネズミ穴を塞がなくてはならないとか、冷蔵庫がないので、食品を食べ尽くすとか、チビなつをどうするかとかその他いろいろ。

そういえばきのう、30日は端午節でした。粽を作って親しい人、世話になった人に贈るのが決まりですが、ここ最近は“もらい”がずっと減ってきたのです。昔は食べきれないほどもらったものでしたが、去年もおととしも誰もくれませんでした。それは私の“人気”がなくなってきたからではなく(たぶん)、昔ほど自分の家で作らなくなったからです。実は粽を作るというのは、ほんとうに面倒なのです。

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材料は、もち粟ともち米と棗ですが、もち粟ももち米も自分では作らないので、買わなければなりません。粽を包む葉っぱ、なんという植物なのか名前をいまだに聞いていませんが、これも買わなければなりません。で、これを包む作業というのがなかなか難しくて、私にはとうていできないです。こちらでも若い人はもうできないかも知れません。そして蒸し上げるのに、5,6時間もかかるのです。

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今年は久しぶりに4つもらいました。ゆうべ2つ、今朝2つ食べました。ひとつが大きいので、2つも食べたらお腹いっぱいになります。でもちょうど“食品整理”をしているところなので、頑張って食べました。棗は蒸すとものすごく甘くなるので、私は棗だけ残して食べます。ひとつの粽に6つか7つ入っていて、強烈に甘いのです。

サソリの飼育も本格的になってきて、大きめの瓶に入れ替え、土とレンガの欠片と朽木の欠片を入れてやりました。いろいろ昆虫の死骸や残骸や糞がころがっているので、掃除してやりました。昼間姿が見えないのでムカデに食われたのかしらと思ったら、暗くなったらレンガの下から出てきました。ムカデとサソリは、いつ見ても絡み合っているのですがなぜでしょう?今いるのは、2匹目の便所コウロギと蛾と毛虫です。そうそう、なつ用のソーセージを入れてみたのですが、見向きもされませんでした。1本10円の一番安いやつで、きっと澱粉ばっかりなんでしょうね。なつは大好きですが。

maotouyingmaotouying 2017/06/01 14:44 今朝また粽を4つもらいました。帰国するのでいらないと、丁重に断っても、こういうのは強引だから、無理やり持たされました。こういうときに限ってかたづけなければならない食料品がわんさかあるのです。何かを捨てなければなりません。それで仕方なく朝ごはんに食べていたら、目の前をすすーっと子ネズミが通って机の向こうに隠れました。すぐになつを呼んで追いかけさせたら、あっという間に出たところに戻っていったのですが、新たなネズミ穴発見で、また仕事が増えました。ところで、ネズミって、じっと人の顔見るの知ってました?知らないですよね、そもそも滅多にいないんだから。ほんとうにじっと見つめるんです。何か言いたげな顔して。
相変わらず外は50℃で部屋から出られません。ハエがうるさいっ!!!。これから荷作りです。

上海たろう上海たろう 2017/06/02 00:18 食いしん坊なので粽に反応してしまいました。

今日、たろうを連れて皇居周辺に散歩に行きました。中国人の観光客がバスで大挙してきていて、ベンチに座っていると、何人かたろうをシゲシゲ見るんです。(笑)

すると、一人おばあちゃんが何か言いたげにたろうを観察するので、ちょと中国語で話してみました。年に一回しか最近は使わないんですが、まま会話になるものです。おばあちゃんは烏魯木斉の方でした。たろうは耳を動かしてその中国語の会話をよく聴いてました。覚えてるのかもしれないですね。

ネズミも人の近くで生活してると顔見るでしょうね。ハムスターは見ますから(笑)なんか少し愛らしい気さえします。最近は、雀や鳥がちゃんと鳴き声でコミュニケーションしてるのを見るにつけ、鳥の声は言語だなあなんて、感心してます。たろうも喋ることあるし、ハミングがメロディになってて、掛け合いもします。

人間だけが特別優れてることなんて、全然ない気がします。

パッキング頑張ってくださいね!

