ほぼ足りてまだ欲 その先

「ほぼ足りてまだ欲」がはてなダイヤリーの廃止にともないこちらに移りました。

旭日旗

 今の日本人は旭日旗の歴史を知りません。
 先日ドジャース前田健太選手が自身のブログにトレーナーのジョニーが「神風」鉢巻きをして一緒に写っている写真を載せたのだそうです。(こちら)ところが「神風」なんて書かれたような鉢巻きですから、正面に旭日旗がプリントされていました。
 それを批判した韓国の人がいて、日本の若者達が「うるせぇんだよ!いい加減にしろ!」と書いています。
 昨日「沖の島」が世界遺産に選定されることが決定しました。本土側の宗像神社等も含めて総合的に、日本が主張した通りに世界遺産に指定される運びとめでたくなりました。
 このプレゼンテーションで上映された映像の中に宗像大社秋季大祭で海上安全や大漁など願って行われる祭礼、みあれ祭の様子があったそうです。何隻もの漁船が大漁旗を何枚も掲げて一斉に走って行く様が大きく映されたそうです。その一枚に旭日旗にそっくりな旗があったそうです。多分それを意識して作られている旗でしょう。
 韓国の代表団から、この写真は周辺各国に良い印象を与えないから差し替えた方がよろしいのではないですか、と意見が出されたそうです。日本代表団がどう思ったのか知りませんけれど、今日のテレビのニュースショーでこれを採り上げていました。これは旭日旗じゃない、たまたま海に昇る朝日をイメージした大漁旗だと説明されていました。旭日旗というのはまさにそのイメージで作られたもので、「日出づる国」を意味しているのは明白です。
 旧帝国陸軍が進軍するときには必ず連隊旗として先頭に立っていたのがこの旭日旗でした。日本人は全く意に介していませんから、今でも海上自衛隊の艦船は朝に夕に当時のままのラッパを吹いて、旭日旗を上げ下げしています。ほとんど歴史を考えたりしません。日本人はあまりにもこの辺のことに無頓着すぎます。もし今欧州でスポーツ選手がハーケンクロイツをどこかにつけて自分のブログに登場したら大騒ぎになります。大顰蹙を買います。
 エンブレムに対する意識が薄弱で、その重みを感じる感性を持っていません。今の陸上自衛隊のエンブレムなんて見ると、おぞましい限りです。デザインセンスが最低といったら良いかもしれません。
 ノー天気といえば良いんでしょうか。とても残念です。
 

定員超

 全国に16校ある獣医学部が定員を超えて学生を引き受けているんだから、獣医学部が足りないというのは明確だ、といういい方をする国会議員が政権与党側におられるようでございます。
 この点をついては全然駄目でありまして、こんなことをいってしまうと、日本の私立大学のほとんどは(人気のない学校、学部は別ですが)定員ぴったりで運営されているところなんてほとんどございません。そんなことをすると、もし、合格認定者が入学してくれず定員割りをしてしまったら、あたら収入を棒に振るということになってしまいます。だから必ず「今年はどれくらい逃げるか」を勘で判断して割り増した人数に合格を出します。
 こんな簡単なこともわからずに国会で質問をしているのかと思うとあほくさくなります。

国会

 閉会中審査ってのをやっている。役人連中は「記憶にございません」の連発。昔と全く変わらない。知らないんじゃない、記憶にないんだ、ってのは禁句にしなくちゃいけない。
 全員が必ず、初めに九州豪雨の話をするのは、時間がないんだから、禁止にして、九州豪雨については別途委員会を開いたら良いんじゃないのか。片手間に形式的に触れるのは意味がない。

