対話を拒否する感情

 「まるで米国に戦争をさせたがっているようだ。」と中国の外交当局者が日本の安倍首相を批判しているというニュースが目にとまった。安倍首相が、アメリカのニューヨーク・タイムズへの寄稿に、「北朝鮮と対話しても行き詰まる」と訴えたことも、好戦的だと不快感を示した。また韓国政府が、国連を通じて北朝鮮人道支援をしようとしていることに対して、日本側が再三懸念を示していることに、韓国政府内で不快感が広がっている。
 小さなニュース記事だが、安倍首相の演説や菅官房長官の発言を聞いていると、同じことを感じる。安倍首相の、「制裁を強めろ、思い知らせろ」という語感に強圧的な、屈服を強いる感じがこもっている。彼の思いは上意下達的になっていて、話し合いなどもう通用しないと断じているからだ。はなから対話する気がない。連携するトランプ・安倍と、金との関係は感情的に先鋭化していて、深い思慮が感じられない。文韓国大統領が対話路線を願うのは、われわれ民族は兄弟であり南北分断を平和的に解決したいという民族の悲願があるからだ。東西ドイツが統一した時、一滴の血も流れなかった。あのように平和的に統一することができないものか。第二次朝鮮戦争を起こして、国土を戦場にしてはならない。
 その気持ちを日本人は肌で感じることができないが、想像することはできる。1945年、日本が敗北した時、北海道、東北地方をソ連が占領し、西側をアメリカが占領するという事態が起きて、国が分断し、そこに戦争が起きたとしたら、‥‥‥想像するだに恐ろしい。
 戦国時代の兵糧攻めを思い出す。大軍で城を取り囲み、相手側の食糧、物資、士気の尽きるのを待つ。食糧が尽きて死ぬのなら戦って死のうと、城から打って出るところを待ち受けて、殲滅する。
 今の状況は戦争開始直前の事態と似ている。きわめて危険な事態だ。
 日本の歩んだ道を思い起こそう。

 昭和8年3月27日、日本は国際連盟を脱退。
 昭和9年12月29日、軍縮条約廃棄をアメリカに通告。
 昭和10年1月15日、日本はロンドン海軍軍縮会議を脱退。
昭和12年7月7日、日中戦争始まる。
 昭和13年4月1日、国家総動員法公布。
 昭和16年7月25日、アメリカは在米の日本資産を凍結する。
 昭和16年8月1日、アメリカは対日石油を全面禁輸する。
  アメリカには勝目なしと海軍は認識していたが、資源を止められ、「座して死を待つよりも打って出るべし」の意見が軍内に強まる。石炭による人造石油の実用化に取り組むも効果上がらず。大量の重油を消費する海軍は、戦争慎重論から開戦論に変わり始める。
 昭和16年12月1日、御前会議で、アメリカ、イギリス、オランダとの開戦を決定する。
 昭和16年12月8日、日本軍、ハワイ真珠湾アメリカ基地を奇襲する。同時に日本軍はマレー半島に上陸。

 かくして太平洋戦争は勃発した。