ふうばいかふうばいか 2017/06/03 05:40 これこれ、昨日食べたとこです。隣りのチャイニーズのアグネスの母親が作ったと言って中と小のサイズをくれました。大きい方は小豆が入ってました。チャイナタウンで良く目にします。私も三回ほど作りました。チャイナタウンの大きなスーパーに乾燥した竹の葉を買いに行っても誰も英語が通じ無いので紙に”竹葉乾”でやっと通じて買えました。私の作り方はまず米と餅米を混ぜて洗い、そこへシイタケ(ドンコ)栗、乾燥エビ(結構高い)、細い乾燥したスティック状の名前が出てこないけどビーフジャーキーみたいなハムを刻んで入れて塩少々、利尻昆布等も入れて炊飯器で炊くのです。この炊飯器が年代物で炊き込みご飯等は必ず生米状態になるので何度も何度も酒を入れてまたスィッチオンを繰り返します。これがかなり大変なんです。竹の葉は前日から水に浸けておきおにぎりサイズを三枚
の葉で包みタコ糸で縛ります。しかし昨日アグネスに作り方を聞いたら餅米を生のままで具を入れて竹の葉でギュウギュウ詰めにして包み糸で縛って4−5時間煮るんそうです。そんな大変なのかとビックリしたばjかりでした。呼び名は何て発音するのですか? 私はチマキと呼んでますけど。餅米がもうニッチャリと言う感じでした。でも味は私の方が美味しいです。

2017-05-28 「山西省残留日本兵問題」 中国のネットから

この数日来、中国のサイトで“残留日本兵”問題を探っていました。当然のことながら、日本人の側からの記述ではなく、中国人の側から見た、太原戦役あるいは閻錫山に関する膨大な記述の中に、残留日本兵問題は散見されます。

私たち日本人は、ともすれば、“残留日本兵”に対して、悲劇性にも近い感情を抱きがちで、私自身も、“腰の太鼓を打ち鳴らし、南無妙法蓮華経を唱えながら果敢に突撃していった”若い日本兵に思わず涙してしまったくらいです。

しかしながら、中国人にとっては、“戦争は終わり、無条件降伏したはずなのに、まだ残って解放軍の兵士を殺し、中国の民衆を苦しめた、許しがたい非道な日本人”であるのは、これまた当然なわけで、“残留”の過程がどのようなものであったかはほとんど関係ないでしょう。

私は、『蟻の兵隊』も観ていないし、この問題に関する本も読んだことがないので、ご紹介する中国人が記した“残留日本兵問題”が、日本側の視点とはどこがどのように違うのか、またどの部分が周知の事実なのかはわかりませんが、関心を持っていらっしゃる方にとっては、興味深いのではないかと思い、ここにごく一部分をアップします。

ただし、私の中国語能力からいうと、かなり高度な中国語が多いので、読み切れない部分、ときには、読み違えている部分もあるかもしれませんので、ご承知おきください。また、あくまでネット上で拾ったもので、公的な研究書などではなく、老人たちの証言や、民間の歴史家が書いたもの、個人のブログなどを参照して私なりにまとめたものです。なお、(*…)内は、私が書き加えたものです。

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1945年8月初め、すでに敗戦を予測していた日本軍首脳は、華北派遣参謀長高橋坦中将と、駐太原第1軍参謀長山岡道武を、孝義(*離石から南東へ100キロほど)の揺圃村にいた閻錫山の元に派遣し、秘密会談を行った。高橋は閻に、「米ソ等同盟国にではなく、中国に投降したい。その方があなたにも蒋介石にも有利ではないか」と持ちかけると、閻は、「日本軍を残留させ、投降する前に中国軍の軍装をさせ、中国軍の番号を付け、武器はそのままで中国軍の中にまぎれこめば、投降しなくてもよいではないか。華北の日本軍が我々に投降すれば、改編して中国軍の番号を与え、重慶政府に報告する。これは日中双方に利益があるし、特に日本には利があるはずだ。これは私個人の打算ではなく、中日両国が共同して共産勢力と闘うための国策である。」と答えた。このとき高橋は回答を保留し、北京に戻っている。

