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青空学園だより

2016-05-04 兵庫憲法集会 このエントリーを含むブックマーク

f:id:nankai:20160504094049j:image:w260:right昨日は「戦争させない、9条壊すな!5・3兵庫憲法集会」にいってきた.主催は「戦争させない、9条壊すな!5・3総がかり行動兵庫県実行委員会」である.尼崎で活動しているHさんが誘ってくれた.2時過ぎに三宮の東遊園地に行くと,舞台で中川五郎さんが歌っている.懐かしい名前である.昔,京都のベ平連にいた頃よく名前を聞いた.歌も聞いたような気がする.その声をもういちどここで聞くとは.

昨年まで,5月3日の兵庫の集会は,社会党系と共産党系が別々にやっていた.今年初めて一緒にやった.参加者は11000人.神戸集会としては多い.それで参院選にでる民進党と共産党の候補があいさつしていた.それから前広島市長の秋葉忠利さんが話をした.それからSEALDs関西の関西学院の学生が話した.

f:id:nankai:20160504094040j:image:w260:left最後に安保関連法案に反対するママと有志の会@兵庫の人が話した.この日の話しのなかで,唯一心に響くものであった.二歳の子がいる.生まれたとき,子どもは母親を無条件に信頼している.それを実感した.大人を信頼する子どもを裏切ってはいけないと思った.しかし今世界では,どれだけ多くの子どもが戦火の下にあるか.そして昨年の集団的自衛権と戦争法の問題が起こった.いても立ってもいられなかった.このようなことを話した.集会が全体としては参院選に集約されてゆくなかで,この人の話しは,自分の生活と存在に深く根差したかたちで闘いを展開しようとしていることがわかった.

自分自身の経験を踏まえて自分の言葉で語ろうとしていていた.その声は、民主主義とか立憲主義とかのいわば資本主義の発展期の理念を述べながら,その実,それを遙かに超えて,資本主義の人間性否定を告発するものであった.この数百年、奴隷貿易から植民地支配,そして産業革命から近代資本主義の時代,さらにその資本の論理が徹底された新自由主義の時代,人間は経済のための資源とされてきた.1970年代,日本の教育分野でも「人的資源の開発」という思想が浸透し,それは日本社会そのものの支配的な思想となった.しかしでは資本主義はさらにこのまま展開しうるのか.そうではない.地球は有限である.資本主義は拡大し続けなければ存在しえない.よってそれは終焉を迎えざるを得ない.

f:id:nankai:20160504094027j:image:w260:right今日,唯一拡大しうる分野は兵器産業である.強欲資本主義は戦争で儲けるしかなく,紛争をあおりファシズムに走る.現代世界の紛争はこのファシズムが作りだしたものである.しかし軍需産業以外にもはや拡大する分野をもたないこと自体が,資本主義の終焉を指し示している.ママの会は昨年9月14日、国会前スピーチで「武器輸出を国家戦略として進めるべきだと経団連は提言しているが、そんな血みどろのやり方でしか経済を持ちこたえさせられないのであれば、そんな経済はいらない!」と発言している.この言葉は,資本が人間を資源として使う段階から人間が経済を方法とする段階への転換の内実を語っている.

参院選が目前の課題となり,運動が選挙に集約されつつある.しかし選挙は一つの方法であって目的ではない.大切なことは,資本主義の終焉期に現れるこのファシズムに,こちらの人間原理で対抗し,それに代わる世のあり方を模索することだ.崩壊する帝国はファシズムをまき散らし,世界に惨禍をもたらす.やつらを通すな!

