タイムスリップ物語 49

「今すぐ貴様を宇土城へ帰還させる」

清正と行長は並んで隈本城内の廊下を歩いていた。
加藤家の家臣らはその姿を見るや、滑稽だなと小声で話していた。
行長が万が一の行動に出ないよう、家臣の一人が行長のすぐ後ろを
ついてまわった。
それでも清正が自分の隣に行長を並ばせるということは、
清正自身の気持ちがだいぶ変わったということだ。
「僕を逃がしてもええんか?」
「ああ。その代わり、我ら加藤家と同盟を結んでもらう」
「同盟…」
「俺は明日にも黒田如水殿のもとへ向かう。戦を急ぎ止めさせる。
その間我々の背後の小西家に不穏な動きがあっては困る。
それに、一応公にはまだ俺と貴様は敵同士だからな」
「ふうん…」
「大坂で三成が未だ徳川方と再度戦を交えているというのが事実なら、
それを援護するカタチにまわらねばなるまい」
「つまり、三成はんの肩を持つっちゅうことやな」
「ああ。だが九州から大坂まで駆けつけるには時間がかかる。
そこで俺は、ここに残り、己にできることをする」
「……あの如水はんを、どう説得するつもりや?」
「まだ考えてない」
「アホかいな」
「…極力武力行使は避ける。貴様は黙って俺が成果を上げるのを待っていろ」
まだ朝日の昇らぬうちに、清正と行長は密約を交わし、
行長は護衛に守られて宇土城へ帰還した。
城の者の喜びは尋常でなかった。
行長もまさか生きてここへ戻って来られるとは、敗戦当初、思ってもみなかった。

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10月11日。
清正は牢屋から結のみを出した。
結は、胸を撫で下ろしながら隼人のことを尋ねた。
が、清正はまだ隼人の釈放は出来ないと言った。
徳川の家臣たる隼人の処断は徳川が握る。
故にまだ監視を怠ることは表向き上出来ないのであった。
「案ずるな。隼人の弁護はできる限りしてやる。
それよりも結、お前に話がある」
「話…?」
「まず、小西を奴の居城である宇土へ送り帰した」
「本当ですか」
「ああ。その上で加藤家とは戦をしないことを約束させた。
次に、我ら加藤家は三成の味方をする」
「!」
「そのために、俺は九州での戦を終わらせる」
「えっと…黒田さん、でしたっけ」
「よく分かったな」
清正は感心した。
「これから黒田如水殿の説得に向かう。お前に、
ここ隈本の留守を頼みたい」
「え?!」
「何もお前一人に任せるわけではない。城に残る者たちと
共に城を守ってくれればそれでいい」
「なるほど…」
「できれば、至急大坂へ駆けつけたいのだが、何分遠くてな。
お前達も、ここに来るまで日数がかかっただろう」
「はい」
「俺は三成を信じてみる。今度こそ負けぬと」
「……徳川さんとは、敵対しちゃうんですか?」
「………」
清正は沈黙した。
加藤清正の立場が不明である。
西軍に肩入れした隼人を捕らえ、徳川の処置を待つ一方、
西軍の小西行長を己の意志で助命し宇土へ帰還させ、三成の味方をすると言った。
東軍とも、西軍とも取れる清正の行動には、危険を伴った。
これは清正の判断ミスかもしれない。
これならば、清正はもう西軍に味方するしかないのではないか。
そう、結は思っていた。
三成に味方するということは、西軍の肩を持つということ。
問題は、黒田如水という大物らしい人物をどう押さえ込むかであって。
「西軍の石田さんに味方するなら、西軍のみんなを守ってくれた隼人君を
自由にしてあげても良いんじゃないですか…?」
結は清正を見上げた。
「……確かにそうだ。俺の行動は矛盾していた」
清正の手が結の頭に下りた。
ポンポンと、平手で結の頭を優しく叩いて笑ってみせた。
「中途半端はいけないな…」
「……」
「隼人を解放しよう」
「本当?!」
「嬉しそうだな」
「だって…隼人君がいなかったら、私、ここまで来れなかった…
石田さんや小西さんだって、隼人君がいたから助けることができました。
隼人君は、徳川家の家臣なのに、私のために、危険を冒して…」
「そうだな」
清正は直ちに家臣に隼人の釈放を命じた。
それからすぐに、隈本を発ち、黒田如水の説得に向かった。

