フッサール『間主観性の現象学2 その展開』/『白秋詩抄』/玄侑宗久『お坊さんだって悩んでる』

晴。
県図書館。冷静に棚を見てみると、やはり理系物は必要文献が揃っていないな。県図書館でもこんなものか。

エトムント・フッサール間主観性現象学2 その展開』読了。間主観性と云っても、結局フッサール独我論から出発していると思うのだが。その意味で、フッサールは徹底して(そして典型的に)西洋的。自分は最初に間主観性があるような気がしてならない。

間主観性の現象学II: その展開 (ちくま学芸文庫)

間主観性の現象学II: その展開 (ちくま学芸文庫)

岩波文庫版『白秋詩抄』読了。出世作邪宗門』はやはりエキゾチックだ。今読むと、その古めかしさもエキゾチック。
白秋詩抄 (岩波文庫 緑 48-1)

白秋詩抄 (岩波文庫 緑 48-1)

玄侑宗久『お坊さんだって悩んでる』読了。仏教の専門誌に連載された、お坊さんの悩み相談を纏めたもの。そんなものおもしろいのかと思われるかも知れないけれども、やるべきことをきちんとやっている僧侶が、仏教をどう考えるかのエッセンスが詰まった、素晴らしい本になっている。それだけでなく、一般人にも教えるところ大であろう。ここにあることこそが、現代の宗教なのだ、そう言い切ってみたくなる。中身は自分などには到底要約できないが、滋味のように、一滴一滴を味読してほしい。といっても、真面目一辺倒の本ではないのだな。仏教こそは柔軟なもの、そういう意味で、本書は厳しさもあるが、一方でやわらかい本なのだ。これは賞賛ですよ、お間違えなく。仏教はこんなものだと決め付けるような態度は、仏教に相応しくないのである。
 しかし、これは蛇足だが、ウチのお寺の坊主はひどいのだよね。金儲けばかりで、説法の代わりに、親鸞などのアニメを見せたりするのだ。自分の言葉で説法ができない坊主なんて、坊主と言えるか。だいたい、浄土真宗は修行をしないが、これってどういうものだろう。坊主がこれでは、現代の妙好人も出るはずがなかろう。玄侑和尚に一喝してもらいたいくらいである。
お坊さんだって悩んでる (文春新書)

お坊さんだって悩んでる (文春新書)