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青空学園だより

2017-09-29 十七士の墓に参る このエントリーを含むブックマーク

f:id:nankai:20170929103931j:image:w240:rightf:id:nankai:20170928143419j:image:w240:left昨日は京都で授業.昼過ぎ,少し早く家を出てJR京都線の山崎駅で降りる.天王山の麓である.「いま『夜明け前』を読む」につぎのように書いたが,天王山の中腹には、真木和泉とその同志十七人の墓がある.

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真木和泉(文化十年(一八一三)三月七日〜元治元年(一八六四)七月二十一日)は筑紫の国の神官の子に生まれ江戸に遊学する。後に筑紫に帰り藩の改革に取り組むがおよそ十年間にわたり蟄居を命じられた。この期間に全国の志士と交流し、またその思想を深めた。その後、紆余曲折を経て、文久三年(一八六三)五月長州へおもむき毛利敬親父子に謁見、攘夷親政、討幕を説き、六月上京し学習院御用掛となった。

真木は、早くから倒幕と皇政復古の主張を明確に掲げ、一貫して行動、倒幕勤王の志士たちを指導した。

f:id:nankai:20170929103922j:image:w200:leftf:id:nankai:20170929103944j:image:w200:right文久三年(一八六三)八月一八日、会津藩と薩摩藩が結託して長州藩を追放した政変が起こる。真木和泉も長州に逃れる。この時期の薩摩はまだ公武合体派であり、長州は明確に反幕府であった。そして、翌元治元年(一八六四)年六月、長州藩の出兵上洛にあたり、その委託を受けて真木和泉は諸隊総督となった。七月の禁門の変では久坂玄瑞、来島又兵衛らとともに浪士隊を率い、七月十九日堺町御門を目指して進軍、市街戦となった。このとき京の街には兵の死体が至る所に転がり、街々は炎上、大混乱に陥った。結局、福井藩兵などに阻まれて敗北、天王山に退却、真木和泉の率いた長州軍は、激戦場から二十日には山崎まで落ちのび、ここで従ってきた数十人を解散する。

長州兵の撤退を見届け、山崎に留まった真木和泉以下十七人は、いずれも長州の人ではなかった。天王山山腹にある宝積寺で一泊、二十一日天王山に登り、会津藩士と新撰組の二百名、見廻組の三百名の討伐軍を確認した。天王山の中腹の京都の見える場所で火を放ち、尊皇攘夷のこころざし半ばで、同志十六人とともに自刃した。五十二歳であった。

なんと多くの人が死んだことか。島崎藤村は真木和泉について哀惜をもって描いている。

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f:id:nankai:20170929103901j:image:w160:right一度参りたいと思いながら,夏が過ぎてやや気温も下がり,ようやく行ってみようと思った.山崎駅で降り,まず宝積寺に参る.真木らが最後の夜を過ごした寺である.真言宗の寺であるが,同じ境内に大黒天の堂もあり,さらに鳥居も立っていて,まさに神仏習合の寺院である.しばらくここにいる.

さらにもう二十分ばかり,山道を登ってゆく.途中にいろいろな史跡もあり,ときどきそれを読みながら,展望台もすぎてようやくに十七士の墓である.合掌.銘文を読み,墓のまわりの光景に見入る.昭和四十八年十月に,この墓が再建されたときに書かれた木の銘板の一文がよく分かる.

f:id:nankai:20170928150956j:image:w260:left念願の十七士墓参をはたした.もう三十分歩けば天王山頂上であるが,さすがにそれはまたの機会とし,ここから降りはじめた.

宝積寺に戻ると,社務所にいた老婦人が表に出て掃除をしているのに出会う.「十七士の墓に参ってきた.」というと「よろこんではるやろ」と言ってくれた.宝積寺の人にとっては,十七士は身内のような存在なのだ.こういわれてこちらも嬉しくなった.そして山崎駅に戻る.1時間半ほど山道の散策であった.

二〇一八年は明治維新から百五十年の節目の年である.明治維新を賛美するいろいろな行事も行われるだろう.しかし,島崎藤村はその父の生涯を通して,明治維新は,命を捧げた志士たちが願ったものではなかったことを,説く.藤村が『夜明け前』で追求した問題は,すべて今日に開かれたままである.非西洋にあって最初に資本主義の国となった日本のこの近代百五十年は何であったか.資本主義そのものが終焉期を迎えたいま,それを考えることが歴史の課題の一つである.

PUKINPUKIN 2017/09/30 09:08 危険を煽って、人々の耳目を集める。
10年以上、毎年株暴落と言い続けている同志社の紫ババアと一緒、
霊能者と自称する人物が、高額の壷を買わせるようとしているのと変わらない。
まぁ今時、こんなのに引っかかるのは世間を知らないボケ老人ぐらいであろうが・・・

日本で積極的にこの言葉を使いたがっているのは、水野和夫である。
この人は「デフレからの脱却は無理だ」とも主張しているが、安倍政権下で、日本はデフレ脱却して景気は上向いている。
仙谷由人の経済ブレーンで、民主党政権では内閣官房内閣審議官を務めていたことからも、自分の無能を時代やシステムのせいにして責任転嫁していたのだろう。

資本主義が終わるとして、その後はどうなると言うのだろう?
かつては、資本主義は終わりを迎えて、社会主義になると言われていたのではなかったか?
ところがソビエトは崩壊し、中国は資本主義風へと回帰している。
国家によるコントロールで統制できるほど経済は単純ではない。
国家指導者層に都合のいい社会になるだけ。
中国などは資本主義のふりをしているが、許認可等で自由を奪われているため、それを握る党幹部・役人が巨万の富を蓄えている。
統制経済の国家など、私は御免だね。
資本主義が終われば、民主主義も終わる。
今は資本主義が終わろうとしているのではなく、民主主義が終わろうとしているのではないか?

