アジアへの技術移転など

じん肺などの職業性呼吸器病に限らず、職業病の頻度は当然途上国のほうが高い。戦後の日本がそうであるように経済の発展が何よりも重視され多少のマイナス面はいたし方が無いという考えが強い。日本などの先進国の失敗の二の舞を踏ませては成らないと考えても一筋縄ではいかない。
職業性呼吸器病の対策は勿論、病気が発生しない作業環境を作る工学的な対策が最重要でこれがなければ疾病を根絶することはできない。しかし、これには経営者の意識を変革する必要がある。また、医師自身が職業性呼吸器病の存在を指摘できていない可能性もある。それを是正するためにアジア諸国ではILOが専門家を派遣してILO分類によって胸部写真を分類し、じん肺の所見を指摘できるようにするという講習会がおこなわれている。ILO担当官はアジア諸国は未開の国で先進国の専門家が教えを垂れる必要があるとの認識が強いようだが、私は何度か行って見てアジア諸国にもかなりインテリジェンスの高い医師がいて、十分に講習会を行うことができると見た。また、英語よりも現地の言葉のほうが理解度が高まるのは当然のことで、英語での講習でパッとしない受講者が現地語でセッションをやってもらうと熱心な議論をしていた。われわれの教育手法自体が旧時代的なのだろうと思う。
われわれが開発した国際じん肺CT分類もSpringerから出版したものの、こういう形で出版すると著作権がどうだということを厳しく言われ、途上国の医師にも本を買ってもらわないと周知できないことになる。しかも、読者数が少ないと見ると非常に高い値段を設定される。また、科研の補助をもらって出版しておきながら、数百冊の買取を要求されるという始末で本末転倒である。出版社が科研費をただでもらっているような話だ。現在の制度がそうなっているらしいのであまり文句は言えないが…。
むしろ、e-textbookを無料で発行するほうが、余程世のため人のためになりそうだ。研究にはいろいろとお金がかかり、研究費がないと困ることが多いが、その収入源を科研だけに頼らず成果を無料配布しても、こちらが我慢するだけではないというやり方をしなくてはならないのだろう。実際、大学レベルの教科書なら無料で発行する会社Freeload Pressがある。企業が最近パンフレットよりもHPに力を入れているのはその方が宣伝費が安いからだろう。出版社や広告会社を通しての広告よりWEBを通しての広告宣伝のほうが受け手に伝わりやすい時代が訪れつつある。論文の検索も以前はAbstractまでしかWEBでは手に入らなかったのが、殆どのJournalの全文が大学では電子ジャーナルで入手可能だ。持っているのは会員である学会の学会誌のみということになってくる。
世界中の一流の研究者が自分の著作をJournalに投稿するだけではなく、自分のHPに掲載するようになれば、Journalのいくつかは潰れるかもしれない。Journalが持っているのは出版したページの版権だけで、その原稿は著者のものだから基本的には問題が無いはずだ(出版社によっては違うことを言うところもある)。研究者は発表した論文が著名な雑誌に掲載されたかどうかということで評価されることが多いので、あまりJournalと喧嘩をするのは得策ではないだろうが、いかに研究成果を世界に還元するかということを考えていく必要もある。
アジア諸国著作権などの先進国の常識を知らない国々だという指摘もコピー商品などの例を挙げるまでも無く強いが、WEBの中で個人対個人(C2Cというらしい)の経済活動が企業対個人(B2C)に拮抗するようになるとすれば一挙に先進諸国が蓄積した経済的な優位性は崩れるのではないか。

疫学講義1

疫学は公衆衛生の固有の方法論である。公衆衛生が人間集団の健康問題に取り組むことを考えると、人間集団の疾病の頻度と分布から決定要因を探求する学問(Last)である疫学は必須の方法論である。臨床医がある一人の患者を観察し、問診し、聴診器をあて、触診をしながら、健康状態を知り、異常を見出して、その原因を知ろうとするのと同じように、公衆衛生医は、疫学という聴診器を用いて、人間集団の健康問題の重大さを把握し、その原因を探ろうとするのである。
 疫学は大別すると、記述疫学と分析疫学とに分かれる。記述疫学は頻度と分布を把握することを目的としたもので、人・時・場所ということに注目して人間集団における疾病を記述する。一方、分析疫学は決定要因を探求することを目的としており、その要因と疾病との統計学的関連(statistical association)を検定し、因果関係を推論(causal infer)する。

