ほぼ足りてまだ欲 その先

「ほぼ足りてまだ欲」がはてなダイヤリーの廃止にともないこちらに移りました。

Broken Sun

 1944年8月の豪州New South Wales州カウラにあった戦時捕虜収容施設で起きた事件を題材にした豪州映画、が「しんゆり映画祭」の一環として上映されるそうだ。

  • 「Broken Sun」2008年/オーストラリア/92分監督:Brad Haynes、出演:Jai Koutrae、宇佐美慎吾

 多分日本では公開されないだろうから大変貴重なチャンス。「オーストラリア特集」の一環なのだそうだ。
他にも

  • 豪日学生映画フォーラム:10月26日(日) 13:00 -
  • シンポジウム 映画と新しい教育・シネリテラシー/交流会:10月26日(日) 17:00 -
  • 青空市場&オーストラリア物産展:10月25日(土)、26日(日):川崎市アートセンター前広場
  • 提携企画「日豪スチューデント・シネマ・フォーラム」:10月28日(火)11時半 東京国立近代美術館
  • オーストラリア特集 : 上映作品
    • Broken Sun 10月25日(土) 17:30 - 29日(水)15:30 -
    • 雲の下を 10月25日(土) 15:30 -
    • WALKABOUT 美しき冒険旅行 10月25日(土) 20:00 - ・ 31日(金) 10:30 -

盛りだくさんである。
川崎アートセンターは小田急線「新百合ヶ丘駅」北口から徒歩3分だそうだ。前売り800円、当日売り1000円。ただし立ち見なし、全席自由。

今こそ声を上げよう

 【ソウル堀山明子】北朝鮮の核施設無能力化の見返りとして6カ国協議参加国が提供するエネルギー支援のうち、日本が拉致問題を理由に実施を留保している重油20万トン相当について、米国は豪州に肩代わりさせる方向で参加国に打診していることが分かった。
(中略)
見返り支援をめぐっては、6カ国協議の初期段階措置で合意した昨年2月以降、豪州のほかニュージーランド欧州連合EU)が参加の意向を示していた。(毎日新聞 2008年10月22日 東京朝刊)

 これはいったい何だ!?意味全く不明。「日本が拉致問題だなんていっているんだったら、それはそれでいいや。その分は豪州、NZ、EUに出してもらうから・・」って、それは日本の拉致問題を全く認識していないということで、そんなのはどうでも良いからとにかく北朝鮮を支援して核に深入りするのを阻止しようというのかも知れないけれど、それは北朝鮮の非人道的行為よりも核の独占の方が重要ということなのか。豪州のKevin Rudd首相と麻生が電話で話した中にこれも入っていたんじゃないのか。
 この肩代わり(肩代わりというのはちょと変だ)についてわが政府は厳重な抗議をするんだろうか。しなくちゃなぁ・・・。

東京裁判

 来月の10日-12日の三日間にわたってメルボルンメルボルン大学・The Asia Pacific Centre for Military Law at Melbourne Law Schoolにおいて「Tokyo War Crimes Trial Conference」が開催されるそうだ。やはり東京裁判の判決60周年を期して開かれるということだけれども、当時の日本政府の政策について揶揄するのではなくて、国際法戦争犯罪法について広い観点から将来について議論する場にしていきたいとしている。開幕の10日に関西大学の藤田久一名誉教授が公開講演をされるそうである。立教大学文学部史学科の粟屋憲太郎も出席と聞く。外国で東京裁判に関する会議が開かれるというのは非常に稀ではないだろうか。どのような切り口で語られるのか、特に豪州で開かれることを考えると、興味深い。
 registration fee :275豪ドル
 詳細はこちら
いくら豪ドルの対円レートが安くなっているとはいえ、出かけるにはちと遠すぎるか。

