Pogara M

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寓話に対するログ:110627

過去のメッセージを表示
1 日前

Fukuyama F Fukuyama 11/06/26 19:41
Helllloorrrrrrr
11/06/26 19:42
Zzz
法事 11/06/26 20:13
あいあい
11/06/26 20:14
どうしたんですか?
Fukuyama F Fukuyama 11/06/26 20:14
Helllloooorrr
11/06/26 20:14
資格試験
法事 11/06/26 20:14
あいあい
Fukuyama F Fukuyama 11/06/26 20:14
おつかれやあmでし
11/06/26 20:14
山です
法事 11/06/26 20:14
ありがとうございます
Fukuyama F Fukuyama 11/06/26 20:15
砂漠の幽霊の話ってしたことありましたっけ
法事 11/06/26 20:15
いいえ
11/06/26 20:15
小説書いてるんでしたっけ
Fukuyama F Fukuyama 11/06/26 20:15
ああじゃあ、ドンティにすこし下だけだったか。。
11/06/26 20:15
まあ小説というと語弊があります
法事 11/06/26 20:16
物語
11/06/26 20:16
といってましたっけか
Fukuyama F Fukuyama 11/06/26 20:16
設定をさっきポガラMにかいたので見て下さい!!
法事 11/06/26 20:16
あいあい
11/06/26 20:16
url
11/06/26 20:16
キボンヌ
Fukuyama F Fukuyama 11/06/26 20:17
http://d.hatena.ne.jp/mojaland/
法事 11/06/26 20:17
あざーす!
0:49
やあ
Fukuyama F Fukuyama 0:50
い、おきてらしたんですね
0:50
いまDNTと砂漠のはなししてるんダ
法事 0:50
さっき仮眠から目覚めました
0:50
Fukuyama F Fukuyama が 海鮮亭 を会話に追加しました
0:50
Fukuyama F Fukuyama がタイトルを "N砂漠のはなし" に設定しました
Fukuyama F Fukuyama 0:50
おはようございます
法事 0:50
おはー
海鮮亭 0:51
寝る前!!
法事 0:51
趣旨を理解しました
0:51
起床!
Fukuyama F Fukuyama 0:51
サァサァサァ!!!
法事 0:52
なぜ砂漠のメタファーなんですか
0:52
砂漠というメタファーか
海鮮亭 0:52
法持参と3人組なんですネ
Fukuyama F Fukuyama 0:52
乾いてるし
0:52
生きてるって感じがしないし
法事 0:52
三人組
0:52
少年タイ
Fukuyama F Fukuyama 0:52
砂上の楼閣とか、砂浜に書いた絵とかあるじゃない
法事 0:52
ああ
0:53
なるほどね 不毛さと儚さ
海鮮亭 0:53
もろくて流動的
法事 0:53
なるなる
Fukuyama F Fukuyama 0:53
暗黒放送の緑とかも、アバターという認識です
0:53
そのばあい砂漠をどう拡張するかになりますけども。
0:54
顔出ししてる『ほうちゃん』こと『法事』もアバター
0:54
後ろに映ってるベッドや壁も砂でできてる。
海鮮亭 0:55
砂涅槃像
法事 0:55
いくつかの属性の違った人格を 大別して ゴーストとアバターに分類しそれを不毛が前提に世界観に配置してみたというわけだと思いますが
0:55
もうちょっとちゃんと言おうかな
海鮮亭 0:56
書いてる間にスナック感覚な疑問を
法事 0:56
いくつかの 個人がウェブ上で管理可能(?)な人格を
0:56
かな
海鮮亭 0:57
『その中に座っているオリゴ*1の何らかの思い*2が高まったとき、オリゴの幽霊(ゴースト)が「砂漠」に姿を現す。』ですが、ゴーストだけじゃなく、アバターも『オリゴ*1の何らかの思い*2が高まったとき』が出現条件なのでは
Fukuyama F Fukuyama 0:57
そうですね
0:57
アバターは幽霊の拡張です
法事 0:57
この新たな世界像がもじゃさんに提供する新しい気づきはなんですか?
Fukuyama F Fukuyama 0:57
これでいろいろ説明できると考えてるんですが
0:58
いくつか想定してる問いを挙げるとすると
0:58
・オフラインの自分とオンラインの自分は同じなのか?
0:58
・生主は184をどう対峙しているか?
0:59
・掘りにバブを入れるあの構造は何なのか?
0:59
twitterFacebookはこの枠組みだとどう説明されるか?
海鮮亭 0:59
・オフラインの自分とオンラインの自分は同じなのか?
というのは、
オフラインで自分が提供していると思っている自分と
オフラインで相手が受け取っている自分 は同じなのか に近い気がします
1:00
でもないのか
1:00
別の表現考えてみます
Fukuyama F Fukuyama 1:01
あとは
1:02
それぞれの要素に対してネット上の人格のどれが割り当てられるかですね
1:02
ネット上というかニコ生という場への参与者というべきかな
1:02
ああそうだ
1:03
なぜ設計思想として2chの匿名文化をうけついでいるニコ生で コテハンと184が生まれるのか?
1:03
みたいなのもありますね。
海鮮亭 1:04
単にアーキテクトとして提供されているかいないかの問題では? >コテハンと184が生まれる
1:04
2chでもコテハンのようなものもありますし
法事 1:04
なるほど
1:04
見えてきたような気がしますね
1:05
「砂漠像」は問題解決の場というよりも
1:05
疑問創出の場ですね
1:05
どちらかというと
Fukuyama F Fukuyama 1:05
寓話ですからね
法事 1:05
整理の感がつよい
Fukuyama F Fukuyama 1:06
類推の場を提供して、言語化していくためのものです
法事 1:06
さて
1:07
今上がったすべての事柄に答えることが出来るか もしくは その一つにでも答えることが出来るかはわかりませんが
1:07
私がこれらに触れて思うことは
1:07
ウェブは本質的に身体を拡張しない ってことなんだろうなと
Fukuyama F Fukuyama 1:07
ですよねー
1:08
一方で人は身体を使いたがるということに思い至ったのでかきました。
1:08
なんで自分はニコ生でのコミュニケーションを「ふれぁい」と呼んでるんだろう?って。
法事 1:09
ふれぁい の ふれ=触れの部分ですか
Fukuyama F Fukuyama 1:09
ですね
法事 1:09
例えば
1:10
私が本質的に身体が拡張されたと思える 一例を挙げるとすれば もちろん私の仮想的なものですけど
1:10
専門用語あるのかないのかはわからないのですが
1:11
人は同時に二言を発することが出来ない という制約を何らかの形で超える時だと思うのです
1:11
それはbotのようなものではなく
1:11
リアルタイムの感覚を実際に伴って 同時に二言を発しうるかということです
1:12
この欲求が人間にはあると思っていて
1:12
しかしながら ウェブのアーキテクチャはそれを提供できてはいない
1:13
もちろん 何らかの方法で可能かどうかもわかりませんが
1:13
しかしながら不完全な形でもそれをアーキテクチャ内で実現しようとする心持ちが
1:13
ゴースト アバター 創出の原理ではないかと思うわけです
Fukuyama F Fukuyama 1:14
ほぅ
法事 1:14
人間は身体の拡張を常に求めるのか?という問題意識に還元されうるのではないかと
Fukuyama F Fukuyama 1:14
同時に二言いえないってのは、人間の構音器官の制約にもとづく、言語の線条性というものですね。
1:15
ただ、じゃあ同時に二言いってないかっていうと、言ってるんじゃないかな。
法事 1:15
それも やっぱり 線条性って言うんですね
Fukuyama F Fukuyama 1:15
アイロニー、ダブルミーニング
1:15
ええ。
法事 1:15
例えば
1:15
アヒルとうさぎ
1:15
あの絵
Fukuyama F Fukuyama 1:15
ええ
法事 1:16
あれもそうですよね
Fukuyama F Fukuyama 1:16
図と地ですね
法事 1:16
アイロニーもダブルミーニングも不完全な
1:16
二重性です
1:16
同時に二つを認識することはかなわない
1:17
もちろん その言葉を発する人間もそのおりに囚われている
1:18
ここに レトリックがそのような方向性をその本性として持つことが身体拡張への欲求を見て取ることが可能ではないかと
1:19
ちょっと脇にそれ過ぎたので戻りましょうか
Fukuyama F Fukuyama 1:19
脇にそれましたね
1:19
人間は同時に一つの部分にしか注目できないってことなんでしょうけど
1:19
それを打開する欲求があるのかどうかは疑問です
法事 1:20
顕在化された疑問を受けてそれに対する答えのひとつとお考えください
Fukuyama F Fukuyama 1:20
はい
法事 1:21
これは 私が 砂漠像を知る前から考えていたことを いま援用して使ったわけなので
1:21
もちろん 問題意識にドンピシャというわけにはいかないでしょうが
1:22
ごるごるもあ の話をしましょうか
1:22
砂漠像に戻って
1:22
というか もういい時間ですねw
Fukuyama F Fukuyama 1:22
ああだいじょうぶっすよ
海鮮亭 1:23
まぁいけますが、法持参の都合次第で
法事 1:23
私は資格試験も終わったので
1:23
また 現象学の本を読むだけなので
1:24
不都合はありません
海鮮亭 1:24
どうしよう
1:24
ごるごるの前になげていいですか ときこうとしていました
法事 1:24
どうぞ}!
1:24
ドンテッ!!
海鮮亭 1:24
すみません:)
1:24
ネット上で何が提供されたとき生きてると感じ、
ネット上で何が提供されたとき生きてるとふれあぇたと感じますか?
法事 1:24
yeah!!
1:25
どんて!!
海鮮亭 1:25

