3万人の死者の原因を解決する産業

3.11の東日本大震災による死者・行方不明者数が3万人に近づこうとしています。
被害にあわれた方々、家族の方々には本当に耐え難い苦労と向き合い、必死に生きられていることを思うと、胸が痛くなります。

日本のような先進国で、一度に3万人近い死者数が出るというのは、戦争よりも大きな被害です。
自然の力を思い知る出来事となりました。

「3万人の死者」という数をイメージしてみたときに、
思い浮かんできたのは、日本の年間の自殺者数は、10年以上連続して3万人を越えているという事実です。

普段の生活ではそれほど意識をすることはありませんが、自然災害や事件ではなく、毎年、3万人以上が自らの意思で死を選んでしまう、自分で自分を殺してしまうという悲しい事実がそこにはあります。

そして自殺未遂は自殺者数の10倍にのぼると言われ、30万人が自殺を試んでいることになります。

また、うつ病患者は日本で100万人を超え、世界では1億2000万人以上がうつ病であると言われています。

自殺やうつ病の原因は、「自らの心を自らが制御できない」
ということです。

自らが生み出している考えや感情や、作りだした人間関係によって悩み苦しみ、自らの命を断つことでそれらを解決しようとしてしまうこと、これほど悲しいことはありません。

また、うつ状態になり、無気力になったり、日々の生活を楽しめなくなったり、仕事においても著しく生産性が落ちてしまうのは、個人にとっても家庭にとっても、企業にとっても、そして日本全体、世界全体にとっても大きなエネルギーの喪失に繋がります。

このような問題を根本的に解決し、
依存や逃避ではなく、真正面から向き合い、自力で解決することができる、そんな職業を沢山創出していき、日本の課題、世界の課題である、「心の問題」を解決していく産業が必要なのだと思います。

人生のゴール

あなたが登山をしたいと思うとき、
まず、することは何でしょうか?

それは、どの山を登るか、山の選定をします。

「人生のゴール」を山の頂上に例えると、
まず、あなたがどんな山を登るのか?
どんな人生を送るのか?を選択するところから始まります。

あなたの選定と、他人の選定が違うのは当然です。
ある人は富士山に登り、ある人は高尾山に登り、
ある人はエベレストに登ろうと決意します。

富士山を登ると決意をした人が、高尾山に登っている人と比較をしながら、こっちの山のほうが良いぞ、あっちの山のほうが良いぞと比較をしても何も生まれません。

富士山を登る人と、高尾山を登る人では全く別の条件や環境があるのです。部分だけを見て、比較をしても全く意味がありません。

そして富士山を登ると決意した人でも、
上り方は人それぞれです。
ルートも違う、ペースも違う、格好も違う。
それを比較して優越感を感じたり、劣等感を感じたりしてもしょうがありません。
あなたのすべきことは一歩一歩の歩みを繰り返すことです。

中には、「自分が一番早く登るんだ!」「一番効率良く登るんだ!」「一番楽しく登るんだ!」と誰かを意識した競争をするかもしれません。

でも、それはその人が楽しく登るために考え出した方法論の一つでしか無く、真似をする必要もありません。

あなたは、あなたのやり方で、あなたが選んだ山のその頂上を目指して、楽しく登っていきましょう。
惑わされず、不動の心で。

山の頂上に至るプロセス

インターネットが当たり前に生活に浸透し、日々の日常で私たちが摂取している情報は爆発的に増加しています。
そして、自分の日常を振り返っても、何気なくインターネットに接続してヤフーやニュース系のサイトを見て回り、メールもチェックして、メルマガも読んで、気になるblogを見て、twitterを見て、たまにはyoutubeなどの動画も見てとやっているうちに随分と時間が立ってしまいます。

そして、たくさん情報を摂取した事によって、自分の知識が広がったり、進化した気分になりながら、日々の事務的な仕事に着手します。

そしてそれらが一段落する頃には、またヤフーやニュース系のサイトを見て回り、メールをチェックして、twitterを見て、そこからいろいろな情報にアクセスして、一段落したらまた型にはまった仕事に戻るということを繰り返していたなと思います。

家に帰ったら今度はテレビを見たり、本を読んだり、DVDを見たり音楽を聞いたりと、ここでもまた膨大な情報を摂取し、お酒を飲みながら、「今日もよく頑張った!」と実感しているような生活でした。

このような毎日を繰り返していて、ふと気がついたのは、情報を受信しているばっかりで、それらの情報を自分なりに咀嚼し、編集し、ある目的にそって論理展開して「発信」をする、という脳の回路は随分と長い間使っていなかったことを自覚しました。

文章を書くといえば、メールや企画書ぐらいで、あとはひたすら受信ばっかり。
それなのに、漠然と将来的には本を書きたいな、講演をする立場になりたいなと、憧れている。

そしてそれは、単純な願望レベルなので、何一つ発信をする練習はせず、受信だけをする受身な立場の毎日。

ますます、理想の自分と現実の自分の乖離は広がり、twitterで発信している人、youtubeで発信している人、イベントを開催している人、本を書いている人などと、自分自身とを相対比較し落ち込んでしまう、人生全体にあきらめを感じてしまう、そんな負のサイクルを繰り返していたのでした。

そんな自分がふと気がつけたこと、
それは、どんなパターンを繰り返しているのか?
それによって、結果が変わるということ。
「習慣」の大切さです。

一歩一歩、着実に歩を進める以外、山の頂上に着くことはありません。
山の頂上に行きたいな、早く頂上に着きたいな、
頂上に着いたらどんな景色が見えるのかな?どんな気分になるのかな?
そんなことに想いを馳せても、歩を進める以外、前進はありません。

ですから、一番大切なのは、いかに一歩一歩の歩みのプロセスを楽しみながら、継続できるのか?

