お慈悲のままに

日々、思ったことを綴っていきます~(ちょっと英語もまじえて)。私の趣味は‘英語を楽しむこと’です。その一環として少し英語を取り入れることにしました。

Mutual Sympathy between Two(感応道交)

 いつもこの南無阿弥陀仏に相談したら良いのです。南無阿弥陀仏如来さまに対する報謝の言葉でもありますけれども、また自分のいろんな悩みを如来さまにさらけ出すことでもあります。「如来さま、私は病気で寂しゅうございます。もう残り少ない命になりました」。たとえばこう言うとします。すると如来さまは「心配するな、お前は仏になる」と言われます。「腹の立つことがなかなか抜けないのでございますがこんなことではお浄土参りはとてもむりでございましょうね」と言って南無阿弥陀仏と言ったら、如来さまはやはり「心配するな、お前は必ず仏になる」とおっしゃるでしょう。人間同士では言えないことでも如来さまとの間には対話ができるではないですか。                 
  (中略)             

 人間との対話よりもっと大事なのは如来さまとの対話です。如来さまが南無阿弥陀仏という言葉になって私に語って下さっているから対話が可能なのです。南無阿弥陀仏の名号を通って如来さまの命が私の命へ流れると共に、私の命が如来さまの命へ流れ、そこに命の交流が生まれます。昔の人はこのことを感応道交と言ったわけです。仏さまと私との間にこの感応道交が生まれることが信心です。
 【 「宇宙の中の自己の救い 『歎異抄』後序」 大峯顯 】

 
 この世の中、どんなに打ち解けた夫婦、あるいは親子であってでも、100パーセント洗いざらいお互いの心の中をさらけ出すことは不可能でしょう。でも阿弥陀さまと私たち一人一人の間に、その不可能という言葉は存在しません。どんなことでも包みかくさず相談することができます。感応道交、なんて素晴らしいことでしょうか。阿弥陀様と気持ちが通い合うから生きていく力が与えられるのですね。
  
感応道交 [ 広辞苑]

 仏と人、また教えるものと教えられるものとの気持ちが通いあうこと。衆生の機応と仏の応化とが相通じて融合すること。
Amida Buddha and a sentient being, or a teacher and his student, sympathize with
each other in their feelings, which is called mutual sympathy between the two.