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2018-05-16

[] Car Seat Headrest/Twin Fantasy  Car Seat Headrest/Twin Fantasyを含むブックマーク

 The Libertines+Destroyer?

 この2つのバンドを知っている人は「何を言ってるんだろう?」と思うかもしれませんが、このアルバムの2曲目の"Beach Life-In-Death"を聴けば、少しはその感覚がわかってくれるかもしれません。 

 やや投げやり気味ながら色気のあるボーカルギター、このあたりがちょっとThe Libertinesを思いおこさせるわけですが、それだけではなく、なんとこの曲は13:19もあるのです。13分も続くThe Libertinesの曲なんて考えられないわけですが、このCar Seat Headrestはラフで色気のあるロックンロールを13分も続けてみせるのです。このあたりの構成力とかちょっとひねったようなギターの感じがDestroyerっぽいのです。


 Car Seat Headrestはシアトルアーティストウィルトレドによるプロジェクトで、17歳の時に11枚(!)のアルバムを完成させBandcampで売り始め人気を獲得しデビューにいたったとのこと。現在は4人編成のバンドスタイルになっており、そうなってからは2枚目のアルバムらしいです。


 "Beach Life-In-Death"でみせた展開力は、ややゆったりめの4曲目"Sober to Death"でも発揮されていて、ギターを上手くアクセントにしたサビの繰り返しが上手いです。一方で、5曲目の"Nervous Young Inhumans"では、キーボードをうまく使ってややキッチュな感じに盛り上げています。とにかく曲のメリハリの付け方が上手いですね。


 さらに9曲目の"Famous Prophets (Stars)"は"Beach Life-In-Death"の13:19を超える16:11の大作。ロックアルバムにおける長尺の曲というのは地雷臭がぷんぷんするのですが、これもよいです。実は"Beach Life-In-Death"のメロディを使った曲で変奏とも言える感じなのですが、"Beach Life-In-Death"のサビのメロディに別のメロディを重ねてくる部分は盛り上がる。そしてなんだかんだといって16分を聴かせます

 才能あると思います


D


Twin Fantasy [帯解説・歌詞対訳 / 国内仕様輸入盤 / 2CD] (OLE13472)
Car Seat Headrest カー・シート・ヘッドレスト
B078Y5Q7XD

2018-05-14

[][][] トーマス・シェリング紛争戦略 トーマス・シェリング『紛争の戦略』を含むブックマーク

 2005年ノーベル経済学賞を受賞したトーマス・シェリングの主著。シェリングノーベル経済学賞を獲っているわけですが、この本が「ポリティカル・サイエンス・クラシックス」シリーズの1冊として刊行されていることからもわかるように、経済学という分野だけにとどまらない内容で、さまざまな分野における戦略意思決定ゲーム理論などを利用して論じた本になります

 トーマス・シェリングの本といえば、去年読んだ『ミクロ動機とマクロ行動』が面白かったわけですが、軽妙さもあった『ミクロ動機マクロ行動』に比べると、冷戦時代のど真ん中に書かれたこの本は戦争紛争を正面から扱っており、使われている理論文体ともよりハードな内容となっています(訳文もこちらのほうが硬い)。


 目次は以下の通り。

第I部 戦略理論の要素

第1章 国際戦略という遅れた科学

第2章 交渉について

第3章 交渉コミュニケーション限定戦争

第II部 ゲーム理論の再構築

第4章 相互依存的な意思決定理論に向けて

第5章 強制コミュニケーション戦略的行動

第6章 ゲーム理論実験

第III部 ランダムな要素をともなった戦略

第7章 約束と脅しのランダム

第8章 偶然性に委ねられた脅し

IV部 奇襲攻撃:相互不信の研究

第9章 奇襲攻撃相互的恐怖

10章 奇襲攻撃軍縮

補 遺

補遺A 核兵器限定戦争

補遺B ゲーム理論における対象性放棄のために

補遺C 「非協力」ゲームにおける解概念の再解釈


 後半はかなりテクニカル議論もあり、全体をまとめるというのは自分の力では不可能なので、以下、いくつか興味深かった点をあげます


 「自由に行動できるほうが強く、行動に制限がかかっている方が弱い」、将棋の駒において前にしか進めない歩よりもさまざまな方向に進むことができる金や銀のほうが「強い」と感じされることなからも、こうしたイメージはあると思います

 ところが、シェリングに言わせると、必ずしもそうではありません。例えば、狭い道を両方向から走ってくる車のどちらが避けるかという問題では、自由が効かない(寝ている、車が故障してハンドルが効かない、など)状態が、逆に相手に譲歩させる(避けさせる)ことになります交渉においても、裁量のない人物のほうが裁量を持つ人に比べて当初の要求を貫き通すかもしれません。つまりある種の不自由さが「強さ」を生み出すのです。


 シェリング選挙秘密投票についても次のようなユニーク見方を示しています

 政治的民主主義それ自体が、真実を伝達することを不可能にする特殊コミュニケーションシステム依存しているということは興味深い。というのも、秘密投票制度は、投票者がだれに投票たかを明らかにする力を投票者から奪い去ることによって、脅迫対象とされてしま可能性を排除しているのである。すなわち、脅迫通りに動いたかどうかを明らかにする力が投票者から奪われているため、投票社およびその脅迫者は、どのような懲罰も実際の投票関係なかったと知っていることになる。(18p)


 交渉において、相手を譲歩させる鍵がコミットメントです。先程も述べたように、何らかの約束をする、選択肢を捨ててしまうといった形でコミットメントを行うことで、相手に対して優位に立てる場合があります

 例えば、会社組合賃金交渉に関して、労働組合幹部組合員と2ドル以上の昇給約束しており、それ以下だったら自分交渉をおりざるを得ないと伝えることなども、交渉を優位に進めるためのテクニックと言えるでしょう(28p)。

 また、代理人を使うのが有効場合もあります自動車事故示談交渉では、この事故をなんとか穏便に終わらせたいと考える当事者よりも、今後の事故対応のためにも規定以上の保険金は払えないと考える保険会社代理人の方が強気交渉を行うことができるでしょう(29-30p)。


