長命の秘訣

長命の秘訣(岡田茂吉師御論文です)


『明日の医術(初版)第二編』昭和17(1942)年9月28日発行

 如何なる人と雖も、長命を冀はざるものはあるまい。然らば、長命

者たらんとするには如何なる方法が最も効果があるかといふ事であ

る。昔から長命の秘訣として食物、飲酒、入浴、性欲等に関係がある

として長寿者の体験談等があるが、何れも相当の効果はあるには違ひ

ないが、今私が提唱するこの長寿法は理論からも実際からも効果百パ

ーセントと思ふのである。随而、私と雖も九拾歳を超えたらこの健康

法を実行すべく期してゐるのである。

 前項栄養食に於て説いた如く、人体機能には必要な栄養素を製出す

べき働きがあるのであるから、その機能の活動を旺盛にする事が最も

緊要である。彼の幼少年時代は、その機能の活動が最も旺盛であるか

ら、盛んに発育するのである。此理によつて、長寿を得んとするに

は、先づ栄養機能を小児の如く、旺盛にする事であるがそのやうな事

が、実際上出来得るやといふに、私は或程度それが可能を信ずるので

ある。
 それは、如何なる方法であるか―といふと極端な粗食をすることで

ある。こんなことをいふと、現代人は驚くであらうが、私の説くとこ

ろを充分玩味されたいのである。それは極端な粗食を摂るとすれば、

栄養機能は、猛烈な活動をしなければ、必要なだけの栄養が摂れない

ことになる。自然、それは、小児の機能のごとき活動力が再発生する

ことになる、言はば、機能の若返りがおこり始めるのである。機能が

若返る以上、全体的に若返へらざるを得ない訳である。これに就て、

二三の例を挙げてみよう。
 昔から仙人といふ言葉がある。仙人等といふと現代人は一笑に附す

るであらうが実際は、立派に、存在してゐたのである。そうして、日

本にも相当居たらしいので文献にも伝つてゐる。彼の有名な平田篤胤

の書いた、寅吉物語や秋葉天狗の事蹟を書いた著書なども素晴しい記

録であらう。又、近代では、瑞景(ずいけい)仙人とその弟子である

後藤道明氏(此人は現存してゐると思ふ)―等によつても明かであ

る。然し、何といつても仙人の本場は朝鮮であらう。私は或本で、朝

鮮に於ける仙人の修業法を読んだ事がある。それによれば、仙人の食

物は松葉を細末にしたものと、蕎麦(そば)粉とを水で練り合はし

て、饅頭の如き大きさにしたものを、最初は一日に三つ食ふのであ

る。そうしてそれを何年か続けてゐるうちに、今度は二つにし、終に

は一日一個にするのである。大抵の人は、そこ迄は出来るそうである

が、その次が大変である。それは何であるかといふと全然、右の饅頭

は勿論、食物は一切摂らず、只だ水だけで生きるのであるが、之は非

常に困難で、ここで大抵の人は落第してしもふそうである。然し、稀

にはそれが実行出来る人があるので、そういふ人が、本当の仙人にな

るといふ事である。昔から仙人は霞を食つて生きてるといふが、これ

等を指して言つたのであらう。そうして仙人の修業が積むに従つて、

非常に身体が軽くなり、山谷を獣の如く馳駆(ちく)し得らるるやう

になるそうである。

 之は、私の体験であるが、私は若い頃、肺患に罹り、之を治す為に

三月あまり絶対菜食をしたことがある。勿論、鰹節も用ひなかつた。

然るに菜食によつて非常に身体が軽くなり、よく高い所から飛降りた

りした事がある。そうして、高所から下を瞰下(みおろ) しても、不

思議に恐怖を感じなかつた事を今でも覚えてゐる。其後、普通食にな

るに従つて、漸次普通状態になつたのである。又肉食を旺んにした事

もあつたが、此頃は身体が重く、又病気に罹り易かつたので、肉を制

限してから結果が良くなつたのである。

 右の如き体験によつて私は想像するのであるが、日本人の戦争に強

