ほぼ足りてまだ欲 その先

「ほぼ足りてまだ欲」がはてなダイヤリーの廃止にともないこちらに移りました。

インフレ

 良くわからないんだけれど、取りあえず株価を上げようとしているらしい。日銀が市中銀行が持っている国債を買い上げるという。すると何が起きるのかというと、銀行が日銀に持っている預金残高が増える。これは利息が付かないから銀行は金利を稼ぐために貸し出した方が良いわけで、より借りやすくなるようにするという。すると企業が設備投資やら起業する人たちが増えるだろうから株価が上がるという。だったらどうして円安になるんだろうか。
 一般労働者の賃金までこの流れがたどり着くのは一体いつなのか。誰もそんなものはわからないし、ひょっとしたらそんな時は来ない可能性だって充分にある。インフレは進む、されど収入はなかなか増えないし、ひょっとすると全く増えないとすると本物の不景気破滅的状況にいたる可能性がないとはいえない。まぁ、私の様な年金生活者はただただインフレを恐れるだけの存在でしかない。
 

NHK

参議院選挙の結果、自民党公明党参議院でも過半数を確保するのが望ましいと思うかどうか聞いたところ、「望ましい」が23%、「どちらかといえば望ましい」が34%

 例のそのNHKの支持率調査である。本当かよ?!この数字。断っておくけれど、この調査は電話による調査だ。ネットで良く語られるのは、今時家電に電話して、出てくる若者なんていないだろうという奴だ。ま、おそらく自営業の人は出てこない。多分これは録音調査だろう。だから、そういう人は忙しいからつきあっている暇がない。そんなことにつきあってくれる、家の固定電話に出てくるというのはリタイアした人たちが中心に決まっている。
 だからといって、必ずこういう結果が出るとは限らない。なぜなら自公過半数が何を意味するのか、わかっていない人たちがたくさんいると思うからだ。そこがこの調査の怪しいと思う点でもある。じゃ、なぜこういう調査をNHKがこれ見よがしに流すのかということになる。

日本維新の会が、ことしの参議院選挙で議席を増やし、国の政治への影響力を増すことを期待するかどうか尋ねたところ、「大いに期待する」が20%、「ある程度期待する」が35%、「あまり期待しない」が28%、「まったく期待しない」が13%

 驚きだね。

新春花形歌舞伎

 浅草公会堂の若手の歌舞伎の切符を戴いた。歌舞伎というものを一階で最後に見たのは一体いつのことだったかもう思い出せない。多分人から貰ったに違いない。うちがそんな高い席を買えるわけがない。
 今回はいつものように三階の後ろから二列目だったのだけれど、人から貰ったものだ。正しくいうと新聞やさんに戴いた。ここの新聞やさんは毎月集金に来ると置いていくチラシの中に応募券が入っていて、それに書いて応募すると観劇チケットが当たったりする。それに当たったのである。今年の運はもう使い果たした。そもそもこの浅草公会堂の正月歌舞伎は三階の席数が少ないのか、すぐに売り切れてしまう。
 二部(夜の部)は15時からで18時には終わってしまう。早い。しかもそのうち10分+30分は休憩だから実質2時間ちょっとしかやってない。
 最初は毛谷村で、「彦山権現誓助剣(ひこさんごんげん ちかいのすけだち)」の九段目で、そこんところだけをやってみせるだけだから一時間もかからずに終わる。中村壱太郎のお園がよい。というのは友人のお嬢ちゃんにそっくりだからだ。愛之助君の声は太さがない。押しも押されもせぬ役者となりにけりだけれど、えっ?誰が今いってんだ?って感じがする。そんなことをいっちゃったら海老様の台詞に言及するってことになっちまうじゃないか。
 それにしても歌舞伎はこうして全編やったらとんでもなく長くて、込み入っていて、前の方を思い出せないと、「あれ?どうしてこうなっちゃってたんだっけ?」とウロウロするということになる。ましてやここの段だけ、これぽっきりの一時間なんだから何が何だかわからないうちに筋の展開なんてどうでも良いやってことになりそうだよ。
 そこへいくとオペラなんぞはそうはいかない。今年生誕二百年のワーグナーなんぞは「ニーベルングの指環」は全部で4編に分かれているものを連夜にわたって上演しちゃうんである。歌舞伎だって昔はやったんじゃないんだろうか。
 休憩のあと海老蔵が口上てぇやつをやった挙げ句に、「吉例により、ひとつ睨んでお目に」掛けちゃうのである。成田屋に睨まれたら一冬風邪をひかないだなんて、インフルエンザ・ワクチンみてぇなことをいう。そういえば白血病団十郎が「ひとつ睨んでお目に掛けます!」といってにらみをやったのをテレビで見て、真似をしていたことがある。
 最後はなんと「勧進帳」。残念ながらここからでは飛び六方は全く見えない。しかし、歌舞伎のお客は暖かいというか、日本人はどこでも優しいというか、人が良いというか、海老蔵があんな事件を起こしても、アベシンゾーという男があんな辞め方をしても帰ってきたら、拍手をして迎える。ブーイングなんてしないのだ。面白くないと思っている人間はそこに来ない。
 アベシンゾーの金融緩和策をどう思うかという質問をNHKがして、その反応は「大いに評価する」が17%で「ある程度評価する」が52%だという。お前ら、その中身はなんだかわかってんのか!と怒鳴りたい気持ちだ。なんちゅういい加減な反応で、尚かついい加減な報道だ。
 あ、歌舞伎の話だった。

正義と平和

 先週、保阪正康の話を聞きに行った時に出た話。平和の上に成り立つ正義と、正義の上に成り立つ平和を比べて論じていた。
 平和という状況に存在する正義は絶対的な意味での正義であり得るけれど、これが逆転してある種の正義の上に成り立っている平和というものは大いに疑ってかからなくてはならない、というのだ。つまりある種の人々にとって意味するところの「正義」を振りかざす平和というものは、そのある種の人々にとっての「正義」であり得てしまう、ということだ。
 平たくいうと、この国のいわゆる「伝統」にのっとった「正義」をふりかざして造りあげられる「平和」は独りよがりの「平和」になりかねないということだというのである。
 宗教戦争なんぞはこの論理の典型例ということができよう。
 それにしても保阪は一体哲学者なのであろうかと思うほどである。

2013年01月14日のツイート