 交渉において譲歩はつきもので、譲歩がお互いの距離を近づけるわけですが、コミットメントということを重視すると譲歩には危険性もあります。譲歩はコミットメントを捨てたと取られる可能性もあり、また、将来的にもコミットメント価値毀損する可能性があるからです(35-36p)。

 

 交面と向かって交渉が行われることもありますが、双方がコミュニケーションを行わないまま暗黙の調整をしなければならないケースもあります

 この本では次のような一風変わった問題がいくつか載っています

問題1 「表」か「裏」を記入してください。あなたパートナーが同じものを記入すれば、両方とも賞金を得ることができます

問題8 100ドルをAとBの2つの山に分けてください。あなたパートナーも別の100ドルをAとBの2つの山に分けますパートナーの分けた金額と同じ金額あなたがAとBに分けることができれば、あなたたちはそれぞれ100ドルを得ることができますパートナーの分けた金額と違う金額を分けてしまった場合あなたたちは何も得ることはできません。(60-61p)

 全部で9つある問題の中の2つを紹介しましたが、どのように答えたでしょうか?

 多くの人が問題1では「表」、問題8では50ドル50ドル選択したと思います相手が何を選択するか当てなければならないケースでは、とりあえずもっと無難選択肢が選ばれます。この両者にとってもっと無難と考えられるポイントフォーカル・ポイントです。 

 「○○駅で待ち合わせ」としか決めていない場合、とりあえず改札に行ってみるかと考えるように、多くの人が思い浮かべるポイント、それがフォーカル・ポイントになります


 領土画定では、川やキリのいい経度や緯度がフォーカル・ポイントとなります韓国北朝鮮国境別に北緯38度ではなく北緯38度2分でもいいのかもしれませんが、お互いが納得しやすく、今後も安定すると考えられるのはやはりキリのいい数字でしょう。

 ですから、このフォーカル・ポイントは暗黙の調整だけではなく、普通交渉でも意識されます。例えば、12000円の商品を10050円まで店員がまけてくれたら、多くの人はあと50円まけてくれると考えるのではないでしょうか。


 また、シェリング第2次世界大戦毒ガスが使われず、広島長崎以降核兵器が使われなかった理由も、こうした暗黙の合意に見ています

 核兵器と通常兵器破壊力の差が似たようなものであっても、冷戦時においては、核兵器を使ったら限定戦争の一線を越えて全面戦争になるというフォーカル・ポイント核兵器保有国が共有していたと考えられるのです(このあたりは補遺A「核兵器限定戦争」に詳しい)。


 このフォーカル・ポイントは、例えば暴動の発生などにおいても重要役割を果たします。暴動が起きるには一定以上に人数が集まり、同じタイミングで放棄することが重要です。もちろん、リーダーがいれば場所時間を指示することができますが、当局はそうしたリーダーを拘束することによって暴動の発生を未然に防ごうとします。そこで重要になるのが、きっかけとなる「小事件」や、象徴的な場所記念日などのフォーカル・ポイントです(93ー94p、最近ではネットSNSの発達で以前よりもこのフォーカル・ポイントが決定的ではなくなっているのでしょうが)。


 このような暴動鎮圧に関しては、よくそ地域ではなく、外部の部隊が使われることがあります、これは警官と群集のコミュニケーションを断つためです。例えば、リトル・ロックでは連邦軍派遣されましたが、この連邦軍地元の軍や警察と違って地域価値観から切り離れされていましたし、住民から脅迫を受ける可能性も低かったため、事態をおさめるのに有効でした。外国人部隊が反乱の鎮圧に投入されるのも同じ理由です(151p)。


 この本は後半にいけば行くほど、ゲーム理論マトリックスを使った分析が中心になっていきます。さすがにそれを紹介していく能力も気力もないのでここでは触れませんが、むしろそういった部分がこの本の根幹をなすといっていいでしょう。

 ただ、そういった中でも、「脅し」、「約束」、「奇襲攻撃」、「軍縮」といった現実問題に即して議論が展開されており、ゲーム理論の部分でよくわからない部分があってもそれなりに面白く読めると思います


 あと、個人的に興味深かったのがゴフマンへの言及シェリングはゴフマンについて次のように述べています

 ゴフマン論文は、ゲーム理論に関連する駆け引きについてのすばらしい研究である。彼は、礼儀騎士道精神外交儀礼さらには法律といった定式化された行動様式もつゲーム理論的要素を例証した先駆け的存在であるといえよう。(133p注8)

 ゴフマンゲーム理論というのはつながらない感じがするかもしれませんが、ゴフマンの行った研究ゲーム理論マトリックスの上で再構成してみせる、それがこの本の一つの側面なのかもしれません。


紛争の戦略―ゲーム理論のエッセンス (ポリティカル・サイエンス・クラシックス 4)
トーマス・シェリング 河野
4326301619


 最初シェリングを読むならば、はじめに紹介した『ミクロ動機マクロ行動』のほうがずっと読みやすいと思います

ミクロ動機とマクロ行動
トーマス シェリング Thomas Schelling
4326550767

2018-04-27

[] 『タクシー運転手 約束は海を越えて』  『タクシー運転手 約束は海を越えて』を含むブックマーク

 1980年5月に、韓国全羅南道の光州市を中心として起きた民衆蜂起である光州事件を、それを伝えようとしたドイツ人記者と、その記者を乗せて戒厳下の光州市まで運んだタクシー運転手を描いた作品。実話をもとにした作品ですけど、後半はフィクションも入っているのでしょう。

 監督チャン・フンキム・ギドク助監督を務めていた人物です。

 

 主人公のキム・マンソプ(ソン・ガンホ)はソウルタクシー運転手。妻に先立たれ一人娘と暮らしていますが、その生活は厳しく金に困っています。当時(1980年)の韓国は、1979年朴正煕大統領暗殺されたあと、クーデター全斗煥権力を握った状況でしたが、民主化を求める学生たちのデモが各地で起きていました。

 ただし、マンソプは大学生デモ金持ちの子もの道楽くらいにしか見ておらず、タクシー運行邪魔するものと考えています


 一方、ドイツ人記者ピータートーマス・クレッチマン)は東京駐在特派員ですが、韓国事態が緊迫しているのを知り、韓国飛び、情報シャットアウトされている光州に潜入しようとします

