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福居伸宏 Nobuhiro Fukui https://fknb291.info/

まもなく『挑発する知』文庫版が筑摩書房から出ます! - MIYADAI.com Blog

 この種のポストモダン思想を真に受ける馬鹿は困るというのが仲正の主張ですが、『〈帝国〉』を真に受けたらアメリカン・グローバライゼーションに対して丸腰になってしまうというムフの主張はこれと似ます。ちなみにムフは、ギデンズやベックらの「市民社会」の境界線を疑わない似而非リベラルぶりを、ラディカル・デモクラシー的に批判します。
 ムフの「政治的なるものへの鈍感さ」は、私のシステム理論用語で言えば「真理の言葉よりも機能の言葉を重視せよ」という命題です。「真理の底が抜けるまで再帰的な観察を徹底せよ」と言ってもいい。ちなみに機能の言葉とは、全命題をif-then文とする――if-then文の前提をもif-then文とし、そのまた前提をもif-then文とする――言語ゲームです。
 20世紀後半的な言語ゲーム、あるいは「全ての認識は人が置いたものに過ぎない」という意味でのpositivism(実証主義という翻訳は間違いです)の本義を自覚する言語ゲームです。それと比較すると、真理の言葉は明白に19世紀的で、その分「政治的なるもへの鈍感さ」を帰結しやすいと言えます。私の考えでは、左翼的言説が陷りやすい陥穽です。

 私の知る限り、ヨーロッパの教養人たちは、こうしたアメリカ的な特殊性に意識的です。例えばアメリカ流フェミニズムを真に受ける唐変木はいません。アメリカ流市民宗教の派生物を手放しで礼賛したりはしないのです。なぜならこうした市民宗教こそがブッシュ政権の背景だからです。だからムフによるマルチチュード(雜民)論への疑いは、自然です。
 ところが日本の教養人はアメリカの特殊性が分からない。「エヴァンゲリオン」批評でも、作品の設定が、ゼーレ的神学とゲンドウ的神学とシンジ&ミサト的神学という3つの救済観的意味論のせめぎ合い、というシンプルな図式であることが分からない。宗教的背景に言及する人もいますが、ペダンティックの域を出ない。神学リテラシーが低いのです。
 『諸君!』『正論』的な論壇人が、こうしたアメリカの特殊性についての教養を全く欠いたまま、「日本はアメリカなしではやっていけない」などと素朴にホザくでしょう。「アメリカなしではやっていけない」と思うように仕向けることをソフトパワーと呼ぶことを知らないのも問題だけど、それもそもそもアメリカの特殊性への認識欠落に由来しますね。

 私は映画批評の仕事もしていますが、アメリカのドキュメンタリーは極めて特殊です。マイケル・ムーアでもいいし、アル・ゴアの『不都合な真実(An Inconvenient Truth)』でもいいのですが、「みんなはアイツが悪い奴だと思っているけど、本当に悪い奴はコイツだ!」とフィンガーポインティングする作品ばかり。
 要は、ブッシュ政権プロパガンダに対する、ムーアやゴアからのカウンタープロパガンダなのです。カウンタープロパガンダプロパガンダの一種です。だから、二元論的な勧善懲悪で、感情的フック(感情の釣針)とカタルシス(感情の浄化)に満ちています。ヨーロッパの教養人から見ると、「え? それってドキュメンタリーなの?」と感じます。
 ヨーロッパの人たちはドキュメンタリーもアートだと捉えます。アート(芸術)とは初期ロマン派的な観念で、接触した後に日常を脅かされてしまうものを言う。接触した後に地面が液状化したように感じられる作品だけが、アートです。二元論的勧善懲悪は、日常の感情的作法を延長しただけだからアートではなく、だからドキュメンタリーじゃない。

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>>>宮台、東浩紀の〒(郵便)本を語る その1〜3 - 宮台真司東浩紀を語る!
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