ヨーロッパは民主主義で選ばれた指導者が、民主主義でないものを大量に国内に受け入れ、保護し、養っている。
そして、それに反対するものに「差別主義」のレッテルを貼り、言論の自由・思想の自由を無視し、排斥する。
それらは、資金力のあるもの、大量の資金を自由に使える独裁者なら簡単にできる。

資本主義の終焉とは、金や権力があるものによってもたらされる独裁体制の構築に他ならない。

PUKINPUKIN 2017/09/30 09:48 さて選挙である。

巷では、安部 対 小池で盛り上げっている。

で、小池氏はこう評されていた。

小池都知事は「ウルトラ右翼の独裁者」なのか
http://toyokeizai.net/articles/-/185054?page=2

で、

「希望の党」への参加条件、安全保障と憲法への姿勢を重視
http://www.huffingtonpost.jp/2017/09/27/kibou_a_23225353/

なのだが?

今までの小池氏の発言を考えると、安全保障の考え方は安倍首相と何も変わらないし、憲法については安倍首相と同じか、より過激だと思うのだが?
安倍首相が勝とうと小池氏が勝とうと、君らのいう「戦争法案」とやらは推進されるし、憲法改正は進むだろうねぇ

で、君らの意見と同じの議員は、希望の党には入れず、一人寂しく選挙活動だ。
応援してあげなよ。

まっ当選しても政党に入らなきゃ交付金はもらえないしねぇ

こんなに華麗にバカを掃除できるとは、ひょっとしたら安部首相と小池氏の共同戦略かなぁ

PUKINPUKIN 2017/09/30 10:42 おっと書き忘れた。
希望の党には入れなかったからって、共産党はダメだよ。
なんせ

日本共産党ついに崩壊か? 深刻な資金難で募金活動「供託金が払えない」 野党共闘崩壊で大打撃
http://nida-aru.com/archives/72469563.html

ってことだからねぇ。

自分で金を出して立候補、選挙運動も自腹でやるなら入れるかもしれないがねえ
さぁみんな、護憲派議員(笑)に献金しよう。
街頭でボケ〜と立っていても議員は喜びません。
貯金・年金を献上した上でアルバイトもして力になってあげてください。

PUKINPUKIN 2017/10/07 11:11 反安部・反自民の人々の行動


1−「産経がいると話しづらい」「テロリストと同じ」記者はこうして東京新聞・望月記者の講演会取材を拒否された
http://www.sankei.com/premium/news/171006/prm1710060006-n1.html

文面より

「貴会は主義や論調の違いだけで、報道機関をえり好みする団体という理解でよろしいか」と。
返答は「そうです。そのように解釈していただいて結構です」というものだった。


2−「自民・不倫」を叩き「山尾不倫」を残念がる人たち 「何だよそれ」「扱いの差がヤバい」
https://www.j-cast.com/2017/09/07307939.html?p=all

文面より室井佑月氏の発言

自民党の宮崎健介氏の不倫についての不倫について
「税金で給料をもらってる。私の財布からお金をとっているのに不倫している」16年2月10日の「バラいろダンディ」(TOKYO MX)

民進党の山尾志桜里の不倫について
“「仕事ができる人のほうが良いから、誰に対しても仕事をきちんとしていたら、下半身の事情よりも、仕事をどれだけやっているか(が大事)」


3−【ひるおび】ふかわりょう「何故そんなに安倍さんを倒したいんですか?」 伊藤惇夫「嫌いだから」
https://www.youtube.com/watch?v=kpxCdoxme6c

はい、本音が出ましたね。
政策云々は、その為のこじつけ、個人的に人物が嫌いだから安部降ろしをしたいそうです。
ここにいる人の多くも同じだと思います。

PUKINPUKIN 2017/10/15 17:41 A−憲法を守れって言いながら法律を守らない人々

立憲民主党、他人の家に勝手に選挙ポスター貼ってた こいつらほんと法律守らないよな
http://asianews2ch.jp/archives/26374.html

演説中の自民議員、殴られる・暴力的なのはサヨクの宿命
http://bouzup.blog.jp/archives/1068238071.html

モリカケでわめき散らしていた黒川候補、選挙応援動員に金銭支払い告知
http://ksl-live.com/blog11467

また彼は、詐欺師紛いの集金で、今も問題から逃げている。
http://ksl-live.com/blog10207

PUKINPUKIN 2017/10/15 17:42 B−市民の声を聞けって言いながら、他人の声を聞かない人々

自民党二階幹事長、聴衆に「黙っておれ」 大阪で演説中
「発言は誰でも自由だから、自分もトラックでも何でも持って来て、この上に立って(演説を)やればいい。
こっちがやっている時にいらんことを言うのは許されない」(二階幹事長)
http://www.msn.com/ja-jp/news/senkyo/%e8%87%aa%e6%b0%91%e5%85%9a%e4%ba%8c%e9%9a%8e%e5%b9%b9%e4%ba%8b%e9%95%b7%e3%80%81%e8%81%b4%e8%a1%86%e3%81%ab%e3%80%8c%e9%bb%99%e3%81%a3%e3%81%a6%e3%81%8a%e3%82%8c%e3%80%8d-%e5%a4%a7%e9%98%aa%e3%81%a7%e6%bc%94%e8%aa%ac%e4%b8%ad/ar-AAtpVCM?ocid=TSHDHP

安倍演説を妨害したパヨクが『聴衆の反撃を喰らって』粉砕
http://netgeek.biz/archives/104466

2017-09-18 アスベスト問題 このエントリーを含むブックマーク

nankai2017-09-18

ストップ・ザ・アスベスト西宮からの呼びかけをもらい,16日(土),アスベスト市民ネット 第1回シンポジウム 〜身近に潜むアスベスト その危険と対策について考える〜に参加してきた.主催は,アスベスト市民ネット,中皮腫・じん肺・アスベストセンター,NPO法人東京労働安全衛生センターであり,兵庫県保険医協会が後援している.