 このとき日本で流れているのはハプニング解散ニュースピーター日本での生活を「快適すぎる」と言いますが、それと同じ時期に光州で繰り広げられた凄惨弾圧との落差が、日韓時代のズレを感じさせて興味深いです。


 ピーターが光州まで運んでくれたら10ウォン出すと知ったマンソプは、英語が喋れると言って(実際は片言しかしゃべれない)、その仕事を引き受けます

 このあたりはソン・ガンホコミカルな演技が目立ち、それを笑いながら見るという感じです。

 ただ、主人公マンソプはサウジトラック運転していたという出稼ぎ経験があり、それで少しだけ英語がしゃべれるという設定や、ピータードイツ出身と聞いて「友人が炭鉱で働いていました」と答えるシーンなどからは、当時の韓国経済状況などもかいま見えます


 そして、いよいよ光州市へと潜入するわけですが、マンソプはまったくのノンポリであり、軍の弾圧と聞いても半信半疑です。

 そんなマンソプが実際にデモや軍による弾圧を見て変わっていくのがこの映画の一つの見せ場であり、ソン・ガンホの演技の上手さが目立つところでしょう。

 光州市の学生や、同業のタクシー運転手との交流もうまく描かれていますし、催涙弾→こん棒による殴打→実弾射撃エスカレートしていく軍の狂気の描き方も上手いと思います

 特に学生市民に対する無差別射撃のシーンは、見ている方も無力感に襲われます


 後半の脱出のシーンはさすがにつくりすぎ(劇的に盛り上げすぎ)ではないかと思うのですが、ソン・ガンホをはじめとして役者がいいのでしらけることはないですね(韓国治安機関無能すぎるとは思いましたが)。

 1980年というと、自分ギリギリわずかな記憶がある時代なのですが(さすがに光州事件のことは覚えていない)、改めて1980年という時点での日本韓国の置かれた状況の違いというものを感じました。そして、このような近い過去出来事の違いというものが、例えば、今日南北首脳会談に対する反応の違いなどにも現れているのだろうな、と思いました。

 素直に楽しめますし、いろいろな事を考えさせるよい映画です。

2018-04-25

[][] マイクル・ビショップ『誰がスティーヴィ・クライを造ったのか?』  マイクル・ビショップ『誰がスティーヴィ・クライを造ったのか?』を含むブックマーク

 国書刊行会<ドーキーアーカイヴシリーズの第4弾。

 <ドーキーアーカイヴシリーズはかなり期待していたのですが、今までに刊行された『虚構の男』、『人形つくり』、『鳥の巣』は、それぞれ面白いものの爆発的に面白い!とまでは言えず…。そのため、今回の『誰がスティーヴィ・クライを造ったのか?』は刊行からやや遅れて読んだのですが、この小説、中盤(「猿の花嫁」)のところまではかなりの面白さですね。


 カバー見返しの内容紹介は以下の通り。

アメリカ南部ジョージアの小さな町に住むスティーヴィ・クライは数年前夫を亡くし二人の子どもを養うためフリーランスライターとして生計をたてていた。ある日愛用する電動タイプライター故障し、修理から戻ってくると、なんとひとりでに文章を打ち始めた!妄想か、現実か?その文章はスティーヴィの不安悪夢欲望と恐怖を活写したものだった。それを読むうちに彼女は―そして読者も―現実虚構区別がつかなくなり…ネビュラ賞作家ビショップによる異形のモダン・ホラーにして怒涛のメタホラーエンターテインメント!巻末に“30年後の作者あとがき”を収録。(1984年作)


 電動タイプライター勝手文章を打ち始めるというアイディアは、それほど驚くべきものではないかもしれませんが、この小説面白さは、そのタイプライターが打ち出した文章小説内に織り込むことで、メタフィクション的な構造を作り出していることです。

 つまり、読者は今読んでいる文章が、主人公の行動を描写しているものなのか、それともタイプライターが打ち出した「フィクション」なのかわからないままに読み進めることになるのです。

 そして、このメタフィクション的な構成ホラーの要素のかみ合わせが中盤までは非常にうまく、読む方も驚かされます

 また、表紙にもいる猿が物語を盛り上げるわけですが、最初に出てきた時の猿の描き方とかもうまく、ホラー的な雰囲気を盛り上げます

 主人公シングルマザーのスティーヴィ・クライの人物造形もよく出来ていますし、普通ホラー小説としてもよく出来ていると思います


 けれども、後半はやや失速気味。いかにもモダンホラー的な要素を詰め込もうとして、中盤までの勢いが失われてしまった感じですかね。

 ただし、ブラックユーモアに満ちたラストはいいですし、物語グダグダになるということはないです。

 というわけで、「傑作!」というにはちょっと足りないのですけど、十分に面白い小説といえるでしょう。


誰がスティーヴィ・クライを造ったのか? (DALKEY ARCHIVE)
マイクビショップ 横山 茂雄
4336060622

2018-04-23

[] Young Fathers/Cocoa Sugar  Young Fathers/Cocoa Sugarを含むブックマーク

 TV On The Radio好きな人はぜひ!というバンドブラックミュージックリズムが非常なタイトな形で再編成されていて、初期のTV On The Radioを思い出させます

 最近音楽事情に疎くて、今回の3rdアルバムで初めてその存在を知ったのですが、これはいいですね。

 世間評価はすでに高くて、Massive Attack3Dが激賞しているようですし、映画T2 トレインスポッティング』も曲が使われていたりしたそうです。

 初めに聴いた時はニューヨークロンドンあたりのバンドだろうと思ったのですが、なんとスコットランドグラスゴーで結成された3人組。PV写真を見る限り、2人が黒人で1人が白人のようです。1stアルバムはAnticonからリリースしています

 

 音楽TV On The Radioを思い起こさせる、という以外はなかなか説明しがたいのですが、とりあえずLive映像などを見ると3MCのような編成です。ただし、いわゆるラップヒップホップに分類される曲かというと、それはちょっと違っていて、バンドサウンドと行っていいようなつくりになっていますラップヒップホップっぽい曲もありますが)。

 例えば、先ほど出てきたMassive Attackなどと比べても、やはりバンドっぽさがあります

 

