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2018年06月21日(Thu) 『人間・この劇的なるもの』 このエントリーを含むブックマーク このエントリーのブックマークコメント

 自然のままに生きるという。だが、これほど誤解されたことばもない。もともと人間は自然のままに生きることを欲していないし、それに堪えられもしないのである。程度の差こそあれ、だれでもが、なにかの役割を演じたがっている。また演じてもいる。ただそれを意識していないだけだ。そういえば、多くのひとは反撥を感じるであろう。芝居がかった行為に対する反感、そういう感情はたしかに存在する。ひとびとはそこに虚偽を見る。だが、理由はかんたんだ。一口にいえば、芝居がへたなのである。

── 福田恆存『人間・この劇的なるもの』


人間・この劇的なるもの (中公文庫)

人間・この劇的なるもの (中公文庫)

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2018年06月20日(Wed) アドラーの本当の豊かさを手にする方法 このエントリーを含むブックマーク このエントリーのブックマークコメント

アドラー心理学から考える本当の豊かさを手にする方法」(All About

 → https://allabout.co.jp/gm/gc/474926/

お金はあくまでも付属物。それを目的にしないことが大事

私たちは自分で人生を作っていかなければならない。」「私たちは自分自身の行動の主人公である」とアドラーは著書の中で言います。アドラー心理学に詳しい岩井俊憲さんに、人間の心の持ち方とお金&成功の法則について聞きました!(第4回『アドラー心理学でお金持ち体質!行動を変えて成功者に』から続きます)


もそも本当に成功している人、お金にも人にも恵まれている人は、最初から成功やお金を目的に行動していません。彼らはお金はあくまでも結果として付いてきたものであり、本来の目的は別にあると考えています。

たとえばいま大リーグで大活躍している大谷選手はおそらく今年ではなく、来年移籍したら契約金はもっと上がっていたでしょう。しかし彼はお金ではなく大リーグ二刀流を試すという目的があり、それに従ったのです。古くは日本人選手として大リーグにほぼ初めて挑戦した野茂英雄投手も、日本球界での年俸とは比較にならない安い年俸ドジャーズに移籍しました。

経営者でいえば最近ならばJAL再建にまい進した稲盛和夫さんでしょう。JALという大企業を立て直すのに、なんと無報酬でその大役を引き受け、見事再建に成功しました。では稲盛さんは全くのタダ働きで損をしたでしょうか? 結果として世間の彼に対する評価は高まりました。彼を慕い尊敬する若い人たちが彼のもとを訪ね、盛和塾という経営塾を開き後進を育てています。

真の成功者というのは、彼のように多くの人が集まる。人が集まればそこに縁が生まれ、機会が生まれ、仕事が生まれます。そして結果としてお金も集まり人生は豊かになっていくのです。


お金を目的にしたら人生はしぼんでいく

お金はあくまでも結果として付いてくるもの。ところがお金を目的にしてしまう人がいます。お金を稼ぎ増やすことが最終目標ですから、なりふり構わない。一時的にそういう人は稼ぐことができるかもしれませんが、結局長続きしません。バブルの時に派手にお金儲けした多くの人が、その後消えたように、継続的な成功は難しいのです。

そういう人の周りには本当に力になってくれる人が集まりません。羽振りの良さにあやかろうという人や、上手にだましてお金を巻き上げようというよこしまな人物、怪しい人間たちが寄ってきます。結局お金の切れ目が縁の切れ目で、状況が悪くなるとクモの子を散らすように去っていきます。

つねに自分がトクをしたいと考える人は、継続的に成功することは難しい。さらに言えば本当に豊かな人生を送ることはできないのです。


共同体感覚」を育むことが人間の最終的な目的

アドラーは人間の最終的な目的は「共同体感覚」であると言います。社会的存在である私たち人間は、共同体の中でそれぞれが自分の役割と存在意義を持ち、居場所を持つことで幸せを感じるようにできているのです。

アドラーから言わせれば、どんなにお金をたくさん持っていても家族や仲間たち、自分を支えてくれる仲間たちがいない人は決して幸福ではないということです。前の回で人間の悩みや問題は突き詰めるとすべて人間関係から来るものだというアドラーの指摘もそこに関連しています。つまり人間として私たちが生きる最終目的は、いかに良い共同体を作り、そこで他者と関わりながら成長するということなのです。


Give and takeではなくgive and giveが大事

では、よい共同体を作り、そこに属し、良い関係を築くにはどうしたらよいのでしょうか?

