大黒寺

伏見薩摩藩邸にほど近く、しかも島津家の守り本尊「出世大黒天」と同じ大黒様が
本尊ということで、薩摩藩の祈願所となったと高札に書いてある。


寺田屋騒動で犠牲になった有馬新七以下九人の墓もあり、西郷隆盛直筆の碑面である。

平田靱負は江戸中期の薩摩藩家老で、幕府の命による木曽川改修工事の責任者である。
難工事は完成したが、巨額の出費で藩財政を圧迫した責めを負い自害した。
その人のお墓が故郷薩摩でなく伏見にあるのはなぜだろう。

薩摩義士〇と読めるが全体的に摩耗しており、何が書かれているのかは不明である。


正門は閉ざされているが、横の駐車場から普通に入っていくことができる。