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日本が投降して以降、八路軍は破竹の勢いで山西境内の村々を指揮下に収め始めた。国民党の重慶政府は遠く離れているために、日本軍の武装解除すらままならない状況で、閻は焦りを覚え、日本軍を自らの指揮下に残留させる案を、いよいよ真剣に考え始めるようになる。

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後に、“残留運動”を画策した中心人物のひとりである、山西省公署顧問輔佐員の城野宏は、次のように語っている。「日本が投降して後、閻錫山が太原に戻る途中、平遥駅で日本軍第一軍直轄特務隊―櫻部隊を閲兵したことがあった。閻は一方で閲兵しながらも、他方で目を細めて微笑んでいた。そして列車の中で、閻を迎えに来ていた日本軍参謀長の山岡道武に向かって、「この部隊を私にくれないかね?」といった。その時の態度は実に真剣そのものだった。これこそまさに、閻錫山が太原に戻る途中、自分の目で見た“武士道”精神にのっとって訓練された日本の軍隊で、彼に羨望の念を起こさせ、日本軍残留の計画を改めて決心させるものだった。」(*閻錫山は2年間の日本留学経験があり、1909年に東京市ヶ谷の陸軍士官学校を卒業している。“統率のとれた”日本の軍隊に強いあこがれを抱いていたと思われる。なお、城野宏は東京帝国大学法学部卒、南原繁の門下生だったというインテリで、政治活動、情宣活動の中心を担っていた。)

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9月1日、日本軍司令官澄田来四朗(*来は、貝ヘンに來)と参謀長山岡道武が、太原の綏晋公署(*日本の市役所にほぼ相当する)で閻錫山と会談し、閻は山西境内に留まっているすべての日本兵を、自分に預けて改編させて欲しいと、正式に申し入れた。閻は、「侵略は日本軍閥と政府の政策であり、一切の責任は彼らにある。一般の軍人は上官の命令に従っていたに過ぎない。中日両国は共通の文化を持っている国であり、戦争が終わった以上、お互いに助け合って、日本の科学技術と中国の資源と労働力をもって、両国人民の共同の福祉のために働こうではないか。」と語っている。澄田はこのときは、すべてを保留にしている。(*澄田は陸軍士官学校を1912年に卒業しており、閻とはすでに顔見知りであった可能性もある。)

9月3日、閻は改めて、日本軍部隊の中級以上の人間を集めて、中日の交戦は終了した。これからは我々の復興と建設を手伝ってほしいと語り、日本人俘虜や民間人は、人道的な取り扱いをし、もしも虐待等の事実が発覚すれば、法によって厳格に対応する等、日本人の意向に迎合する発言を繰り返すことになる。閻の思惑としては、彼らは日本国が滅びゆくのを現前にして自らの進退をどのようにすべきかわからなくなっている。特に参謀長山岡道武、参謀岩田清一、城野宏等一部の“頑固分子”は、同盟国の審判を受け入れるのを恐れているので、むしろ閻の要求を受け入れて中国に残留する道を選ぶだろう。

投降の事実を受け入れたくない“頑固分子”たちにとって、捲土重来を期するためには、閻の庇護のもとに日本軍の勢力を温存させる必要があり、ここに利害が一致して残留の方向で話が進展してゆく。しかし、すべての兵の残留を望む閻に対して、英米ソ等、特に中共の反対を恐れる日本側とで最終的な合意には至らず、けっきょく5日間の談判の後に、一部の兵力ということで合意を見ることになる。

このときに閻が提示した条件は以下である。

1.残留日本兵は、すべて閻錫山の指揮下におくこと。かつ、あくまで日本人の志願の形をとること。除隊手続きを終え、復員手続きを終えること。

1.すべての日本兵を軍官待遇とし、現在の階級から3階級特進させること。

1.宿舎を用意し、かつ営外居住を認めること。(*食に関しても特別待遇だったようで、後年食糧事情が逼迫して、中国兵には高粱メシしか出なかったときでも、日本兵には白米が支給され、それに抗議するデモなどが発生したという記述もある。)