この四月,仕事と地元の諸々でいろいろ忙しく,あまり外に出られなかった.五月もそうなる.久々に出て,いろいろ考えさせられた次第である.いちど家に戻り,それから授業に出かけた.

hatehei666hatehei666 2016/05/04 23:35 なるほど資本主義の最後の悪あがきが、拡大可能な兵器産業だという事ですね。
その主要な兵器産業トップクラスに不祥事が多発しています。三菱重工業とか東芝。そこに入る受験トップのエリートたちは、殺される弱者の事に想像力を働かせる事がありません。
日本は最適者生存の進化論が幼い時からの教育で幅を利かせており、西欧に比べてもずば抜けてその傾向が強い事を最近知りました。

nankainankai 2016/05/05 08:57 国産初のステルス戦闘機と言ってますが要するに兵器です。またこの秋には「テロ対策特殊装備展」がひらかれるとか。テロ対策特殊装備の日本のセールスマンが世界をまわっています。
http://www.seecat.biz/guideline/
まさに経団連は武器商人になりつつあり、武器輸出がテロ対策を名目に許される。
われわれの側も、そこを踏まえた闘いが必要な時代になりました。

numapynumapy 2016/05/09 08:50 おはようございます。
パフォーマンス仕立ての「プーチン・アベ会談」で語られなかった
北方領土問題を手の届く距離から見れる知床旅行から戻りました。
やはり、粘り強くパフォーマンス政治を監視せにゃならんと、
ブログ、再開しました。

nankainankai 2016/05/10 16:46 知床へ行かれたのですね。
やはり旅は,いろいろなことを考えさせてくれますね。
http://xn--nyqy26a13k.jp/archives/16757
こういう記事を見ると、安倍政治が、日本のなれの果てという感じですね。

2016-04-14 春の盛りに このエントリーを含むブックマーク

f:id:nankai:20160414221830j:image:w200:leftドイツから戻って2週間が過ぎた.日本から見れば北国のドイツ中部,そこから一気に春のなかに飛び込んでの2週間だった.春期の授業をすべて4月に回してもらっていたので,それをこなし,また原稿作りも遅れていたのをとりかえすために時間を見つけて考え,そして地元の諸々のことごとが重なり,まったく休みなくほんとうに忙しかった.

この10日の日曜日は地元の公園で自治会の花見会をした.まさに花曇り,寒くなく日照りも強くなくて,散りはじめた桜のもとでの懇親会となった.尺八を吹いてくれる人,昔話を語り聞かせる人などいて,桜の花びらの中,ひとときの風情にひたっていた.

f:id:nankai:20160414221814j:image:w260:rightそして翌日の雨で桜も散り,花海棠(左上)も終わった.射干の花(右上)はまだ当分咲き続ける.藤が芽をふくらませ,またバラも咲き始めている(左下).こうして季節はうつる.土曜日の自治会総会の議案書の作成も終わり,原稿仕事も一式送信して,一段落である.

この2週間,拡大を旨とする資本主義の時代がいよいよ崩れはじめたと考えざるを得ない現象が続いている.アメリカ大統領選挙を通して,アメリカが,立て前としての理念さえ,もう失っていることをさらけ出した.言っていることはトランプ候補の方が現実を踏まえている.共和党茶会派の候補やクリントンは,これまでの世界の警察となることで軍需産業が巨大な利益を得てきた体制に,その現実が崩れているなかで,しがみつこうとしているように見られる.

f:id:nankai:20160415112725j:image:w260:leftそして,それ以上に理念を失っているのが,日本保守政治とその経済政策である.日本の株はもはや市場の原理では動いていない.午前中年金をつぎ込んで株価を上げ,午後売り浴びせられて下落.売ったのは,ファンド,いいかえれば軍産複合体金融部門.言いかえると,日本国民金融資産そのものである年金原資をそっくり軍産複合体に貢ぐ.これが続いている.

