ケネス・クラーク『名画とは何か』/フェリックス・ガタリ『エコゾフィーとは何か』

久しぶりに朝から晴れている。夜は涼しい。
音楽を聴く。■バッハ:二台のハープシコードのための協奏曲第一番BWV1060 (ピノック、参照)。いい曲。■ラヴェル:左手のための協奏曲(ツィマーマン、ブーレーズ参照)。左手のためとか関係なく、ピアノ協奏曲というジャンルの中でも特筆すべき傑作だな。■ラヴェルクープランの墓(スラットキン、参照)。すごくいい。偏愛。

源一郎さんの本で『平凡王』ってのがあったと思うが、まさしくこれですね。平凡王。
ケネス・クラーク『名画とは何か』読了。富士川義之訳。まさしく文庫に相応しい入門書。(西洋)絵画に興味はあるけれど、よく知らないという人にはお勧めできるだろう。富士川義之氏とは、訳者も贅沢な選択だ。

名画とは何か (ちくま学芸文庫)

名画とは何か (ちくま学芸文庫)

図書館から借りてきた、フェリックス・ガタリ『エコゾフィーとは何か』読了。前にも書いたが、僕はガタリがすらすらわかるような秀才ではない。これでガタリを読みだしてから随分と経つが、自分のレヴェルを超えているのだから、いい加減やめた方がいいと忠告されるかも知れない。まあそれが賢明なのかどうかは知らないが、全然おもしろくないわけではないのである。ガタリの文章には、生命力が噴出してくるようなところがある。それにまた、ガタリの発想自体、クリアなものではない。というかその反対で、何か関係があるのかどうかわからないようなところを、力技で結んでしまうようなところがある。だから、常に比喩的であり、これは見当外れかも知れないが、すべての比喩が成功しているとは云えないのかも知れない(あの浅田彰さんですら、どれだけガタリ自身に説明されてもわからない概念があったそうだ)。だから、自分としては、内容は秀才たちのアンチョコを頼りにするとして、ただガタリの魅力を楽しんでいたいと思う。なお、翻訳はたぶん学生か何かが下訳をしているようで、論文によって文章の出来がだいぶちがうので、注意。
 なお、ガタリは日本を相当に考察に入れている。それも、能う限り偏見なく、まともに。西洋の知識人で、こういう人は滅多にいない。こうしたところに我々はハッとするし、有難いとも思う。これを生かせるかは、もちろん我々にかかっているわけだ。
 それからこれはガタリに限らないが、フーコーにせよドゥルーズにせよ、インターネットが爆発的に広がった現在の世界を知らない。まあフーコードゥルーズはあまり気にしなかっただろうが、ガタリはインターネットをどう捉えたか、知りたかったような気もする。絶対におもしろがったにちがいないと思うのだが、どうだろう。インターネットの可能性として、ガタリ的なインターネットというのが考えられるように思われるからだ。それはもちろん、本書からも推測が可能だろうと思う。誰か、優秀な人がやってみたらおもしろいと思うのだが。
エコゾフィーとは何か -ガタリが遺したもの-

エコゾフィーとは何か -ガタリが遺したもの-

僕はガタリがいまだに「無意識」とか言っているのが好きなのだなあ。機械状無意識。まさしくこれだと思う。西洋人はもうフロイトラカンでもいいが)を忘れているが、ガタリは拘っているね。西洋人ってのは無意識を考えても、やはり殆どが意識でその脇にちょっぴり無意識がくっついているというようなイメージだと思うが(とガタリが言っているのではなかったっけ)、日本人たる僕なんかは、殆どが無意識でちょっぴり意識だと思っている。で、リビドーの無意識ではなくて、機械状無意識でしょう、おもしろいのは。ガタリの「機械」ってのは、まったくおもしろい。あんまり何でも機械なので、本当かいなと思わされるが、そこもガタリ的(?)なのか。でも、ホント機械だよね、何でも。「戦争機械」は有名になったけれど、政治機械とかもガタリは言っているぞ。まさしく。