法事 1:25
テンションを上げてみました
海鮮亭 1:25
技術部見てるとわりと生きてる感あるのでした
1:25
個人的には
法事 1:26
私にとってはとてもむつかしい問いです
1:26
私はもっと素朴に生きるということを捉えているので
1:26
ウェブが新たにということはあまりないですね
海鮮亭 1:27
オフライン的充実 = 生きてる って感じなのだとすれば、オンラインに疎遠になるので、オンラインでそれが提供されることはあまりないのかなと思ったりします 
法事 1:27
というよりも
1:28
例えば
1:28
botと話していたとして
1:28
それがbotであっても私にとっては(そう信じられる限りにおいて)人間なんですね
海鮮亭 1:29
チューリングですか
法事 1:29
似てますね
1:29
つまり (言い方がかなり微妙になるのであれですが)オフラインで得たとしても
1:29
ちがう
1:30
オンラインで得た感覚が オンラインで得たものと思える間は
1:30
生きているという実感にはつながりません
海鮮亭 1:30
オフラインに拡張可能であればいいということになりますか
1:31
オンラインで得た感覚が、オンラインの誰かに帰属するという認識があれば (=拡張)
1:32
後者はオフラインや!
法事 1:32
それならそのとおりですね
1:32
だからそれこそ電話と同じなんですよ
海鮮亭 1:32
それでいけば、顔出しはほとんど生きてるって感じになるのでは?
1:32

