西野神社 社務日誌

札幌市西区の西野・平和・福井の三地区の鎮守(氏神様)であり、縁結び・安産・勝運上昇等の御神徳でも知られる西野神社の、公式ブログです。

節分祭

節分祭

今日は節分です。節分の由来や概要は昨年2月2日付の記事「節分について」に詳しく記させていただきましたが、以下に、節分について改めて簡単にまとめさせていただきます。

節分とは、本来は季節の区切り目のことを指し、そのため古来の節分は、四季に対応する形で年に四回訪れる日でした。現在の節分は立春の前日(現行の暦では2月3日もしくは4日)のみを指しますが、昔は、立春だけではなく、立夏立秋立冬の前日もそれぞれ節分とされていたのです。ちなみに、「源氏物語」の宿木の巻には、陰暦四月一日頃の節分が出てきますが、これは立夏前日の節分のことで、また、「栄華物語」には秋の節分の記述があり、古典のこういった記述からも分かるように、平安時代には立春の前日だけではなく、それぞれの季節の分かれ目に節分の行事が行われていました。

年に四回あった節分のうち、立春前日の節分が特に重視され、現在でもそのまま残っているのは、一年の区切り目としてはこの時期の節分が最も人々の関心を集めていたからです。中国から太陰暦が導入される以前の日本では、全ての生き物が生まれ出る春が、年の始めと考えられていました。つまり、自然暦の時代では、立春が一年の最初の日で、その前日の節分が一年の最後の日とされていたのです。

ですから、節分の行事は基本的には大晦日と同じ性格を持った年迎えの行事であり、地方によっては節分を「年取り」とか「年越し」などと呼ぶ慣わしが今でも残っています。年賀状に「初春」とか「迎春」という言葉を書くのも、立春を新年とした風習がそのまま今に伝えられているからです。このように、日本の正月は最初は立春だったのですが、やがて一月望(もち)の日から一月朔(ついたち)へと変わっていき、そしてこの三つが混在するようになったため、元は同じ正月行事が、大正月(1月1日)、小正月(1月15日)、節分と三回に分かれて行われるようになりました。

なお、現在では一般的ではありませんが、かつては2月1日のことを「初朔日」(はつついたち)もしくは「二の正月」あるいは「重ね正月」などと称して正月をもう一度お祝いするという風習があり(江戸時代には盛んな風習でした)、これも含めると正月は四回もあることになり、更に、東南アジアでは現在でも一般的な旧正月太陰太陽暦で元日に当たる日)も含めると、正月は年に五回もあることになり、そのため年間行事の中では正月行事が最も複雑多岐に渡っているといえます。

当社では、今日は午後3時から節分祭が執り行われ(写真参照)、昨年の節分祭では私は“カメラ所役”として祭典及び豆撒きの撮影を担当したのですが、今年の節分祭では、私は祭員として御奉仕させていただきました。そして3時半からは、およそ400〜500人程の人々が集まるなか、第2駐車場にて豆撒き(豆打ちの儀)が行われ、年男・年女や、来賓の方々(市議会議員、ミスさっぽろ、その他)、総代長、宮司などが、「鬼は外!福は内!」と威勢よく唱えながら、舞台上から次々と副賞付の豆やお餅を撒きました。

節分行事で豆を撒くのは、農耕が生活の中心であった時代には五穀の一つである大豆には穀物の霊が宿っており、その霊力によって悪霊を退散させることができると考えられていたためです。餅を撒くのもほぼ同様の意味で、今日撒いたお餅は、先月27日神力会の方々や敬神婦人会の方々がこの日のために作って下さったお餅です。

なお、一昨年の節分では第1駐車場の参道寄りに、昨年の節分では第2駐車場の道路寄りに舞台を設営して豆撒きを行いましたが、今年は第2駐車場の中央に舞台を設営し、豆が撒かれる場所を舞台を挟んで二箇所確保しました。これは、豆撒きに参加される方々により安全に豆撒きを楽しんでいただくための措置で、このため今年は初めて、大人と子供とに会場を分けて豆撒きを行いました。

今日は厄祓の御祈祷が多く、私は昼過ぎからはずっと御祈祷を担当していたため、3時半からの豆撒きは見ることができず、今日の豆撒きの様子は神力会の方にお願いして撮影していただきました。それらの写真は「西野神社アルバム」の平成19年2月「節分祭・豆撒き」のページ(下記URL)に掲載致しましたので御覧下さい。

http://nishinojinja.or.jp/photo/190203.htm

豆撒きの後は、今日の豆撒きの諸準備を担当して下さった神力会の方々の直会(懇親会・慰労会)が参集殿で開かれ、プライベートで今日の豆撒きに参加されたSTVのアナウンサーの方(平成16年9月に当社で行われた「ズームインSUPER 」の生中継で当社からのリポートを担当して下さった女性)にも参加して頂き、参加された方々は皆、食べたり飲んだりしながら楽しい一時を過ごされたようです。

(田頭)