虚構の皇国 blog このページをアンテナに追加 RSSフィード

2012-02-06

2012/02/05 拾遺

2012-02-04

臨時大東亜ファッショ聯盟結成のお知らせ

臨時大東亜フアシヨ聯盟結成 

 伊太利フアシスト共和国の在本邦ファシスト党支部の設立再建の取扱ひに関しては新政府をして帝国と協議の上措置せしむべきことは十月五日大本営政府連絡会議に於て決定を見たるところなるが、同月二十六日プリンチピー二陸軍大佐駐日伊太利利益代表として着任以來新政府の駐日外交機関整備並雄在本邦フアシスト党支部の再建に奔走し既に東京及神戸に之が組織を見新政府は将来その施政方針を党活動と表裏一体的関連の下に行ふ趣なるところ本邦に於ける之が党指導の中枢たるプリンチピー二大佐は今回本国外務省の電命により客年十二月一日より駐日元伊大使館内に「臨時大東亜フアツショ聯盟」を設立し自ら其の書記長に就任せり。

 而して本聯盟は大東亜に於けるフアシスト運動を育成、調整、監督するの目的を以て之が指導を東京に集中せしめんとするものにして書記長プリンチピー二大佐は十二月六日北京、上海、マニラ、西貢、スラバヤ、盤谷の各支部長宛其の支部長名及党員数の報告方電命し更に今月十七日之が趣旨書を前記各支部へ発送したり。

 本聯盟に封しては静観的態度を以て望む方針なるも在本邦支部及党員の活動に関しては引続き厳重なる観察を要するものと認めらる。

『外事月報』昭和18年12月号


 このプリンチピーニ陸軍大佐、検索すると、こんな文書が出てきた。この本は Marino Vigano, Il Ministero degli affari esteri e le relazioni internazionali della Repubblica Sociale Italiana 1943-1945., Milano: Jaca Book, 1991.日本題にすると『イタリア社会共和国における外務省と国際関係』とでも訳せるのだろうか(千葉大学に1冊あるみたいだ)。

 イタリア語はからきしなのだけれど、なんとなく字面を読んでいると、1943年の9月以降、件のプリンチピーニ大佐を筆頭として在日イタリア利益代表部の再建が、本国の指令との関係でどのように行われたのかが紹介してあるように思う。

 1943年9月に重光葵がどうしたと書かれていると思うのだが、それはイタリア語が読める方にご教示していただくとして、問題はベルトーニ一家のゆくえである。

 リンクしたGoogle Bookの表示だと、日付からみてイタリア大使館員が抑留されてしまうちょっと前あたりから話が始まっている(くらいしかわかりません)のだが、この2〜3ページ前の部分が見れない。プリンチピーニは陸軍大佐だったそうで、ベルトーニ陸軍中佐の上司にあたるはず。とすると何らかの言及があるかもしれない。このMarino Vigano氏に連絡が取れれば、ベルトーニ一家の去就がわかるかもしれないのだが、語学のカベが立ちはだかってここで挫折している。 

 ちなみに国会図書館には、オメロ・プリンチピーニ著『トブルク戦について』(イタリヤ大使館情報官室、昭和17年)がマイクロで収められていた。ベルトーニ陸軍中佐もバドリオの『エティオピア戦役』を翻訳しているから、イタリア大使館駐在武官のみなさんは「弱いイタリア軍」の汚名を晴らそうと(?)、軍事方面の啓蒙著作活動にいそしんでいたのだろうか。



▼ものすごく濃い内容で楽しめた『イタリア軍入門』。イタリア軍からRSIの部隊までを網羅。

2012-01-29

抑留されたファシスト少女フランチェスカちゃん

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伊国公館員並伊国人抑留者名簿(冒頭部分)『特高外事月報』昭和18年10月号

 やはりフランチェスカちゃんは、父君のグイド・ベルトーニ駐在武官やご家族とともに、田園調布の聖フランシスコ会修道院に抑留されていました。

あらためて家族構成を見ると、

ギイド・ベルトニー(父)49歳 陸軍武官

エナー・ベルトニー(母)47歳

カルロー・ベルトニー(長男)9歳

フランチェスコ・ベルトニー(長女)14歳

 *人名表記は外事月報に拠る

 フランチェスカちゃんは、お姉さんだったわけですね。昭和18年(1943年)に14歳ですから、生まれは昭和4年(1929年)、もしもご存命であれば今年で83歳。先日亡くなった長門裕之さんよりも年上だったのです。ああ14歳……

 ところでご一家の住所は「麻布区箪笥町六七」になっています。当時の地図と見比べると、現在の営団地下鉄南北線六本木一丁目駅周辺、アークヒルズとかが立っているあたりのようです。同番地には江戸川乱歩の『影男』で名前が使われている「張ホテル」がありました。たぶんベルトーニ一家はこの張ホテルに住んでいたのだと思われます。実際、現地に足を運んで見ましたが、すっげー背が高いビルが並んでいるばかりで、往時をしのぶものは何一つありませんでした。

 さてこうなると、フランチェスカちゃんの戦後が気になります。田園調布の聖フランチェスコ会修道院には、抑留イタリア人のその後を知る人がいるかもしれませんし、『敵国人抑留』著者の小宮まゆみさんに聞くのも一つの手でしょう。14歳の可憐なファシスト少女の行方がとにかく気になる、という後ろめたい調査の口実をどう弥縫するか悪知恵を働かせねばなりません。

2012-01-27

北原白秋「東條さん」に出てくるガソリンスタンドについて

朱描きでペガサス描いてある。

ガソリンスタンド、雪のあさ。

「お早う、内儀さん、お寒いね。」

お馬で声かけ、とつとつと

みんなの宰相ほがらかだ。

twitterでフォローしていただいている@tokoyoさんがつぶやいた疑問

朱書きのペガサスはモービル石油のマークだが、米資本接収後、社名は変わってもマークは変えられないままだったのだろうか?