それは究極的には我欲を捨てること。そして他者に与えること。それもgive and takeではなく、give and give。ひたすら与え続けることだとアドラー心理学では考えます。

与え続けたら自分のものがなくなってしまう? とてもそんな余裕はない? もちろん自分のすべてを与えることは難しいでしょう。しかし他者に対して何かしてあげたい、役に立ちたいという思いを持っていれば、日常のちょっとした行動にその片鱗が現れてくるはずです。

たとえば人が嫌がるような仕事もあえて引き受ける。一見すると何の得にもならない忘年会や社内行事の幹事や役員を引き受ける。同僚や部下と飲みに行ったときに奢ったり、少し多めに払う……。ちょっとした日常の自己犠牲を積み上げていくことで、大きな流れとしてそれは必ず帰ってきます。


陰徳を積み、見返りを求めない人が成功する

あるいは人の見ていないところでごみを拾ったり掃除をしたりする陰徳を積むこと。見返りを求めず、他者のために労を惜しまない人は、不思議と人の評価が上がり、人が寄ってくる人物になっていくのです。

独特の存在感、説得力がある人物があなたの職場にもいるのではないでしょうか? おそらくそういう人は自己犠牲と陰徳ということを実践しているはずです。

聖書ではこの事を「与えられるより、与える方が幸いである」と表現しています。他者に与えること、そして見返りを期待せず、陰徳を積むこと。それが他者との関係を豊かに築き上げ、アドラーの言う人間の最終目的である共同体感覚を目覚めさせます。その結果として、お金も含めて、豊かな人生を実現することになるのです。

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2018年06月19日(Tue) 桜桃忌 このエントリーを含むブックマーク このエントリーのブックマークコメント

 太宰の自殺は、自殺というより、芸道人の身もだえの一様相であり、ジコーサマ入門と同じような体をなさゞるアガキであったと思えばマチガイなかろう。こういう悪アガキはそッとしておいて、いたわって、静かに休ませてやるがいゝ。

 芸道は常時に於て戦争だから、平チャラな顔をしていても、ヘソの奥では常にキャッと悲鳴をあげ、穴ボコへにげこまずにいられなくなり、意味もない女と情死し、世の終りに至るまで、生き方死に方をなさなくなる。こんなことは、問題とするに足りない。作品がすべてゞある。

── 坂口安吾(『太宰治情死考』)

今日は桜桃忌


桜桃忌:没後70年・太宰治しのぶファン 三鷹禅林寺に」(毎日新聞

 → http://mainichi.jp/articles/20180619/k00/00e/040/214000c

太宰治の特別展始まる 三鷹での執筆、暮らしに迫る」(東京新聞

 → http://www.tokyo-np.co.jp/article/tokyo/list/201806/CK2018061702000111.html


明日もまた、同じ日が来るのだろう。幸福は一生、来ないのだ。それは、わかっている。けれども、きっと来る、あすは来る、と信じて寝るのがいいのでしょう。

── 太宰治『女生徒』

太宰治文学サロン』(三鷹市芸術文化振興財団) http://mitaka.jpn.org/dazai/

『山梨県立文学館』 http://www.bungakukan.pref.yamanashi.jp/


 自分を忘れたい、ウソつけ。忘れたきゃ、年中、酒をのんで、酔い通せ。これをデカダンと称す。屁理窟を云ってはならぬ。

 私は生きているのだぜ。さっきも言う通り、人生五十年、タカが知れてらア、そう言うのが、あんまり易しいから、そう言いたくないと言ってるじゃないか。幼稚でも、青くさくても、泥くさくても、なんとか生きているアカシを立てようと心がけているのだ。年中酔い通すぐらいなら、死んでらい。

 一時的に自分を忘れられるということは、これは魅力あることですよ。たしかに、これは、現実的に偉大なる魔術です。むかしは、金五十銭、ギザギザ一枚にぎると、新橋の駅前で、コップ酒五杯のんで、魔術がつかえた。ちかごろは、魔法をつかうのは、容易なことじゃ、ないですよ。太宰は、魔法つかいに失格せずに、人間に失格したです。と、思いこみ遊ばしたです。