1.残留期限は2年間とし、閻の側で帰国の責任を持つこと。

1.日本の交通が回復したら、家族を呼び寄せることを許可すること。

1.日本人のための商店、学校、病院、倶楽部、社団、新聞社、慰安所を用意すること。

1.日本軍人と中国人女性との結婚を歓迎すること。

閻はこの合意に満足し、澄田を閻の軍事顧問、山岡を副顧問に招聘し、太原城内の治安維持を要請している。そして数日後には、太原城内に次のような布告が貼り出されることになる。

「布告;日本軍は8月17日をもって戦闘行為を停止している。しかしながら、いまだ挑発行為を行ったり、意図を持って鉄道、道路を破壊しようとする者には、厳罰をもって臨むものである。山西日軍司令官」

同時に、太原市に残留していたすべての日本人居留民に、山西日本派遣第1軍司令部の名前で、以下の通知書を発送する。

「山西派遣軍は晋綏軍(*閻錫山の軍)の要請により、一部の兵力を残留させ、晋綏軍の剿共(*剿=討伐する)に協力することとなった。北京に移動しようとしている居留民は、しばらく太原に留まること可能である。」

しかし、とりわけ下の階級の兵たちはみな復員したがり、閻の希望通りにはなかなか人が集まらなかった。そこで残留工作が推し進められることになり、閻自らも遊説にまわることになる。日本側では城野宏等が中心になり、活発な工作が行われるが、次第にそれは「もし、閻錫山の要求する1万5千人に及ばなければ、日本軍が山西で犯した数々の罪、殺人や略奪や強姦等々について戦犯として裁かれるので、帰国の望みはなくなる。」という恫喝に変わってくる。こうして最終的には希望通りのほぼ1万5千人の日本兵を獲得することに成功するのだが、対外的には日本兵の残留は秘密となっており、ひとりひとりの日本兵に中国人の名前をあてがい、国民党の軍装をさせ、国民党の武器を携帯させた。

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同時に、一般居留民に対しては、1928年張作霖を爆殺した悪名高い関東軍高級参謀河本大作が残留工作の中心となり、技術者、医務人員およびその家族等、1200人を残留させている。(*山西省は資源が豊かであることと、日本びいきの閻錫山の招聘もあり、早い時期から日本企業進出は盛んであった。敗戦時には2万人の民間人がいたといわれる。この中には戦争末期に現地招集され、その後除隊となった退役軍人もいた。河本大作は1942年に、国策会社「山西産業株式会社」の社長となり、戦争が終わって中国に接収され「西北実業建設公司」に名称が変わってからも、閻の要請により、最高顧問として太原に残留していた。また、A級戦犯に指定されていた澄田の無罪釈放を画策して奔走している。この民間人の残留問題に関しての詳細は、中国のネット上では、今のところほとんど記述がみつかっていない。)

こうして、太原は表通りから裏道の隅々にまで、日本軍が猖獗を極める事態が出現するようになる。「日本は決して戦争に敗けたのではない。あと十年経てば、必ずや捲土重来の期が訪れるだろう。」というデマがどこに行ってもささやかれた。ほとんどの日本兵は元々の軍服をそのまま着用し、実弾を銃に込め、街中をうろつきまわった。

こういった閻一派の動きをいち早く把握していた八路軍は、1946年1月の段階で次のような通告を出している。

「日本軍は投降したにも関わらず、依然として戦争が終結する前と同じ武器を保持し、各主要拠点に兵力を集結させているが、これは明白なるポツダム宣言違反である。」

46年2月1日、太原で特務団の結成式が行われたが、表向きは技術者集団を装い、「鉄路公路修復工程総隊」という名称を使っている。実数およそ5000余人。司令趙承綬、副司令元泉馨、参謀長岩田清一で、6つの隊に分れて、太原、楡次、晋源、陽泉などに駐屯し、閻軍の反共内戦の闘いを準備した。元泉は、「日本軍の軍服をただちに脱ぎ捨て、閻閣下の反共戦争を共に戦う、死んでも悔いはない。」と閻に表明している。(*元泉は後に晋中戦役で重傷を負い拳銃で自決。ネット上には、狂信的な武士道精神信奉者で割腹自殺したという記述もある。)