結は隼人と会い、隈本城の中の一室で会話をした。
時々加藤家の者が監視に来ることもあったが、二人は至って従順だった。
加藤家に逆らうつもりなど、毛頭なかった。
結は素直に隼人との再会を喜んでいた。
隼人も、改めて清正の器量を感じた。
「清正さんの説得が成功したら、九州での戦いはなくなるって」
「へぇ」
「清正さんも石田さんに協力してくれるって」
「そうか…」
「……ねぇ、隼人君。隼人君は、これからどうしよう」
「深刻な顔すんなよ」
「私、嬉しかった。隼人君が私のワガママについてきてくれて…
でも。私のせいで隼人君はもう、徳川さんのところには、戻れない…」
「…半分は俺の判断でそうしたんだ。仕方ないだろう」
「……」
「帰る家がなくなったのなら、浪人にでも農民にでもなれるしさ」
「…ごめん」
「だから今更謝るな。良いんだ。俺にも未来人の心があった。
それだけのことだ」
隼人は決めた。
もう、徳川家には戻らないと。縁を切ると。
関ヶ原で東軍に寝返った連中と同じように裏切り者の扱いを受けることに
なっても、へこたれないのだと。
今、隼人が為すべきことは…
「隼人君?」
「おお…すまねえ…考え事してた」
「…私、これからは、なるべく隼人君を頼らずに頑張るから」
「……」
「清正さんや石田さんの努力が報われて、みんな助かったら
私、その先もこの時代で生きていく」
「何でっ…!未来に帰りたくねえのかよ」
「帰れたとしても、10年後でしょ?隼人君だって、ここで10年も
過ごしたの。私にもできる」
「…一生、過ごすのか?」
「分かんない。もし目の前に未来へ帰る入口が開けたら、帰るかも。
でも、それまでに、この時代に愛着がわいてそうで…迷っちゃうかも」
「もし帰れる時が来たら、結は帰った方がいい」
「どうして?」
「この時代、女にはキツい。お前、ただでさえ俺がいなきゃ
とっくに死んでたかもしれねえのに、無理だよ。それに…」
「それに…?」
「結のかーちゃんやとーちゃんがお前の帰りを待ってるだろうよ」
「……」
「お前は家族や友人に恵まれていたはずだ」
「それなら隼人君も一緒よ」
「俺は違う」
「え?」
隼人は暗い面持ちで話を続けた。
「…俺は、生まれてすぐに両親が離婚して、母親の手一つで育ってきた。
でもそのお袋も、俺が小学校に入る頃には新しい男捕まえてきて、
俺のことなんか省みなくなった。そのうちお袋はその男に捨てられて、
後にお袋の親戚の家に遊びに行くという名目で俺は捨てられたんだ」
「捨てられた…?!」
「親戚に俺を預けて一人で東京に帰っちまった。酷い母親だった」
「…本当なの?」
「お袋が帰った後、親戚に遠まわしに伝えられた。
捨てられたってすぐ分かった。それで、ヤケ起こして
一人で田んぼの畦道を走り回って、それで…」
隼人の肩が震えているのが分かり、結は話を制止した。
「もういいよ」
結は知らなかった。いや、知る由もなかったが、
隼人の未来での人生も、過去での人生も、決して素晴らしいものでは
なくて、彼に下手な言葉はかけられなかった。
これならば未来に帰りたいと思わなくなるのも分かった。
しかし、あまりにも不憫だった。
隼人は泣きはしない。ただ、このことを話すのもツラかっただろう。
隼人の母親代わりとなった江戸の未来人・幸江からも一切聞かされていない。
あえて話さなかったか、幸江ですら知らなかったか、真相は明らかでないが、
話してくれた隼人に感謝した。

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10月6日、大坂の夜。
福島正則浅野幸長の裏切りが出た徳川方には動揺が見られた。
そもそも、豊臣恩顧代表格の正則があっての東軍であった。
正則がいなくなった今、東軍は、単に豊臣に牙をむく集団に過ぎなかった。
前から警戒こそされていたものの、いざ裏切りを防げなかったとなると、
無念さが残った。
正則を繋ぎとめていた黒田長政もすっかり落ち込んでいた。
この日の夜、藤堂高虎は、警戒されていた中で唯一東軍を裏切らなかった
加藤嘉明を部屋に呼んだ。
この二人も互いに不仲であったが、嘉明は素直に応じた。
早速高虎は此度の件のことを聞き出した。
「アンタは前日に、福島・浅野両名の裏切りをほのめかす内容の
言葉を聞いていないか」
すると嘉明は無表情のまま鼻をふんと鳴らして答える。
「それくらい、お前はとうに知ってるのだろう」
「何故そう思う」
「大坂で戦を始める前から、俺達のことを警戒していて、
俺達の話の内容などは全て、忍などを通して筒抜けだったはずだ」
「なんだ!分かってたのかい…」
「……それくらい、承知の上だ」
「んじゃ話がはえーや!結果的にあの二人は裏切ってくれた。
そんで…アンタはどうなんだい」
「疑っているのか…」
「アンタだけ裏切らなかったのが不思議だよ」
「………」
嘉明はそっぽを向いた。
「……俺は、既に一度裏切った。また裏切れと言うのか…」
「……」
「そもそも市松が東軍についたのは、長政らに騙されたようなもの。
故に、今回の市松の行為を批判するつもりはない。
何度も何度も主を変える誰かとは違う」
「皮肉だねえ!まぁ、一度裏切ったら何度やっても同じだと思うが」
高虎は笑った。目は、笑っていない。
「じゃあ俺、アンタの覚悟をしかとこの目で見たいから、
もし今後大坂方との戦で福島正則浅野幸長が出てきたら、
アンタにアイツらの相手をしてもらおうかね…?」
「!」
「余裕だろ」
「……ああ」
皮肉はどっちだ、と嘉明は内心で思った。
しかし、正則達と直接刃を交えねばならぬのは、少々、心苦しかった。