 とにかく、"In My View"、"Wow"、"Toy"あたりを聴いてくださいとしか言い様がないですね。 

 個人的にはベースジェラードスミスが亡くなってしまって以降、失速してしまった感のあるTV On The Radio路線を新たに切り拓いてくれるバンドという感じで、非常にうれしいですし、今後が楽しみです。


D


COCOA SUGAR
YOUNG FATHERS
B078YKV1F4

2018-04-21

[][][] 河西秀哉『近代天皇制から象徴天皇制へ』  河西秀哉『近代天皇制から象徴天皇制へ』を含むブックマーク

 GHQが天皇を「象徴」とする憲法草案を示したとき、それを受け取った政府には思いもよらない条項だったと言われていますが、その割には意外とスムーズ象徴天皇制は定着しました(占領期の行動やたびたび内奏を求めたことなど、昭和天皇には「象徴」をはみ出すような行動があったことも事実ですが)。

 それにはもともと昭和天皇イギリス流の立憲君主制理解が深かったといった要因もありますが、この本では象徴天皇制へのスムーズな移行の一因を大正期以降の知識人による象徴天皇制親和的な言説に見ています戦後民主主義の源流を大正デモクラシーに求める見方がありますが、本書では天皇制に関しても似たような関係があることを示しています


 著者は天皇の退位問題などでたびたびメディアでも発言している歴史学者。以前に紹介した茶谷誠一『象徴天皇制の成立』象徴天皇制の成立を占領期の宮中というインサイドから分析しているのに対して、著者は象徴天皇制大正から占領期にいたる天皇制を取り巻く言説から分析しようとしています

 そして、長めの期間を分析対象とすることで、象徴天皇制へのスムーズな移行の要因だけではなく、現在天皇のあり方についても考えさせる内容となっています。 


 目次は以下の通り。

序 章 近現代天皇制研究の成果と課題――本書の視角

第1章 世界的な君主制危機近代天皇制――吉野作造天皇制構想

第2章 「デモクラシー」と「国体」――永田秀次郎思想と行動

補 論 大正期の天皇制・「国体」とマスメディア社会

第3章 戦時体制天皇制

第4章 敗戦直後の天皇制構想

第5章 戦争責任論と象徴天皇制

終 章 「元首」と「象徴」のはざま


 最初にとり上げられるのが吉野作造です。吉野に関しては、「デモクラシー」の訳語として天皇主権と衝突する可能性がある「民主主義」という言葉を避け、「民本主義」という言葉を使ってデモクラシー論を展開したことで有名ですが、では、吉野民本主義において天皇はどのような役割果たしていくべきだと考えたのか? というのがこの章の内容になります。実は吉野の構想は象徴天皇制に近いものなのです。


 吉野君主制に対して肯定的に見ていますが、第一次世界大戦きっかけに君主制が打倒されたドイツロシアに関してはその道徳性歴史性、国民とのつながりなどを問題視していました。また、帝位に就こうとした袁世凱に関してもその「人格」を問題視し、皇帝就任に反対しています吉野袁世凱長男家庭教師を務めたことがあり、袁世凱の人物をよく知る立場にあった)。

 一方、日本天皇制に関して吉野が強調するのはその歴史性と国民とのつながりです。


 吉野は、主権者である君主も、もはや多数の人民による国家威力意思準拠せざるを得ないと主張します。こう書くと、天皇国民意思に服する形にも思えますが、ここで吉野我が国天皇人民の間の「微妙なる情誼的関係」(46p)を持ち出します。天皇一方的命令を下すのではなく、国民の思いを汲んで政治を行い、そのような天皇国民は愛慕する、そのような関係日本にはあるというのです。

 

 吾々も亦君主の立憲政治に於ける地位をして、只だ冷かなる法律制度の上の元首たらしめたくない。願くば吾々国民の心裡に直接交通する所の温かい道徳上の元首として、何時までも君徳を仰ぎたい(48p)

 これは吉野の「民本主義国体問題」の一節ですが、言い方は古めかしいもの象徴天皇制に通じるような考えがここには現れています

 そして、吉野はこの「道徳上の元首」を裕仁皇太子に期待するのです。


 第2章では永田秀次郎天皇制に対する考えが扱われます永田秀次郎と言ってもピンとこない人がいると思いますが、後藤新平に引き立てられて内務省警保局長東京市助役市長・拓務大臣鉄道大臣などを務めた人物で、原武史が「国体」の視覚化を進めた人物として評価している人物です(68p)。

 永田は警保局長として第一次世界大戦後の社会運動の高まりに直面するわけですが、これを全面的に押さえつけるのではなく、これを社会秩序にうまく包摂させようとしました。1917年の講演で、永田同盟罷業に対して「労使関係団体的・慈恵的なものに変化させ、温情主義を採るように主張」(72p)していますが、こうした社会運動包摂階級対立の緩和に必要だと考えられたのが天皇です。

 永田デモクラシー君主制イギリスもっとも発展しているとして君主制効用を説き、「国体」とデモクラシーが両立可能だとしました。


 永田1924年の『日本の堅実性』の中で「皇室と我との間には何者の介在を認め無い。我は直接に皇室を戴き皇室は直接我に臨む。その関係はきわめてデモクラチックである」(82p)と述べていますが、まさにこの時期の永田の中ではデモクラシーと「一君万民」がきれいにつながっていたのです。

 そして、吉野と同じように裕仁皇太子に期待をかけています皇太子天皇国民の間の「隔たり」を取り去ってくれる人物なのです(83p)。

 永田皇太子に関するエピソード積極的に語るようになり、そうした天皇像を欲していたマスメディアもこれを積極的にとり上げるようになります

 この後、永田1926年に行われた「建国祭」(企画赤尾敏)の建国委員長就任したりしますが、これも階級対立を「国体」によって緩和しようとするものでした。

 

 ところが、永田の「国体論」は時代とともに先鋭化していきます共産主義への警戒感と国家主義の高まりは永田議論も硬直化させていき、教育勅語は「永世不易の大典」であり、教育勅語によって「世界新秩序」の指導地位になったといったことを主張するようになります(94p)。