現代が大きな歴史の転換期であることを,メルケルもプーチンもあるいはオバマも,それぞれの立場で認識し,そのうえで,どのように進むのか,それぞれが立脚する立場で考えている.この認識がないのが日本首相の安倍である.このままでゆけば,日本が引き金となって再び大きな経済の崩壊の時がこざるを得ない.かつて帝国主義の時代に,非西欧で最初に資本主義を導入し,そして軍国主義帝国として侵略戦争をおこない,そして敗れた日本が,それを教訓とすることができずに,そしてまた,二度の原爆と福島の核惨事を教訓とすることができずに,再びの道を歩みはじめる.今日の条件の下では,いずれそれは崩壊する.それは資本主義の終焉を現実に告げる出来事となるだろう.

f:id:nankai:20160328211151j:image:w260:right私は,この転換期の意味は,経済を第一とする段階から人間を第一とする段階への転換と考えている.経済は,人間が尊厳をもって生きるための方法であり手段であって,それ自体が目的となることはあってはならない.資本主義は終焉する.その意味は,人間が資本主義を手段として使うということである.資本主義を使う人間の登場,それが南欧の人々の闘いであり,99%を標榜する占拠運動の人々であり,日本の新しい若者の運動である.彼らにまだその自覚と目的意志はないにせよ,客観的にはそれが歴史の求めることである.

昔のように,党がありそのもとで労働者が闘いという時代はもう終わっている.一人一人が,自分は何者かを問いながら,その場でなし得ることをする.そして現代の情報技術を駆使して,それが横につながり,世を動かす.日本もドイツもそういう時代に入っている.

ドイツにいる間に,ギーセンという町にある数学博物館(右下)に行った.数学の裏付けのある子供むけの遊具が各階にあるということであるが,それを見ていて,いろいろ考えさせられた.それもあって,青空学園のいくつかの制作物を増訂したい.そう考えるようになっている.何とか規則正しい生活を取りもどして,毎日少しづつ積みあげたい.そう考えながらなかなかできないのであるが,やはりこのように数学という普遍性を日本に根づかせようとしてきた人間,この自己の土台に立ちかえって,これからもやってゆきたい.

numapynumapy 2016/04/15 05:03 おはようございます。
お帰りなさい!確かに資本主義は行き詰ってますね。
世界一貧乏な大統領「ムヒカ」の言葉が身に沁みます。

nankainankai 2016/04/15 11:34 ムヒカの言葉は,経済に縛られるな.「富に執着するあまり絶望に駆られる人生を送ってほしくない」ということで,まさに,経済第一の時代に,「ささいなことではあっても人間にとって本当に重要なもの」を大切に,と言っています.ほんとうに身に沁む言葉です.

hatehei666hatehei666 2016/04/16 21:47 内田樹さんは、安倍政権が「金儲けのための国家」を目指していると言っていましたが(『街場の憂国会議』)、そんな国は長続きする筈がありませんね。

nankainankai 2016/04/20 14:33 「金をアメリカに貢ぐ国家」ですね.年金資金で株価を押し上げ,そこで国際金融資本が株を売って,その金をもってゆく.この間どれだけの年金資金が流出したか.
これは長続きしないし,一日も早く終わらせることが,それだけ犠牲を少なくすることだと思います.

2016-03-28 ドイツ滞在・下 このエントリーを含むブックマーク

f:id:nankai:20160328080028j:image:w200:leftf:id:nankai:20160328080029j:image:w120:rightケルンのライン川沿いの店で昼食をとったときに,スペアリブを注文すると,このように皿いっぱいのフライポテトと大きなスペアリブが2個,ぼんと出てきた.これとビールで昼飯とすれば,確かに,食べ過ぎである,野菜炒めも量が多い.これが普通の店で出る量だとすると,ドイツ人は日本よりもカロリーの取り過ぎではないか.

ワインも安い.写真はいずれも2ユーロ,240円ほどの白ワイン.ワインの味のわからない私には、十分うまい.ビールとワインは日本よりずいぶん安いように思う.