いくつかの新聞も取り上げている.

◆神戸新聞:石綿問題に向き合う市民ネット結成 西宮、堺など

◆大阪毎日新聞:シンポジウム アスベスト、危険と対策 兵庫・西宮で16日

1時半から5時過ぎまで,以下の内容で行われた.

アスベストとは何か これだけは知ってほしい〜基礎から対策まで〜/中皮腫・じん肺・アスベストセンター事務局長 永倉冬史 父はなぜ中皮腫に/中皮腫・アスベスト疾患・患者と家族の会 ひょうご支部 直木賞作家 藤本義一氏長女 中田有子 アスベスト被害者の声/中皮腫・アスベスト患者・患者と家族の会 古川和子 「アスベスト検診」を大いに利用しよう/兵庫県保険医協会 上田進久 各地のアスベスト問題の報告/西宮市の事例 ストップ・ザ・アスベスト西宮 大島賛都/さいたま市の事例 エタニットによるアスベスト被害を考える会代表 斎藤宏/堺市の事例 堺市議会議員 長谷川俊英/自治体条例のあるべき姿 ジャーナリスト 井部正之 質疑応答

2014年ですでに交通事故の死者と中皮腫の死者が同じになっている.今後,老朽化した集合住宅などの解体期をむかえる.平成40年度がピークになるといわれているが,住民がよほど監視を強めてゆかなければならない.

今から思えば,阪神淡路の大地震のとき,電車が止まり,倒壊した集合住宅など鉄筋や鉄骨の建物の残骸の横を歩いたし,代替バスも瓦礫の間を走っていた.東日本大震災でも瓦礫が乾燥し飛散する.アスベストセンター事務局長の永倉さんは,釜石でマスクを提供することもしておられたそうである.上の大阪毎日新聞にも出ている.

中皮腫・アスベスト患者・患者と家族の会の古川さんの報告のときに,驚いた.昔働いていた高校の同僚の写真がスクリーンに出た.2枚出て左のはすぐ彼と分かったが,右の亡くなる少し前のはわからなかった.自分の方から連絡をとってきた人ということで,活動報告の一つとして紹介されていた.彼は,自分が中皮腫と診断されたときのことを,2009年に「年頭に想う」として書いている.この一文を私は知らなかったが,急いで持っていた TabPC で見つけて一気に読んだ.また,次のようなニュースもあった.2010年03月04日05:38/アスベスト:奈良に医療体制確立を/被害者・山下さん、患者と家族の会で訴え/奈良である.

彼は私より5歳下で,あの高校に大学を出てすぐ就職してきた.英語の教員であったが,書道もうまく,個性のある人だった.その後,2年間休職して,海外青年協力隊でモロッコに行っていたこともある.彼は奈良の王寺の人.彼の言葉から故郷を愛していることがよくわかった.王寺の商店街に実家があり,一度行ったこともある.

最後に会ったのは,阪神の地震の直後だった.私はそのときはもう他の仕事に変わっていたが,そのころ彼は東灘区の御影に住んでいた.連絡がとれ,こちらから会いに行った.お互いの無事を確認し,いろいろ話をした.彼は定年になって時間が出来たらまた旅行もしたいし,モロッコでの映像の整理もしたいなど話していた.

その愛する故郷に30年住み,そこでアスベストを吸い込んだのだ.ニチアス(旧名,日本アスベスト)の工場が王寺にあった.その街を離れて20数年,定年を目前にして中皮腫を発症したのである.定年になればしようと考えていたことも出来なかった.アスベストとはなんと残酷なことか.そして彼の無念を思うと言葉もない.

彼が片肺を切除したことは,人づてに聞いていたが,直接は連絡できなかった.亡くなったのも聞いていたが,ここでその遺影に出会うとは思ってもいなかった.

私の短くなった余命を償わねばならない。ニチアスが潰れて償えなくなれば、公害をまき散らすことを知りながら企業活動を黙認してきた国がその責めを負うべきである。引き下がれない。

と彼の残した言葉は,われわれに重い.アスベストに関する法的枠組みは,欧米に比べて日本は本当に弱い.半世紀は遅れている.法や行政は頼りにならない.地域の住民がまとまって解体業者と協定を結び,協定書を交換し,そして工事を監視する.これが大切だ.とりあえずわが町内ではそれをし,解体工事はあらかた終わった.これは彼にも報告したいと思う.合掌.

PUKINPUKIN 2017/09/18 17:14 カドミウム(英: cadmium)は原子番号48の金属元素である。

日本ではカドミウムによる環境汚染で発生したイタイイタイ病が問題となった。
またカドミウムとその化合物はWHOの下部機関IARCよりヒトに対して発癌性があると勧告されている。
このカドミウムは 電池(ニッカド電池)などに多く使われており、現在は脱カドミウムで使用しないものもあるが、安い電池は今も使い続けられている。

かつて民主党が推進していた脱原発・太陽光発電推進であるが、国際公約のソーラー1000万戸計画が達成されていれば、カドミウムを多量に含む蓄電池が、管理の行き届かない1000万戸もの一般家庭にあるという事になる。
またパネル自体も安いものはカドミウム・テルル系であり有害物質はさらに増える。
その寿命がきたときや、故障したときの産業廃棄物は膨大なものになるだろう。
はたして日本はその処理ができるのか?
登録の義務がある自動車であっても、山中に放棄されている事もある。
登録の義務のない太陽光施設を、「廃棄費用がもったいない」とそこらへんに放置すれば当然有害物質は漏れ出す。
原子力発電であれば、管理された数箇所を徹底的に監視管理すればよいが、日本国中にある太陽光施設を監視する事などできはしない。