 時勢に流されたといえばそれまでですが、同時に「国体」という概念空虚さを永田の言説の変化が示しているとも言えるでしょう。


 第2章に続く補論では、大正期の天皇皇室マスメディアの関わりが論じられています。ここで注目すべきなのは天皇制の安定のためには天皇積極的社会事業に取り組む必要があるといった意見が出てきたことです(120p)。戦後象徴天皇制において、天皇慈善活動社会事業への参加が一つの柱となりますが、その重要性は大正から意識されていたのです。


 第3章では「戦時体制天皇制」と題して、戦時におけるマスメディア天皇制関係と、矢部貞治高山岩男の考えを見ていきます

 まずは、『東京日日新聞』の皇室記者だった藤樫準二のことがとり上げられていますが、戦後皇室記者として活躍し、さまざまな著作を発表した人物です。基本的には天皇人間的な素晴らしさを書いているのですが、藤樫のような記者戦前から戦後を貫く形で皇室について報道し続けたというのも、皇室連続性を考える上では興味深いです。

 一方で、この時代天皇の具体的な「人格」よりも、抽象的な「国体」という観念が力を持った時代でもありました。

 

 3章の後半では矢部貞治高山岩男議論が紹介されています。ともに「民衆」と天皇接続しようとする意識はありますが、その議論は非常に観念的で、また危ういものでもあります

 高山は「民衆天皇皇室との関係性を「直接的結合」として強調しつつ、党派対立を止揚するための天皇存在を構想し」(149p)、矢部も「職能団体組織」を重視しつつ、それは「従来の自由主義営利主義を超克し、国家公益の優先を指導原理」(150p)とすべきだとしました。両者の想定する「民衆」とは個別的利益をもった個人の集合というよりは、一体化した存在であり、その一体化の鍵が天皇制なのです。

 これらの議論総力戦体制の構築に資するものであり、矢部1945年に「こゝまで来れば、勝敗を度外において、真に理想総力戦体制確立することが、唯一の勝つ途であり、たとへ武力戦に敗るゝとも将来の日本の再出発のための一大礎石を築くことになるといふにある」(153p)との言葉を残しています


 第4章は終戦直後天皇制をめぐる議論について。

 終戦とともに天皇制の存続、存続するとしたらどのような形態になるかということが問題になりますが、そうした中で外務省は各方面知識人の力を借りて天皇制存続のための理論武装を行おうとしていました。 本章では、その中から高木八尺(やさか)と田中耕太郎議論をとり上げて分析しています

 高木田中はともにクリスチャンで(高木クエーカー田中カトリック)、本章は戦後天皇制キリスト教関係を考える一助ともなるでしょう。


 高木日本民主主義根付かなかった理由を「個人人格観念」の不足に求めるわけですが、同時に天皇制による「君民一体」も評価しました。著者も指摘するようにこの両者の間には緊張関係があるはずなのですが、高木日本の伝統文化との調和を優先するのです。

 田中も同じように戦争の原因を個人の観念の未発達などに求め、やはり同じように天皇制肯定します。田中天皇による統治を「日本国民にとつて、あらゆる政治学理念を超越せる事実」(176p)とまで言うのです。

 田中は、日本国民欠点として、外国文化摂取する際の「精髄に対する理解」の欠如と、「国民性格中に存する権力欲と権力盲従の傾向」をあげ(178p)、これらの欠点カバーし秩序を維持するためには天皇制必要不可欠だと論じるのです。

 

 第5章では天皇戦争責任をめぐる問題を扱います。今まで、天皇の「人格」や「道徳性」というものが、天皇制肯定する際の一つのポイントとしてあげられてきましたが、そうなると問題となるのが昭和天皇戦争責任です。

 昭和天皇にどのような戦争責任があるかということに関してはさまざまな議論があるところでしょうが、やはり戦争責任問題があるかぎり、昭和天皇の「道徳性」を無条件で肯定する訳にはいかないでしょう。

 実際に矢部貞治戦前日本共産党委員長を務め獄中で転向した佐野学などは、天皇制肯定しつつ、昭和天皇自発的退位を求めました。また、政府内でも外務省三宅二郎が、天皇が退位すれば、その道徳性に感化され、天皇民衆関係が強固なものとなるという意見書を出していました(207ー210p)。


 結局、昭和天皇の退位はなされなかったわけですが、だからこそ、大正から唱えられてきた「人格」や「道徳性」にもとづく天皇制は、明仁天皇本来ならば今上天皇表記すべきでしょうが、そう書くと来年になったら混乱してしまうのでこの表記で行きます)のもとではじめて実現したといえるのかもしれません。

 そして、本書の最後で著者が述べるように、平成になってから天皇皇后被災地戦争記憶への取り組みなどが、「人格」や「道徳性」にもとづく象徴天皇制に一つの形を与えたといえるでしょう。


 この本は、現在象徴天皇制が、戦後憲法改正によって無理矢理に生み出されたものではないことを教えてくれます。そして、現在明仁天皇の取り組みも、過去議論を背負った形で行われている可能性が高いということがわかります

 天皇が「象徴」だったり「機関」だったりするとしても、現実存在するのは生身の人間であり、やはり「人格」という要素は欠かせないのだと思いますが、一方で、もしも将来、「人格」が評価されない天皇が出現した場合象徴天皇制がどのように動揺するのかということを少し考えてしまいました。


 また、本書を読んで気になったのがここに出てくる論者たちの民主主義観。

 実は自分大学卒業論文吉野作造をとり上げていて、「組織化を嫌い、国民を公平な審判者として捉える吉野デモクラシー観は問題がるのでは?」みたいなことを、歴史学科の卒論にもかかわらずアーレントトクヴィルをつかって論じていたのですが、その思い出が蘇りました。

 個別的利害の対立を抑えるための「一君万民」の天皇制という考えに寄りかかった民主主義というのは、やはりどこかに問題があるのではないかと改めて感じましたね。


近代天皇制から象徴天皇制へ―「象徴」への道程
河西 秀哉
4905497612

2018-04-11

[][] 神林龍『正規の世界非正規世界 神林龍『正規の世界・非正規の世界』を含むブックマーク

 近年、論文が業績の中心となり、テクニカルな内容も増えている経済学の中で、「○○の世界」というタイトルの本はあまり見ないような気がします(社会学だとありそうですが)。

