ラジオの新たなかたち・私論 〔第19話〕

**昭和の終わりと時代の転換期20年代(その3)**


〔専門家による戦後史としての80年代〕つづき

 1880年代を専門家はどのように捉えるか。前回は近現代史に詳しい半藤利一の見方を紹介したが、今回は京都大学教授の佐伯啓思の見方を掻い摘んで紹介する。佐伯の著書「日本の宿命」(新潮新書)によると、戦後という時代は大きく2つに分けられるという。前半が終戦から1980年代までと、後半の1990年から現在までの期間で、80年代と90年代では大きく時代が変化する。それは昭和の終焉と冷戦体制の崩壊やグローバリズムと重なっていること、また日本人の精神史的にみても、戦後という意識そのものの変化とも重なるという。昭和から平成への移行は1つの時代の終わりと始まりを伝えている。

戦後昭和の前半期は、民主化平和憲法、経済発展などは、第2の「文明開化」のようなものであった。しかしその成功の過程では、意識しようとしまいと「アメリカ」という存在があった。日米安保体制という軍事上の依存があり、圧倒的な経済力が日本を支え、民主主義や自由主義アメリカをお手本とした。それだけではなく、アメリカ的豊かな生活をモデルにして貪欲に働いたのではなかったか。アメリカという影は歴然と存在していたと思う。
佐伯はこうもいう。明治の「第1の文明開化」を成功させたように、戦後は「第2の文明開化」を見事に成し遂げる。

一方、国民の精神史から眺めると、欧米に追い付き追い越せという物質的豊かさを求めて、寸暇を惜しみ働いた世代、高度成長から安定成長を経験し豊かになったが、その中心になった世代には戦争犠牲に対する“深い思い”というものがあり、この思いが残る限り「戦後」の繁栄を無条件で受け入れ、肯定することはできない意識があった。80年代とは経済繁栄のなかにこうした「戦後の精神」も終わりとなっていったという。

佐伯は戦後の前半と80年代を以上のように語っているが、半藤一利と通じるところがある。戦後の時代の転換期として80年代を認識することは、これから時代を考えるうえで、貴重な示唆を与えてくれるであろう。これまで80年代の社会状況を多少多めに触れてきたが、60年代のアメリカに追付け追い越せの高度成長期、70年代の低成長ながら豊かさを追求したポスト高度成長前半、そして80年代はアメリカに経済の面で追付いた我々は新たな価値観を持たねばならない時期ながら、後半はバブルに浮かれる時代を過ごしてしまった。

 こうした稀にみる体験から、後の長期不況を予期することなく、バブル景気の崩壊という現実を迎えた。バブル景気崩壊という予測は専門家の間で察知されていたのであろうが、一般庶民にはある日突然訪れたという印象が強い。こうして国民的な浮いた気持ちがツケとして長い不況を経験することになる。この珍しい体験の時代に、民放ラジオはどんな活動をし、何を社会に提供していったのか、詳しく見ていく必要がある。なぜならば、この時期の体験が、この後続くことになり長期不況(失われた10年)と現在苦しんでいるラジオの衰退状況の発端を見て取れるかも知れないからである。(つづく)









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