太陽光発電をしている方、
貴方のうちにはカドミウムなど毒物溶出リスクがあります。
火災でも煙となって、消防士も周辺住民も有毒物質を吸わされることになります。
畑、田んぼの横などにパネルを置いて有害物質で作物が汚染される危険を知るべきです。

もし有害物質でイタイイタイ病が発生した時は設置者が償わねばならない。公害をまき散らすことを知りながら太陽光発電を黙認してきた設置者がその責めを負うべきである。
引き下がれない。

hatehei666hatehei666 2017/09/22 06:36 今福島の帰還困難区域、また解除されたばかりの浪江、富岡などからいわきに避難して来た方々から話を伺うと、古里の家は壊すという決意ばかりです。
すると解体業者はアスベスト対処でよほと注意しないといけないという事を、改めて学びました。
加えて家々に付着している放射能(結構畳の上が線量多いとの事)の除去問題も深刻です。
携わる業者の方々の内部被ばくも、今後長い期間を経て必ず出て来るでしょう。
戦後日本の一つの区画となる原発事故、貴兄の主張しておられる事が、福島にいると途方も無く大きく迫ってきます。

nankainankai 2017/09/22 08:38 hatehei666様
職場の同僚が、故郷のアスベストが原因でその後発病し、亡くなったというのは、本当にこの問題が、身近でしかも大きなことであると、思い知らされました。
近くの学校の解体を監視しましたが、働く人の防護対策は本当に大変でした。これがこれから全国で問題になってゆきます。
アスベスト、そして原発、どちらも戦後の日本を象徴するような問題です。

2017-08-25 暑き晩夏に「知ってはいけない」を読む このエントリーを含むブックマーク

私の季節感では,八月十六日の京都五山送り火が終わると夏も終わりの時節となるのであるが,今年も昨年同様に暑さが厳しい.日本に戻って昨日でちょうど三週間,これも自分で読み返すための記録としてこの間のことを書いておく.

昨年,二本の文章「いま『夜明け前』を読む」と「言葉の力と生きることの意味〜日本語の再定義を求めて」を雑誌『日本主義』に寄稿したが,それらをまとめ,書き足して一冊の本にしようと提案してくれた人がいて,まずその原稿作成に打ち込んだ.来年は明治維新から百五十年の節目の年である.島崎藤村の『夜明け前』の読解をさらに深め,藤村が幕末の志士の願いとして心を込めて描いた「古代の人に見るようなあの直ぐな心」「あのすなおな心」を,日本語の再読みこみを基礎に,現代において取り出し,これからの時代のいしずえとする.この日本近代が何であったのかを考える基礎的な作業である.

帰りの飛行機で入力したところからはじめて,いろいろ書き足し再構成し,それを校正して,ようやく先週の後半に,提案してくれた人に送った.彼がまず読んでそれから出してくれるところをさがすという.もし引き受けるとことが見つかれば,彼との対談をつけるつもりである.この歳になって,本にまとめようというのは,遺言を書くようなものである.身を削るようなところがあり,まとまればまとまったで,次の課題も出てきて,なかなか尽きない.帰ってからも役所との話し合いや夏の行事の準備,授業も続いてあって,大変ですねと言ってくれる人もいるのだが,こちらはそれらのことがむしろ息抜きになるようなことであった.

これを書いているときに,十六日発売の矢部宏治さんの新刊「知ってはいけない 隠された日本支配の構造」が,予約してあったので来た.一気に読む.2013年4月28日にアベ政府は「主権回復の日」式典を開催した.そのとき「「主権回復の日」は奴隷の言葉」に書いたことが事実であることを,この矢部さんの新著は示している.そして,アメリカ軍によるこの70年の支配体制のからくりを,事実にもとづき克明にかつ中学高校生にわかるように書いている.知らねばならないことの書かれた,必読の書である.

矢部さんが示すように,現代日本の最も基本的な問題は,この世界史的にも例を見ないような対米従属体制から,いかにして自らを解放するのか,という課題である.そしてさらに,これは私の原稿で強調しているところであるが,いま資本主義は不可避に終焉にむかっている.この基礎的な条件のもとで日米関係もまた動いてゆくし,この条件のもとにわれわれの課題もある.矢部さんも,この先十年を越えるあたりから大きな変動に直面することを言っておられる.私の原稿のひとつのまとめは,

資本主義の行きついた果てとしてのアメリカは、現代のローマ帝国であり、資本主義の終焉という条件の下で、解体過程に入ったローマ帝国である。敗戦後、一貫してこのアメリカに隷属してきた日本は、帝国アメリカの解体過程のなかで、激しく世が変動する。これは避けられないことである。

このとき、すなおな心をその根底におく日本神道は、歴史の求めに応じてゆこうとするものに対して、生きる道を指し示す。

ということであった.ここで言う「日本神道」については,さらに「日本神道(一)」,「日本神道(二)」も参照してほしい.どれだけの人が今このことを理解してくれるかは別の問題であるが,書き置けば,いずれ誰かが読むだろう.今回の原稿は,本にするところが見つからなければ,青空学園に置いておく.

これを仕上げて,息つく暇なく,二十日は地元にある公園での地域の防災訓練とその後の夕涼み会をおこなった.災害時の非常食であるα化米を試食し,こちらがドイツで買ってきた白ソーセージや、それぞれもちよったものをいただきながら,フラダンスや紙芝居で懇親を深めた.そして二十四日は,地域にただ一つある地蔵様の地蔵盆である.私も世話人なので朝から夜まで途中交代して世話をさせてもらった.これらは昨年「暑い晩夏に」に書いたことと基本は変わらない.

小学生の頃,二十三日,二十四日の地蔵盆が終わると,もうすぐ二学期だなあ,宿題がまだ済んでいないなあ,などと思ったのをどこかに覚えている.そういう季節感のある行事が,いま住んでいる新興の住宅街には少ない.小学校校区の夏祭りのほかに,地元自治会の花見会,防災訓練と納涼会,年末の夜回りを,地域の年中行事としてこれからも続けて,残して置きたい.

