鈴木伸治の徒然記

永年の牧師、園長を隠退し、思い出と共に現況を綴ります

今日は日曜日(神様に従う道として)

  
 今日は日曜日、神様を礼拝する日です。いつもは礼拝において、御言葉の説教のため講壇に立つので、いろいろな面で準備しつつ朝を過ごします。大塚平安教会に在任中は教会と牧師館が同じ建物内ですので、出かけることはありませんでしたが、それでも朝から何かと心遣いをしていました。横浜本牧教会は車で40分かかりますので、朝7時30分には自宅を出るのでした。横浜本牧教会の代務者としての務めが9月末で終わりましたが、10月3日は横須賀上町教会の講壇に立ちましたので、教会学校でのお話もあり、朝8時15分頃には出かけたのです。今日、10日は講壇に立つことはありません。出身教会の清水ヶ丘教会に連れ合いのスミさんと出席することにしました。礼拝は10時30分からですので、9時30分に出れば、礼拝前に到着するはずです。日曜日の朝9時、まだに家にいました。教会、礼拝に対して責任がないこと、こんなにのんびりできるのかと驚いてもいます。いつもは連れ合いのスミさんを急かせるようにして出発するのですが、今日はスミさんも支度ができていて、まだ家にいることの現実を不思議な思いで受けとめているのでした。
 久しぶりに清水ヶ丘教会の礼拝に出席しました。しかし、この礼拝堂には、今までも年に二回は入っています。神奈川教区総会が2月と6月に開催されるので、神奈川教区は交通にも便利な清水ヶ丘教会を会場に総会を開催しているのです。主日礼拝として、出席するのは本当に久しぶりです。神学生時代に講壇に立たせていただいたことしか覚えていません。それ以来、神学校卒業後は青山教会、陸前古川教会、大塚平安教会の牧師ですから、主日礼拝には来ていないと思うのですが。久しぶりと言うのは、日曜日の主日礼拝と言うことです。玄関に入ると、何人かの知り合いがおられ、握手して迎えてくれました。それらの皆さんは、私の動向はそれとなく知っているので、いつか来てくれると思っていましたよ、と言われるのでした。
 この日は神学校日・伝道献身者奨励日であり、講壇は日本聖書神学校の神学生が担当していました。洗礼式も執行されていました。いつものように礼拝出席者は多いと思います。前週の出席者は180名と報告されていました。知り合いの方が受付をしていましたが、今日の朝は雨であったので礼拝出席者は少ないようですと言われていました。大きな教会でも高齢者の出席状況は天候に関係するようです。しかし、若い人も多くおられ、希望のある教会なのです。
 最初に記すべきでしたが、私はこの清水ヶ丘教会の出身なのです。小学校の頃は関東学院六浦教会日曜学校に通っていましたが、中学生になってから清水ヶ丘教会に出席するようになりました。中学生ですから教会学校の中学科に出席すべきでしたが、大人の礼拝に出席していました。そして、中学生でありましたが高校生グループの「ぶどうの会」に入り、高校生の皆さんに可愛がられながら教会生活をしていたのです。そして、高校生になるや、「ぶどうの会」で活躍し、高校2年生の時、全国教会高校青年の集いが山中湖で開催され、神奈川教区を代表して参加しました。そのような経緯がありますので、将来は牧師の道を歩みたいとの思いが少しずつ芽生えていのです。高校3年生の時、10月の世界聖餐日に受洗したのでした。23歳で日本聖書神学校に入学しました。最初の1年間は清水ヶ丘教会を奉仕教会としていましたが、2年目になって川崎教会を奉仕教会とし、2年間出席しました。その後は曙教会に3年間出席することになります。従って、24歳の時から清水ヶ丘教会から離れたということになります。神学生の時、20代で講壇に立ちましたが、それ以来の主日礼拝出席になったのであります。清水ヶ丘教会は私の伝道者の基点であります。私を知る清水ヶ丘教会の皆さんが、祈りをもって支えてくださったことを、しみじみと感じさせられたのであります。
<聖書の言葉>
彼らが主を礼拝し、断食していると、聖霊が告げた。「さあ、バルナバとサウロをわたしのために選び出しなさい。わたしが前もって二人を決めておいた仕事に当たらせるために。」そこで、彼らは断食して祈り、二人の上に手を置いて出発させた。
使徒言行録13章2節)

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