ほぼ足りてまだ欲 その先

「ほぼ足りてまだ欲」がはてなダイヤリーの廃止にともないこちらに移りました。

ブラバン

 こんな日は気晴らしが必要である。と、思っている所に楽器のヤマハのメルマガ届く。いつもはそんなにしっかり読まないのだけれど、スクロールしていたら「700名が参加した大演奏会の模様を、動画で楽しもう!」というのが目にとまる。早速そのサイトに行ってみると「自由演奏会」と書いてあって「思い切り吹いて合奏の楽しさを満喫する一日」としてある。1997年から始まったイベントのようであり、11月25日(土)に横浜で催された「自由演奏会2006(横浜会場)」の動画が見られる。編曲家 岩井直溥さんがチャチャとサンバのリズムに乗せたラテン音楽として編曲した「スーザ・マーチ・カーニバル」を700名が大きな体育館で一斉に演奏する様子である。いろいろな楽器の方がおられて中にはタンバリンやスペリオパイプの人もいて、これは結構ハードル低そうなんだけれど、編曲は凝っていて、サンバで始まるスーザである。中にはシンコペががんがんで真面目にやるとこれは結構難しそう。それにしても実際に実力がどうだったかは別として一度はブラバンに加わった経験を持っている人にとってはとても懐かしい雰囲気に浸れそうである。私は25歳くらいになって職場のブラバンのパーカッションに加わった経験がある。巧い人もいたけれど下手なのも私を含めてたくさんいて、それでも合宿をしたり、練習のあとに呑みに行ったり、合奏をすることの楽しさを知ったものだ。だから今でも(下手で申し訳ないんだけれど)みんなに加わって声や音を出すのがやめられない。

名張再審請求

 結局名古屋高裁の再審開始判定に対する検察の異議申し立ての結果、認められないという判断が下った。争点はいくつかあった。
 ひとつは犯行に使われた農薬。奥西死刑囚の自白によれば「ニッカリンT」が使われたと云うことになっているが、再審請求理由の中では「ニッカリンTであれば当然検出されるはずの物質(トリエチルピロホスフェート)が飲み残しのブドウ酒から検出されていない」と主張されていた。しかし、今回の判断では「混入されたのがニッカリンTであってもトリエチルピロホスフェートが検出されないこともあり得ると判断され、使用された農薬がニッカリンTでないとはいえない。毒物は有機燐(りん)テップ製剤であることが判明しており、有機燐テップ製剤であるニッカリンTが使用された可能性は十分に存する」と結論づけられている。この件に関しては検察側の「加水分解されるから検出されなかった」とするのに対し、弁護側は「成分の加水分解される速度は遅く、農薬は別物」と主張していたが、門野裁判長は「(成分が)検出されないこともある」と判断したのだという。
 この辺の判定についてはもちろん化学の専門家の判断というものがあったのだろう。その辺は今の所まだ報道記事だけでは明らかでない。
 もうひとつは奥西死刑囚がこじ開けて農薬を投入したとされる葡萄酒の一升瓶の王冠である。「王冠の足の折れ曲がりは人間の歯ではなく栓抜きのような器具を使用したことを証明したもので、「歯で開けた」と供述したとされる奥西死刑囚の自白の信用性を否定する」という点だ。これに対しては「本件ブドウ酒瓶のものではない可能性があるというが、本件の瓶に装着されていたものに間違いない」「証拠物の状況からは公民館での開栓が間違いなく最初の開栓で、偽装的な開栓があったとは認められない」としている。
 また、自白の信憑性については「自白は事件直後の任意取り調べの過程で行われたもので、自白を始めた当初から詳細かつ具体性に富む。勝手に創作したような内容とは到底思われず、証拠物や客観的事実に裏打ちされて信用性が高い。原決定は、自白には変遷があり迫真性に欠けるというが、判断は一面的である」と結論づけている。
 この事件は奥西死刑囚が妻と愛人(両名ともこの事件の犠牲者となって死亡)との三角関係を清算しようとしたといわれていて奥西死刑囚は心証的には非常に不利な立場にいて、門野裁判長は「元被告以外の者にぶどう酒に農薬を混入する機会がなく、状況証拠によって犯人と認定できる」と判断しているというものである。疑わしきものを疑わしきゆえに判断している、という印象が否めない。いずれにしても凶器とされている農薬の妥当性についての今回の判断理由を知りたい。
毎日新聞061226 11:21(最終更新時間061226 11:41)<名張毒ぶどう酒事件:再審取り消しに「戦いは続く」弁護団
毎日新聞061226 10:27(最終更新時間061226 12:07)<名張毒ぶどう酒事件:再審決定取り消し 名古屋高裁
Asahi.com 061226 12:09<再審の扉なぜ開かぬ、怒る支援者ら 名張ブドウ酒事件>
Asahi.com 06122612:22<名張毒ブドウ酒事件、異議審の決定理由要旨>
(共同)東京新聞(061226 12:15)<奥西元被告の再審取り消し 名張毒ぶどう酒事件で決定>

「笑いの人間交差点 By木村万里シャッフル」

紀伊國屋書店主催 花林舎制作、於:紀伊國屋ホール 18:30開場 19:00開演だけれどもいつものようにもう10分以上前から永六輔が前に立って喋り始める。席の中頃で何やらごにょごにょ喋る人あり。振り返ると矢崎泰久がお気に入りのTBSの外山アナウンサーと話している。今日から三日間、4回のステージのまず一発目がこれ。