に関心をもって、手許にある北原白秋大東亜戦争少國民詩集』を見てみると、残念ながら「朱書きのペガサス」は挿絵にのってませんでした。

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 現モービル石油は当時の「スタンヴァック(スタンダード・ヴァキューム石油)株式会社」。念のためアジ歴で調べてみると、大東亜戦争関係一件/敵国財産管理並権益接収関係/敵産管理委員会 第一巻という資料が出てきた(閲覧にはDjvuプラグインが必要です)。

 この資料の6頁目に「(敵産)管理人選任ニ関スル件」という記事があって、日米開戦にともなって同社が接収された後、長年同社に勤務していた森田半右衛門支配人が同社を管理人として引き継いだ、との記録がある。

 さらに同資料16頁以降に、同社ならびに系列のスタンダード船舶株式会社の資産/負債の一覧表があった。ただし、(このあたりはまったく明るくないのだけれど)ガソリンスタンド・石油小売所についての記述はない。

 敵産資本接収にともなってスタンバックが解体された後、各地の小売業者がすでに「ペガサスガソリン」として親しまれていた同社の商標をどうしたのだろうか。この資料だけではわからなかった。ガソリンスタンドの歴史に詳しい方のご教示を待ちたい。

2012-01-12

恐るべき特高外事課の調査活動――暴露されたちょいワル伊太利大使館員のプライベート!

国会図書館で『特高外事月報』を調べてきました。ファシスト少女フランチェスカちゃんの行方は次回にまわして、特高外事課の恐るべき調査活動の一端を紹介しましょう。

昭和18年5月といえば、まだイタリアではバドリオ政権が成立する前、いまだ枢軸国の一角をなす力強い同盟国であったわけだが、特高外事課は、敵国はもちろん、同盟国や中立国の大使館員をみっちりと監視していました。


七、伊太利大使館関係

本大使館に於ては最近特異の活動開係なきも枢軸国として我国を始め独逸、芬蘭、洪牙利、泰等各国並中立国としてスエーデンアルゼンチン、スイス等の外交官並武官と午餐会或は晩餐会を開催し意見の交換をなし各国間の親睦強化に努めつゝあるが、独逸国に比し其の活躍も不活発にして大使の日常生活に於ても特に見るべきもの無く主として館内に起居し三月二十五日より神奈川県鎌倉市材木町別荘へ随時赴き静養し居れり。

大使付ボーイ伊大利人ロモリ・ピエトロが日本人ボーイに洩したる処に依れば、インデルリ大使は近く更迭するとの噂ありて大使夫人の家具購入等見合し居る趣なり。

『特高外事月報』昭和18年5月


思いっきりイタリア大使館は「やる気がない」と烙印されております。そんな中、大使館員はこんなことをヤってました。


空軍武官リカルド・フェデリッチ

同武官は本年一月中旬頃より東京市赤坂区新坂町六九無職田口知子当廿五年を屡々自宅へ出入せしめ、容疑の点ありたるに依り警視庁に於て外諜容疑者として右田口を取調べたる処、次の通り情交開係あること判明、他に容疑事実なきを以て厳重説諭の上釈放せり。右田口知子は昨年八月頃妹と共に赤坂区乃木神社境内を散策中初めてフェデリッチと知り合ひとなりたるが其後屡々接近し居りたる処、偶々本年一月中旬頃同武官邸前に於て出会ふや甘言を以て来訪方勧誘せられたるを以て其後単身訪問したるに、半強制的に情交開係を求められ遂に開係するに至り其後度々訪問して数回に亙り情交開係を結び居りたるものなり。

『特高外事月報』昭和18年5月


なんだか、週刊新潮の『黒い報告書』風になってきました。防諜がらみで田口知子容疑者(25歳)をしょっぴいたら、ただの情交関係だったというお話です。しかしペルソナ・ノングラータ、フェデリッチ空軍武官にはおとがめなしというわけですね。ちなみにこのフェデリッチ空軍武官は、大使館員抑留者名簿によると38歳、独身。無聊の日々に耐えかねるヤリたい盛りであったようです。それにしても、戦時下の乃木神社でナンパとは……人と人との出会いの縁は不思議なものですねw


記録官ジョバンニ・フロリオの容疑行動

本名は昨年十月頃より東京市目黒区碑文谷二丁目二一八三番地所在高射砲陣地に定期的に大使館自動車にて来り約二十分位に亙り附近を徘徊し最近に至り日本人婦女子を同乗せしめて帰るを以て警視庁に於ては、同婦女子を取調べたる処右は東京市目黒区碑文谷二丁目二一三八角田喜海当廿三年にして、目下目黒区五反田丸井裁縫店に裁縫研究の為めバスにて通勤し居る者なるが、偶々昨年十二月中旬頃前記高射砲陣地附近の停留所にバス待合中ジョバンニ・フロリオより同乗を勧誘せらるゝまゝに便乗したる処、其後数回に亙り同一行動に出で遂に親密となりたるが其間ジョバンニは拙劣なる日本語を以て種々質問せるも特異なものなかりしがこの侭推移するに於ては諜報其の他に利用せらるゝ事必定なるに依り厳重将来を戒告せり。

『特高外事月報』昭和18年5月


特高では高射砲陣地に対する諜報活動かと見ていたようですが、スパイ活動ならば大使館の公用自動車でうろつくわけないでしょ? と思うのであります。やはりこれはナンパでしょう。特高は「情交」ではなく「親密」と表現しているので、ジョバンニの熱い思いは遂げられなかった模様です。以上、レポっす。