1:33
ちやぶん問題や
Fukuyama F Fukuyama 1:33
じつは隠した前提がありまして
法事 1:33
聞きましょう
Fukuyama F Fukuyama 1:33
オンラインのコミュニケーションって
1:33
オンラインRPGをやってる気分でやってる人と
1:34
ケータイ電話やケータイメールの感覚でやってる人と
1:34
大きく分けてふたついると思うんですよね。
海鮮亭 1:34
なる
Fukuyama F Fukuyama 1:34
で、電話感覚でやってる人は
1:34
この砂漠の話は通じにくいと思います。
1:34
なぜなら
1:34
そもそも、オフラインとさばくの区別がないでしょうから。
1:35
あっても協会が気迫
1:35
境界があいまい。
1:35
ぼくは前者のスタンスをとるので
1:35
ケータイ感覚で顔出し放送してる人であっても、砂漠で裸踊りしているアバターに見えるんです。
法事 1:36
なるほど
1:36
だとしたとしても
1:36
ドンティの質問への答えは変わらないでしょうね
Fukuyama F Fukuyama 1:36
何番目の質問ですか
1:36
生きてるって感じの話かな
法事 1:37
日付: 11/06/27 時刻: 1:24 送信者: 海鮮亭
> ネット上で何が提供されたとき生きてると感じ、
ネット上で何が提供されたとき生きてるとふれあぇたと感じますか?
1:37
これですね
Fukuyama F Fukuyama 1:37
砂漠の寓話なんですけど
1:37
あんまり生きてるって感じについて説明するつもりじゃないんです。
海鮮亭 1:37
ありゃ
Fukuyama F Fukuyama 1:38
人格は場所に縛られるってことが言いたいんです
1:38
ケータイ感覚で顔出し放送しているとしても、それはオリゴそのものではないんだ、という。
1:39
ですから
1:39
あれどこいった
1:39
あった
1:39
『八王子市東中野1804-2A101米坂学』もアバター。
法事 1:40
オリゴそのものというは存在していない または
1:40
存在していたとしても 認識はできないんじゃないでしょうか
Fukuyama F Fukuyama 1:41
他人から見たら、という話になってきますよね。
法事 1:41
自分からしても
Fukuyama F Fukuyama 1:41
個人や他者の心象というよりは
1:41
言語によって導入されるものと、考えてます。
1:42
ニコ生で『八王子市東中野1804-2A101米坂学』が酒を飲んでいた。
海鮮亭 1:42
w
Fukuyama F Fukuyama 1:42
と、
1:43
八王子市東中野1804-2A101で『米坂学』が酒を飲んでいた。
1:43
の『』の中身をあえて別物と考える。
海鮮亭 1:43
やっぱりヒト/モノの感覚じゃないですか?
1:43
拡張可能であるか否か
1:43
法持参や京ニャさんや…というか
1:44
私とモジャさん以外は吉田では後者なのでは
Fukuyama F Fukuyama 1:45
ドンティと私は
1:45
オンラインでは文字列だけの存在ですけど
海鮮亭 1:45
それが"会っているから"か、実感なのか、実際に何がそれを分けるかはまだつかめないですが
Fukuyama F Fukuyama 1:45
リアリティの強弱こそあれ、オンラインではKGMもKYNNもDNTもMJもぜんぶアバターだと考えます。
法事 1:45
わかりました
1:46
いや 解った感があります
1:46
ドンティのともじゃさんの
1:46
ちょっとした 会話のすれ違いがいい感じで
1:46
私に何かを気がつかせました
海鮮亭 1:47
please!
Fukuyama F Fukuyama 1:47
ぽりーぬ!
法事 1:47
へ?
Fukuyama F Fukuyama 1:47
poline!
1:47
だじゃれです。
法事 1:47
ああ
1:47
えーと
1:47
オリゴというのは 別に個人の身体でも人格でもなくていいわけですよね
Fukuyama F Fukuyama 1:47
オリゴってのは
1:48
たとえばいま東京都新宿区のある家の2階のモニタの目の前でログを読んだり、テキストを入力してる、生身のミズサワユウキ氏ですね。
法事 1:49
いや それでは たぶん 成立しません
1:49
この議論というか構造自体
1:49
実際に今私は3階にいますし
Fukuyama F Fukuyama 1:49
それはまちがえました
海鮮亭 1:49
w
法事 1:50
私は私自身というものが存在していることを確信してはいません
1:50
確信しているのはもじゃさんです
Fukuyama F Fukuyama 1:50
そうくると思った!
海鮮亭 1:50
no 面倒 no life !!
法事 1:50
生身そのものというのはいらないんですよ
1:50
そもそも
1:50
ここにオリゴがあると信じられるのは
1:51
オンラインでは回収できない 人格があるという確信です
1:51
で これは もじゃさんが ドラっているという言葉で表していたものの拡張版です
Fukuyama F Fukuyama 1:52
よくわかっていらっしゃる
1:52
現にドラッ照るしな
法事 1:52
まあね
Fukuyama F Fukuyama 1:52
しばしば。
法事 1:52
へへっへ
Fukuyama F Fukuyama 1:52
いまもがんちゃんほうそうしてるし。
1:52
みてないけどどうせどらってるんだろう。
法事 1:52
みてないぞ
Fukuyama F Fukuyama 1:52
偉い!
法事 1:53
でも 結局オンラインで回収できるものと その人が起こしうるアクションの可能性の差分が(あるという確信)がオリゴです
1:54
だから 自分とのあなろじー でそれをその人自身そのもとと呼ぶことができる
Fukuyama F Fukuyama 1:54
信念の話が入ってきましたが
1:55
オリゴの存在が認められるならそれで結構です
法事 1:55
というよりも それでしか この構造は 首尾一貫して捉えられないのではないかということです
1:55