そういうつもりで町ゆく人を見れば,お腹が出ている人が多い.女性も,若い人でも,大きな人が多い.それと,たばこを吸う人が多い.吸い殻は道に棄てる.日本のように基本的に禁煙で,喫煙は定められたところで,とはなっていない.禁煙駅と表示のあるその目の前のホーム上のベンチの下は吸い殻だらけ.

f:id:nankai:20160328080026j:image:w200:leftf:id:nankai:20160328080027j:image:w360:rightビールとたばこと,これについて,もう少し摂生しようという風潮はまだ一般的ではないようだ.その一方で,先週の木曜日にマインツの町にいったが,そこで開かれてる青空市場は.じつに多くの野菜や蜂蜜と果物である.スペインなどからも運んでくるようだが,週に3日開かれる市場は有名である.どの町にも自然食品や有機野菜の店がある.これまで通りの食生活が多数を占めるなかで,それとは違う食べ物を求める人も出てきているのは.日本と同じである.

2016年は3月27日がイースター,つまりは復活祭.土曜日に買い物をしておかないと日曜・月曜と,ほとんどの店が閉まる.27日に隣のニーレンベルグの町を歩いたが,ほんとうにどこも開いていない.唯一,駅の向かいの,中華料理・ベトナム料理・モンゴル料理のアジア料理店だけがイースターは関係ないと開けていた.そしてそこは結構大きな店なのだが.ほとんど満席であった.ということは,イースターは自宅で,ともなっていないのだ.

f:id:nankai:20160326221323j:image:w360:left自動車道路沿いを歩くと,包装紙や空きカン,ポリの容器などが結構棄てたままになっている.地元のものが片付けるということはないのか,と考えてしまう.教会を軸とする地域の集まりはあるのだろうか.町内会のような仕組みはあるのだろうか.ドイツ社会の基盤の所がどのようになっているのか.それはわからなかった.日本の自治会も「自治」は名ばかりであるが,ドイツ社会ではどのようになっているのだろう.これは宿題だ.

この10日ばかりの間,気温は低くほとんど曇りか雨であった.ドイツ中西部はこの時期こういう気候である.先週の金曜日,1日だけ晴れた.そのときの丘の上からの町のながめ.このようななだらかな丘と平地が続いている.

numapynumapy 2016/03/28 15:57 ドイツはとても規律的な国だと思ってましたが…
やはり、人間には大差がないんですかねぇ・・。

nankainankai 2016/03/28 16:26 昔,小田実さんが言っていましたが「人間みなちょぼちょぼ」です.それを実感しました.

umryuyanagi104umryuyanagi104 2016/03/30 19:55 料理とワインの写真〜…一瞬違う方のブログに来たのかとビックリしました。(笑)
素敵な気分転換になり良かったですね。羨ましい♪

nankainankai 2016/03/31 18:29 今朝もどりました.
その後は地元の用事で,先ほどまで出ていました.
いつもと違う視点で考えることがで来ました.おいおい深めたと思います.

hatehei666hatehei666 2016/04/08 00:00 先日いわきや原発中心、京都などをドイツの若いカップルが、通っている教会も訪問してくれました。その時の質問では、ドイツ人は信徒であってもよくビールを飲むという答えが返って来ました。聖書もルター訳の難しいものから随分世俗化されたと言っていました。この記事を閲覧してからいろいろ考えさせられました。

nankainankai 2016/04/09 00:05 この街にプレスリーが1958年から1960年、滞在していたのですが、その家が残っていてそこには銅像もあります。新しい花も置かれていました。ドイツ人同士で「ハロー」というので、聞いてみると英語の「Hello」がドイツ語化されて「Hallo」となって入っています。このように、旧西ドイツはアメリカ文化の影響を大きく受けています。アメリカ軍基地もドイツ統一までは各地にありました。
しかしドイツ統一の後、緑の党があのようなそれなりの広がりをもち、脱原発を基本の政策とすることなどに、新しい本来のドイツが基盤の所で育っていることも感じました。
ここに至るには、ドイツは第1次、第2次と二度の世界大戦の敗北という教訓を経なければなりませんでした。日本もまたほんとうは原爆と核惨事という2度の経験をしているのですが、これを塗り隠そうとする力がまだまだ支配的で、日本の方がやはり社会全体としては表層のところで動いているように思います。