 もとより、太宰は、人間に失格しては、いない。フツカヨイに赤面逆上するだけでも、赤面逆上しないヤツバラよりも、どれぐらい、マットウに、人間的であったか知れぬ。

 死ぬ、とか、自殺、とか、くだらぬことだ。負けたから、死ぬのである。勝てば、死にはせぬ。死の勝利、そんなバカな論理を信じるのは、オタスケじいさんの虫きりを信じるよりも阿呆らしい。

 人間は生きることが、全部である。死ねば、なくなる。名声だの、芸術は長し、バカバカしい。私は、ユーレイはキライだよ。死んでも、生きてるなんて、そんなユーレイはキライだよ。

 生きることだけが、大事である、ということ。たったこれだけのことが、わかっていない。本当は、分るとか、分らんという問題じゃない。生きるか、死ぬか、二つしか、ありやせぬ。おまけに、死ぬ方は、たゞなくなるだけで、何もないだけのことじゃないか。生きてみせ、やりぬいてみせ、戦いぬいてみなければならぬ。いつでも、死ねる。そんな、つまらんことをやるな。いつでも出来ることなんか、やるもんじゃないよ。

 死ぬ時は、たゞ無に帰するのみであるという、このツツマシイ人間のまことの義務に忠実でなければならぬ。私は、これを、人間の義務とみるのである。生きているだけが、人間で、あとは、たゞ白骨、否、無である。そして、ただ、生きることのみを知ることによって、正義、真実が、生れる。生と死を論ずる宗教だの哲学などに、正義も、真理もありはせぬ。あれは、オモチャだ。

 然し、生きていると、疲れるね。かく言う私も、時に、無に帰そうと思う時が、あるですよ。戦いぬく、言うは易く、疲れるね。然し、度胸は、きめている。是が非でも、生きる時間を、生きぬくよ。そして、戦うよ。決して、負けぬ。負けぬとは、戦う、ということです。それ以外に、勝負など、ありやせぬ。戦っていれば、負けないのです。決して、勝てないのです。人間は、決して、勝ちません。たゞ、負けないのだ。

 勝とうなんて、思っちゃ、いけない。勝てる筈が、ないじゃないか。誰に、何者に、勝つつもりなんだ。

── 坂口安吾『不良少年とキリスト』

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2018年06月18日(Mon) 三角・大倉・奥三角 このエントリーを含むブックマーク このエントリーのブックマークコメント

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2018年06月17日(Sun) 一日一言「死は待つもの」 このエントリーを含むブックマーク このエントリーのブックマークコメント

六月十七日 死は待つもの


 ぼんやりと考えていればこれほど恐ろしいものはないが、よくよく考えてみれば、これほど切ないものはないと思うのは、死である。深く考えれば鬼のようであるが、さらに深く考えてみると、これは天の使いではなかろうか。そうであれば、死はいつ来てもよいように、これを待たなければならないが、自分から死を迎えてはならない。


  かほどまで偽多き世なれども

      死ぬるばかりは偽でなし


── 新渡戸稲造(『一日一言』)


安吾センセに曰く、

 死ぬ時は、たゞ無に帰するのみであるという、このツツマシイ人間のまことの義務に忠実でなければならぬ。私は、これを、人間の義務とみるのである。生きているだけが、人間で、あとは、たゞ白骨、否、無である。そして、ただ、生きることのみを知ることによって、正義、真実が、生れる。生と死を論ずる宗教だの哲学などに、正義も、真理もありはせぬ。あれは、オモチャだ。

── 坂口安吾『不良少年とキリスト』

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2018年06月16日(Sat) 「イノベーションごっこ」に陥るエリートたち このエントリーを含むブックマーク このエントリーのブックマークコメント

「教養がない人々が語る『常識を疑え論』のワナ」(東洋経済オンライン

 → https://toyokeizai.net/articles/-/224981

日大アメフト部監督による暴行指示、財務省による森友・加計問題に関する情報操作、大手メーカーによる度重なる偽装・粉飾など、日本型組織の問題点が表面化したニュースが増えています。『武器になる哲学』の著者で、哲学科出身の外資系コンサルタントという異色の経歴を持つ山口周さんは、その根本的な原因について教養という視点から指摘しています。


日本でイノベーションが起きない根本原因

 筆者がコンサルタントとして日々仕事をしていて、日本のビジネスパーソンに一番欠けていると感じるのが、「アジェンダを定める」力です。アジェンダとは「課題」のことです。なぜ「課題を定める」ことが重要かというと、これがイノベーションの起点となるからです。