1:55
これだけではなくて
1:56
ドンティが先程来
1:56
言っている
1:56
いや
1:56
それよりも ケータイ感覚とRPG感覚
Fukuyama F Fukuyama 1:56
ああそうだ
法事 1:56
あいあい
Fukuyama F Fukuyama 1:56
一瞬だけ。
1:56
わたしは
1:57
ああいいや
1:57
KGMNodeiidesu
1:57
つづけてください
1:57
ケータイRPG
法事 1:57
あざす
1:57
いやどうしようかな
1:57
両方繋がってるんですけど
Fukuyama F Fukuyama 1:58
わたしがドンティの説のどこをちゃんとわかってないかを教えてとんまげ
1:58
にゃんまげ
法事 1:59
オリゴというものが
1:59
確定したひとつのものだと考えると
1:59
もじゃさんと ドンティ の様な違いを説明できない
2:00
現にドンティは可能性としてのオリゴを求めるのか 実在としてのオリゴを求めるのかという 話をしているのではないかと思うわけです
2:00
言葉的に整理できていないので わかりにくいでしょうが
2:01
日付: 11/06/27 時刻: 1:45 送信者: 海鮮亭
> それが"会っているから"か、実感なのか、実際に何がそれを分けるかはまだつかめないですが
2:01
日付: 11/06/27 時刻: 1:43 送信者: 海鮮亭
> やっぱりヒト/モノの感覚じゃないですか?
拡張可能であるか否か
海鮮亭 2:02
実在はあるにしても、なにか実在するかたの方へうまくつながらない/しっくりこない部分がある感じなんですよね
2:02
うまk雨氷減できませんが
2:02
うまく表現
法事 2:02
そうです!
2:02
それです
Fukuyama F Fukuyama 2:02
視聴者として眼前に見えている断片的な情報から総合される人格がすべてってことなのかな
法事 2:03
つまり 実在と考えるとこうゆう一つのあり方がなくてはいけないんだけど
Fukuyama F Fukuyama 2:03
その背後に真の何かがあるというようなことは想定しにくい、と。
法事 2:03
でも 考えてみるとそれはつかみどころがない
2:03
ドンティはそんな感覚なのではないでしょうか
海鮮亭 2:04
へんに画面から一面だけが見えるから、画面に映るキャラクターとしての「その一面の人」として完結して脳みそが処理してしまうのかもです
2:04
なんか本筋からそれまくる気がしました
法事 2:04
もじゃさんへの答えはありますので
2:05
私が何を言いたいかといますと
2:05
オリゴ足るものは 何かしらの モジャさんの経験の中で 存在確信があるものですよね
2:06
オリゴたるもの
2:06
とりあえずはそうですよね
Fukuyama F Fukuyama 2:06
固有名(本名)です
2:06
固有名(本名)で指定される対象。
海鮮亭 2:06
例としてはアレなんですが、
2:07
ナインティナイン岡村隆史は芸能人としての画面上のキャラで
2:07
普段はダウナー系だと言われても
2:07
やはり印象としてはキャラの方がかってしまいます
2:08
そして、よく知っている身内の人なんかだと本名の方…
2:08
うまくいえないようです;
法事 2:08
論理を重ねると逆に混乱すると思いますので
2:08
結論だけを先に言います
海鮮亭 2:08
あい
Fukuyama F Fukuyama 2:08
モイ!
法事 2:09
オリゴたるものが個人にとってどんな意味があるのかと問うことは出来ても オリゴがどんな性質をもって存在しているかとは問い得ないということです
Fukuyama F Fukuyama 2:10
ふむぅっふぅう
法事 2:11
それは 米阪学であってもそうだし
2:11
岡村隆史であってもそうだし
2:11
水澤勇気であってもそうです
Fukuyama F Fukuyama 2:11
良い名前だ
法事 2:11
あざす
2:11
昔は嫌でしたけどね
Fukuyama F Fukuyama 2:11
潤いと活力がもらえそうな名前です
法事 2:12
w
海鮮亭 2:12
w
法事 2:12