特務団の編成が完全には終わっていない時期に、国民党、共産党、アメリカの三方小組が内戦の調停のために山西に派遣される。国民党が投降した日本軍の兵士を改編して利用しているとの共産党からの強い指摘で、三方の代表が実際に戦場に査察に赴き、閻錫山の軍の中に日本兵がいることを確認する。3月になって、三方小組は、残留している日本兵をただちに帰国させるよう、閻に強く要求した。閻も要求をのまざるを得ず、形式的に特務団を解散する。この時に多くの日本兵が帰国し、1万人の特務団員は2600人に減少した。

47年、残った特務団員を改編して、暫編独立第十総隊を結成。今村方策を総司令、岩田清一を副司令とし、元泉馨を野戦軍副司令、城野宏を政治部長とする。同時に閻の提案で日本人の士官学校を作り、岩田を責任者とした。閻はこの他にも、大同に残留していた1000名近くの日本兵を結集させて、「大同保安総隊」を成立させている。

つづく 

(*今ものすごく忙しくて滞っていますが、しばらくお待ちください)

2017-05-20 食うか食われるか?

今日は久しぶりに昼前から雲が広がって、過ごしやすい一日ではありましたが、ハエがうるさかったです。昨日は大型のハエが飛び回っていたのですが、今日は小型の、日本と同じくらいのハエが、50〜100匹くらい旋回していて、もう気が変になりそうなくらいうっとおしかったです。陽が落ちて、外の方が明るくなると、自然に出てゆきますが、入れ替わりに蚊や羽虫が入って来るので、扉を閉めるタイミングが重要です。湿度が低いので、蚊は日本ほどはいません。

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畑はどこも雨待ちの状態です。予報ではあさってひと雨来そうなのですが、わかりません。道路端に植わっているのは柳。ザル、カゴなど、日用品作りに大いに利用されます。ただ、各家庭で編むということはもうないようで、専門の職人が作って、ときどき売りに来ます。「柳行李」というのを待っているのですが、なかなか手に入りません。

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クルミの木は開葉が早いです。日本だと水があるところでよく見るのですが、こんなに乾燥しているところでも実が付くんですね。これは手間がかからない商品作物で、あちこちに植わっています。棗は開葉がものすごく遅くて、まだまだ先。

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碗豆、グリーンピースです。このサヤが黄色くなったら、年に一度の豆ごはんを作るのが楽しみです。まったく水がないのにこんなに育つのは不思議ですね。山の畑に水やりをすることなど、もちろんできません。村人が水を奪い合うのは、自分の家の庭先に栽培している、トマト、キュウリ、ウリ、カボチャの類に水をやるためです。これらは水なしでは育ちません。水さえあげれば、自家の食糧はほぼ確保されます。

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実は今、QPマヨネーズの空き瓶でサソリを一匹飼育しているのです。4月の初めに、私の布団の下から出て来たやつで、つまり、カンの中に巣を作っているわけです。去年も出て来たので、ウレタンマットを外して、それらしき穴をふさいだつもりだったのですが、もうあちこち割れ目切れ目だらけで、あきらめました。刺されると死ぬほど痛いですが、死ぬわけじゃありませんから。

これまでに毛虫、ハエ、アリ、その他名も知らぬ虫たちをいろいろ生贄にしたのですが、ぜんぜん食べません。ネットで見るとコウロギが好物みたいですが、今どきそんなものはいません。それで今朝のこと、ぞうきんを取り上げたら、ムカデがぼとっ!と落ちたので、入れてみました。両方とも肉食だから、いずれどちらかが食われるのでしょう。生き残るのはどちらでしょうか?