まだやっていたのか

 品川駅前の京品ホテルはまだやっていたんだとは思わなかった。随分昔からあったなぁと思ったら私がいっている「昔」どころの騒ぎじゃなかったんだ。1930年に建築されたものだ、と聞いてびっくりだ。かつて明治学院大学に何度か行ったときにあそこの前あたりのバス停から目黒行きのバスに乗ったので、よく見ていた。前の歩道が細くて歩きにくいところだった。それでも昔に比べると品川そのものが大きく変わってしまっていて、あのホテルが建っている場所も昔に比べたらてんで違っちゃっている。それこそ40年ほど昔の意味とは随分違う。いってみれば狙い所だろう。「バブル期の多角経営に失敗」と書かれているけれど、一体何をやったんだろう。

無気力相撲

 本場所の相撲についてかつて語られていた「無気力相撲」というものがあって、それは八百長のことかそうじゃないかと語られている。あの双子山親方の演説テープを聴くと明らかに八百長をするのは止めろといっている。日本相撲協会およびその援護者がどんなに言いつくろったって、あれは八百長そのものに対する継承以外の何ものでもない。
 ところで巡業、トーナメントなんて本場所以外の相撲を見ていると、誰ひとりとして真剣勝負をやっている相撲取りなんていない。それで当たり前なんだということになっているらしい。だけれども、結構良い金取ってみせる相撲である。そんなところで取る相撲は怪我したくないから土俵際も粘らないし、厳しい攻めなんて絶対にやらない。わざとらしく突っ張って、相手はわざとらしく顎をあげて身を反る。しかもこれは国内の巡業だけじゃない。先日のモンゴル巡業もそうだし、豪州巡業の時も明らかにそうだった。あんないい加減なそれこそ「無気力相撲」を外国人が見てあれが「相撲」というものだと思っている。それじゃ、プロ・レスと変わらない。だったらあっちの方がいろいろな演出があって面白い。儀式ぶっているオリエンタリズムだけが喜ばれているだけだとしたら、そこには大きなすれ違いがあるだろう。
 巡業ってものはこういうもので、それを分かった人たちが喜んで見に来ているんだから、それで良いんだということになっているんだろう。そんなことも分からない奴は日本の文化を知らない常識外れなんだよ、ということなのであるのだろう。
 それにしても相撲界にはまともな議論ができる人はいないのだろうか。あの社会の中で内舘牧子が良く我慢していられたものだ。

「ハチミツパン」

 千葉だったかの小学校でハチミツパンを一気に喉に突っ込んで窒息死した六年生がいたんだそうだ。さぞかし、苦しかったことだろう。意識はあるけれど、呼吸ができない状態というのはとても恐ろしい。パニックに陥りながら、あぁ、これで俺は死んでしまうのかと焦る。
 私はこの話を聞いたときに、自分が小学校五年生の時に、放課後ソフトボールをやっていた時に偶発的事故に遭遇したことを思い出した。攻撃側だった時に隣に立っていたバットを持った友達が、そこに転がってきたソフトボールを拾うやいなや、そのバットでノックした。そのバットが私の腹部と強打した。一瞬呼吸は止まり、吐き出そうと思っても、吸い込もうとしてもどうにもならない。喋ろうとしても「あぁ、あぁ」という声しか出ない。身体そのものがどういう状況になっていたのか、今でも分からないけれど、意識の中では「こんなことで死にたくない!」と思った。しばらく横たわっているうちに急に呼吸が戻って事なきを得た。あの時、私がそのまま内臓破裂かなんかで死んでいたら、学校はどう責任を取ったのだろうか。そんなことがあったからだろうか、今では放課後の校庭は開放されていない。
 「このぐらいならすぐに食べられるよ」といって、彼は二つに割って一気にほおばった、と読売新聞(2008年10月22日)が報じている。その気になっちゃったんだろうなぁ。「友だちとも仲がよく、ユーモアのある優しい子」だったそうで死んでしまったこのことをこんなことをいっては申し訳ないが、多分お調子者だったんだろうなぁという気がする。
 テレビでは「早くい競争や大食い競争があったのを学校がそのままにしていたんじゃないか、しかもそれを学校は隠している」というコメントを取り上げていたけれど、ここまで学校の責任にしなくても良いのではないかという気がする。はっきり云ってしまうと、もし彼がそんなことをいってやったのだとしても、それを担任教師、学校を非難するのはあたらないと思う。
 こんなことをいっては顰蹙を買うかも知れないが、今は(私も含めて)こうした事象を論評する人がこんなにいるんだものねぇ。学校も大変だ。

