ほぼ足りてまだ欲 その先

「ほぼ足りてまだ欲」がはてなダイヤリーの廃止にともないこちらに移りました。

え・・

 テレビのニュースで宮中参賀の模様が映し出されておりました。そこで今上天皇の挨拶が流れました。一番に聞こえたのが「おめでとう!」だったんです。ドキッとしたんです。「皆さん、おめでとうございます」ではなかったことに。
 そういえばあの人の挨拶はいつでもそうですよねぇ。先代の挨拶でも「みなの生活が平和に・・」といったりしていたのですが、そうか、彼から見ると私たちはお言葉を賜る存在だってことなんだねと今さらながらちょっとショックだったのですよ。

「日本スゴイ」のディストピア: 戦時下自画自賛の系譜

「日本スゴイ」のディストピア: 戦時下自画自賛の系譜

 この手の本をじっくり検証することは今の時代には必須でございます。温故知新でございます。
 というわけでさっそく人でごった返す銀座へ出かけ、三省堂でこれを入手して参りました。これは面白いです。まさに今の本屋の店頭そのものでございますよ。新潮社が出していた雑誌「日の出」の昭和8年10月号の付録に「日本の偉さはここだ」というのが付いていましてね、なぜ日本の陸海軍は世界の脅威であるか、なぜ日本の製品は世界の市場を圧倒しているか、なぜ日本の文化は世界驚嘆の的であるか・・・いやはやまったく今のテレビの番組表でも再現しているのじゃないかと思うような有様でございますよ。この辺のことを知らない今の日本人民は、なんともオモットらんわけですが、全くの話、繰り返すお粗末な歴史って訳です。戦後レジームからの脱却ってのは、こういう昭和の歴史を無視しちゃえ!って事に他ならないかも知れませんね。
 この本は勿論読んでみた方が良いと思って手に入れたんですが、これを書いたご本人がこんな資料を見つけてウハウハいって一番楽しんだんじゃないでしょうか。(ご本人のブログはこちら。)
 それにしても空恐ろしい話でございます。稲田日本軍大臣が手ぐすねを引いて靖國を参拝し、安倍晋三が会食を催してマスコミを抱き込むわけがよくわかります。
 パソコンの環境改善を目指して、Time Machineの受け皿になる外付けHDDを探しに有楽町駅前の某家電量販店に赴きましたが、ワンワンと人が溢れ、皆大きな紙袋をぶら下げ、銀座も歩行者天国になっていないのですが、歩道から溢れんばかりの人出でございます。電車の中には赤ら顔の男が扉に寄りかかって、ノミ屋に馬券の連絡を携帯で入れていたりして、それはそれは正月感満載でございます。アップル・ストアーに至っては人ばっかりで機械が見えませぬ。デモ機をいじっていると後ろに「爺早くどかんか」といわんばかりの二人連れです。「お待たせ!」といって明け渡しても、「ありがとう」のあの字もございません。ま、世の中そんなものです。
 近頃の傾向でわからないことがひとつございます。神社仏閣でのお参りですが、昔は何列だかわからない、人々が群れになって本殿、本堂に向かって動いていって、後ろからぽんぽんお賽銭を投げ込むのが当たり前でした。それがいったいいつの頃からか、列になって並ぶようになりましたよねぇ。あれは一体誰が指揮して始まったんですかねぇ。昔のことしか知らない人が横からポンと投げ込むと、「きっ!」ッと睨まれちまいますよ、どうぞお気をつけを。

箱根駅伝

 ここにもこれまでにいろいろ書いたけれど、箱根駅伝といったらたくさんたくさん想い出があります。日本テレビの放送は時々昔の映像を挟みますが、かつてはこの時期の箱根といったら雪でございましたよねぇ。こうしてみると、明らかに温暖化が進んでいることがわかります。小学生の頃、うちの親父は硫黄温泉で湯治をする必要があって、足の湯にしょっちゅう上がっていました。だから、駅伝も足の湯から通りに出ていってみたことが何度もあります。そして2日の晩には同じ宿に新聞社やどこかの大学チームが泊まっていたことも、看板を見て知りました。
 そして、息子が中学生の頃、ふたりで元旦が2日に切り替わる頃から歩き出して、実家へ向かう途中で、駅伝に抜かれたことがありました。彼らはびゅーっと、あっという間に追い抜いていきました。私たちはそのあと雨に降られながら歩いたことを思い出します。真冬に雨とは普通じゃなかったんだな、と今になってそう思います。

雑誌

考える人 2017年 02 月号

考える人 2017年 02 月号

 新潮社が出している雑誌です。私はこの雑誌にとことん惚れ込んでいました。と、ここで過去形で触れることがなにを意味するのかということになります。なにしろ、創刊号まで遡ってバックナンバーを探すくらいにこの雑誌をとことん読みたいと思ったのです。しかし、残念ながら雑誌の宿命というのでしょうか、完全に手に入れることはかないませんでした。銀花や太陽のような雑誌ならともかく、この手の雑誌は古本屋にも滅多に出てきません。多分そのまま廃棄されてしまうのではないでしょうか。
 ところがこの季刊雑誌は数号前に大幅な改編を行いました。すっかりスタイルが変わってしまったのです。雑誌の場合は編集者が代わって大きくころっと変わるということは間々あります。著名なところでは週刊誌なんかはビックリするほど変わってしまいます。週刊朝日ですら、山口一臣が降りたらガラッと変わりました。週刊文春はあの花田某が代わってもなんだか結果的には変わった雰囲気がしないような気がしないでもありませんけれど。
 この雑誌の編集者が代わったのかどうか知りませんが、ころっと変わりました。まず、薄くなりました。頁数で雑誌を評価するのは愚かしいとは思いますが、とにかく薄くなりました。そして、中身に骨がなくなりました。どうも数号前から、うすうすとどうも手応え、あるいは登場人物に独特の「濃さ」がなくなってきたなぁと感じていました。前号は入手しましたけれど、今号は本屋の店頭で、パラパラとめくってみて、ついに雑誌を下に置いてしまいました。おかげで、楽しみがとうとうひとつ減りました。
つるとはな第4号

つるとはな第4号

2014年に創刊されたばかりで、「クウネル」を立ち上げた元マガジンハウスの岡戸絹枝さんが編集長を務める「つるとはな」です。なにに関心をかき立てられたのか、忘れましたが、瞬時にそれまでに出版されていた創刊号、2号、3号をいっぺんに買いました。
 ところが期待していた第4号を店頭で手にして、パラパラとめくってみて、あれ・・・?と心が動きません。そう、なんというか、爺さん、婆さんに媚びているというのか、凜とした思想が感じられなかったのです。ちょいと金を持っている爺さん婆さんをターゲットにしている感を感じちゃったのです。これもまた、楽しみにならなくなりました。残念です。
それだったら現代思想の「神道を考える」増刊号で勉強してみた方がまだマシかも知れませぬ。

2017年01月01日のツイート