山の頂上にいる時間は一瞬です。
大半の時間はその頂上に到るまでのプロセスです。

だから、プロセスを大切に、楽しく、決めたゴール(頂上)に向かって、毎瞬毎瞬、確実に歩を進めていきましょう。

今ここを精一杯生ききることが、人生を楽しむ秘訣です。

あなたはどんなゴールに向かって、
今日という日を過ごしますか?

楽しくてしかたない

朝起きた瞬間に、わくわくしてくる。
楽しくてたまらない。
幸せを実感できる。
希望が溢れて、仲間がたくさんいて、
一日の大冒険を楽しめる。

そんな生き方を誰もができるんだってことを、
たくさんの人に知ってほしい。

今の生き方や人生が当たり前なんかじゃ、決して無い。
あきらめないで欲しい。

生まれてきて良かったと、毎瞬、毎瞬実感できる、
そんな風に生きられるんだよ。

もっとたくさんの人にそんな生き方を、健全に、素早く広めていけるように仕組みを作っているから、待っていてね。

今この瞬間を幸せに生きていいんだよ

幸せになりたい
迷いなく、悩みなく、毎日を活き活きと、自分の力を最大限活かしながら、たくさんの人に喜んでもらいながら、楽しく過ごしたい。
そう願う人は多いと思います。

では、逆になぜその状態で生きることが出来ないのでしょうか?
その鍵は、「今この瞬間を幸せに生きていいんだよ」という、
自分自身への許可をしていなかった、ということなんです。

いつか時間ができたら、
お金に余裕ができたら自分の好きな事をしよう、
いつか欲しい物が手に入ったあとに考えよう、
結婚をしないと幸せになれないんだ。
身の回りの課題が解決してからじゃないと。
などなど、
本当は、誰だった「今この瞬間から幸せに生る」ことができるのに、様々な条件をつけて、自ら「今は幸せに生きることはできない」自分が決めた「ある条件がそろった未来に・・」と、今この瞬間の幸せを放棄してしまうのです。
そしてそれは意識すること無く、無自覚的に今この瞬間の幸せを放棄して、今を生きること無く、いつかくるかもしれない未来を期待して、今を漠然と生きてしまうことが多いのです。

これは私たちが受けてきた教育や、多様なメディア、広告による欲求の扇動、そしてインターネットの普及による莫大な情報を通した相対比較が原因になっています。

「今この瞬間を幸せに生きていいんだよ」
そう自分に言ってあげてくださいね。
幸せに生きることを自分に許可してあげてくださいね。

そこから、あなたの人生は大きく動き出していきます。

存在を溶かす技術

Noh Jesu氏が開発したイメージ言語、イメージ感覚をベースとした認識技術、「観術」を活用することで、何が可能になるのか?

それは一言で言うと、全ての存在を「消す」ことができるということです。
厳密に言うと、通常の5感覚の認識方式とは別に、「消す」認識方式も得られる技術です。

私たちは人や物が当たり前のように存在していると考えています。そしてそれを信じて疑いません。

しかし歴史上の聖人、偉人の言葉には、
ソクラテスの「無知」や老子の「無為」に代表されるように、「無我」「無常」「無想」「無刀」といった、当然ある「知識、行為、自分(我)」が無いんだよ、と説いています。

これはどのような意味でしょうか?

それはこの世界が錯覚であること、
「自分」というものが錯覚であること、
すべての言葉や行為や知識は錯覚であること、
というもう一つの認識方式を持つことが、「悟り」だという事です。
これは仏教の「空」の概念と同様です。

もちろん「何も無い」虚無の世界ではありません。
人間が何も無い空間として定義する「真空」から多様な粒子がいつの間にか生まれてくるように、
何も完全に「無い」のではなく、人間には認識できない何かが満たされているのです。
この人間には「無」としか認識できない領域を認識出来るのが、「空」を悟ことであり、この「空」を悟るのは当然、空から「色」までが生まれるメカニズムも悟り知る、それがNoh Jesu氏が開発した「観術」の威力です。

空を知り、色を知る。
宇宙自然を悟り、文明を悟る。

「有る」世界と「無い」世界の両方が同居している、
その「空の世界」、「不立文字の世界」を、論理とイメージで解析可能にしたイメージ言語。

その全く新しい言語から、新しいルネッサンス、新経済大陸が胎動すること、そのイメージが日々深まってきて、ワクワクします。

今ここを最高の喜びで生きる。

誰もがその生き方、新しいライフスタイルを当たり前のように享受できますように。

知行合一

「1.知識として頭の中で理解をする事」
「2.悟りの世界が認識可能になる事」
そして、その
「3.悟りの世界のメカニズム通りに生きること、悟りを生きる、真の自分を生きること」
という3つの間には、それぞれ大きな違いがあります。
例え、1の段階で悟りの世界を理解可能(I Know)になり、2の段階で認識可能(I Do)になり、3の段階でその悟りのメカニズム通りそのもとなって生きる(I Am)の変化が起きます。

この時、1や2の段階で留まって、3の生き方までの変化が起きない場合には、いくら悟りの世界を理解、認識可能になったとしても、知っていることとやっていることの間にギャップが生じ、ダブルバインド、板ばさみ状態となってしまいます。

そのダブルバインドを突破するためには、
悟りの生き方を決断し、選択し続ける必要があります。

損な悟りの生き方を自らがさらに決断し、選択すると共に、その悟りの生き方が新しいライフスタイルとして、21世紀のあこがれの生き方として、定着するよう、広がるように、今ここを大切に、悟りを理解し、認識し、そのものになって生ききろうと思います。