経済政策

 安倍晋三政権は経済政策が第一、と掲げています。企業活動を活発にするシステムにする為にそれ以外にかかる経費を削減してきました。そして、積み上げられた年金にまで手をつけてそれを株式投資に突っ込んできました。その結果、好景気が実現している、これは歴史の上でも長い期間にわたる好景気だと喧伝しているのですが、私たちに実感は全くありません。それは一般消費者の消費傾向になって現れていないからです。一体全体どこにその好景気は現れているんですかね?大企業の企業内留保金を調べてみたら多分良くわかるんじゃないかと思います。つまり、企業、それも大きな企業が好景気を謳歌しているってことじゃないかというわけです。
 これがどんな結果を著しているのかといったら、大企業に雇われている人たちだけに恩恵が及ぶ好景気だということです。つまり国民の中にその好景気は偏在しているわけです。
 本当の好景気というのは、その経済活動範囲がおよぶ地域に暮らす人たち全員にその恩恵が及ばなくてはならないんじゃないの?という気がしますが、その考え自身が安倍晋三政権にとっては自由資本主義経済に反する考え方だ、あるいは騙されない考え方だ、ということになってしまって意に反するということでしょう。なにしろ、小泉純一郎とともに国民を騙し続けて郵便制度をぶちこわしてしまった竹中平蔵が今でもでかい顔をしているのを見たらおわかりでしょう。
 じゃ、本当に正しい経済社会はいったい何だよ?という話になります。 
 竹中平蔵の考え方の反対をやってみたら良いのです。すなわち、国民ひとりひとりの消費が活発になれば良いのです。いやいや、そんなものは微々たるもので、大企業がドッカァ〜ンと設備投資をして、大きなプロジェクトを動かしていく方がよっぽど活発になるんだと私たちは思い込まされています。ところがそんなものはたった一度通り過ぎてしまえば、経済活動は終わってしまいます。しかし、国民ひとりひとりが将来を憂うことなく、消費活動をするということは一回で終わるわけではないのです。毎日毎日この活動は続くのです。しかも、次から次にその後継者が現れてくるので、それこそ永遠エネルギーのように停まることがないのです。
 じゃ、どうすれば、この経済活動が活発になるのでしょうか。その要は「将来を憂うことがない」という点にあります。つまり、動けなくなったら、その時のために貯蓄をしていなくても良い、ということです。
 私たちはなんの為に貯蓄をしたい、できるようになりたいと思っているのかといったら「老後の為」です。蟻とキリギリスの話を子どもの時に聞かされて、あぁそうだろうなぁ、そのために一生懸命働かなくちゃ、と思ってきました。そのために税金を納めなくちゃと思ってきました。その結果なにが起きたのかといったら、消費活動を控えてきたのですね。その消費活動を活発にする、つまりお金をなんの憂いもなく遣うことが好景気を生み出します。それが日常になるんですから。
 その代わりに、動けなくなったら一定の資産以外の資産を国庫にすべて納める、ということが条件です。つまり、一定以上の資産は最終的には国家のものにするのです。そしてそれでそのシステムを賄います。するとみんな「どうせ収めるんだから」というのでどんどん消費するということになるわけです。
 さぁ、この考えのどこが間違っていて、どこが正解なんでしょうか。ま、少なくとも自民党を支えている大企業、富裕層が支持するとは思えませんが、選挙になったら勝つと思いませんか?いや、駄目だろな。

電車の中で

 昨今は電車の中で人が席を譲るという場面に遭遇することが増えた。というのは自分が譲られる局面に遭遇するからなんだけどね。結構世の中の人たちは親切だ。若い人も、そうでない人も譲ってくれる。つまり、それぐらい私は歳をとった体型で電車のつり革にぶら下がっているということになるのだろう。それでもできるだけラッシュの時間には乗らないようにして、現役の人たちの迷惑にならないようにしようとは思っている。
 昔は、電車の中で席を譲らないまでも、前に立った若い人の荷物を膝に預かってあげるという行為がよく見られたものだった。せめてそのあなたの重い荷物は私が支えましょう、というオファーだ。そうして乗客の中に自然にコミュニケーションが生まれていたんだろう。あれはいつ頃からなくなってしまったんだろう。今じゃ全く見ることがない。

2017年07月09日のツイート