盆の入り

 今朝帰宅する息子を送って外に出ましたら、
風がとても爽やかで、ちょっと得をしたような気分になりました。
今日はお盆の入りです。
昨秋姑が旅立って、今年お迎えする盆さまは5人になりました。
彼岸が賑やかになるにしたがって、此岸は淋しさが増すばかりです。
せめてお盆の間だけでも、
慕わしい方々を身近に感じて過ごしたいものです。
盆飾りには決まりがあるようですけれど、
私は全くの自己流、母がよく作ってくれたブラマンジェ、
姑が上手だったおはぎ、舅にはお酒と肴を用意したいところですけれど、
盆の入りだけは、ちょっと控えさせて頂きました。
暗くなったら門口で、迎え火を焚きます。
その前にお迎えの準備が整いました。


 今年は姑の新盆です。
一周忌は、9月なのですけれど、
「若い人の集まり易い8月2日に、一周忌と新盆の法要を併せて行う」と
義弟から連絡があったのは、5月のこと、
それに併せて、娘たちの帰国の日取りが決まったのでした。
折角宇部まで行くのですから、
この機会に、ノアを萩に連れて行こうと決めたのは、
その直後のことです。
宇部と萩は車で約2時間、温泉大好き、洞窟に興味のある彼には
最適な場所と思われましたから。
出発は7月31日、2泊した後8月2日に宇部に入るという計画をたてました。
JAL 羽田発11:00am 山口宇部行、到着0:30pm
ノアは、「ファーストクラス?」などどけしからぬことを
口にしておりました。
ボーイング838、一時間半の旅です。


 宇部空港でレンタカーをして先ず、秋吉台を目指しました。
一時間で秋吉台に到着、
お土産屋さんでアンモナイト紫水晶などを買い、

ソフトクリームで乾杯して、秋芳洞に出発しました。
洞から流れ出す水が作るせせらぎの清らかなこと、

水辺に紫陽花がまだ咲いています。
水音が大きくなり、水かさが増えてくると間もなく
黒い洞の入り口が見えてきます。

まだ子供たちが小学生の頃に家族で来たことがありました。
舅が先導役を買って出てくれたのを思い出します。
宇部の市長だった義父は、
しばしばお客さんを伴ってきたことがあったのでしょう。
鍾乳石の名前なども良く知っていて、
成り立ちを詳しく話して聞かせてくれました。
幻想的な光景が次々現れるのをノアは息を呑んで見ておりました。
カメラを首から下げて、しきりに写真を撮っていましたけれど、

暗闇の中の撮影は至難の業、
残念ながら鮮明な写真は誰のカメラにもありませんでした。

その後に廻ったサファリランドは5時まで、
ちょっと間に合いませんでした。
萩の旅館に着いたのは6時過ぎ、
 
直ぐに夕食を頼むことにしました。
さすがに海の街、おいしいお魚が満載です。 
生の魚に慣れないノアには、子供の好きそうな品々が取り揃えてあり、

「僕このホテル、とっても好きだ、大好きだ」と大層ご機嫌でした。
食事の後に温泉に行ったノアは、八つの温泉をツアーしたと、

のぼせた顔をして戻って来ました。


 萩二日目は、萩焼の窯元を廻ったり、

シーマートの水槽の魚を眺めたり、

萩の藩士の住まいが今も残る白壁の屋敷街をゆっくりドライブした後、
萩博物館に立ち寄りました。
お船祭りの船(かって藩主が使ったものを象ったとのこと)を見学、

売店に立ち寄ったノアは、
刀のミニチュアや鍔などサムライグッズに大興奮しておりました。

名物の夏蜜柑入りのソフトクリームで仕上げをして
 
宿に戻ったのは5時、
お風呂に入るのは後回しにして夕食となりました。


 8時からは花火の打ち上げが始まりました。
8月1日恒例の行事の由、良い時に来合わせたものです。
海岸に面した部屋(5階)の正面に
見事な花火ショーが一時間に亘って繰り広げられて、
これだけでも萩に来た甲斐がありました。


 8月2日は早目に宿を出て、笠山、明神池と廻りました。
台風12号が近づいていて、時折激しい雨に見舞われましたけれど、
新鮮な魚介のお土産を冷凍便で送るおまけも付いて、
昼過ぎには萩を後にしたのでした。
宇部での姑の法要は、母が80年を越える年月を過ごした
両親の家で、4時から行われました。

参列者は、母の子供、孫、曾孫、親戚、知人、
40人ほどだったでしょうか。
その後に全員が見守る中での納骨の式、

そしてお斎へと移りました。
お斎が果てた後、その会場だったホテルに全員が泊まりましたから、
二次会が果てたのは12時を回った後でした。


 舅、姑が遺した遺品の数々をお蔵から運び出して、
形見分けをしたのは、法要の翌日3日のことでした。
12畳広間二部屋に広げられた品は茶道具あり掛軸あり、漆器あり、

装飾品あり、若い人たちの住宅事情には掛軸は適用しないらしく、
誰も目を向けません。陶磁器に人気があるようでした。
それでも半数以上がその場に残されましたから、
義弟夫妻の仕事はまだまだ当分続きそう、ご苦労さまなことです。
共同作業に一応の目処が着いて、
帰路に着いたのは夕方7時のフライトでした。
台風の影響もあって、家に辿り着いたのは11時過ぎ、
遊び疲れたノアには、眠くて辛い締めくくりになりました。


 4日、5日と残された2日間、娘は運転免許の更新、美容院、
友人との再会、荷造りと大童、
必然的にノアは私と過ごすことが多くなりました。
ウルトラマン・ガイム」とやらの映画を観たのもこの期間です。
弟の家をお別れに訪ね、沢山のお土産と共に、
修理の終わったクレーン車も頂いて帰りました。
夕方からは次男がノアの遊び相手をしてくれましたから、
ノアは「叔父ちゃま大好きだー」と彼の後を追いかけ廻して
ベースボール、チャンバラの相手をせがんでおりました。

そう言えば、ノアの作品を素焼きして

最終日に本焼きもするという離れ業もしたのでした。


 6日の早朝5時半、家を出発して成田に向かいました。
次男が時間を都合して、車で送ると申し出てくれたのです。
車の中で気分の悪くなったノアを労わりながらのドライヴと
なりましたから、早めに出たのは正解でした。
元気のないままのノアをゲートの入り口で見送ったのは11時少し前、

帰りの車の中の私達は口数少なく、
お互いの思いの中に浸っておりました。


 今日が帰省ラッシュンのピークだとテレビのニュースが告げています。
これからが夏本番なのですね。
でも私には、ノアがゲートの入り口に消えたあの時が、
今年の夏の終わりでした。
今日からのお盆の日々は、懐かしい方々と会話しながら、
ゆっくりと静かに過ごしたいと思っています。