柳家紫文

 三味線のお姉さんがどこかで見たような、見たことのないような方で紫文と掛け合いで新内をつんてんと弾く。最初、「南町奉行!・・」といかないので、今日は一体なんなんだろうとじっと聴いていると、どう聞いていいのか分からないような新内を歌い出す。ま、たしかに木村万里がいうようにあれで終わっていたら粋だったろうなぁ。もっとたくさん聴きたい。

山本光洋

 秀逸じゃないですかぁ!好きだなぁ、こういう類のとっても器用で、ちょっとおしゃれ。昔からこのタイプの芸人はいたことはいたんだけれども、この軽妙洒脱な所、それでいて小難しい態度を取らないところなんて好きだなぁ〜!来年のライブも見にいきたいものだけれども、それまでにどこかに出てこないかしらん。

前田隣

 昭和11年生まれの70歳。元ナンセンストリオといえば「親亀の上に・・」と「赤上げて・・」で一世を風靡した忍者の格好をして出てくるトリオ。なんでもかねてからのガン患者なんだそうで、今回も一週間の予定で国立癌研に入院したんだけれども三週間、今朝退院してきたんだという。エノケンの話をたくさんして、30歳違う(勿論下で、上だったら百歳になっちゃう、というギャグを飛ばす)奥さん、平田紀子のピアノの伴奏(これがまた巧い)でエノケンを3-4局唄う。今から考えてみるとエノケンは確か歌劇団のコーラスボーイから始まったはずで、いつかラジオでどなたかがいっておられたけれど、リズム、音程はとてもしっかりした人だったそうだ。しかもこの前田隣の歌でますます思ったのだけれども、使っている既製の曲がとってもセンスの良い選曲なのだ。あの独特の歌い方はともかく、確かにもう一度見直しても良い歌の数々である。

なぎら健壱+ギター:松本

 今更なんでなぎらなんだ、という気がしないでもないね。だってもう大御所でしょ。しかし、今日はテレビの時と違って、唄う時に良くやる古い曲の掘り起こしを何曲もやる。明治43年だ、いや次は42年だと唄い、そういやぁ昔聴いたことがあるようなって人はあり得ないっすよ、という。しかし、実はそうでもなくて、一度流行った曲というのはその子どもくらいまでは伝わるものでそれを次の代が歌うとそれがまた繋がったりする。その証拠に私は生まれていない頃の曲を何曲も母親が唄っていて覚えている。その歌を私が唄ったものだからこどもも覚えていたりする。狭い路地を向こうから人が歩いてきて思わず目が合ってしまったら思わず目で合図したりする、というのは今はもうほとんどない。なにしろ集合住宅のエレベーターに乗り合わせたって一言も言わないってのが普通だから。その時にすれ違いざまに向こうが「山!」といったからついうっかり「川!」と反応したというんですがねぇ。そんなわきゃぁないね。そこがなぎらの世界。

栗コーダー・クァルテット

 栗原正己、川口義之、近藤研二、関島岳郎のカルテット。概ねリコーダー、ピアニカ、ハモニカ、ギター、ウクレレ、チューバ、打楽器なぞを駆使してとてもゆったりと、とても気持ちの良い世界を創り出す4人組である。秀逸。Cary Lewincampや岡崎倫典にも繋がるような、ちょっと違うかも知れないけれど、実はその根底で渡辺勝とも手を繋がる所のある雰囲気をつくりだす。ライブ盤、2枚組を購入。
 雨は降り止まない。ステージが始まる前に折角紀伊国屋に来たので数点新書を入手。

  • 「イギリス庭園散策」 赤川裕 岩波アクティブ新書 2004.06
  • 「とっておきの東京ことば」京須偕充 文春新書 2006.06 圓生百席の編集者として著名。今更なんだよとは思ったけれど著者に引かれたのと、どこかで面白いと読んだから。
  • 「在日の耐えられない軽さ」鄭大均 中公新書 2006.08 著者の名前には引かれていたのだけれど、それこそ、このタイトルの「軽さ」に思わず手を引っ込めていた。
  • アメリカよ、美しく年をとれ」猿谷要 岩波新書 2006.08 著者の著作には1970年代から80年代にかけて私の憧れだったアメリカの文化、歴史を随分教えて頂いたものである。しかしもういいかなぁと思って手にしなかった。

テレビ東京 大奥II

 家に帰って遅い夕飯を食べながらテレビをつけるとこんな番組をやっていて「九代将軍 家重は女だった」とちょっと興味をそそる仮説の検証(大げさかなぁ)をやっていて面白かった。のだけれども!この番組の制作者は常軌を逸している。この番組はなんでも夜の8時台から始まっていたようだ。再現ドラマにめったやたらと絡みシーンが挟まる。それもほとんど昔の東映がそのためだけに作った映画「大奥」そのもののような。バカとしかいいようがない。こんなもの平気で有料テレビでもないテレビで放映するなんて一体全体何を考えているのか。いくら放送業界は何があってもいいんだよぉ〜状態とはいえ、常軌を逸している。