いろいろ思うところもあり,考えさせられた,いい夏であった.

PUKINPUKIN 2017/08/25 23:07 第2次世界大戦前夜、米英の時代はもう終わり、これからはドイツの時代、「バスに乗り遅れるな」とヒトラーと同盟を結んだ馬鹿な国がありました。
いつになったら歴史に学ぶ事ができるのでしょうか。

Matsuoka ToshiyasuMatsuoka Toshiyasu 2017/08/30 08:41 1冊の本にされるのですか? 私も京大の同期(nankaiさんの後輩)の人と『遥かなる1970年代‐京都』(仮)というタイトルで11月初めまでに出版すべく進めています。A5判・300ページ余りになりそうですが、おっしゃるように「この歳になって、本にまとめようというのは、遺言を書くようなものである。身を削るようなところがあり」ます。至言です。

nankainankai 2017/08/30 09:23 松岡 様
その本楽しみです。こちらはまだこれから出してくれるところをさがす段階です。
いずれにせよ、われわれの世代がこの時代の経験を次代、次次代に引き継ぐために、できることはしておかねばなりません。

PUKINPUKIN 2017/08/31 10:23 さて北朝鮮のミサイルが日本の上空を通過しましたが・・・・・

「オスプレイが墜落したら危険だ」と反対している人たちへ、

北朝鮮のミサイルが故意にでも偶然でも日本に落ちる危険があるのに、朝鮮総連の前で座り込みや施設進入などの抗議行動はしないんですか?

「原発が事故を起こしたら危険だ」と反対している人たちへ、

日本の平和目的の原子力施設には反対するのに、殺傷目的の「核兵器」には反対しないんですか?
口先だけで反対って言って、逆に日米に核を持つ人間を刺激するなって、相手の思う壺ですよ。

そういう態度だから、国民はあなた方を支持しないんですよ。

PUKINPUKIN 2017/09/02 23:43 民進党新代表に前原誠司氏が選出された。
彼の役目は「党勢低迷により離党者が相次ぎ党存亡の危機」をどう乗り切るかが最大のものだろうが、彼は以前から、沖縄のの米軍基地問題についてはについては、2010年の沖縄での懇親会で

「どこが与党でも(辺野古移設は)推進」https://ryukyushimpo.jp/news/prentry-167910.html

そして代表戦でも

「辺野古が基本」http://www.okinawatimes.co.jp/articles/-/131612

と自分の方針をアピールした。

また原発については、枝野が、「2030年代の原発ゼロ」を謳っている基本政策合意を根拠に

「再稼動の条件は「基本政策合意」の通りであるべきです。これらの前提条件は満たされておらず、再稼動を認めることができません。」

と述べているのに対し、前原は

「再稼働にあたっては、「基本政策合意」にあるように、国の責任を明確化し、責任ある避難計画が策定され、核廃棄物の最終処分場選定プロセスが開始されることが前提であると考えます。」

と条件付きながら容認している。
http://blogos.com/article/241012/

で、代表戦の結果、国会議員数でも地方の党員サポーター数でも圧勝した。


彼はとっくに判っていたのだ。

「辺野古反対」「原発反対」など一部の「市民」が騒いでいるだけで、多くの「国民」はそんな事を望んではいないと言う事を。
そしてその一部の「市民」に安っぽい迎合したせいで、多くの国民から背を向けられたと言う事を。
それを前原だけでなく、民進党の多くの党員サポーターが理解し始めた結果が前原圧勝だと言う事だ。

少数派である事を自覚した「反対派市民」は粛清や暴徒化するのが目に見えている。
昔の赤軍派と同じだ。
平和で安全な日本を守る為、警察はしっかり治安を守ってほしいものだ

PUKINPUKIN 2017/09/09 08:46 不倫で民進党を追い出された山尾志桜里だが、お相手の弁護士倉持麟太郎氏にある疑惑が挙がっている。

名前の「麟」という漢字が戸籍法施行規則に基づく人名用漢字として使えるようになったのは1990年になってからだということだ。http://kanji.zinbun.kyoto-u.ac.jp/~yasuoka/kanjibukuro/japan-jimmei3.html
彼は1984年生まれの34歳ということであるので 当然戸籍上はこの漢字は使えないはずである。

弁護士が、いや一般市民が名前を変更するなどよほどの事がない限りないはずである。
考えられるのは1990年以降に日本人になった「帰化日本人」
あるいは「在日」で通名を使っているかであろう。

聞けば彼は蓮舫の二重国籍問題の担当弁護士だったそうだ。
いやはや民進党はよっぽど外国人に日本を左右させたいようだね。
それを支持する人間もろくなもんじゃないね。

PUKINPUKIN 2017/09/17 22:04 9月17日に共産党書記局長小池晃は言った。

「解散総選挙は森友・加計隠しだ!」https://twitter.com/koike_akira/status/909146061830156288

だが8月13日にはこう言っている。

「安倍は森友・加計隠しせずに解散総選挙しろ!」https://twitter.com/koike_akira/status/893018866514673664

また赤旗の8月20日にはこう書かれている。

「解散・総選挙に追い込んでいこう」http://www.jcp.or.jp/akahata/aik17/2017-08-20/2017082004_01_1.html

ねぇ?
野党ってさぁ、自分の言った事覚えてないの?

hatehei666hatehei666 2017/09/22 06:16 矢部さんの本面白そうで早速図書館に問い合わせたら、予約者多数なので、次にあった『日本はなぜ、「基地」と「原発」を止められないのか』を予約しておきました。基本的に同じ発想だと思います。読むのを楽しみにしています。

