原発ゼロ社会だぁ!by朝日新聞

直ぐに証拠隠滅する社会の公器朝日新聞様の社説をメモ。
 
アサヒとしては読売=原発民族派を追い落とす絶好のチャンスだもんなぁ。

原発ゼロ社会―いまこそ 政策の大転換を〈社説特集〉2011年7月13日21時41分
http://www.asahi.com/special/10005/TKY201107130637.html

■大軒由敬(論説主幹)
 
 日本のエネルギー政策を大転換し、原子力発電に頼らない社会を早く実現しなければならない。
 
 いまだに収束が見えない福島第一原発の事故を前に、多くの国民もそう思っている。朝日新聞世論調査では、段階的廃止への賛成が77%にのぼった。
 
 なにしろ「止めたくても止められない」という原子力の恐ろしさを思い知った。しかも地震の巣・日本列島の上にあり、地震が活動期に入ったといわれるのだ。再び事故を起こしたら、日本社会は立ち行かなくなってしまう。
 
 そこで、「原発ゼロ社会」を将来目標に定めるよう提言したい。その方策については、社説特集をオピニオン面に掲載したので、お読みいただきたい。
 
 脱原発を進めるポイントは、時間軸をもつことである。
 
 これまで電力の3割近くを原発に頼ってきた。ここで一気にゼロとすれば電力不足となり、生活や経済活動が大きな打撃を受けるだろう。過度に無理せず着実に減らしていく方が現実的であり、結局は近道にもなるはずだ。
 
 原発の寿命は40年がひとつの目安とされている。もう新たな原子炉は建設せずに40年で順に止めていくと、2050年にはゼロになる。これでは遅すぎるが、代替電源の開発・導入に力を入れ、節電にも努めれば、ゼロの日をそれだけ早めることができる。
 
 代替電源の希望の星は、風力や太陽光を始めとする自然エネルギーだ。これを増やす方向へエネルギー政策を転換し、電力会社による地域独占体制を抜本的に改めて自由化を進める。それが社説で描いたシナリオである。
 
 これまでは、原発増強を最優先させ、自然エネルギーを陰に陽に抑制してきた。自然エネルギー源は各地に分散していて地域密着の発電になるので、自由化による新規参入が欠かせない。需給に応じて変動する電気料金にすれば、節電を促すことにも役立つ。
 
 ただし、まだまだコストが高い。急激に導入すれば電気料金を押し上げ、暮らしや経済活動の重荷になる。どのていどの値上げなら受け入れ可能か。危険な原発を減らすことと天秤(てんびん)にかけ、国民的な合意をつくりつつ廃炉のテンポを決めていくことが大切だ。
 
 また、それまでには時間がかかるので、当面は天然ガスなどの火力発電を強化せざるをえない。二酸化炭素を出し、地球温暖化の防止にはマイナスに働くが、自然エネルギーの開発と省エネを進めていき、長期的には脱原発と両立させねばならない。それが日本の国際的な責任でもある。
 
 以上の努力を重ねていって、ゼロにできるのはいつか。
 
 技術の発展や世界の経済情勢に左右され見通すのは難しいが、20〜30年後がめどになろう。
 
 そこで、たとえば「20年後にゼロ」という目標を思い切って掲げ、全力で取り組んでいって、数年ごとに計画を見直すことにしたらどうだろうか。
 
 現在は、54基ある原発のうち35基がすでに休止しており、8月までにさらに5基が検査で止まる。この状態であっても、私たち一人ひとりの節電努力でこの夏の需要最盛期を乗り切れたなら、かなりの原発はなくても大丈夫であることを証明したことになる。
 
 今後は安全第一で原発を選び、需給から見て必要なものしか稼働させなければ、原発はすぐ大幅に減る。ゼロへの道を歩み出すなら、再稼働へ国民の理解も得やすくなるに違いない。
 
 戦後の原子力研究は「平和利用」を合言葉に出発した。しかし、原発が国策になり、地域独占の電力会社と一体になって動き始めると、反対論を敵視してブレーキが利かなくなった。
 