残酷? 生きとし生けるもの、食うか食われるかって、こっちでは“常識”ですよ。

上海たろう上海たろう 2017/05/20 23:11 仲良く共生してたら、、、なんてないですよね。笑

ムカデのほうが毒強い気がしますが、結果をお待ちしています。
(笑)

六文銭六文銭 2017/05/22 11:41  勝ったほうが、maotouyingさんと最終決戦・・・(笑)。

maotouyingmaotouying 2017/05/22 12:37 今のところ両者にらみ合いというか、狭い室内なので絡み合っています。私が思うに、サソリは1年くらい食餌行動をしない種もいるほど絶食に強いそうですが、ムカデはそんなことはないので、ムカデが飢えに耐えかねてサソリを食べるのではないかと思っているのですが、いずれ結果はお知らせします。

maotouyingmaotouying 2017/05/23 11:58 便所コオロギがいたので、これも入れてみました。こいつも肉食らしいし、現在三つ巴の状態です。

六文銭六文銭 2017/05/23 17:56  なんか、いろいろやってますねぇ(笑)。

上海たろ上海たろ 2017/05/23 19:18 異種デスマッチ!

maotouyingmaotouying 2017/05/27 00:06 この間、またブログが表示されませんでした。今ようやく。
便所コウロギは、かわいそうに、入れた翌日の朝見たら、すでに食われて足と内臓の一部だけ残っていました。食べたのは多分サソリでしょう。コウロギが好物だと出ていたので。

上海たろう上海たろう 2017/05/27 02:16 サソリさん小さいのにやりますね。続報お待ちしてます。^_^

ちなみに私は岡山で3回ムカデにヤラレました。
最初に頭を刺された時は、東京に帰ると泣きました。

maotouyingmaotouying 2017/05/29 00:42 きょうは、カマキリを入れてみました。

maotouyingmaotouying 2017/05/29 12:43 カマキリがいないので、食われたのかと思ったら、ビンの蓋側に貼りついていました。考えてみれば、瓶の底は魑魅魍魎の世界で、カマキリにもわかるんでしょうか?まだほんの小さな子どもで、なんだかかわいそうになって逃がしてやりました。

上海たろう上海たろう 2017/05/30 01:41 カマキリも凄い世界を垣間見ましたね。

しかし、このデスマッチは流そうです。
ロシア対中国の睨みあいか?(笑)

maotouyingmaotouying 2017/06/03 23:54 村を出る前夜、ゴキブリを入れました。さて、誰が生き残っているでしょう?

上海たろう上海たろう 2017/06/09 01:58 ゴキブリは案外賢いですが、、、また、勝者をお知らせください(笑)

2017-05-19 ひたすら暑いだけの日々

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今が一年で一番暑い時期ですが、暑いのなんのって、今年はまた特別に暑いです。私が日本から持ってきてミニ菜園に播いた、ネギとミズナと青じそは、せっかく発芽したのですが、カンカン照りの陽射しのために、みな枯死してしまいました。こんなのは初めてのことです。ご当地産のキュウリとレタスの苗だけが頑張って生き残っています。電線に止まってるスズメやツバメやジョービタキや、空飛んでるカササギやヤツガシラやカッコーなどなどが、なぜ焼き鳥にならないのかほんとうに不思議です。

統計上は30℃前後で推移していますが、そんなのは百葉箱の中で測ったもので、私の部屋の前で測れば、50℃は一気に振りきるに決まっているし、この間はデジタル温度計がブチ壊れて118℃を表示していました。以降もう測らないことにしています。時計まで壊れて36時なんて出るようになったら困るので。

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だからもう廟diaoどころではありません。自殺行為です。外にあるトイレに行くだけでもめまいがするほど。いまは一日中部屋の中にいるより他ないのです。でも昨日はまるまる一日停電で、退屈の極致体験しました。チビなつも、焼け死んでしまいそうなので、日中は部屋の中に入れています。部屋の中は現在21℃、夜には18℃になります。先週ようやくストーブをしまいました。