2:12
どうぞ
Fukuyama F Fukuyama 2:12
減少額的?なのかよく知らないんですが
2:12
現象学
2:13
この寓話で説明しようとしている場はとりあえず
2:13
ニコ生という場です
2:13
オリゴがどういった性質をもって存在しているのかというのは
2:13
たぶん無限にあると思うのでそれは記述できないでしょう
2:14
だから、とりあえずオリゴは固有名(本名)で指定される自室にいる対象
2:14
と規定しました。
法事 2:14
さきほど論理をすっ飛ばしたと言いましたが
2:15
先程の問題意識に関して答えてゆくには という限定の話で
Fukuyama F Fukuyama 2:15
ああじゃあ
法事 2:15
何か違う側面からこの構造をつかうことを否定するものではありません
Fukuyama F Fukuyama 2:15
はい
2:15
その
2:15
この砂漠の話って
2:16
オリゴとアバターの同一性についてはあんまり興味がなくて
2:16
タイトルにもしましたけど
2:16
幽霊、おまえたちはいったい何がしたいんだ、というのが興味の中心です。
2:17
名前もない、知覚も制限されている、あいさつもせず、いいたいことだけいって、都合が悪くなると沈黙するか立ち去る。
海鮮亭 2:17
妖怪料理タグン
Fukuyama F Fukuyama 2:17
それで君(たち)は何が満たされるのか?
2:17
と。
海鮮亭 2:18
満たされるとは逆なのでは?
Fukuyama F Fukuyama 2:18
で、オンラインでやりとりする単位ってのを考えたら
2:18
幽霊の他に、形をもってオリゴの人格を部分的に反映、または潤色したアバターってのがいるな、ということで付け足しました。
法事 2:19
ちょっと返信できなくなります
2:19
すいません
Fukuyama F Fukuyama 2:19
よっしゃ!
2:19

きょうはおひらきや!!
海鮮亭 2:19
へいへ
Fukuyama F Fukuyama 2:19
あたしが描いた図とは別の図を描いて下さい
海鮮亭 2:19
あぁ
Fukuyama F Fukuyama 2:19
オンラインとオフラインのせめぎあいを
2:19
それを後日みせてください。ぜひ。
海鮮亭 2:20
『迷惑をかけられた俺ら』よろしく、じぶんの規範や考えに合わないから目次的/直感的にいってみているだけではないのかなと書こうとしていました
Fukuyama F Fukuyama 2:20
何かありますよね
2:20
それってオリゴを守ろうとしてるのではないだろうか
海鮮亭 2:21
書くことでの満足ではなく、マイナスからの復旧なんだと思うんです
2:21
プラスではなく
Fukuyama F Fukuyama 2:21
本名で指定される対象の汚点になるから
2:21
ああ
2:21
マイナスからの復旧
2:21
良い表現だ
2:21
幽霊はマイナスの状態にある
2:22
マイナスの毛布
2:22
だじゃら。
2:22
だじゃれ。
海鮮亭 2:22
表現を見たことでマイナスにかんじてしまうのかも
2:22
です
Fukuyama F Fukuyama 2:22
ちょっとまた遊べそうです
2:22
でもきょうはねます
2:22
寝たらまた整理されることでしょう
海鮮亭 2:22
あいあー
Fukuyama F Fukuyama 2:22
長時間ありがとうござりました
2:22
むうううううばあああああっっっっl
2:22
ぎぎぎ、ぎぎ、
2:22
KGM,,GG
海鮮亭 2:22
ねばりのあるさけびw
2:23
おやすむ
2:23
!
法事 2:23
ごめんなさいねぇ

寓話に対する問答部分の抽出(その1)

なぜ砂漠というメタファーなんですか?(KGM)

  • 乾いてるし、生きてるって感じがしないし、砂上の楼閣とか、砂浜に描いた絵とかあるじゃない(MJ)
    • なるほどね 不毛さと儚さ(KGM)
    • もろくて流動的(DNT)

暗黒放送のも、アバターという認識です*1(MJ)

  • 顔出ししてる『ほうちゃん』こと『法事』もアバター。後ろに映ってるベッドや壁も砂でできてる。(MJ)

ゴーストだけじゃなく、アバターも『オリゴの何らかの思いが高まったとき』が出現条件なのでは?(DNT)

  • そうですね。アバターは幽霊の拡張です(MJ)

この新たな世界像がもじゃさんに提供する新しい気づきはなんですか?(KGM)

  • いくつかの個人がウェブ上で管理可能(?)な人格を大別して ゴーストとアバターに分類しそれを不毛が前提な世界観に配置してみたというわけだと思いますが(KGM)
  • これでいろいろ説明できると考えてるんですが、いくつか想定してる問いを挙げるとすると(MJ)
    • オフラインの自分とオンラインの自分は同じなのか?
    • 生主と184はどう対峙しているか?
    • 堀にバブを入れるあの番組のもつ構造は何なのか?
    • twitterFacebookはこの枠組みだとどう説明されるか?
    • 砂漠の寓話のそれぞれの要素に対してニコ生という場への参与者の人格のどれが割り当てられるか?
    • なぜ設計思想として2chの匿名文化をうけついでいるニコ生で、コテハンと184が生まれるのか?

