「変声期」

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カキじいさんの家に犬がやってきたのは六十年も前のことです。

「春になったら仔っこ犬(こっこいぬ)をもらってけっからな」とカキひいじいさんが約束してくれたのです。

やってきた仔犬は、両手の中に収まるような、白い小さな雌犬でした。

女の子なのにどういうわけか「ジョン」と名付けられたのです。犬種はイングリッシュセター、猟犬です。

当時は車の通る道はなく、街に行くのは巡航船で片道一時間もかかりました。もちろん冷蔵庫なんてありません。台所を預かるお母さん(カキひいばあさん)の苦労は大変なものです。

しげぼうが釣るメバルなどの魚も大切なおかずになりました。冬になると魚が釣れなくなります。そこで、山に行って雉(キジ)、山鳥(ヤマドリ)、ハト、ウサギを撃つことになりました。それにはどうしても猟犬がいるのです。


ジョンはどんどん大きくなり、その年の冬にはもう山に猟に出かけるようになりました。


お父さんは運動神経抜群で、射撃の腕は確かです。弾が一発しか発射できない古い銃でしたが、キジ、ヤマドリが食卓に並び、お母さんは大喜びです。

ジョンは長生きで十五才まで生きました。ジョンが死んだ時、莚(ムシロ/ワラなどで編んだ敷物)に包み、お父さんが日当たりのいい裏山に静かに埋めるのをカキじいさんは涙をこらえて見守ったものです。

それから、ずっと猟犬が続きましたが、ベルという名犬が死んで、お父さんは銃を置きました。

もう、おかずはスーパーで買う時代になったのです。


その後、ボクサーという、スマートでカッコイイ犬が来ました。東京築地の牡蠣のお得意さんからもらってほしいといわれたのです。

鼻が短いのが弱点で、寒い東北では可愛そうなことに肺炎にかかり、五歳で死んでしまいました。

次に来たのが黒のラブラドール・レトリーバー、ロッキーです。

これも築地のお得意さんから頼まれてもらった犬でした。舞根地区の人気者で、カキじいさんと船で海に出るのが日課でした。地区のあちこちに愛想を振りまいては可愛がられて、十才ほど生きました。


やがて、カキじいさんにも孫が四人生まれ、末っ子が歩くようになったらまた飼おうということになりました。

一昨年、紹介する人があり、仙台の近くのブリーダーさんにパパ(カキパパ)が引き取りに行きました。


黒のラブラドール・レトリーバー、ロッキーⅡ(ツー)です。引き取って帰ろうとしたら、残ったもう一匹が悲しそうな顔をしてパパを見つめたのだそうです。


帰りの車から電話があり、二匹になったという報告です。孫たちからは大歓声です。もう一匹はメスで、血統名がフローリーなので、「ハナ」と名付けました。

オスとメスだったので、やがて赤ちゃんが生まれました。八匹です。でもおっぱいが足りないのか、一匹は一足先に天国へ旅立ちました。

しばらく、九匹の犬たちがワイワイ騒いでいましたが、一匹、また一匹と里親に引き取られてゆき、白(イエロー)の「ローリー」が家に残ることになりました。

泳ぎが得意な犬種だけに、今年の暑い夏は彼らにとっても最高だったのでしょう。孫たちと海に出ては、泳ぎの競争をしていたようです。「オイスタードッグ」と言ったところでしょうか。

舞根地区では朝、昼、晩と時報代わりのチャイムが鳴ります。朝、昼はポール・モーリアの「恋は水色」、夕方はドヴォルザークの「新世界から」です。

ある日、放れの書斎から母屋に戻りながら、ふと見ると、チャイムにあわせて三匹が合唱を始めたではありませんか。


しかも、「恋は水色」と「新世界から」では声の音色が違うのです。ポップスとクラシックが識別できる犬と自慢しているのですが、最近、気になっているのは、ローリーの声が以前よりちょっと太目になったことです。

犬にも「変声期」があるんだねえ。地区の人々はそんなことを言って、彼らの合唱を毎日楽しんでいるようです。


さて、今日もドヴォルザークにのって彼らの「合唱」が聞こえてきました。ペンを置いて、夕食にするとしましょう。

畠山重篤

九九鳴き浜(鳴き砂の浜、舞根)とオイスタードッグス
(暑い夏を一番満喫したのは彼らだったかも知れません)