ロンドンのスノウ

 例として、コッホによるコレラ菌発見以前のロンドンでコレラの流行を終息させたジョン・スノウ(John Snow)の活躍を見てみよう。1840年代当時のロンドンでは、教区牧師であったグラントなどの先見性により死亡統計が取られ、国家レベルでの人口動態も把握できる状況になってきていた。地域ごとの人口が把握できていたことが、後に述べるスノウの疫学調査を可能にしたともいえる。
 スノウは度々起こるコレラの集団発生に興味を抱き、様々な考察を行なっていた。彼は当時常識であった瘴気説を採らず、コレラは病原体による疾病であると考えていた。彼の興味は病原体が体内に入ってくる経路であった。コレラによる死者の住所を地図上にプロットしていた彼は集積(cluster)に気づく。集積のある地域と集積のない地域の詳細な比較を行なった彼の結論は、ブロード街の死亡者の集積地域にある上水道のポンプを除去することであった。多くの反対を押し切り、ポンプを除去したところロンドンのコレラの流行は終息したのである。
 後日彼はさらに詳細な検討を加えた。即ち、上水道の給水会社であるSouthwalk & Vauxhall とLambethのそれぞれにより給水されている地域毎に死亡者数を比較した。死亡率は本来ならば住民数で割るべきだが、世帯数で代用している。給水会社により死亡率に大きな差があることが分かる。
 スノウの疫学調査は疫学の概念が未だ明確に定まっていなかった時代において、論理的に集団発生を記述し、あらゆる可能性を検討した結果として見出されたものであった。そして、この調査の中に記述疫学と分析疫学の要点を見出すことができる。

疫学研究のデザイン

疫学研究は上述のように記述疫学と分析疫学に大別できるが、それぞれの疫学研究を遂行するにあたり、いくつかの研究デザインが存在する。研究デザインにより長所と短所があり、研究対象や目的に応じて使い分ける必要がある。
 記述疫学の研究デザインとして、最も単純なものは症例報告(case report)である。これは通常、臨床医が最初に行なう研究報告である。数例をまとめて報告する症例報告(case series)が、その発展形である。これらは疾病を有する症例のみを対象とした報告であるが、疾病の頻度を定量化しようとすると、疾病を持つリスクのある集団(population at risk)を明確にして、その中での疾病頻度を記述することが必要に成る。横断研究はこの目的でなされるもので、一時点での疾病の頻度(有病率)を測定できるので記述疫学の中では有用性の高いものである。
 分析疫学は、二つの集団について曝露要因と疾病の二つの変数について測定することで因果関係を明らかにしようとする研究デザインである。曝露要因に注目して曝露要因のある群と無い群の2群について一定期間追跡し、それぞれの集団での疾病の頻度を測定しようとするのがコホート調査(cohort study)である。この調査はコホート設定時に疾病が無いことを確認して調査を開始するので、この2つの集団においての疾病の発生率がわかる。しかし、コホートを設定し維持することは、時間、経費、人員の面で負担が大きい。症例対照研究(case-control study)は疾病の有無に注目することでこの点を解決した研究デザインであり、これによって非常に短期間に因果関係の推論を行えるようになった。肺癌とタバコについての最初の分析疫学的研究はこの方法による。症例対照研究を遂行する上で、必須であるのが曝露要因の測定の技術である。曝露要因の測定は物理化学的な手法で測定可能なものもあるが、研究デザインの性格上、過去の曝露の測定が必要であるため対面調査や自記式調査などの手法によることが多い。この際に思い出しバイアスなどの系統誤差(systematic error)を如何に制御するかが問題になる。
 臨床治験に代表される比較試験(control study)はコホート調査の応用であるが、最も異なる点は曝露を調査者自身が決定して与えていることである。この曝露のことを介入ともいうので、比較試験は介入研究とも呼ばれる。従って、倫理的側面を無視してはこの種の研究を遂行することはできない。また、調査者が曝露要因Aとその効果についての仮説をもっているので、調査者と測定者を別々にすること、調査者がプラシーボを用いるなどしてどちらが曝露要因Aでどちらがプラシーボかを知ることができないようブラインドを行う。また、系統誤差を制御するために、曝露を与えるか否かについて無作為化を行う必要がある。