2016-03-26 ドイツ滞在・上 このエントリーを含むブックマーク

f:id:nankai:20160325213821j:image:w360:leftドイツはフランクフルトの北30Kmにあるバート・ナウハイムの町に3月19日から滞在している.バート何々という町はこのあたりにいくつかあるが,温泉という意味だそうである.古代から温泉が湧き出ていて,ローマ時代に人はすでに湯に入っていた.次男一家がここにある研究所に留学ということで,昨年秋からこの町に住んでいる.それでこちらの時間が作れたのでやってきた次第である.

f:id:nankai:20160321220605j:image:w360:rightこの町は空襲を受けなかった.それで古い建物が残っている.町の中心には温泉の噴水があり,それを取り囲んで湯治のための施設がある.そのまわりは,今の時期は冬枯れであるが,深い木立の公園である.3月半ばであるが朝夕気温は低く,風は冷たい.外に出るには日本の冬の上着がいる.

ドイツの大都会はおしなべてあの戦争で一度は灰燼に帰している.フランクフルトの街までは電車や車で30分である.この町に降り立つと,大阪と雰囲気が似ている.難波あたりの感じである.フランクフルトは1945年,まったくの廃墟であった.大阪もまた,あの空襲で焼け野が原となった.大阪とフランクフルトは,どちらもそこからそこから再興した商人の街である.ドイツの町は,街の道が聖堂などを中心にまわっている.御堂筋のような道はないようだ.ここは大阪と違うところである.

f:id:nankai:20160321220517j:image:w360:leftマインツには電車で出かけた.ケルンは車でつれていってもらった.ライン河沿いの,それぞれに古い遺跡のある街である.それぞれ焼け野が原に残った古い石造りの遺跡を再建してきた.あの戦争で灰燼となったところから再建してきた街である.大阪や神戸に通じる,古いものと新しいものが雑然と同居する街である.これは,フランスの街や京都と違う.戦争の爪痕の大きさを思わずにはいられない.

ドイツは,ビールとワインが安い.パンも色々あって,それぞれにうまい.それでこちらもワインとパンと肉類とそしてサラダ類の食事を続けている.もう少しこの街での生活をおくり,ドイツを体で少しは覚えてかえりたい.歴史と風土が織りなす生活は,一時それにひたらないとわからない.3月31日朝には大阪に戻る予定である.

写真はバートナウハイムの温泉噴水とその向こうに見える駅.さらにその向こうの煙突は温泉水から岩塩を取り出す古い工場.そして町並,公園と教会.

numapynumapy 2016/03/26 09:26 おはようございます。
ドイツ体験、またレポートをお願いします。
楽しみにしてます。
そうそう、3月26日、本日北海道新幹線が開業しました。

nankainankai 2016/03/27 15:40 おはようございます。日本と8時間の時差です。
あと3日の滞在なので、戻ってからになるかも知れませんが、また、ドイツ人の生活の内側まではわかりませんが、町中で感じたことなど、残しておきたいと思っています。
それにしても、昼食などで出てくる量の多いこと、驚くほどです。

hatehei666hatehei666 2016/04/07 23:54 私が通っているいわき市泉の教会の牧師と信徒は、3・11で旧会堂や自宅が立ち入り禁止となり、着の身着のまま避難生活を送っていましたが、その時ドイツからも多大な援助があり、ちょうど3月28日から4月15日までドイツに滞在し、お礼の旅行を続けています。貴兄と少し重なります。
また来年は教会でドイツ旅行をする計画があるそうです。
米国に2回行き、人種差別やいろいろ嫌な経験をし、もう行く機会はないと思っていました。しかしドイツなら行ってみたいなと思います。戦争遺構や森の都としての3大Bの音楽の生放送を聴いてみたいからです。しかし私はまず無理なので、ブログの写真からいろいろ想像を掻き立ててくださいました。ありがとうございます。
昔バリケードの中でドイツ語を独学で勉強し、『共産党宣言』の薄い本をおぼろげながら読んでみたことが、懐かしい思い出として残っています。

