萩の中心地を巡る

通りの向こうの商店街を歩く。想像していたとおりの、景色。

アーケードの下、シャッターが閉まったままの店が続く。営業しているとしても寝ているままの店ばかり。洋品店、薬屋、果物屋・・・おもちゃやはデッドストックにも程がある倉庫状態で面白すぎる。

この謎の人形・・そしてめ、めがどらいぶ・・・ファミコンのカセットも充実。奥にはポワトリンの変身セットなんてのもあった。
そんななか、モトヤみたいなワゴン車を使ったコーヒー屋があったり若い作家のギャラリーを併設した和小物屋があったり、若い人たちがUターンするなどしてこの街を活性化しようとしているようだた。でもまだ点がぽつんとあるだけのよう。商店街を抜けるとこんな店があった。

8 1/2」という店名でお?と思う、1階の画材屋さんが始めたと思われる2階のギャラリースペース。クロッキー教室などもやっているみたいだけどただいま「映画コレクション展」として映画のパンフがずらーり並んでた。ここの店のかたが見て集めたものらしく、古いのから最近のものまで沢山あって楽しかった。でもただ置いてあるだけで・・・

こちらは喫茶店!庭も見事な江戸時代後期からのお屋敷を使ったもので、現在もここに住んでいらっしゃるというのがすごい。ちょうど小学生の男の子が帰ってきて、こんなとこに住んでるなんてねえ。。と幾代も続いてきたこのお宅の歴史を思うとくらくらします。手前の広い和室はギャラリーというか小物を販売してて、洋館部分を使った喫茶部分はちと狭いうえにほったらかしなのでもったいないなあと思いました。せっかくお店を開いていらっしゃるのにただそのまんまで、結局ここも眠っているのです・・・


このあたりは住宅街なのだけどどの家も塀が昔の面影をそのまま残しているのです。かつて武士が住んでいた区域。石垣を土台に瓦を埋め込んだ土塀が印象的。
こんな風景のなかを歩くことはとても楽しかった。歴史的景観としてある一部が保存されているのではなく、街全体が風情ある歴史的景観でありそこにひとびとが普通に生活を送っている、ここまでこうゆう土地って他にあまりないんじゃないだろうか。

萩の夏みかんは小幡高政によって生活のすべを失った士族たちを救うため、全国ではじめて萩においてひろく栽培されるようになりました。その栽培地は、おもにおもに空き地となった武家屋敷でした。実を傷つけ、落としてしまう防風から実を守るのに、武家屋敷にめぐらされた土塀や基礎石をもちいた石垣は、役立ちました。その結果、武家屋敷の敷地割りがほぼ江戸時代のまま保たれ、城下町絵図を片手に現在の萩のまちを歩くことができるのです。「土塀と夏みかん」は萩の風景を象徴とする代名詞になっています。
萩市観光ポータル」より

これを読むと、いかに今の萩の姿がその地形と歴史の動きによって作られたかがよくわかる。
江戸時代末期、吉田松陰をはじめ木戸孝允高杉晋作伊藤博文など「日本を動かした人々の出身地」としても知られている萩が、明治に入って山口を藩の本拠地に移され萩城が解体され、武士階級も移住し、近代産業が発達せずに衰退していく。そこに夏みかん栽培が産業として生まれ、萩の景色を作り出す。
家々は土塀に囲まれ、市内は古地図が今も使えるほど江戸時代の区割りそのままで、街自体は川に囲まれる。電車も通れず車も橋を必ず渡らなければならない。交通の便が悪いから企業も工場や店舗など進出・出店しにくい。
水に浮かび、まわりを囲まれ、留まり、そのまま何も変わらない街。若い人はでていきお年寄りが残る。
福永武彦の「廃市」を思い出した。(これは柳川が舞台と思われるけど)
(萩日記、まだまだ続きマース!)