ほぼ足りてまだ欲 その先

「ほぼ足りてまだ欲」がはてなダイヤリーの廃止にともないこちらに移りました。

何年ぶり!

 かねて懸案の問題がようやく山を乗り越え、決着した。その処理に上野広小路まで行った。昼飯は一件落着祝でちょっとしたところで美味しく食べた後、随分久しぶりにアメ横を通った。一体何年ぶりだろうか。思い出すこともできないほど久しぶりに通った。鞄屋さんにさしかかると小さなころ付きバッグがいくつもできていて、ひとつを見始めたら、お店のおじさんが、こんなのもあると次から次に見せてくれる。驚くほどいろいろな種類のものがある。
 食べ物屋さんが次々に入れ替わっていて、あれ?ここにあったあの店はどこへ行ってしまったんだろう?とあたかも浦島太郎状態だ。
 かつてゼミの先生と肝胆相照らした「大統領」は健在なるも、その周りには何軒もあれに近いようなオープン・呑み屋ができていて、あたかも浅草のあの通りのようである。八百屋は小粒のミカンを山盛りにして売っているし、松茸も綺麗に飾って売っている。
 昔は良く化粧品をここに買いに来たものだと連れ合いも思い出話だ。シャツやジーパンもここに買いに来たことがある。ブランドに拘って買ったものだ。今は格安衣料で十分だものなぁ。まるでアメリカのガキギャングの格好もここならすぐに揃いそうで、そんな格好をしている爺さんなんかを見ると、あぁこの街じゃないと格好悪いだろうにと察してしまう。決して安くないあんな格好を喜々としてきている爺さんというのは一体何者なんだろうか。この街も歌舞伎町と同じように不思議な様相を呈している。

旧交

 同年齢の大学の先生が亡くなって丸2年が過ぎた。とても軸のしっかりした人で、その分野では知らない人がいないというくらいの人だった。私は学部・院でもその先生のゼミではなかったけれど、なぜかそのゼミの呑み会にはしょっちゅう顔を出していた。先生と同年齢というのもあるけれど、なぜか先生も私を受け入れてくれていた。まわりの院ゼミ生はみんなもちろん私よりも若いけれど、それぞれ自分の現場で現実と直面しているまさに第一線の人たちだ。
 彼らが丸2年を記念して小冊子を作った。なんと表現して良いのか、微妙だけれど、「文集」でもないし、「同人誌」でもないけれど、とにかく何かを残したいという気持ちではないだろうか。その小冊子の最終確認打ち合わせを居酒屋でやるということで集まったところへ声を掛けて貰った。
 随分久しぶりに彼らと顔を合わせて気持ちの良い晩を過ごすことができた。これも、あの先生のおかげかと思うと、あの先生があまりにも早く他界してしまったことが実に悔やまれる。先生が今でも元気でおられたらもっともっと若い人たちが彼の影響を受けて現場に役立てることができたことだろう。その代わりに当時の院生達が先生から手に入れたものを現場に生かしてくれることだろう。
 そのうちの一人が来年には母校でひと枠の授業を受け持ち、なおかつ新所帯を構えることになったという。そうか、考えてみると彼ももう35歳だという。

2012年10月28日のツイート