ほぼ足りてまだ欲 その先

「ほぼ足りてまだ欲」がはてなダイヤリーの廃止にともないこちらに移りました。

 この週末はこの界隈が一斉にお祭りになります。一番有名な神社の祭りはかなりの人に知られていて、必ずテレビのニュースで取り上げられますから、言わずもがななんですが、それに隣接する氏子を抱えている各神社も一斉にお祭りになっちゃいます。だからあっちもこっちもこの有名な神社の氏子なんだと思ってしまいますが、実はそうではない。
 近所にある八幡様なんかとても小さな地域が氏子なんだけれど、ちゃんと山車と神輿があります。多分戦後になって造ったんじゃないのかなぁ。そして地域が狭いだけに、どんどんする人が少なくなっているんじゃないかと。反対側にはそこそこの規模の氏子がいる学問の神様を祀っています。JRの駅の傍にはやっぱり周辺を氏子に持つ神社があって、そこも一緒に祭になる。うちの近所だけでもそれだけあるんだけれど、他の周辺氏子町会にはそれなりの神社がやっぱりお祭りをやる。

病院

 コレステロールの薬が切れちゃったから、病院に行かなきゃ、とちょっと覗いたら、待合室にごっちゃりひとがいたので怯えて出てきちゃったわけです。雨でも降れば空くのになぁ。ところが今日はむちゃくちゃ天気良くってなんと29℃にならんと、天気予報が無責任にも言い放っております。
 しょうがないから、北千住にチョロチョロッとしたものを買いにいったんだけれど、紀伊國屋にも、成城石井にも置いてない。とにかくこの商品自体が日本では浸透していないんだからしょうがない。どこかが扱い始めないかなぁ。それは「Horseradish sauce」ってやつなんですが、ステーキに辛子のように添えたりするんだけれど、それだけじゃなくてソースになっているところが味噌。
 MJBのItalian dark roastを買った。ついでにPAULでプレミエールを一枚。余計なものばかり買う。

 もう昔ながらの「ちょいとつまむ」鮨っていうのはなくなっちゃいましたねぇ。ちょっとまともな鮨を食べようと思うと、すぐ一万円札がパタパタと仲間を連れて、音を立てて飛び立っていきます。そうじゃない鮨にすると、「あれまぁ、良くこんなに薄っぺらく切ることができたじゃないか!」なんて切り身が、「おぉ、痛々しいほど小さな握りだねぇ」という出来方でございますよねぇ。もう諦めろってことなんでしょうか。
 いやいや、これは鮨に限った話じゃなくて、おでんだって、近頃は一流のお店、つまり出来合いのタネではなくて、材料から吟味して、自家製造したタネを時間をかけて煮込んだ、そんなおでん屋だったら軒並み「時価」なんて書いてあってね、子どもが小腹が空いたときに「ホレ!」といって与えるようなものじゃなくなっちまっておりますよ。
 段々、本物から遠ざかる、そんな人生になってきておりますが、じゃ、今時そんな「本物」を享受する人たちっていうのは一体、どんな人たちなんですかねぇ。

格差

 かつて日本は米国をも凌ごうかという勢いにあった。だから外国の人たちが日本に行って働きたい、といっていた。現実に「どうやったら日本で働くことができるのか」と良く外国人に聞かれたものだ。いや、日本のワーク・パーミットはほとんど降りないから、アンスキルドな労働者は入ってこられないんだよ、と説明していた。
 日本の農村に暮らす、結婚相手がなかなか見つからない男性に、東アジアからのお嫁さんが目立つようになったのは20-30年前のことだっただろうか。地方の自治体にとってはそうしたお嫁さん達のコミュニティーをどうやって支えていくか、というのは大きな課題になっていたりしたものだ。それはテレビでも取り上げられたことが何度もあるけれど、今じゃその辺の問題点をあまり聞くこともなくなってきた。
 外国人の研修・実習生のトラブルは依然として継続していると思っても良いのかも知れないけれど、これだって、早晩担い手が少なくなってくるだろう。そうなると派遣元をもっともっとアフリカ方面に求めるしかなくなってくる可能性が高まってくるだろう。
 それはどういうことかというと、派遣元と日本の経済格差がどんどん縮まってくるということではないか。そうでなくても、日本では安い賃金で自由を奪われた状態で働くことが多く、挙げ句の果てにどんなに馴染んだところで、特別在留許可が出るわけではないのだ。この法的な立ち位置を考えたら、あまりにも人道的でない制度だといわざるを得ないではないか。
 介護の世界にも東南アジアからの人材を導入することが進みつつあるけれど、それだけ日本の介護労働に馴化したとしても、法的にその立場を自由に選択する道が開かれていないのであれば、やっぱりそれは一種の奴隷労働条件としか認識できない。
 日本人社会は他民族と共存するだけの文化的成熟度があまりにも低すぎる。国際的に非常に劣る環境しか構築できない。この先変化するにしても、期待はなかなかできそうにない。それは今の内閣閣僚をひとりひとり見たらよぉ〜くわかる。

大臣

 麻生太郎という国会議員がいますよねぇ。吉田茂の三女の息子。品がないねぇ。自制心もない。人格的に破綻している。どうしてこんな人がこんな立場にいるのか、理解ができない。他にいくらでもまともな人がいるんじゃないのか。それともこれが「まとも」な方なのか?ひょっとするとそうかも知れないなぁ。そう思うと絶望的な境地にゴロゴロと落ちていってしまうんだけれど、20代だった頃に比べたら、ここから先がほんの数年くらいしかない身としてはもう、絶望することもさほどない。だって、自分の身にはなんの影響も起きてこないだろうと思うから。つまり、昭和10年代のようにいつ突然人生を絶たれるかわからないという要素は少ないからだ。

2018年05月14日のツイート