 しかも、1972年生まれの著者にとってこれが初の単著。ずいぶん思い切ったタイトルだなと感じたのですが、そのタイトルにふさわしい内容とボリュームです。『あゝ野麦峠』の話から戦前日本職業紹介の制度を分析するという、「これが経済学の本なのか?」というテーマから始まり、「正規から非正規へと言われるが、実は正規雇用は大して減っておらず、自営が減って非正規が増えているのだ」という分析を中心として、日本雇用を巡る問題を幅広く論じています。

 第58回(2017年度)エコノミスト賞を受賞しているようにすでに評価の高い本ですが、評判通りの面白さだと思います。


 目次は以下の通り。

序 章:本書の目的と構成

第吃:制度慣性

第1章:戦前日本労働市場への政府の介入

第2章:日本的雇用慣行への展開

第:正規の世界非正規世界

第3章: 正規の世界

第4章:非正規世界

第5章:世界の掟― “不釣り合い" の要因

第敬:変化の方向?――現代労働市場を取り巻く諸側面

第6章:賃金格差――二極化する賃金

第7章:二極化する仕事――ジョブスキルタスク

第8章:自営業はなぜ衰退したのか

第9章:存在感を増す「第三者

終 章:現代日本労働経済学の基本問題

 

 先に書いたように第一部は『あゝ野麦峠』の話から始まっています。ここから著者が何を論じていくのかというと、それは戦前日本において自生的に生まれた民間の職業紹介システムと、それがいかに公営のものに変わっていったのかという問題です。

 明治期の製糸業では工女の募集は直接、または仲介業者を通じて行われていました。ここで問題となったのが仲介業者による引き抜きです。それでも仲介業者や紹介業者は必要とされ続け、公営の職業紹介事業はなかなか広まりませんでした。

 公営の職業紹介と違って民間の仲介業者仲介業者には身元紹介の機能があり、事業者の多くがその機能を重視していたためです。

 

 こうした仕組みが変化していくのが1930年代の後半です。それまでも内務官僚営利紹介の禁止を考えていますが、その営利紹介の禁止が1938年職業紹介法改正によって実現します。内務官僚たちの主張は国家総動員法による統制経済の成立によって実現し、営利紹介はその姿を消していくのです。

 しかし、その政府による統制が完全に成功し、それが長期雇用、年功賃金企業別組合を主要素とするいわゆる日本的雇用慣行につながったのかというと、そうとも言い切れません。

 日本的雇用慣行の起源戦時体制に求める議論は一定の存在感を得ていますが、戦時になっても労働者の移動はそれなりに高いレベルを保っており、戦時下労働市場が意外に流動的であったことを示唆しています(85-88p)。著者に言わせると「戦時経済起源論は、どちらかというと政府の力を信じることを前提とした理屈の産物で、実証的基礎は盤石とはいえない」(89p)のです(ただし、著者は産業報国会が一定の役割を果たしたかもしれない可能性は指摘している)。


 第二部が、この本のタイトルにもなっている「正規の世界非正規世界」。

 「バブル崩壊以降、日本的雇用慣行に守られた正規雇用が減少し、派遣などの非正規雇用に置き換わっている」、これが多くの場所で語られているストーリーだと思います。

 しかし、例えば序章にも書かれているように非正規雇用の代表としてよくあげられる派遣労働者は、派遣法が最も緩和されていた2007年10月1日の時点で約160万人、有業人口に対する比率は2.4%ほどでした(2p)。もちろん、これは無視できる大きさの数字ではありませんが、派遣非正社員の中でも主力とは言い難い存在なのです。


 また、被用者の平均勤続年数を見ると、21世紀になってイタリアフランスに抜かれたものの大きな落ち込みはなく、高い水準を保っています(104pの図3-1参照)。詳しく分析すると、女性に関しては1995年前後の早い時期から平均勤続年数が短期化している動きも見えてきますし(110p)、世代ごとに分析すると男性も含めて平均勤続年数がゆっくりと減少してきていることが見えてきますが(114p)、例えば新卒採用の十年残存率は低下していませんし(中途の十年残存率には低下傾向がある(126-128p))、離職確率解雇確率も目立った上昇を見せていません。

 年功賃金に関しては、1996〜1998年と2010〜2012年大卒被用者の基本給プロファイルをみると男女とも年功に伴う伸びが緩やかになっています(139pの図3-12参照)。しかし、2002年前後バランスシート不況までは年功賃金フラット化が一律に起きていましたが、それ以降は事業所ごとにばらつきがあります。

 「結局のところ、日本的雇用慣行は全面的に崩れ去ったわけではなく、正社員世界は意外なほど堅固に残存している、とまとめられる」(147p)のです。


 では、非正規世界はどのようになっているのか?

 ここでまず出てくるのは「非正規雇用とは何なのか?」という問題です。労働時間の長さの違いや、有期雇用か無期雇用かといった指標があげられますが、契約社員のような労働時間がほぼ同じ非正規雇用もありますし、多くのパートタイマーのように無期雇用となっている非正規雇用もあります。 

 正規雇用終身雇用という制度と相まって、有期か無期かということが重要視されがちですが、これについて著者は次のように答えています(この見方は日本非正規雇用を一種の身分として捉えた有田『就業機会と報酬格差の社会学』の味方と重なるものがあると思う)。

 日本的雇用重要な要素である雇用保障・賃金企業特殊訓練という三方向から見ると、職場のコアと密接に関連するのは呼称上の正規・非正規の区別であって、労働契約の有期・無期の区別ではない。日本において「正規の世界」と「非正規世界」を分かつ分水嶺は、労働契約上有期契約なのか無期契約なのかではなく、職場正社員と呼ばれるかどうかなのである。(165p)


 非正規世界は確かに拡大しています。18〜54歳人口における就業状況をみると、有期と無期の非正社員1982年の4%程度から2007年には約12%と3倍近く増加しています。一方で、無期正社員はどうなったかというと1982年の46%程度で2007年も46%程度、ほとんど変化が見られないのです(167pの図4-4参照)。