後日追記: 

 末永校長によると、17日午後0時40分ごろ、給食を食べ始めた男児は友人から「3秒で食べられる?」と聞かれ、「わからない」と答えた。その後、「コッペパン3秒で食べたことがある」と友人が話したので、「それならやってみる」とパンをほおばったという。末永校長は当初、担任教諭からの報告で、「3分で食べられる」との会話があったと聞いていたが、その後、児童からの聞き取りで誤りと判明したという。(2008年10月25日 読売新聞)

もし地震が来たら

 いや、まだまだ、私が住んでいるところだけは大丈夫だと希望的観測でもって怠慢にも覚悟と準備ができていない大地震対策だけれども、少なくとも連れ合いのマメさでもってどうにか保存食品は確保されていて、水、手動ラジオつきライトなんてところはどうにかなっている。しかし、多分蟻の心臓の私は最初にがぁ〜ん!と大揺れが来た途端に、そのショックでもって心臓が止まってしまってその後はもうなにも分からないうちに昇天ということで決着してしまうような気がする。だとしたら、こういう準備ってもったいないな・・・。

そうはいっても

 東銀座の歌舞伎座がいよいよ建て直されることが決まったそうだ。歌舞伎座のサイトによれば、大正13年の設計は東京藝術学校(現東京藝術大學)岡田信一郎教授の手によるもので、震災、戦災を経て、今の建物自体は修復設計が東京藝術大学吉田五十八教授の手によるもので、1951年1月に復興した。なるほど、戦争に負けてからたかだか6年後に復活していたというだけでも大したものだけれど、今やいかんせん時間が経っている。
 実際に中に入ってみると歌舞伎座の客席は如何にも古い。こんなに小柄な私ですらあそこの客席は窮屈でしょうがない。もうすでに新しいとはいえない新橋演舞場でさえ、足下にバッグを置いても大丈夫だけれど、歌舞伎座ではとんでもないくらいのスペースだ。歌舞伎座には外国人の客も多いのだけれど、彼らがあの小さな椅子に身体を押し込んでいるのを見るのはとても忍びない。大変単純なことをいってしまうが、この客席だけでも改善してくれるなら私は今度の建て替えに反対しない。私は入ったことはないけれど、楽屋の古びた感じはそれはそれは見ていられないんだという話も聞いたことがある。
 そして年齢と共にきつくなる膝への負担を少しでも減らしてくれる造りでないことは、あの複雑に入り組んだ階段で明確だ。上にしか入ったことがないのが露呈して侘びしいけれど、あれは結構きつい。
 現・勘三郎がいうように「鉄筋」ビルの感じになってしまうのはいやだなぁというのもよぉ〜くわかる。確かにあの建物そのものの雰囲気をなくしてしまうのは惜しい。演舞場のような建物にはしてほしくない。なんだかその辺のオフィスビルそのものだもの。色気がなさ過ぎる。そうかといって旧大和銀行ビルのようなうすっぺらい、これで文句がないだろうとケツをまくったような造りも許し難い。
 松竹にそんな力を発揮するだけの度胸があるだろうか。入場券のネット販売という点で東宝をはるかにリードしている先進性は評価するけれど、ここでどこまで完成度の高いものを実現できるかどうか、というところは注目に値する。
 はっきり云って話題造りだけじゃダメよ。