オフラインの自分とオンラインの自分は同じなのか?

  • これは、オフラインで自分が提供していると思っている自分とオフラインで相手が受け取っている自分は同じなのか に近い気がします(DNT)

なぜ設計思想として2chの匿名文化をうけついでいるニコ生で、コテハンと184が生まれるのか?

  • 単にアーキテクトとして提供されているかいないかの問題では?2chでもコテハンのようなものもありますし(DNT)

「砂漠像」は問題解決の場というよりも疑問創出の場ですね(KGM)

  • 整理の感がつよい(KGM)
  • 寓話ですからね。類推の場を提供して、言語化していくためのものです(MJ)

*1:そのばあい砂漠をどう拡張するかになりますけども。

寓話に対する問答部分の抽出(その2)

私がこれらに触れて思うことはウェブは本質的に身体を拡張しないってことなんだろうなと(KGM)

  • 私が本質的に身体が拡張されたと思える一例を挙げるとすれば、もちろん私の仮想的なものですけど、人は同時に二言を発することが出来ない、という制約を何らかの形で超える時だと思うのです。それはbotのようなものではなく、リアルタイムの感覚を実際に伴って 同時に二言を発しうるかということです。この欲求が人間にはあると思っていて、しかしながらウェブのアーキテクチャはそれを提供できてはいない。もちろん、何らかの方法で可能かどうかもわかりませんが、しかしながら不完全な形でもそれをアーキテクチャ内で実現しようとする心持ちがゴースト、アバター、創出の原理ではないかと思うわけです(KGM)
  • 人間は身体の拡張を常に求めるのか?という問題意識に還元されうるのではないかと(KGM)

ネット上で何が提供されたとき生きてると感じ、ネット上で何が提供されたとき生きてるとふれあぇたと感じますか?(DNT)

  • 技術部見てるとわりと生きてる感あるのでした(DNT)
  • 私はもっと素朴に生きるということを捉えているのでウェブが新たにということはあまりないですね(KGM)

オフライン的充実=生きてるって感じなのだとすれば、オンラインに疎遠になるので、オンラインでそれが提供されることはあまりないのかなと思ったりします(DNT)

  • というよりも、例えばbotと話していたとして、それがbotであっても私にとっては(そう信じられる限りにおいて)人間なんですね。つまり、オンラインで得た感覚が オンラインで得たものと思える間は生きているという実感にはつながりません(KGM)

オフラインに拡張可能であればいいということになりますか?オンラインで得た感覚が、オフラインの誰かに帰属するという認識(=拡張)があれば(DNT)

  • それならそのとおりですね。だからそれこそ電話と同じなんですよ(KGM)
  • それでいけば、顔出しはほとんど生きてるって感じになるのでは?(ちやぶん問題)(DNT)

オンラインのコミュニケーションをRPGとみるか電話とみるか?

  • じつは隠した前提がありまして。オンラインでのコミュニケーションって、オンラインRPGをやってる気分でやってる人と、ケータイ電話やケータイメールの感覚でやってる人と、大きく分けてふたついると思うんですよね。(MJ)
  • 電話感覚でやってる人には、この砂漠の話は通じにくいと思います。なぜなら、そもそも、オフラインと砂漠の区別がないでしょうから。あっても境界があいまい。ぼくは前者のスタンスをとるので、ケータイ感覚で顔出し放送してる人であっても、砂漠で裸踊りしているアバターに見えるんです。人格は場所に縛られるってことが言いたいんです。ケータイ感覚で顔出し放送しているとしても、それはオリゴそのものではないんだ、という。ですから、『八王子市東中野1804-2A101米坂学』もアバター(MJ)

寓話に対する問答部分の抽出(その3)

オリゴそのものというは存在していない、または、存在していたとしても 認識はできないんじゃないでしょうか?(KGM)

  • 他人から見たら、という話になってきますよね(MJ)
  • 自分からしても(KGM)

オリゴは個人や他者の心象というよりは言語によって導入されるもの、と考えています(MJ)

  • 「ニコ生で『八王子市東中野1804-2A101米坂学』が酒を飲んでいた」と「八王子市東中野1804-2A101で『米坂学』が酒を飲んでいた」の『』の中身をあえて別物と考える(MJ)

オリゴというのは 別に個人の身体でも人格でもなくていいわけですよね?(KGM)