 では、増えた非正規はどこから来たのか? 増えた非正規に代わってこの2年で大きく減少しているのが「会社役員」「雇人を持つ自営業主」「雇人を持たない自営業主」「家族従業者」「内職社」からなる「自営業その他」のカテゴリーで、82年の14%から07年には7%へと半減しています。

 「固着した正規の世界と、膨張する非正規世界は、インフォーマルセクターの縮小を介して併存していた」(169p)のです。


 産業別に見ると、1982年から2002年にかけて無期非正社員シェアが増えているのが卸売小売、飲食店サービス業で、それぞれ無期非正社員シェアがそれぞれ21.8%ポイント、21.2%ポイント、9.1%ポイント増えています。そして、同時にこれらの3産業ではインフォーマルセクターシェアがそれぞれ22.3%ポイント、21.5%ポイント、8.3%ポイント減少しています。これらの産業ではインフォーマルセクター非正規雇用に代替されたのです(176-177p)。

 このインフォーマルセクターの減少と非正規雇用の増加に関しては、望ましい変化なのか、そうではないのか、という問題がありますが、例えば、女性非正社員インフォーマルセクターの被用者を比較すると、賃金労働時間非正社員の方が良いが、インフォーマルセクターのほうが有配偶率が高く、子どもの数が多く、継続就業の希望が高いといった傾向があり、一概には良い悪いと言えない状況になっています(179-183p)。


 第ニ部の最後に置かれた第5章では、解雇権濫用法理と就業規則不利益変更法理を中心に、日本労働市場における法規制について考察しています。ここは個々の裁判判例を読み込むという法学に近いようなことをやっており、経済学の本としては異質な部分です。

 詳しくは本書を読んでほしいのですが、日本労働市場において言われているほど国家規制は強くなく、「労使自治」の原則に任されている面が多いことが明らかにされています。ですから、非正規雇用の問題も、規制緩和の影響というよりは、インフォーマルセクター非正規雇用に置き換わる中で労使自治のコミュニケーションがうまく機能しなかったという点に求められる可能性があるのです。


 第三部では労働市場をめぐる近年のさまざまな変化が分析されています。

 まず、第6章でとり上げられているのは賃金格差の問題です。「一億総中流から格差社会へ」、これがここ20年ほどの動向だとされていますが、賃金だけをみるとどうなのでしょう?

 1993年から2012年までの賃金センサスを材料にジニ係数によって賃金のばらつきを評価すると、時間賃金ではあまり変化がなく、年間収入ではばらつきがひりがりつつあります。男女別に見ると、時間賃金において男性はややばらつきが拡大、女性は縮小というトレンドです。また、2004年と05年の間に断層がありますが、これは賃金センサスの調査票の変更によるものです(244pの図6-1、なお、この04年と05年の間に断層に関してはこの章の中で詳細い検討されている)。


 実際の賃金はどうなっているのかというと、女性の下位10%の時給は1991年の641円から継続的に上昇し、2004年には746円になっています。一方で中位点は95年に1278円を記録したあと低下し、2004年には1136円まで下がっています。著者はこれらの分析をもとに「男女にかかわらず、時給1000円〜1100円程度の層が、下落傾向にあることを協調すべきだろう」(247p)と述べています。

 同時に男性の高賃金層でも、絶対水準では低落傾向が見られ、デフレによって賃金が全体的に押し下げられたことが見て取れます。


 また、男性に関しては正社員非正社員大企業中小企業といったグループ間における格差が縮小傾向なのに対して、グループ内の格差は拡大傾向にあります。特に事業所固有の要素が賃金に強く連動するようになっており(272pの図6-8参照)、「たまたま就業する事業所が異なることから賃金格差が生まれ、しかもその格差が拡大してきている」(278p)とも言えます。

 

 第7章では「二極化する仕事――ジョブスキルタスク」と題し、雇用機会の質の問題を分析しています。

 賃金はその人の資質ではなく、雇用機会の質によっても決定されます(いくら優秀な人でも単純作業仕事しか提供されなければ生産性をあげることは難しい)。これを「頭脳定型タスク」「頭脳的非定型タスク」「身体的定型タスク」「身体的非定型タスク」といったタスクという観点から分析しようとしたのがこの第7章です。

 この分析のために日本労働政策研究研修機構が作成した『キャリアマトリックス』が用いられていますが、これは「民主党政権下の事業仕分けによって廃止判定を受け、それまで蓄積されていた知識がすべて利用できなくなってしまった」(286p)そうです(この論文は廃止以前のデータ使用)。


 まず、賃金の面からいうと1980年代以降、継続して仕事二極化が進展しています。「比較的低賃金仕事と、比較的高賃金仕事の増加が併存し、中間的な賃金仕事相対的に減少していった」(299p)のです。

 一方、『キャリアマトリックス』を用いたタスクの評価から見ると、非定型タスクシェア継続的に増加し、定型タスクシェアが減少していったことがわかります。その中で日本の特徴は、アメリカでは60年代以降一貫して減少している身体的非定型タスクが増加していることです。これはロボットの導入などが、アメリカにおいて熟練解体をもたらしたのに対し、日本ではロボット化などとともに労働力定型タスクが非定型タスクに振り向けられたからだと考えられます(313p)。


 第8章は第二部でもとり上げられていた自営業の減少について。

 図8-1では、まず米・英・仏・独・豪と日本自営業比率の推移を示したグラフがあげられてますが、日本だけが一貫してその比率を低下させています(318p)。もちろん、他にも韓国ポルトガルトルコなどほぼ一貫して自営業比率を低下させている国もあるのですが、これらの新興国を除くと日本の動きは特異です。

 日本では自営業に対する研究データも不足している状況のなのですが、他国の研究なども生かして自営業減少の理由を探ろうというのがこの第8章です。


 自営業者の増加に関しては、不況によって職を失った人びとが自営業を選択するというプッシュ仮説と、好況期に起業する人が増えるというプル仮説があります。この2つの仮説は対照的なものですが、どちらの要因が強いのかということについては未だに決着がついてない状況です。どちらの要因が強いかは国や個人の属性によって違い、欧州では移民不況期に自営業を選択する傾向があること(プッシュ仮説)などがわかっています(322-323p)。

