社会起業家

斎藤槙さんの『社会起業家』(副題〜社会責任ビジネスの新しい潮流〜)を読んだ。2004年に書かれた本である。

社会起業家―社会責任ビジネスの新しい潮流 (岩波新書)

社会起業家―社会責任ビジネスの新しい潮流 (岩波新書)

恥ずかしながら僕は社会起業家という言葉をこの本に出会うまでは知らなかった。そういう仕事の仕方があることは知っていたけれど、それにしても社会責任と言えば社会福祉、少し広義に捉えて環境に優しい、くらいのイメージでしかなかった。

ホットワイアード誌(現在はワイアード・ヴィジョン)によるアンケート結果が紹介されていたが、社会起業家に共感するかどうかという質問に307人中276人が「共感する」と答えたそうである。既に言葉の意味が分かる人が母集団であったと思えなくもないが、それにしても高い数字である。

さて、その社会起業家。社会を良くするという理念のもとに起業する人であり、それ以上の定義は重要ではない。働く内容よりもその姿勢に特徴があり、「働き方と生き方が同じ」と斎藤さんは解説する。「事業を通じて自分自身をさらけ出し・・・」という表現は、起業した人がどういう価値観を持ち、それをどういう形で社会に問うか、あるいは貢献するかということをあらわしているのだろう。

ある程度大きな会社を対象とし、社会起業家あるいは社会責任に積極的な会社を応援する動きに、社会責任投資(SRI)や国際組織であるBSRなどがある。BSRは残念ながら日本に直接の拠点はなく、日本経団連がパートナーとなって活動をしている。

しかしSVN(=Social Venture Network)の活動を見た斎藤さんは「自分ができることから始めるという単純な行為が大きな力を発揮しうる」と言う。つまりは、自分の価値観を大事にしつつも、「まずはできることから」というのが大事で、誰かが見ているからやるとか、競ってやるというのではなく、自らの精神性に素直に反応する、好きなことをやる、というのがその本質なのだろう。

ちなみに、NPOであっても、株式会社であっても、社会起業家になりうる。事業を続けるためには、キャッシュフローを継続的に確保することが大事なので、利益を出していくことは構わない。しかし、いくつかの社会起業家を例として紹介していたが、その多くは規模を追うことはせず、自分たちがコントロールできる範囲にとどめているところが印象的だ。

元同僚も最近、社会起業をした。日本では実績がない人が銀行借入れをするのは大変だという話を聞いた。上記にあるBSRやSVNなどは、アジアに拠点はあっても日本にはない。起業する人の割合も日本は低い。こういう残念な環境ではあるが、身近には既に行動を起こしている人がいるというのは実に嬉しい。

僕はと言うと、自分を育ててくれた環境・・・、それは自然や親を含めた家族、そして今までの経験やめぐり合わせなどの運に助けられたこと、に感謝をしたいと思うようになった。仕事人生の前半戦は、専ら自分のため、あるいは狭い意味での家族(核家族)のために仕事をしてきた。やったことは社会のためになったと思う。しかし「社会のためになりたい」という精神性よりも、「ビジネスを成功させたい」「仕事の経験をしたい」「未知のものを克服したい」といった自分のための自己実現が優位だったと思う。

以前に触れたライフワークの思想から考える後半戦は、今までの経験や技能を何らかの形で社会や若い人に還元したいと思う。

仮に起業するとしても、社会責任に深く、そして直接的な関与はできない内容なのかもしれない。しかし、「できることから」である。売上げの一部を寄付するもよし、あるいは教育ということを通じ、こうした価値観を伝えることでも良いと思う。アメリカには社会責任を教えている大学があるという。日本での例があるかどうかは分からないが、僕らにできること、会社に勤めながらでもできること、などを考えていきたい。社会で既に経験をし、しかもバブルから失われた10年(いやもっと?)を経験した世代だからこそ、伝えられることはあるのではないかと思う。




こちらへも遊びに来て下さい。→金融の10番は日本人に任せろ!