疫学2:疫学研究の構成

キーワード: 研究目的、対象選定・標本抽出、疾病の定義、曝露要因の測定(対面調査、自記式調査、客観的測定)、統計学的手法(検定と過誤)、質問票作成の実際

緒論

臨床現場で出会う新たな発見をまとめる際にも、研究計画の立て方を知っておくことは有用である。疫学研究の評価は、臨床医となってもリスクファクターの管理、治療法による予後の差、などを検討する際に必ず必要となる。様々な臨床研究において統計学的手法が重要視されているのも疫学が公衆衛生の方法論にとどまることなく医学全体のロジックとして定着していることの現れであろう。これは医学が人間集団を対象としていることを考慮すると不思議なことではない。

研究目的

研究の出発点は明確な研究目的の設定である。臨床上出会った疑問や、必要性に迫られての命題もあるし、純粋に真実を知りたいという価値追求欲に駆られての命題もあるだろう。その疑問、命題といったものが、単純明快な研究目的、「肺がんの原因はタバコである」式の文章に置き換えることができるか、論理的な研究計画の設定のために最も重要である。
疫学研究には記述疫学(頻度調査)と分析疫学(因果関係の推論)の二つがあるので、その研究目的に応じて研究方法を使い分ける必要がある。上記の「肺がんの原因はタバコである」という研究目的を達成するためには、因果関係の推論を行わなくてはならないので、分析疫学の研究方法を選択するし、「この集団の中のB型肝炎ウイルス保持者は何人いるか?」という命題に答えるためには、記述疫学手法を用いて頻度調査を行うのである。
研究目的に対して、適切な研究方法を選択していなければ、研究目的となる疑問に明確に答えることはできない。

対象選定・標本抽出

目的が明確になったならば、次に、どのような対象を用いて研究を遂行すべきかを考える。「肺癌の原因はタバコである」という命題に答えるためには、どのような対象を選べばよいだろうか。喫煙の有無という因子と肺癌の有無という因子を両方測定できる対象でなくては、この命題に答えることはできない。喫煙者のいない集団を用いて喫煙と肺癌の関係を検討することはできないし、肺癌の罹患が期待できない集団(例えば15歳男子生徒1000人を10年間追跡するという計画)ではいかに喫煙者がいたとしても、肺癌と喫煙の関係は検討できない。

疾病の定義

疾病の頻度調査のみを行う場合も、疾病と曝露要因との因果関係を検討する場合も、どのように測定方法を用いて疾病頻度を測定しているかは非常に重要である。疾病の定義は一様ではない。場面によって、同じ疾病名でも内容が異なることがよくある。例えば、粉じんの吸入によって引き起こされるじん肺という病気を厚生労働省の業務上疾病統計から見ると毎年1000人を超える数が挙がる。これはじん肺法という法律に基づいておこなわれるじん肺検診の結果、じん肺ありとされた人の数である。このじん肺検診は、法律で粉じん職場と定められているかそれに順ずる職場で粉じん曝露を受けているということと胸部単純エックス線検査でびまん性の小陰影があるかどうかということのみで決定されている。一方、病院に受診した患者がじん肺と診断されるのは、胸部単純エックス線検査で同様のびまん性の小陰影を呈する、粟粒結核、サルコイドーシス、ヒストプラスモーシスなどをCT検査、その他の臨床検査で除外した後に診断されるのであるから、この二者は同じ疾病名であってもその定義がかなり異なる。研究目的によってはかならずしも後者のように精密な検査を行う必要がないことも多く、その研究目的に即して、適切な疾病の定義を与え、調査を行う。

曝露要因の測定(対面調査、自記式調査、客観的測定)

疾病と同様、曝露要因の測定も研究遂行の上で非常に重要な部分である。