 では、日本ではどうかというと、データの不備もあってプッシュとプルのどちらの要因が強いのかはよくわからないのが現状です。

 また、起業をしようと思っても資金面制度面での制約があれば、なかなか起業は進みません。日本自営業の減少をバブル崩壊に伴う資産価格の減少に求める研究もありますが、資金面の制約に関する実証研究は進んでいないのが現状だそうです(333p)。一方、制度面の制約に関しては、日本では最低資本金学が1円にまで下げられるなど規制緩和が進んでいますが、自営業の減少を押し止めるには至っていません(334-335p)。


 このように日本自営業減少の決定的な理由を既存の理論データから導くのは難しいようです。著者も「本書では自営業の衰退を既知の経済メカニズムによって説明する途は諦めた」(335p)と書いています。

 そこで、第8章の後半では自営業者の非金銭的な報酬について検討しています。自営業者報酬は被用者よりも低いことが多いですが、自営業者は被用者よりも高い主観的満足度を示す傾向があります。これは「自分自分ボスである」ことの非金銭的な報酬があるとされています。ただし、発展途上国における自営業ではこのような傾向は見られません。また、自営業者は被用者よりもメンタルヘルスを毀損している傾向も観察されます(335-340p、一方、日本では正社員から自営業者に転換すると健康状態が改善されるという傾向もある(345p))。

 自営業者には華々しい起業と、途上国インフォーマルセクターに近い存在が併存しているのが日本の現状ではないかと著者は見ています(351p)。


 第9章では、「存在感を増す第三者」と題して、今まで労使自治の原則に任されていた日本労働市場において、政府の役割が強まっていることを、最低賃金派遣法を例に示しています。

 まず、最低賃金ですが、これが低くとどまっているならば、労働市場にそれほど大きな影響を与えません。ところが、近年、生活保護との逆転現象を解消するために最低賃金の大幅な引き上げが行われており、最低賃金実質的賃金を決めているようなケースも見受けられます。街で見かけるアルバイト求人などを見ると、最低賃金の上昇に合わせるように年々時給が引き上げられているのがわかるでしょう。


 まず、男性よりも女性の方が最低賃金ラインで働く人が多く、都市地方の比較では地方のほうが最低賃金ラインで働く人が多いです。

 この男女差と地方差を考慮に入れながら、最低賃金の引き上げがいかなる影響を与えているのかを示したのが360-361pの図9-2です。このグラフは本当に素晴らしいのでぜひ現物を見てほしいのですが、以下にあげる東京都の男性のグラフだけを見ても、最低賃金の引き上げが低賃金層の賃金を押し上げて圧縮しているさまがわかると思います。

f:id:morningrain:20180411172116j:image


 このページには他に東京女性青森県の男性・女性グラフがあるのですが、いずれも東京の男性以上に影響を受けており、特に青森県女性では最低賃金ラインにそびえ立つ崖ができています。

 また、最低賃金よりも少し上の部分にコブのようなものができているのも特徴です(東京都男性だと1000円ちょっとの部分)。日本最低賃金の引き上げは、一番賃金の低い層だけではなく広範囲に影響を与えているのです(このコブができる理由については373-374pにおいてジョブ・サーチ理論を使って分析されている)。


 派遣法の問題に関しては、派遣法によって雇用のマッチング・スピード改善されたとの分析もありますが、派遣が当初の見立通りには増えなかったというのが著者の見方です。日本的雇用の特徴である時間外労働への柔軟な対応やOJT中心の人材育成派遣の仕組みと相性が良くなかったのです。

 派遣労働者が大方の予想のように拡大しなかった背後には、細部を調整せずに切り分けても生産性の落ちない職場仕事が、それほど多くなかったという現実を示しているのかもしれない。正規の世界が強固に残存したという本書の指摘とも軌を一にしている。(398p)

 

 終章では、今後の労働市場、そして日本社会に対する展望を行っています。

 まず、自営業の衰退ですが、これはすでに他の先進諸国並みの水準になっており、底を打つ可能性が高いです。これについて著者は次のように述べています。

 自営業セクターから労働力が移動して非正規世界形成されてきたことを考えると、自営業セクターからの労働力の流出が止まれば、非正規世界の膨張を支える建材が枯渇するのは当然の理である。真の人手不足が始まるとも言い換えることができる。(406p)


 また、この自営業セクターの縮小は社会を変質させ、社会保障制度の再編成を迫るものだとも言えます。

 おおまかにいえば、自営業世帯親族家族は、いわば、社会の細かな不都合を丸く収める緩衝材(ショック・アブソーバー)のような存在だったと解釈できるだろう。もちろん、ブラックボックスゆえに、内部で起こる個人に対する抑圧などは表沙汰にならず、個人を重んじる近代社会にとって致命的な難点はある。しかし、「とりあえず任せておけば何とかなる」という層として機能していたとはいえないだろうか。

 ここで、緩衝材が摩耗すれば、日々変転する社会の挙動はその細部までもいちいち顕在化する。たとえば生活保護制度では、要保護者の福祉の水準について細かな規定が整えられていることはすでによく知られている。(中略)

 自営業セクターの枯渇は、清濁併せ呑む社会緩衝材の役割をどう評価するかという議論の必要性示唆している。(410p)


 さらに「男女差別の禁止」「同一労働同一賃金」などの方向性と労使自治の原則の関係性に関しても言及しています。

 何が差別化ということについて第三者がすべて明確に判断できるわけではありませんが、やはり、賃金労働時間の決定といった問題に比べると、第三者の役割が重くなることが予想されます。基本的に労使自治の原則に基づいて設計されてきた日本労働市場は、今後、そのあり方を変えていかざるを得ないかもしれないのです。


 このように非常に幅広い問題を扱っており、労働市場の分析にとどまらない射程を持った本だということがわかると思います。

 そして、ここでは分析の結果を中心に紹介していきましたが、この本の読みどころはむしろその分析の過程とも言えます。そのエータは信頼できるのか、そのデータをどう解釈するのか、ということについて非常に丁寧で綺麗のある議論がなされており、非常に勉強になります(もちろん、ついていけない部分もありましたが)。

 経済学というカテゴリーにとどまらず、日本社会科学にとって大きな成果と言うべき本ではないでしょうか。


正規の世界・非正規の世界――現代日本労働経済学の基本問題
神林 龍
4766424824