  • オリゴってのは、たとえばいま東京都新宿区のある家の3階のノートパソコンのモニタの前でログを読んだり、テキストを入力してる、生身のミズサワユウキ氏ですね(MJ)
  • いや、それではこの議論というか構造自体が、たぶん成立しません(KGM)
  • 私は私自身というものが存在していることを確信してはいません。確信しているのはもじゃさんです。生身そのものというのはいらないんですよ。(KGM)
  • そもそも、ここにオリゴがあると信じられるのは、オンラインでは回収できない人格があるという確信です。これは、もじゃさんが「ドラっている」という言葉で表していたものの拡張版です。でも、結局オンラインで回収できるものと、その人が起こしうるアクションの可能性の差分が(あるという確信)がオリゴです。だから、自分とのアナロジーでそれをその人自身そのものと呼ぶことができる。それでしか、この構造は首尾一貫して捉えられないのではないかということです(KGM)

ドンティは可能性としてのオリゴを求めるのか、実在としてのオリゴを求めるのか、という話をしているのではないかと思うわけです(KGM)

  • 実在はあるにしても、なにか実在するかたの方へうまくつながらない/しっくりこない部分がある感じなんですよね(DNT)
  • へんに画面から一面だけが見えるから、画面に映るキャラクターとしての「その一面の人」として完結して脳みそが処理してしまうのかもです(DNT)
  • 視聴者として眼前に見えている断片的な情報から総合される人格がすべてってことなのかな。その背後に真の何かがあるというようなことは想定しにくい、と(MJ)
  • 実在と考えるとこうゆう一つのあり方がなくてはいけないんだけど、でも、考えてみるとそれはつかみどころがない。ドンティはそんな感覚なのではないでしょうか。オリゴたるものが個人にとってどんな意味があるのかと問うことは出来ても、オリゴがどんな性質をもって存在しているかとは問い得ないということです。それは、米阪学であってもそうだし、岡村隆史であってもそうだし、ミズサワユウキであってもそうです(KGM)

寓話に対する問答部分の抽出(その4)

現象学についてはよく知らないんですが、この寓話で説明しようとしている場はとりあえずニコ生という場です(MJ)

  • オリゴがどういった性質をもって存在しているのかというのは、たぶん無限にあると思うのでそれは記述できないでしょう。だから、とりあえずオリゴは固有名(本名)で指定される自室にいる対象、と規定しました(MJ)
  • 何か違う側面からこの構造をつかうことを否定するものではありません(KGM)

この砂漠の話ってオリゴとアバターの同一性についてはあんまり興味がなくて「幽霊、おまえたちはいったい何がしたいんだ」というのが興味の中心です(MJ)

  • 名前もない、知覚も制限されている、あいさつもせず、いいたいことだけいって、都合が悪くなると沈黙するか立ち去る。それで君(たち)は何が満たされるのか?、と(MJ)
  • で、オンラインでやりとりする単位ってのを考えたら、幽霊の他に、形をもってオリゴの人格を部分的に反映、または潤色したアバターってのがいるな、ということで付け足しました(MJ)

「満たされる」とは逆なのでは?(DNT)

  • 『迷惑をかけられた俺ら』よろしく、じぶんの規範や考えに合わないから目次的/直感的にいってみているだけではないのかなと(DNT)
  • 書くことでの満足ではなく、マイナスからの復旧なんだと思うんです(MJ)

それってオリゴを守ろうとしてるのではないだろうか、本名で指定される対象の汚点になるから(MJ)

(ここで対話が終了)

寓話の追記

砂漠の寓話は言語的に導入される

前提

  • 固有名によって指定される対象のふるまいは、その対象が存在する空間に縛られる。
  • 名前が変われば意味も変わる。

したがって、次の表現において、下線で示す名詞句は同じ対象を指定しているが、別の意味を表現している。

  • ニコ生で八王子市東中野1804-2A101米坂学が酒を飲んでいた。[アバター in 砂漠]
  • 八王子市東中野1804-2A101で米坂学が酒を飲んでいた。   [オリゴ in the Room]

アバターとプロパティ

アバターの意味はオリゴの断片から想像されるものではなく、オリゴにそのアバター固有のプロパティが付け足されたものとなる。たとえば、

  • マー画凛=〈マー画凛の本名が指定する対象がもつあらゆる意味〉+〈プロパティ:生主〉

昨日の対話でDNTが投げ損なった情報

幽霊のパターン(ムラビトリーダー的)

   意見/規範Aをもっている
 → 意見/規範Bに出会う
 → 攻撃を受けたと感じる (善悪観から?マイナス状態へ)
 → 意見/規範Bを持つものに修正を求める
(自分の意見/規範が優越しているという自信)
*盲信も自信


対話のパターン(モヒカン的)
   意見/規範Aをもっている
 → 意見/規範Bに出会う
 → 意見/規範Aをなげてみる/提示 (反応への興味?)
 → すりあわせる (対話)
 → おちつくところにおちつく

N砂漠の寓話にKGMがあまり興味がない理由とかすかな面白み

  • ちなみに私があまりN砂漠に興味津々ではない理由は、そもそも この構造のだいたいの部分って以前の話に尽きてると思うんですね。
  • 新しいのはオリゴの概念で、でも、それの実在の性質ってのは考えてもあんまり意味がない。
  • で、残るは、オリゴとよばれるものの見え方。まあ、それがオリゴそのものなんだと思うんですけど。これは実は、もじゃさんの『ドラってる論』でほぼつきてる気がするのです。その結合体としてのN砂漠なら整理されたものとして意義はあると思います。

「ドラる」とは何か?

