オープンソース化は市場を取るための一戦略手段に過ぎず、自己の技術のデファクト化のための手段

去年の8月来、クラウドコンピューティング化の動きに伴うオープンソース化やガラパゴス化する日本製造業のソフトウェア化はイノベーションの活性化をもたらすのではないかという文脈でのブログを書いてきた。が5月末以来暫く筆を止めていた。
暫くこのブログの更新をしてこなかった理由がいくつかある。
オープンソース化が喧伝される中で、何がそこで本当に求められるイノベーションの鍵なのかを見失いそうになっており、それを明らかにしておきたかったからというのが大きな理由。
池田信夫氏も8月7日付のブログでオープンイノベーション化という言葉が最近、バズワード化しているというが、私もその通りだと思う。
オープンイノベーションやオープン化はプラットフォームを作るための一時的な手段であって、Googleなど先行するオープンイノベーション・モデルの上に乗ればいいとか物まねすればいいというものではない。オープンイノベーションは、自己の技術をデファクト化するための戦術であり、最後はオープンでないプラットフォームで圧倒的な市場を押えた者が勝つという真理は変わらないだろうから。

Googleクローンでない独自の高速情報処理技術開発に拘る株式会社高速屋の狙いに注目
〜情報処理コストの大幅低減と独自技術の知財の確保といった2つの産業発展への貢献

こうした安易なオープン化への警告を意識付けたのが、株式会社高速屋のエンジニアで創業者の新庄会長の取組みに接したことだ。http://www.kousokuya.co.jp/
株式会社高速屋は、2002年5月に新庄氏により設立されたオンメモリDBS(データベースソフト)開発会社で「高速機関」を主力製品とするオンメモリDBS業界のリーディングベンチャー。近年のメモリ価格の低下と大容量化もあり、高速屋のオンメモリDBSでは、Googleで1000台のコンピュータを使って情報処理するところを30数台のコンピュータの高速処理が可能になっている。その根底には、Googleクローンでない独自の高速情報処理技術を開発するという気概がみなぎっている。こうして情報処理コストの大幅低減と独自技術の特許など知財の確保といった2つの産業発展への貢献がなされる。

最先端の独自技術開発への拘り
新庄会長は、東京大学工学系大学院修士課程を修了し、約十年間大手エンジニアリング会社で化学物質の製造プロセス開発に従事した後独立、コンピュータ関連のベンチャー企業を1980年に設立した。マイクロプロセッサの技術をベースに、OSの導入やコンピュータシステム、制御機器、マルチメディア機器の開発など、パイオニア的な仕事を数多く手掛け、一貫して最先端の研究開発を指揮してきた。
 その後情報システムにおけるデータ処理の遅さに着目し、1996年に高速データ処理技術の研究開発に着手し、1999年にソフトウェア技術体系「PAT(Performance Acceleration Technologies)」の開発に成功。PATの革新性は従来の技術(BTREE、QSORT、HASH、ランダムアクセス方式)でデータ処理が遅くなる要因を徹底的に排除すべく、ハードウェア(CPU、主メモリ、ディスク等)のアーキテクチャとソフトウェア処理の両面を一から見直した点にあると言われている。株式会社高速屋は、このPATの事業化のために設立された会社。

日本のIT産業の脆弱性
新庄会長は、現在の日本のIT産業の脆弱性を次のように指摘する。「どうも日本ではソフトウエアを根本から作ってやろうという気概はなくなっていて、クラウドにしても、オープンソースや誰でも知っている基本技術を組み合わせてつくろうという意識が蔓延している。そんなものでは、日本のローカル市場で若干市場が取れる程度で世界市場を席巻するには遠く及ばない」

インプリケーション
高速屋の開発理念にオープンソース化という考え方は存在しない。ここからのインプリケーションは、「いくら応用技術が優秀でも、Googleプラットフォームを取らない限り負ける」ということだろう。