PUKINPUKIN 2017/09/22 07:38 この本についてamazonnのこのレビューが実に興味深い。


嫌韓本と同じジャンルの被害者ファンタジー本 投稿者てつおくんのともだち

米軍撤退とか原発廃止のためには憲法改正が必要という本。
私にはそうは思えません。
米軍撤退とか原発廃止、そういう主張をする政党を選挙で国民が選べばいいだけでしょ。
残念ながらそうはならないとしたらそれが現在の国民の選択だということ。
鳩山政権をアメリカが倒したみたいな事を彼らは言いたいわけだけどそうじゃない。
世論の支持がなくなったから鳩山は続けられなくなった。官僚が協力しないとかアメリカが官僚とぐるだからとかいろいろ書いてるけど、それなら鳩山がだめでもまた同じ主張の政治家を国民が選べばいいんだし。国民世論がアメリカによって操作されるからそんなことできない?
だったら憲法改正だってできないよね。

だからそういう政党が国民の支持を得るためにはどうしたらよいのかということを我々は考えるべきなのであって、アメリカを敵視するとか憲法改正とか、何を枝葉にこだわってるのかねという気がします。

国民世論の意志と力で適切な政治的指導者を選べば米軍の問題も原発の問題も変えられるのです。
しかしそこを見ずに問題の根源はアメリカだと批判する本です。
先日目にした蓮池透さんのインタビューのなかに「被害者ファンタジー」という言葉が登場しました。
この手の本になぜ需要があるのかをうまく説明できる言葉ではないかと思います。
嫌韓本・嫌中本なども同じ事が言えると思います
嫌韓本・嫌中本の場合は太平洋戦争での日本の加害性に向き合い認める事ができず、加害者だと言われて鬱屈した感情を持っている人を対象とします。
実は韓国・中国が加害者で、日本国民は被害者であると「隠された真実」を「暴露」し、偏狭なナショナリズムを肯定することによって鬱屈とした気持ちを解放してくれるわけです。
この本の場合も同じような構図だと思います。
基地問題や原発の問題を自ら解決できない鬱憤を、外部に迫害者を設定し、巧妙にしかけられた「法的・歴史的トリック」を「暴露」し、自らを被害者だと自認することによって解放してくれる。

「米軍撤退とか原発廃止、そういう主張をする政党を選挙で国民が選べばいいだけでしょ。
  残念ながらそうはならないとしたらそれが現在の国民の選択だということ。」

この言葉をよく考えてみてくださいね。

2017-08-04 夏のドイツ このエントリーを含むブックマーク

1661年

f:id:nankai:20170817235650j:image:w180:rightf:id:nankai:20170804093832j:image:w260:left7月22日の朝伊丹をたって,8月3日の朝伊丹に戻る行程でドイツにいた.フランクフルトの北30Kmにあるヘッセン州の街,バートナウハイムの,シュプルーデルホーフの泉からあるいて5分ほどのところに逗留し,途中4日ほどミュンヘンに滞在してきた.

昨年のことは「ドイツ滞在上」,「ドイツ滞在下」,「ドイツまで」に書いた.

この夏の時期でも気温は18°ほどで,今年は曇りの日が多かった.バートナウハイムは落ちついた温泉のでる街である.池のある緑の深い公園が街なみと一体にあり(左上写真),その公園の中には温泉療法のための吸引棟(右下写真)なども残っている.昨年入ったが,木組みの大きな通路に,温泉水が蒸気になってそそいでいるなかを通り抜けるのだ.

f:id:nankai:20170804094527j:image:w180:leftまたバーナウハイムの旧市街も一部現存している.かつては旧市街を取り巻く石の壁が,丘の麓にあったが今は一部のみ残っている.そこには今も木造の家や街なみが残っている.そのなかには写真のようにロシア教会もある(左写真).上右の写真はバートナウハイムの旧市街にある建物であるが,上の窓のその上に「ANNO DOMINI 1661」とある.その界隈を散策すると落ち着く.

このように建築された年代を書いた古い建物が,ドイツの街には多い.日本とドイツの文化に違いを感じるが,石の文化の永続性にはいつも考えさせらる.

f:id:nankai:20170804094029j:image:w220:rightドイツは,日本のように山と平地にわかれるのではなく,南のアルプスを除くと他はなだらかな丘陵の平原が広がっている所なので,街もゆったりしている.このようなドイツの各地方の都市は,18世紀,19世紀に作られていった.

ということは,西洋による植民地支配とそこからの収奪からもたらされる富が,このような自然条件のもとで,これらの街々を作っていったと言える.そして今,かつての植民地や奴隷貿易のあった地域からの移住者や難民が,このヨーロッパにやってくる.2015年には西洋世界の難民問題が大きく表に現れた.

f:id:nankai:20170804094358j:image:w220:leftこれは,八百年におよぶ西洋の非西洋に対する収奪の結果として社会的な基盤が崩れた地域からの,生きるための大移動であり,かつてのゲルマン民族大移動と同様,旧世界を大きく揺り動かしている.

こうして,ドイツの街々は,アラブ系の人,アフリカ系の人,そしてわれわれアジア系の人間が,白人と混じって生活している.社会を支える下積みの仕事はほとんど移民が引きうける.日本と同じく,いわゆる格差は広がっている.故郷で生活できなくなって移って来た人らが,やはり苦しい.

