宗教に包まれた古代哲学 モウスト「哲学と宗教」

古代ギリシア・ローマの哲学―ケンブリッジ・コンパニオン

古代ギリシア・ローマの哲学―ケンブリッジ・コンパニオン

 現代の哲学と古代の哲学のあいだには強い連続性があると考えられています。これにたいして古代の宗教と現代のキリスト教とのあいだには強い不連続性があります。しかし実は前者の連続性は罠です。現代とは異なる古代宗教の性質を理解せねば、古代哲学の実践様式は理解できません。なぜなら「哲学が古代において実践されていた様式は宗教の最も顕著な諸特徴の多くを共有していたからである」(430ページ)。

 古代の宗教は多神教であり、統一的な体系はなく、地域によって性格が大いに異なっており、そのうえこれらすべての多様性を調停しようと努力する人もほとんどいませんでした。むしろ古代宗教というのは、このような多様性の基礎にあるそれぞれの集団内で、目に見える形で遂行される活動のことを指します。ある集団が奉ずる神々を承認していることを儀式に参加して示すことが宗教的敬虔でした。実は哲学も同種の性格を持っていました。それは単なる理論ではなく、人のふるまいのうちにも表れているものとみなされていました。

 ギリシア・ローマの宗教は、世界はどのようにして始まったのか。死んだあと私たちはどうなるのか。私たちはどう生きるべきか、といった問題にはっきりとした答えを与えていませんでした。哲学はここに思考の領域を見いだします。初期の哲学者たちは、永遠性、単一性、秩序性を備えた自然界の根本原理を神的なものと定義しました。しかし前5世紀からは(エンペドクレスを除いて)自らの神概念を詳細に規定することが少なくなります(パルメニデスソクラテス)。プラトンは神についての伝統的説明のすべてをしりぞけて、善の起原としての神を措定します。彼が掲げる哲学の目標とは、問答法と数学によって神に自らを似せるよう自分を鍛えることでした。アリストテレスにとって神はこの世界の究極的根拠であると同時に、倫理的に人が目指すべきところも規定するものでした。哲学者の目標の一つにはやはり、神のようになるということがあったのです。エピクロスにとって神の至福の状態は獲得すべき目標でした。ストア派にとって神というのは世界に遍在する原理であり、それゆえそれに一致して生きねばならぬものでした。たいして新プラトン主義者たちは、神学を自然学から切り離し、テウゥルギアー(神通術)の助けを借りて、神と合一することを目指していました(イアンブリコス以降)。

 哲学は学説レベルだけでなく実践のレベルでも宗教と深く結びついていました。古代世界の人々は「神のごとき人」という人物像に慣れ親しんでいました。そういう人物は何か神に比すべき能力や知識を持っているとされていました。都市からするとアウトサイダーである彼らは地方を遍歴しながら、時折都市に現れ自らの力なり知識なりを披露していました。この風変わりな人物群のなかから、おそらく前6世紀に合理的議論・調査にも従事する人々が分離し、自らのことを哲学者と呼ぶようになります。しかしそれは元の流れから完全に分離したわけではなく、(イアンブリコスに見られるように)再び神のごとき人の流れに飲み込まれることになります。

 しかし哲学者と「神のごとき人」たちとのあいだには違いもあります。それは前者が強い持続性をもつ学校という共同体を形成することに成功した点にありました。それは現在の学校とは異なるもので、当時の団体で類似のものを探すならば、英雄教団ということになります。ある特定の英雄を崇敬し、その遺物を所有し、一定の儀式を行う人々からなる英雄教団は、ある特定の哲学者を崇敬し、その遺物(著作や蔵書を所有し)、記念祭(たとえば創始者の誕生日を祝うためのもの)を行う人々からなる哲学学校と類似した性格を持っていました。

 以上から分かるように、古代哲学の実践は広い意味での当時の宗教性(英雄崇拝含む)という文脈に属していました。しかし古代哲学は生き残り、古代宗教は生き残ることができませんでした。それにはナザレのイエスという古代世界の「神のごとき人」が大いに関係してくるわけです。