部屋の中は快適ではありますが、悩ましいのは、ハエがやかましくて、イライラがつのることこの上ないです。だいたいハエが大きい。日本のハエの4、5倍はあって、部屋の中に侵入してくると、なぜか止まるということがなくて、ブインブインとずーっと飛び続けるのです。ハエ取りリボンも5本ぶら下げてあるのですが、しょっちゅうそれにひっかかるのは私です。それほどの粘着力がなくて、一旦捉まったハエも振りきって逃げます。低空飛行するのをなつが追いかけるので、部屋中に土埃をたてます。ときどきバクッ!と捉まえます。殺虫剤を噴霧したいのですが、ヤオトンは通風性がないので、シューッと一吹きすると、いつまでたってもその臭いが抜けず、気持ち悪くなるのです。4、5年前に日本製アース殺虫剤を持ち込もうとしたのですが、空港でアウト。昔はよかったのですがね、今は禁制品です。

この暑さは当分続きそうです。雨らしい雨がずっと降ってないので、粟などの主作物の種まきがまだ済んでいません。恵みの雨はいったいいつ降るのか?給水車の“水戦争”は、この時期恒例で、これに巻き込まれるのが私はほんと〜〜〜にイヤです。ふだんは仲の良い農民たちも、それぞれ欲望を剥き出しにして、バケツ一杯の水を奪い合います。日本人の私に廻って来る水は、ほんのお情け程度、時にはまったく得られない日もあります。

離石のホテルに避暑しようかとも考えるのですが、そうなるとせっかく育ったキュウリとレタスをダメにしてしまうし、なつの面倒を看てくれる人を探さなければならないし、第一お金がかかるし、ああ、ザーッ!とひと雨降ってほしい、というのがいまの私のささやかな望みです。

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離石から招賢に戻るバスの中から。この程度の事故はそれほど珍しくありません。多分人は死んでない。

上海たろう上海たろう 2017/05/19 21:55 こちらは、昨日ザーッと降りました。空気が澄むのでいいです、なんて中国みたいなこといってますが。(笑)

ちびなつちゃんの鼻の皺、たろうと同じで負けん気強そうで可愛らしいです。(^^)

クチャクチャのトラック、炎上しなくて良かったです。中国の交通事故は派手ですよね。そのわりに死なないとこが中国人。。。恐るべし。

早く雨が降るよう祈ってますね。

ふうばいかふうばいか 2017/05/20 04:06 戸外の温度が50℃と言えばまさにオーブンの中に入ったような感じでしょうね、スゴ〜イ。ヤオトンの中がこれまた21℃とは
まるで真冬と真夏ぐらいの落差ですね。そんな過酷な環境で営々と人は生きてきたんですね。”あさがおや ツルベ取られて 貰い水”
生きるか死ぬかの瀬戸際で数千年生きてきた民族にもらい水の大和民族が勝てるわけありません。よくぞそんな環境で生き抜いているなぁとブログを見るたびに感心してます。中国の時代の変化をつぶさに目の辺りにしてきたのは貴重な体験かと思いますがくれぐれも身体をおいとい下さい。私も人生の半分をNYで過ごして来ましたが今年いっぱいで引き上げる予定です。柴又の寅子で町から町へ、村から村へとフーテン(懐かしいコトバ)しようと思ってます。

ふうばいかふうばいか 2017/05/20 04:44 NYのNassau郡のポリスをしていたかっての義弟は私にこんなジョークを言ったのを思い出します。私のことをDWOだと言うのでその意味を聞いたらDWI(driving while intoxicated つまり酔っ払い運転)をもじって最後をオリエンタルの頭文字を取ったと言うわけなんです。
それほどチャイニーズの運転はこのNYでも昔から轟いているですね。

maotouyingmaotouying 2017/05/20 11:26 なつはけんか強いです。でも、日本にいたらそれもわからないですよね、他の犬との接触がないから。こっちでは日常茶飯事で、もちろん例の黒犬(私はこいつのことを最近、ライシロウと呼んでいます)が一番強いです。

大型同士の事故はめったに人が死にませんね。でも、バイクはダメです。メット被ってないし。路上に転がっている死体を、2回も見たことがあります。

「生きるか死ぬかの瀬戸際で数千年生きて来た民族にもらい水の大和民族が勝てるわけない」って、ほんと、この地に10年暮らして実感しますよ。