昨年はライン川の古城に行ったが,いちど南ドイツにも行きたかったので今年はバイエルン州のミュンヘンを訪れた.ミュンヘンは,ドイツで3番目に大きな街だが,しかし広大な緑の公園もあり,街そのものはゆったりしている.この地方は大雨も多く,この間も雨の日が多かった.河の水も茶色で水量も多かったが,あちこち歩いた.

f:id:nankai:20170804100503j:image:w220:leftf:id:nankai:20170804100232j:image:w220:right街の中心部にはマリエン広場(右下)がある.ミュンヘンの新旧の市庁舎はマリエン広場の周りにあり,古い建物に囲まれた商店街も広がっている.ミュンヘンの公園で見かけたナメクジ.雨がやんだときの乾燥に耐えるためだろうか外革が厚い.温暖湿潤の日本のナメクジはこのあたりでは生きられないかもしれない.

f:id:nankai:20170807221415j:image:w160:right毎日,少しではあるが肉料理を食べワインを飲んでいた.酒は風土と深く結びついている.偏西風の吹く乾いた風土と肉料理に合うのがワインである.温暖湿潤な空気のなかで刺し身が合うのが日本酒である.ドイツは白ワインであるが,じゃがいもで作った焼酎のような酒もある.それも少し味わった.

この間,こちらは,これまで雑誌に寄稿したりしたのを再構成してまとめようとする構想などが行きの飛行機の十時間から,頭から離れず,毎日,気分転換しながら,夜や早朝にいろいろ考える.これは去年もそうだったが,日本にいる日常と少し異なる生活をすることで,いろいろ考えも涌いてくる.帰りの飛行機の中でそれらを入力したのも去年と同じであった.

f:id:nankai:20170804100827j:image:w240:leftf:id:nankai:20170804100639j:image:w240:right日本に戻って,これから,自分の書斎でこれらをまとめてゆこうと思う.数学の問題づくりなどの仕事もたくさんあるし,地域の課題ですることもいろいろある.一時その日常から離れてみることも大切だ.彼らも一年以内には日本に戻りそうなので,もういちど行けるか,というところである.

時代の流れ,時の移りを,異なる空間で味わうことは,得難い経験であった.こうして日記に書いておけば,その時間のことを思い起こす手助けになる.そのつもりで書いておいた次第である.

PUKINPUKIN 2017/08/04 10:02 独で移民的背景持つ人口が2割に
https://www.nna.jp/news/show/1508633

現在のドイツは5人に一人が移民である。
さらに若年層では3人に一人の割合になっている。
さて、10年後、20年後のドイツに従来ドイツ人はどれだけ残るだろうか?
その頃には国名が「ジャーマニスタン」に変わってはいないだろうか?

現在の日本には移民は多くいません。
しかし移民が5人に一人、そして日本語もうまく話せない状況で今までと同じぐらいの安全が確保できるでしょうか?
彼らに対する教育や生活保護の為に税が上がる事をどこまで許容できるでしょうか?

イスラム国は自分のテリトリーにある仏教の像や寺院を偶像崇拝や邪教の象徴として、破壊していましたが、イスラム教徒が京都の人口の過半を占めるようになったら、京都は無事でいられるでしょうか?

ソビエト時代ウクライナの土地にいたロシア人は自分の住む地域を無理やり独立させた後ロシアに編入されましたが、中国・韓国系移民が日本から勝手に独立し、領土を母国に差し出せばどうなるでしょうか?

日本が「ニホニスタン」や「中華人民共和国 日本省」にならぬよう願うだけである。

hatehei666hatehei666 2017/09/22 06:03 久しぶりです。ドイツの重厚な石の建築物、まさに日本と違って永続性を感じさせます。今瓦屋根の補修をやっていますが、築58年の家は木と土がほどんと。瓦も粘土。
昔和辻哲郎の『風土』を読み、日本のモンスーン文化の一端を知りましたが、特徴的なのが夏の台風で、この暴風が伝統的な瓦を吹っ飛ばしてしまいます。その下にある棟土も、我が家では大量に流出してしまいました。日本人は壊れたものを直し続け、よく忍従してきたものだと思いました。阪神大震災でもこの重い瓦屋根と棟土が落ちて、多数の人が亡くなりましたよね。
一方転会した福島の教会では、ドイツ人の女性宣教師がいて、ルター以後のドイツのキリスト教がどうなっているのかを知る為、礼拝後の教会神学校に出ています。醒めてしまった教会ばかりと思いきや、さに在らず、結構根本的です。これは大発見でした。
打たれてもリバイバルを起こして続いてゆくキリスト教、それが国の行方にどう影響を与えてゆくのか注目しています。

nankainankai 2017/09/22 08:54 hatehei666様
ドイツでは石造りの家が中心ですが、同時に森の国で木材も手に入りやすく、木組みと漆喰を組合せた古い建物も旧市街にたくさんあり、われわれにはなんとも親しみを覚えます。台風がないのでそういう古い建物が多いのかもしれませんんが、大切にしようとしているものわかります。
教会はどこも開放されていて、われわれも入ることが出来、その場が大切な場であることがよくわかります。
そういうドイツですが、同時に内部では、内部の格差は大変大きく、さらにそこに移民、難民の問題が加わり、日本とはまた違う形で、さまざまの問題をかかえているようです。

2017-07-11 今年も相国僧堂 このエントリーを含むブックマーク

f:id:nankai:20170711092613j:image:w260:left一昨日は,私にとって数年来の恒例となった京都相国僧堂での座禅会であった.午後二時から六時過ぎまでを寺で過ごしてきた.読経.僧堂での座禅座禅は線香一柱が燃える間を単位とするがこれが約二〇分.それを二柱.そして老師の臨済録をもとにした提唱.その後また堂の部屋に戻り,精進料理の会席,という次第であった.今年も,九十一歳になられた上田閑照先生が参加してくだされた.半世紀前,上田先生のご自宅で学習会をしたことも思い起こされる.