 今日、多くの日本企業ではイノベーションが経営課題の筆頭として取り組まれていますが、率直に言って、そのほとんどは「イノベーションごっこ」だと筆者は思っています。なぜそう言い切れるかというと、ほとんどのケースで「課題」が設定されていないからです。

 すべてのイノベーションは、社会が抱えている「大きな課題」の解決によって実現されていますから、「課題設定」のないところからイノベーションは生まれません。「課題設定」というイノベーションの「魂」が抜け落ちたまま、表面的に外部からアイデアを募る仕組みやアイデアを練り上げるプロセスを整備しただけで、「オープンイノベーションをやっています」という状況ですから、これは「ごっこ」と言うしかありません。

 筆者はこれまで、社会から「イノベーター」と認められている人々に数多くのインタビューを実施しましたが、そこで特徴的だったのは、そのうちの誰一人として「イノベーションを起こしてやろう」と考えていなかった、ということです。彼らは「イノベーションを起こそう」と思って仕事をしているのではなく、必ず具体的な「解決したい課題」があって仕事をしています。イノベーションの停滞が叫ばれて久しいですが、停滞の最大の原因となっているボトルネックは「アイデア」や「創造性」ではない、そもそも解きたい「課題=アジェンダ」がないということです。

 そうなると「課題設定の能力」が重要だということになるわけですが、ではどうすれば「課題設定能力」を高めることができるのか? 鍵は「教養」ということになります。

 イノベーションというのは、常に「これまで当たり前だったことが当たり前でなくなる」という側面を含んでいます。これまで当たり前だったこと、つまり常識が疑われることで初めてイノベーションは生み出されます。

 一方で、すべての「当たり前」を疑っていたら日常生活は成り立ちません。なぜ信号の「ススメ」は青で「トマレ」は赤なのか、なぜ時計は右回りなのか、などといちいち考えていたら日常生活は破綻してしまうでしょう。ここに、よく言われる「常識を疑え」というメッセージの浅はかさがあります。

 イノベーションに関する論考では、よく「常識を捨てろ」とか「常識を疑え」といった安易な指摘がなされますが、そのような指摘には「なぜ世の中に常識というものが生まれ、それが根強く動かし難いものになっているのか」という論点についての洞察がまったく欠けています。「常識を疑う」という行為には実はとてもコストがかかるわけです。一方で、イノベーションを駆動するには「常識への疑問」がどうしても必要になり、ここにパラドクスが生まれます。

 結論から言えば、このパラドクスを解く鍵は1つしかありません。重要なのは、よく言われるような「常識を疑う」という態度を身につけるということではなく、「見送っていい常識」と「疑うべき常識」を見極める選球眼を持つということです。そしてこの選球眼を与えてくれるのが、空間軸・時間軸での知識の広がり=教養だということです。

 自分の持っている知識と目の前の現実を比べてみて、普遍性がより低い常識、つまり「いま、ここだけで通用している常識」を浮き上がらせる。スティーブ・ジョブズは、カリグラフィーの美しさを知っていたからこそ「なぜ、コンピューターフォントはこんなにも醜いのか?」という問いを持つことができたわけですし、エルネストゲバラプラトンが示す理想国家を知っていたからこそ「なぜ世界の状況はこんなにも悲惨なのか」という問いを持つことができました。

 目の前の世界を、「そういうものだ」と受け止めてあきらめるのではなく、比較相対化してみる。そうすることで浮かび上がってくる「普遍性のなさ」にこそ疑うべき常識があり、教養はそれを映し出すレンズとして働いてくれるということです。


なぜ、機長のほうが副操縦士より事故が多いのか?

 この「比較相対化」のひとつとして、オランダの社会心理学者、ヘールト・ホフステードが紹介した「権力格差」というキーコンセプトを例にあげてみましょう。

 皆さんもよくご存じのとおり、通常、旅客機では機長と副操縦士職務を分担してフライトします。副操縦士から機長に昇格するためには通常でも10年程度の時間がかかり、したがって言うまでもなく、経験・技術・判断能力といった面において、機長は副操縦士より格段に優れていると考えられます。

 しかし、過去の航空機事故の統計を調べると、副操縦士が操縦桿を握っている時よりも、機長が操縦桿を握っている時のほうが、はるかに墜落事故が起こりやすいことがわかっています。これは一体どういうことなのでしょうか?

