風と、光と・・・

すべての人を照らすまことの光があって、世にきた。(ヨハネによる福音書1:9)

虹とあひたりー小中英之歌集『翼鏡』

螢田てふ駅に降りたち一分の間(かん)にみたざる虹とあひたり

今しばし死までの時間あるごとくこの世にあはれ花のさく駅
                     小中英之『翼鏡』
「虹」というと俳句では夏の季語となるようだが、この歌の虹は、「一分の間にみたざる」という言葉があるために「秋の虹」のように思える。私が師匠から譲り受けた古い俳句歳時記の「秋の虹」の項には、「夏の虹は色あざやかだが、秋の虹は色も淡くはかなく消えゆき、哀愁がふかい」と記されている。
2011年7月に砂子屋書房から出された『小中英之全歌集』の最後に「解題」として一つ一つの歌集の解説が載せられている。その中から、上掲歌が収められている歌集『翼鏡』藤原龍一郎氏の解説から以下に抜粋引用する。

 小中英之は散文をあまり書かなかったが、少ない文章の中に「駅ー、螢田」という、前掲の螢田の歌が、いかにして生まれたかを語ったものがある。まず、螢田という美しい駅名を知り「それは現実をはるかに超えた美しい「ひびき」であった。自然なるものーのもう一つ奥の幻、にひきつけられた思いがした。」と書く。そして螢田駅通いが始まったと言う。「まず、立春立夏立秋立冬の日は必ず行くことにし、実行した。また、雨が降った、木枯が吹いた、雪が降った、といっては通った。」そして、ある時、螢田駅のホームから、空に虹がかかっていたのを発見する。そして、次のように記している。

  それはまさに恩寵であった。虹がみえたといってはかえって嘘になる。「逢えた」という思いであった。これで螢田駅という美しい「ひびき」が、私の魂と照応したのである。それはまた螢田駅という美しい「ひびき」の奥の幻に黙って従ってきた日々であった。黙って従ってきたということによって、豊かな日々であった。自分にふさわしい方法の日々であった。そのために私自身の内的世界がふくらみ、虹に「逢えた」日に、外的現実を越えて、輝いたともいえる。だが「含羞」が残った。どうして「含羞」が残るのか、そのことについて告白しておこう。
  螢田という言葉の「ひびき」にひきつけられたのも、また虹がみえたのではなく「逢えた」であったのは、核時代という現代において、いつのまにか私自身が「自然」に対して「犯罪者」となっていたことに気づいたからなのである。こういった意識を、いまの短歌界では微視的、あるいは内向的とみるらしいが、たぶんそのことは外的現実に比重をかけすぎる考えによるものなのであろう。
  だが極端ないい方をすれば、みずからが「犯罪者」としての「含羞」を意識することによってのみ外的現実を微視することができるともいえよう。
             「短歌」一九七七年七月臨時増刊号

 言葉と現実が交感する恍惚を書いた前半から、後半は、一九七〇年代後半の微視的観念の小世界論に対する実作者側からの反論が展開されている。
     藤原龍一郎=文『小中英之全歌集』解題『翼鏡』より抜粋引用

民権のかげろふあたり感傷の水と流れてたえず音立つ
いくたびか希望断たれし涯(はて)ならん譲り葉の木に犬つながれて
老年に入りても合歓は好きな花いよよ貧窮さしせまりつつ
           『小中英之全歌集』(砂子屋書房)より

花合歓の眠れる如く立ちてをり 無力の淵に佇(た)つといふこと

関連過去記事
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http://d.hatena.ne.jp/myrtus77/20120906


● 草の実も木の実も浄き糧ならず鳥よ瞋りて空に交差せよ 柏崎驍二『北窓集』 ※「瞋」にルビ「いか」。
この歌集は、あの震災以後に出された詩歌の本のなかで…、もっとも信頼できるもののうちの一つであると私は思う。…。
東日本の震災の経験によって問われたり試されたりしたものは、日常のなかでの思想の在り方だった。…。もっと言うなら、生きていることの根拠のようなもの、自分がもっとも心を寄せているもの、それから価値を見いだしているもの・大切にしているものについての考え方を、否応なしに問われることになった。(抜粋引用)

● 「ネット右翼政権」=「安倍政権」の正体が暴露=露呈した日であった。
アメリカ帝国主義の世界軍事戦略のために、「自衛隊の米軍化」を約束する集団的自衛権=安保法案が、参議院で、強行採決されたようだが、安倍は、…、逆だろう。国民が、すでに、安保法案の中身を「理解」したからこそ、「反安保法案デモ」が拡大し、異様な盛り上がりを見せたのだろう。(中略)安倍は、4月、アメリカ議会で演説し、夏までには安保法案を採決することを約束した。…。植民地政権と植民地首相。それが、国民には、丸見えだった。(抜粋引用) 

● 0918戦争法案に反対する国会前抗議行動

(ツイートの写真↑は、SPYBOYさんのFotolifeより拝借したもの。)
夜を徹して闘った人達、みんないい顔してる(ミルトス)
  ↓

18日の関電前は、別の場所の安保法制への抗議に行かれた方もいらして少し少なめの5人だった。私は、出がけに小雨が降っていたので「げんぱつ はんたい!」の初代プラカードを持っていつもより30分ほど早めに行った。初めは関電前に立ち、他の方達が来られてから向かい側の歩道の方に移動した。
安保法案は通ってしまったようだが、上にリンクした若者達の顔は本当に良い顔をしていると思う。結論は同じでも、その時代にまともに向き合って生きるのと、冷笑しながら傍観して生きたのとでは、その後の自分の人生への満足度が違ってくるだろう。
私自身の人生を振り返っても、何もしないで過ぎてしまったことの方に多く悔いを残しているように思える。社会が、時代がどのようになろうと、満足して人生を終えることを目指して、今を生きたいと思う。
(ミルトス)