いのは、勿論精神力もあるが、白人よりも菜食が多いので、自然身体

が軽く敏捷であるといふ事も、見逃す事の出来ない一原因であらう。

特に日本の飛行家が白人の追随を許さない優秀さは、右の原因が大い

にあると思ふのである。

 飛行家に就て、爰で今一つ重要な事柄がある。それは急降下爆撃で

あるが、之は白人は日本人ほど思ひ切つた技能を発揮出来ないそうで

ある。何となれば彼等は、猛烈な急降下をすると、毛穴から血を吹く

そうである。それは全く肉食の為である事はいふ迄もない。即ち肉食

者は敗血症になるからで、敗血症とは人も知る如く血管が破れ易く、

又出血すると、容易に止まらないのである。ただ今次の戦争に於て、

独逸の飛行家だけは急降下爆撃を行ふが、之はヒットラー氏が兵隊の

糧食を菜食を主にした為で、独逸が戦争勃発の数年前から、盛んに満

洲から大豆を大量輸入したといふが、それであつたといふ事である。

又往年彼の旅順の戦に於て、ステッセル将軍が降服したのは、勿論乃

木将軍の攻略が偉効を奏したに因る事は勿論であるが、当時露軍が長

い間の篭城の結果、野菜が欠乏し、敗血症に罹る者が日に増加したと

いふ事も降伏を早めたとの事である。又日本に於ては昔から武士が腹

を切りかけたり、槍に突かれたりし乍ら、其刃物を掴んだまゝ、暫く

の間物を言ふが、そういふ事は、白人には絶対出来ないのである。何

となれば白人は負傷すると、出血が容易に止まらないが、日本人は出

血が止り易いばかりか、刃物に対し、肉が収縮して密着するやうにな
るそうである。之等は全く菜食と肉食との相違からである。

 そうして一体仙人はどの位長命するものか正確には判らないが、仙

人の寿命に就て或本にあつたのであるが、今迄一番長命のレコードは

八百歳で、それは一人であつたが、五六百歳は何人もあつたそうであ

る。従而、二三百歳は、仙人では早死の方であると書いてあつた。又

或本に神武天皇以前、数万年前からの記録に、やはり二三百歳から五

六百歳までの高貴の御方の御事蹟が、相当の正確さで書いてあつた。


 之は、私の想像であるが、日本人の寿齢に就て、食物が一番関係が

あると思ふのであるが、最古代は勿論、菜食ばかりであつたのは事実

である。そうして生物を食ひ始めたのは貝類からであつた事は、我国

の各地から発見される貝塚が證明してゐる。其時代の先住民族は、魚

を漁(と)る術を知らなかつたので、先づ採り易い貝類から食ひ始め

たのであらう。それが後に漁(いさど)る事を知つて、魚食をするや

うになつたのであるが、それでも其頃は、百歳以上の寿齢は易々たる

ものであつた。然るに、曩に述べた如く、漢方薬の渡来によつて、非

常に寿齢は短縮し、明治以後に到つて、肉食や西洋薬等によつて、

弥々短命になつたばかりか、体位も低下したのである。


 それから、古代の日本人が非常に巨大で、勇猛であつた事も事実で

ある。勿論其時代の国土には、猛獣や大蛇が至る所に棲息し、猛威を

揮つてゐたのであらうが、火薬のない時代に、それ等を征服した事に

よつてみても想像されるのである。史上にある日本武尊が偉大な体格

で被在られた事や、大蛇を跨(また)がれた為に、その毒に当り給ひ

薨去(こうきょ)遊ばされたといふ事にみても、その御勇猛であらせ

られた事は窺ひ知らるるのである。もし現代人であつたとしたら、大

蛇を跨ぐ所か一見して周章(あわ)てて逃げるであらふ事は勿論であ

る。又須佐能王尊が簸(ひ)の河上に於て八岐(やまた)の大蛇を退

治られその血によつて河の水が赤く染まつたといふ伝説なども、古代

人の如何に勇猛であつたかは想像され得るであらう。
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