 この問題は、組織というものが持っている、不思議な特性が現れています。組織を「ある目的を達成するために集められた2人以上からなる集団」と定義すれば、航空機コクピットというのは最小の組織であると考えることができます。

 組織の意思決定クオリティを高めるには「意見の表明による摩擦の表出」が重要です。誰かの行動や判断に対して、他の誰かが「それはおかしい」と思った際に、遠慮なくそれを声に出して指摘することが必要なわけです。つまり、航空機コクピットにおいては、片方の判断や行動について、別の片方が反対意見を遠慮なく言える、ということが重要になるわけです。

 さて、副操縦士が操縦桿を握っている場合、上役である機長が副操縦士の行動や判断に対して意義を唱えることはごく自然にできることだと考えられます。一方、逆のケースではどうでしょうか? 機長が操縦桿を握っている際、目下である副操縦士は機長の行動や判断に対して反対意見を唱えられるでしょうか? おそらく、なんらかの心理的抵抗を感じるはずです。そしてその心理的抵抗から、自分の懸念や意見を封殺してしまった結果が、「機長が操縦桿を握っている時のほうが、事故が起こりやすい」という統計結果に出ていると考えることができます。

 上役に向かって反論する際に部下が感じる心理的な抵抗の度合いには、民族間で差があるということがわかっています。オランダ心理学者ヘールト・ホフステードは、全世界で調査を行い、この「部下が上役に対して反論する時に感じる心理的な抵抗の度合い」を数値化し、それを「権力格差指標=PDI(Power Distance Index)」として定義しました。


「部下にとって上司は近づきがたい」存在

 ホフステードは、もともとマーストリヒトにあるリンブルフ大学の組織人類学および国際経営論の研究者でした。1960年代初頭において、すでに国民文化および組織文化の研究の第一人者として国際的に著名だったホフステードは、IBMからの依頼を受けて1967年から1973年の6年間にわたって研究プロジェクトを実施し、その結果IBMの各国のオフィスによって管理職と部下の仕事の仕方やコミュニケーションが大きく異なること、それが知的生産に大きな影響を与えていることを発見しました。

 ホフステードは多くの項目を含む複雑な質問表をつくりあげ、長い年月のうちに各国から膨大な量のデータを回収し、さまざまな角度から「文化的風土がもたらす行動の差異」についての分析を行っています。その後の彼の論考のほとんどは、この時の研究を何らかの形でベースとしています。

 具体的には、ホフステードは文化的差異に着眼するに当たって、次の6つの「次元」を定義しており、今日、これらは一般に「ホフステードの6次元」として知られています。

  1. Power distance index(PDI)上下関係の強さ
  2. Individualism(IDV)個人主義的傾向の強さ
  3. Uncertainty avoidance index(UAI)不確実性回避傾向の強さ
  4. Masculinity(MAS)男らしさ(女らしさ)を求める傾向の強さ
  5. Long-term orientation(LTO)長期的視野傾向の強さ
  6. Indulgence versus restraint(IVR)快楽的か禁欲的か

 ホフステードは権力格差について「それぞれの国の制度や組織において、権力の弱い成員が、権力が不平等に分布している状態を予期し、受け入れている程度」と定義しています。

 イタリア   :50

 アメリカ   :39

 カナダ    :39

 旧西ドイツ  :35

 イギリス   :35

 上記は、先進7カ国の権力格差を一覧にしたものです。これによると、イギリスは権力格差の小さい国なのですが、そうした国には特徴があります。人々の間の不平等は最小限度に抑えられる傾向にあり、権限分散の傾向が強く、部下は上司が意思決定を行う前に相談されることを期待し、特権やステータスシンボルといったものはあまり見受けられません。

 これに対し権力格差の大きい国では、人々のあいだに不平等があることはむしろ望ましいと考えられており、権力弱者が支配者に依存する傾向が強く、中央集権化が進みます。

 以上より、権力格差の違いは職場における上司・部下の関係性のあり方に大きく作用することになります。

 端的にホフステードは「権力格差の小さいアメリカで開発された目標管理制度のような仕組みは、部下と上司が対等な立場で交渉の場を持てることを前提にして開発された技法であり、そのような場を上司も部下も居心地の悪いものと感じてしまう権力格差の大きな文化圏ではほとんど機能しないだろう」と指摘しています。