2016-03-12 3・11の夜に このエントリーを含むブックマーク

f:id:nankai:20160312095241j:image:w180:left昨夜は3・11にあわせた関電前抗議行動であった.2012年から,後に大阪での若者の新しい運動を担っていった人らが中心になって,金曜日にここで金曜行動を続けていた.昨年末で一区切りをつけ,定例の行動は終わっていたが,3・11にまた集まることを約していた.いつもの彼も来て,またよく知った顔にも出会って,声をあわせる.それにしても,核惨事がはじまり五年である.この五年目の3・11にあわせるかのように,3月9日,大津地裁で高浜発電所3、4号機再稼働禁止仮処分の決定が出た.昨年4月に福井地裁で一度再稼働を認めない決定が出ていたが, 「高浜原発、再稼働容認 福井地裁」にあるように,福井地裁の林潤裁判長は12月24日,「安全性に欠けるとはいえない」と判断し,再稼働を即時差し止めた4月の仮処分決定を取り消した.それを再度くつがえし,再稼働禁止仮処分の決定となったのである.このような判決を引き出したのは,琵琶湖を守れと闘ってきた滋賀県現地の人々と,そしてこの金曜行動のように各地で積みあげられてきた行動の積みあげの結果である.

f:id:nankai:20160312095250j:image:w300:right大津地裁の山本善彦裁判長は,関電は安全面でどのような改善を行ったかについて十分な説明をしてこなかった指摘し,また同社は設計思想も,過酷事故や大規模津波があった場合の避難計画も十分に示していないと指摘した.その通りである.実際,昨年末の福井地裁の取り消しの後,関電は3・4号機を再稼働をさせた.3号機は1月下旬に運転を再開したが,4号機はわずか3日の運転で緊急停止した.緊急停止など,日本原発でもこれまで確か3回ほどしかない.12月24日の福井地裁の仮処分決定取り消しが,安全性を確認しないものであり,いかに,それが送り込まれた裁判長によってなされた政治的なものであったか.そのことがわずか1月とすこしで明らかになった.

この緊急停止も大津地裁の判断根拠になったのだろが,このように裁判所の判断が二転三転すること自体,今の日本支配層の内部で論理と倫理の崩壊が起こっていることを示しているのではないか.そしてこのような判決を引き出したことは,この数年の運動と昨年来の新しい運動の結果と,そして何より核惨事がいかなることであるのかを示した福島の教訓である.それでも再稼働しようとする日本政府に対して,この日も皆も声をあげていたが,「いうことを聞かせる番だ,俺たちが」という運動が現れてきた.その意識は新しい.原発とは,核燃料採掘地では過酷な環境破壊をおこない,そのうえで核兵器製造力を担保しつつ,原発立地にはカネをばらまいて,発電もしようというもので,それはまさに帝国主義となった資本主義の経済と政治の原理そのものである.この資本の論理,経済の論理に対抗して,人間原理を掲げて,反原発と反ファシズムの運動が,この日本でも深く広く続いてきた.

資本主義の崩壊期に,このような運動のなかから新しい時代,人間を第一とする時代を担う人間は現れてくる.若い人らが,その自覚を持って,これからの運動を担っていってほしい.一人一人の行動は小さくても,量の蓄積は質の転化をもたらす.また,歴史が求めることは,必ずどれだけ紆余曲折を経ても現実化する.参加した一人一人,これまでの金曜行動の積みあげを思い起こしながら,またそれぞれの場にもどり,小さなことでもできることを取り組みを続ける.人間とはそういうふうにやってゆくものなのだと思う.