ほぼ足りてまだ欲 その先

「ほぼ足りてまだ欲」がはてなダイヤリーの廃止にともないこちらに移りました。

お猫様

 入谷の路地を歩いていたら、どこからやってきたのか、多分地元のお野良さんと思われるお猫様がお寺の裏のお墓に入るところだった。ちらちらとこっちを見ていたから、ひょっとしてと思ってちょっと声をおかけしたら、やっぱり気があるらしくて、柵の安全圏に入ったらこっちに集中されたので一枚撮らせて戴いた。もう少し近寄りたいのにねぇ。耳が切ってあるから、避妊手術が終わっているお猫様である。この界隈の人たちのコミュニティーがしっかりできあがっていることがわかる。

収穫

 今日の散歩は靴を慣らすという目的があったので気楽に出かけることができたのだけれど、プラスの収穫とマイナスの収穫が。
 そういえばよく米国人は逢うなり「Good news, or bad news?」て、聴きやがる。概ね最初にGood newsを聴いていたものだった。
 今日は悪いニュースから。昨日高万円出して買った靴がダメだった。がっくりだ。今までの靴に比べると重い。そしてソールが堅い。若い奴向けだ。今日はまだ6千歩ほどだから良いけれど、これを続けると確実に膝に来る。その後腰に来そうだ。どうしよう。ネットで買う奴はいないだろう。もう少し履き続けてみるしかなさそうだ。
 で、良いニュースだ。日頃はバカにしていたそれほど遠くないところにある小さな古本屋に入ったら、なんと「考える人」のバックナンバーが6冊並んでいた。見覚えのある一冊を残して残り5冊を買った。小躍りしながら買った。古本屋のお爺さんも大喜びだった。こういう人に持っていって貰えるとこっちも嬉しいよ、といってくれた。しかも、そのうちの3冊は創刊号、創刊2号、創刊3号だ。うきうきしながら帰ってきた。
 書棚を見てちょっとガッカリした。創刊2-3号は既にあった。そして16号も重なっていた。しかるに小津安二郎が表紙になっている19号は欠落分だった。もうこれだけで今日は充分だ、という気になるのだ。

オリンピック

 なにもこんなにオリンピック至上主義に走らなくたって良いじゃないかと馬鹿馬鹿しい思いで一杯だ。今の日本がこんな事に浮かれている場合かと。こんな時だからこそオリンピックを招致して「あの感動をもう一度」なんだといっているけれど、それはあの悲惨さを忘れようといっているようにきこえる。
 IOCの視察14名が物欲しそうに各地を訪ね、プレゼンのために最大限の扱いを受け、なんと皇太子にまで逢わせ、その挙げ句に宮内庁の山本信一郎次長は「国際親善の観点から儀礼上表敬を受けていただいた。皇室が招致活動に関与しないのはこれまでと変わらない」とわざわざコメントしたわけだけれど、これはどう考えたって14名の名誉欲をうずうずとさせ、その気にさせる作戦以外の何者でもない。そうそう、あれは招致活動じゃないよね、と思うような輩はどこにもいない。
 そもそも、2020年までに福島第一原発の事件が綺麗さっぱり片付いているかといったら、それどころの話じゃない。より一層汚染が広がって、ひょっとしたら非難地域が拡大している可能性だってないとは言い切れない。そこに眼をつぶって招致に成功したって問題は解決する訳じゃない。
 大体皆が皆知っているのはオリンピック委員会という組織そのものがとっくに儲けの構造の中にまみれているわけで、前回招致に失敗した時にいみじくもシンタローが悔し紛れにいってしまったように、出すものを出した奴の勝ち方程式ができあがってしまっているじゃないか。こんな汚れに汚れてしまっている組織の跋扈を許すのか。
 そんなことをいったらこの種の大会ってのは全部そうだよ、といってしまうことになるのだろうか。
 有明で14名がやってくるのをテニスをしながら迎えた猪瀬の猿芝居が悲しかった。

悲しいかな

 中学一年生から電車通学をした。小学校6年生の一年間はバス通学だったので、多分そんな余裕はなかったのだろうと思うが乗り物の中で本を読んだ記憶がない。しかし、中学一年の時には学校の図書室から本を借りだして通学の電車の中で読んでいた記憶がある。中学二年の春に転校してからもずっと電車通学だが、どんどんその距離は伸びて、大学へ行く頃は片道1時間半を通学に費やしていた。その間かなり本を読む時間があった。英語の勉強も続けていて、その宿題の暗記はほとんど電車の中でこなしていた。それで良く本を読む時間があったものだと不思議なのだけれど、学校の図書室の貸し出しカードが二枚目になったことがあったくらいだから、かなり読んだのだろう。
 ところが悲しいことに当時読んだ本の中身はほとんど思い出せない。どういうことなのだろう。まるでHDDが一回壊れてしまって、新替したものだからデーターが全く残っていないかと思うほどだ。
 武者小路実篤の「友情」だってあんなに心酔したはずなのになんにも思い出せないでいる。漱石の「坊ちゃん」は多年にわたり何度も読んだ上に映画になったものまで見た記憶があるからどうやら思い出すことができる。それなのに、映画だったら一度しきゃ見ていないものばかりなのに思い出すことができる。それだけ映像の力は強いのか。今時日本史に詳しい若者に聴くと「マンガで覚えた」という返事が返ってきて驚かされるのはそういう点もあるかも知れないなぁ。

睡眠

 一昨日は布団に入ってからなかなか寝付かれなくて、気がついた時には多分朝5時くらいになっていたのではなかったか。日曜日の夜はどうも寝付かれない。
 昼飯を食ってから眠くなってしまうことが懸念され、そうなるとまた睡眠時間がおかしくなってしまうと思ったので、思い立ったが吉日と、出かけることにした。それで靴を探そうと思ったのだった。
 独りで買い物に行くのは実は苦手である。決断のポイントが付かないということもあるけれど、売り手とのコミュニケーションがあんまり好きじゃないということもある。向こうは売ろうとするわけだし、こっちは冷静に考えたいと思う。その余裕が生まれなくなるのだ。綺麗さっぱり押し切られてしまうことが多い。今回ももうひとつのメーカーの靴と頭の中で比較しようとするのだけれど、それがうまくいかない。
 おかげで昨日の夜は手製のシウマイで夕飯を終え、しばらく経ったらやっぱり眠気が襲ってきたものだから、夜9時には寝てしまい、目が醒めたら午前2時だった。5時間の睡眠は一応の目処なので、起き出して珈琲を淹れた。

2013年03月04日のツイート