 なお想像に難くないことですが、やはり日本のスコア相対的に上位に位置しています。

 ホフステードは、韓国や日本などの「権力格差の高い国」では「上司に異論を唱えることを尻込みしている社員の様子がしばしば観察されており」、「部下にとって上司は近づきがたく、面と向かって反対意見を述べることは、ほとんどありえない」と同調査の中で指摘しています。


どのような影響を及ぼすのか

 さて、では権力格差の大きさは具体的にどのような影響を及ぼすのでしょうか。現在の日本の状況を考えると、2つの示唆があるように思えます。

 1つ目の示唆は、コンプライアンスの問題です。組織の中で、権力を持つ人によって道義的に誤った意思決定が行われようとしている時、部下である組織の人々が「それはおかしいでしょう」と声を上げられるかどうか。ホフステードの研究結果は、わが国の人々は、他の先進諸国の人々と比較して、相対的に「声を上げることに抵抗を覚える」度合いが強いことを示唆しています。

 2つ目の示唆は、イノベーションに関する問題です。科学史家のトーマス・クーンは、パラダイムシフトを起こす人物の特徴として「非常に年齢が若いか、その領域に入って日が浅い人」という点を挙げています。これはつまり、組織の中において相対的に弱い立場にある人のほうが、パラダイムシフトにつながるようなアイデアを持ちやすいということを示唆しています。したがって、そのような弱い立場にある人々が、積極的に意見を表明することで、イノベーションは加速すると考えられるわけですが、日本の権力格差は相対的に高く、組織の中で弱い立場にある人は、その声を圧殺されやすい。

 以上の2つを踏まえれば、組織のリーダーは、部下からの反対意見について、それが表明されれば耳を傾けるという「消極的傾聴」の態度だけでは、不十分だということが示唆されます。より積極的に、自分に対する反対意見を、むしろ探して求めるという態度が必要なのではないでしょうか。

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2018年06月15日(Fri) 西田幾多郎、未公開直筆資料発見 このエントリーを含むブックマーク このエントリーのブックマークコメント

哲学者西田幾多郎の未公開直筆資料発見 修復・翻刻事業進む」(大学ジャーナル)

 → http://univ-journal.jp/21243/

 日本を代表する哲学者西田幾多郎の未公開資料が大規模に発見されたことを受け、石川県西田幾多郎記念哲学館が研究資料化プロジェクトを立ち上げた。哲学館、京都大学金沢大学が連携し、修復および翻刻事業を進め、2018年3月にはプロジェクトをまとめた報告書を刊行した。

 2015年秋、西田幾多郎の遺族宅で50冊のノートを含む西田の直筆の資料が発見された。西田が帝国大学選科在学時に取った受講ノートと思われる若い時期の資料も含まれ、西田の直弟子たちによる西田全集の編纂(第二版、1965年)以降の50年で最大規模の発見となった。

 発見された資料は、奈良文化財研究所の協力の下修復され、その後、京都大学大学院文学研究科の林晋教授、金沢大学人間社会研究域人間科学系の森雅秀教授と連携して翻刻作業を行い、その内容が少しずつ明らかになった。

 西田幾多郎金沢の第四高等学校から京都大学へ赴任し、独創的な哲学者として活躍。西田の著書は現在では8カ国以上に翻訳され、世界中で研究されている。特に、金沢で執筆し、京都大学赴任直後に発表した『善の研究』は、日本人が書いた最初の哲学書として知られている。

 今回発見された資料の中には、京都大学赴任直後、「宗教学」「倫理学」の講義ノートもあり、『善の研究』から西田がどのように思想を展開したかを解明する有力な手掛かりとなることが期待されている。


参考:【金沢大学】 西田幾多郎直筆の新たな資料を発見−石川県西田幾多郎記念哲学館,京都大学,金沢大学が連携し,修復・翻刻事業を実施−

「『善の研究』の西田幾多郎、ノート新たに50冊発見」(産経新聞

 → https://www.sankei.com/life/news/180604/lif1806040015-n1.html

西田幾多郎の未公開ノート発見 『善の研究思索に迫る」(朝日新聞

 → https://www.asahi.com/articles/ASL504CMDL50PJLB003.html


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善の研究 <全注釈> (講談社学術文庫)

善の研究 <全注釈> (講談社学術文庫)

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