再びここで座禅をすることになったときのことは,「相国寺僧堂」に書いた.これから毎年参加してきた.2013年7月13日:夏の京都の一日2014年7月13日:京都の夏2015年7月11日:夏のはじめの金曜行動2016年7月10日:京都相国寺.もう今年は六回目である。半世紀前の学生時代に,在家居士の会である智勝会に参加し,それからそれぞれの人生を歩んできたものが,OB会として集まり,再びこうして坐る.不思議なことであり,これは私にとって,欠かすことのできない,一年の柱のような時間となってきている.

f:id:nankai:20170709133316j:image:w260:rightこれまでは土曜日に行ってきたが,今年からは日曜日となった.これまでは,御所の近くの食堂で昼食をとって,相国寺の南側にある同志社大学の学生食堂で飲み物をとり汗をひかせ,それから相国寺に向かっていたのであるが,そのつもりで行くと,日曜日で学生食堂は閉まっていた.代わりに,新島襄の記念館が開いていたので,少し時間を使ってそこを見学し,体を冷やし落ち着いてから寺にいった.

京都の街の真ん中で,時代によっていろいろと形を変えても,在家居士の参禅は,室町時代から連綿と続いてきただろう.僧堂に会して坐を組む.一人一人にとって,それぞれの人生をふまえて座禅への思いや,その時の心のあり方はちがうだろう.しかしこのような,まさに一つの場が続いてきたことの意味は,大きく深い.

f:id:nankai:20170711092916j:image:w220:leftかつて,半世紀前,私が師事していた止々庵梶谷宗忍老師は,智勝会の会報に,次のような漢詩を示されていた.

   光陰易過學難成  螢雪惟期他日譽  紛糾世情莫運頭  研鑽一路驀然去

私は当時これを深く読んでいたとは言いがたい.一九六八年,大学が全学ストライキに入った頃,老師に何の挨拶もせず,寺を離れたのだった.一九九五年に,老師が亡くなられたことをそのときの新聞記事で知って,今生ではもう相国寺で座禅はできないだろうと思ってきた.ところが,私の一文「不安と求道」を,OB会に参加していた人が目に止めて幹事に知らせ,幹事のMさんが手紙をくれ京都駅のところで再開した.こうしてまた相国寺で座禅ができるようになった.このめぐりあわせはまったく不思議であり,場を結ぶもののことを思わずにはいられない.「青空学園」をやっておいてよかった.

f:id:nankai:20170706154613j:image:w260:right昨日十日月曜日は,朝から締め切りの近づいた問題作成原稿に手を入れ,午後は副会長と市役所まわり,それから神戸に出て夜は授業と,時間がとれず,今朝ようやくこれを書いた次第である.

それにしても,京都は私にとって不思議な,体の一部のような感じを持つ街である.街におりたったときの感覚が,他の街にいるときとまったく違う.先週七月六日には,京都市南区吉祥院にある吉祥院天満宮に参った.ここは母の実家のあったところと鉄道を挟んだ南側にあり,なんとも懐かしい.二〇一三年六月に初めて参った.吉祥院天満宮のことは2013年6月27日:吉祥院天満宮2013年8月25日:吉祥院六斎2015年5月26日:人間と土地,そして螢などに書いてきた.京都の街は,母の故郷の地であることと,そして学生時代を生活した地である.京都のそれぞれの地域,街の路地,周りの山の光景.すべてが懐かしい.こう書いていて,鹿ヶ谷の坂道で,そこの風景をスケッチしていたときのことを思い出した.あのころ,それからの生き方に迷っていた.半世紀前のことである.

この街のそれぞれの営みは,かならず守り後世に伝えなければならないとつくづく思う.同時に,それが出来ず現代において断絶するところの少ないことを思う.写真は,相国寺南門,境内の本堂への道,鐘楼.そして吉祥院天満宮の境内にある地蔵堂.

追伸:7月20日.昔『月刊たいまつ』の読者会などを一緒にやっていたNさんが昨日の朝亡くなった.Uさんが先程知らせてくれた.Nさんは定時制法学部を出て司法関係の仕事をしながら,途中で得度真言宗の僧侶として,地元でその活動もしていた.2年前に脳内出血を起こし,それ以降意識は戻らなかったそうである.私が退院した直後となる3年半前の賀状に入院していたことを書いたら,直ぐに電話をくれた.あれが久々に声を聞いた,そして最後の会話となった.最近も一度会いたいなとも思ったばかりである.こちらは明後日から旅行で,明日は地元の会議が二つあり,葬儀にはいけないが,Uさんが出てくれるのでよろしくと言伝てした.合掌.

umryuyanagi104umryuyanagi104 2017/07/15 15:55 去年だったか、一昨年だったか、記憶にないのですが、いつもこちらで座禅や写経や精進料理の話を読んでは羨ましく思っています。
いつか京都へ行き、時間の余裕作ってこんな時間を過ごしてみたい、と。法師から説教の一つなり頂いて御堂の中で暫し身を置きたいものです。

若いとき、永平寺で一度体験しただけですが、それはもう良い時間を過ごせたので。羨ましいです。

nankainankai 2017/07/15 18:56 コメントありがとうございます。
相国寺は第二、第四日曜に坐禅会をしています。
http://www.shokoku-ji.jp/a_zazen.html
京都にお越しの折りはぜひ行ってみてください。
故郷の宇治には曹洞宗の興聖寺があり、父が晩年、日曜参禅会に行っていたようです。
こういう参禅会や在家居士の会は、これからも続いていってほしいと願っています。

numapynumapy 2017/07/18 09:29 一時、座禅とはちょっと違うかもしれませんが、
超越瞑想が日常生活化してた頃がありました。
自分で言うのも変ですが、妙なことがたくさん起こりました。
最もこの瞑想法は、宗教的なものではなく、
その入り口のテクニックというものでしょうか?
創始者は、かつてビートルズが滞在してたインドの
マハリシ・マヘーシュ・ヨーギです。
現在ブームの笑いヨーガなどの素となったかもしれません。
“無”というものがどんなものなのか、
さわりだけは体験したような気もします。

nankainankai 2017/07/18 13:19 お話ありがとうございます。インドのヨガにも関心を持っていたことがあります。
意味付けはそれぞれの背景で違うかもしれませんが、身のうえに起こることは同じことなのかもしれません。