 多くの国民も電力の源についてとくに考えずに、好きなだけ電気を使う生活を楽しんできた。
 
 原発から脱し分散型の電源を選ぶことは、エネルギー政策をお任せ型から参加型へ転換し、分権的な社会をめざすことにつながる。それは、21世紀型の持続可能な社会を築くことにも通じる。
 
 きょうの社説特集は「原発ゼロ社会」へ向けたデッサンにすぎない。必要なのは国民的に議論を深めながら、やれることから早く実行へ移していくことである。

 朝日新聞社の論説主幹というのは論説で長く活動している論説委員が就任するのが慣例になっている。そうした慣例を破って7月1日付で大軒由敬・論説副主幹が主幹になった。大軒氏は経済部出身で論説の経験は短い。浜離宮ホールの支配人や土曜日に出す別冊のBEの編集長などを経験し論説副主幹になったのも意外な人事といわれていた。その大軒副主幹が主幹になったことは、船橋洋一主筆の推薦があったという。船橋主筆は定年で10年6月で辞めるのではないか、といわれていたが1年延長になった。船橋主筆としては同じ経済部である大軒氏が政治部出身の村松泰雄・論説主幹より使いやすいということから大軒氏を推薦したようである。

大軒由敬(おおのき・よしのり)朝日新聞論説副主幹 1950年東京生まれ、74年に一橋大学を卒業し朝日新聞記者に。経済畑を歩み、AERA副編集長、東京経済部次長、asahi.com編集長、be編集長をへて、07年から現職。高校の授業でチェロに触れて以来趣味とし、90年代初めからはピリオド・チェロでバロック〜古典派のアンサンブルを中心に楽しんでいる。

脱原発宣言 看板だけ掲げるのは無責任だ
(7月14日付・読売社説)
http://www.yomiuri.co.jp/editorial/news/20110713-OYT1T01147.htm
 
 深刻な電力不足が予想される中で、脱原子力発電の“看板”だけを掲げるのは無責任だ。
 菅首相は13日の記者会見で、「原発に依存しない社会を目指すべきだ。計画的、段階的に依存度を下げ、将来は原発がなくてもやっていける社会を実現する」と述べた。
 日本のエネルギー政策を大転換する方針を示したものだが、原発をどのように減らしていくのか、肝心の具体策は示さなかった。
 原子力発電を補う代替エネルギーの確保策が、不透明なままだったことも問題である。
 首相は、太陽光や風力などの自然エネルギーを「ポスト原発」の有力候補と考えているようだ。
 自然エネルギーの普及は促進すべきだが、現時点では総電力の1%にとどまり、発電量は天候などで変動する。コストも高い。
 量と価格の両面で難題を抱えており、近い将来、原発に代わる基幹電力の役割を担えるほど見通しは甘くない。
 火力発電で急場をしのげても、燃料費がかさんで電力料金が上がれば、産業の競争力低下を招く。工場の海外移転による空洞化も加速して、日本経済は窮地に立たされかねない。
 安全確保を徹底しつつ、原発利用を続けることが、経済の衰退を防ぐためには欠かせない。
 
 首相はまた、当面の電力不足について、節電などで「この夏と冬に必要な電力供給は可能だ」との見通しを述べたが、その根拠についての言及はなかった。
 企業の自家発電など「埋蔵電力」も活用できると見ているようだが、どの程度の供給余力があるのか、手探りの状態にある。
 代替電力の展望もないまま原発からの脱却ばかりを強調するのは、あまりにも非現実的だ。
 原発のストレステスト(耐性検査)を巡る閣内不一致によって、九州電力玄海原発など、定期検査で停止している原発の再稼働に見通しが立たなくなっている。
 首相が、ストレステストの判断が妥当なら「再稼働を認めることは十分にある」と述べたのは、当然のことである。
 ただし、脱原発を掲げる政府が運転再開を求めても、地元自治体は戸惑うだろう。
 首相には、福島第一原発の事故に伴う国民の不安に乗じ、脱原発を唱えることで、政権延命を図る思惑もあったのではないか。場当たり的言動が、多くの混乱を引き起こしている。首相は、そのことを自覚すべきだ。
(2011年7月14日01時15分 読売新聞)