概念の明確化

定義

  • 広義では、「ウェブ上の興味のある人間対象」から提供される「アバターとゴーストのいくつか」からは「回収され得ない対象の性質」というのがあって、対象が自分が回収できていない性質なり活動なりをしている状態を「ドラる」と呼ぶ(KGM)
  • 狭義では、「そのなかでも自分が回収できていない、対象のウェブ上での性質活動にウェブ上で気がつくこと」である(KGM)

由来

  • ドラえもんにものび太の知らない、物語にもほのめかされはしても直接的には描かれないプライベートな時間や行動があるということから。

「ドラる」が示唆することがら

  • 身体が拡張できないってことの証左(MJ)
  • 広義のドラってる対象の活動性質から狭義のドラってる対象の活動性質を引いたものが、ズバリ、オリゴ*1だと私は思ってるわけです(KGM)
  • 「ドラる」概念を導入することで「囲い厨」の心性も説明できる。

「二重ドラり願望」とオンラインコミュニティのアーキテクチャの限界

二重ドラり願望とは?

  • 同時に二カ所(以上)の場所で並行して会話をすること、を所望すること。

しかし二重ドラり願望は成就不可能である

  • これは最終的に、オリゴというものそのもの、ひいてはドラるという感覚そのものの性質に依存します(KGM)
  • つまり、ドラるという概念そのものが、興味のある対象を一元化しようとする活動であるということです(KGM)
  • 個人というものを作り上げそれが「一」*2であることがドラるという感覚を与えうる条件だということですね(KGM)
  • こうしますと仮想の身体への憧れとそれが現存のいかなるアーキテクチャでも成立しない理由もわかります(KGM)
  • 「二重のドラる」ですが、これにかんして受け取る側、つまりドラってると感じる側がそれを一個人に対して二重に感じることは原理的に不可能ということになります。また、身体の拡張を試みる人間が最終的に目指す相手に個人として二重性を与えることですので、これも同様に不可能です。少なくとも、現在の精神構造では不可能です。なので、現在、最終的な認識を人間の感覚器官(というよりもその感覚の処理能力)に依存するアーキテクチャは拡張した身体を提供できないことになります(KGM)

囲い厨の心性とは?

  • これは、ドラっているなと自分が感じることを不快だと思わせる人もしくは時があるとき、相手のオリゴの変質をなるべく小さくしようとする活動です。つまり(自分に利用不可能であるが想定できる)可能性を最小化するという活動です。つまり、さきほどコレクションと言いましたが人格のコレクションを停止したいという欲求からの活動です。ちょっと精緻さにはかけますが概ねそのようなことです(KGM)
  • オリゴというものが相手の実体に関係せず存在するものだという前提を踏まえれば、囲いとはオリゴの保存です(KGM)
  • 「囲い」とは、情報の増加によってもたらされる「自分に不都合な、オリゴの変質」を避けようとする活動です(KGM)

*1:つまり、自分が興味を持っているオンラインの対象が自分には見せない、気づけもしない活動や性質のことか。

*2:我々は個人というものを(内部では多様性を保ちつつも)分かちがたいものと考えます。つまり、ある場所にモノを集めて、それをまとめる、という作業をし、まとまった結果を「一」すなわち個人と呼びます。ここにはコレクションすることと、コレクションされたものの相互作用がありますが、最終的によりしろをつくりその単位を「一」とおもうのです。寄せ集めたものにも関わらず、それを絶対不可分と思い込むこと、これを「一」性への指向と呼ぶとすれば、その対象が「一」です。しかしながら、では寄せ集めるためには核(格)が必要と思われうかもしれません。これはが本質的には必要ないと思います。しかし あえてそれに近いものとすれば 第一印象 というものが核(格)に当たると思います(KGM)

「囲い」「オリゴ」についてのKGMとDNTのレビュー

  • 囲いって言うのは、アレかもしれませんね。勝手に相手との関係に、理想化された夢の関係を描いてしまって、それを相手や周りの行動を規制することで押し付けようとするようなものなのかもです。理想化された夢の関係からの誤差の最小化運動のような。「理想化された夢の関係からの誤差の最小化運動のような」をオリゴからの誤差の最小化運動のようなと置き換えると、勝手にオリゴを都合よく解釈しちゃったってことになるんでしょうね(DNT)
  • 囲いをする対象というのに、囲いをする対象を無理やり作るわけではないので、都合良く解釈をしたというよりも、都合の良いオリゴを見つけて、それを囲うのでしょうね(KGM)
  • すくなからず夢がみれる対象だったのかもですね(DNT)
  • ええ、先程の核となるものの話の中で、第一印象と似たようなものだということを話しましたが、ある意味ここに「都合の良さ」が隠れているんでしょうね。インプレッションは個人の中にある程度決まりきったプロトタイプがいくつかあって、それを最初割り当てるのかもしれません。それが自分にコンフォートをあたえるプロトタイプだったら、そこをもとにコレクションされた情報はある種、都合のいい解釈と呼べるかもしれません(KGM)