岸信介氏の復活

okamakoto2005-11-04



「日本を悪くした人物」として先ず第一番に挙げねばならないのは,敗戦後GHQからA級戦犯に指名され逮捕されなら,7年後には首相となり「日米安保条約」を強行した「岸信介氏」である。


日本が戦後60年経ってもアメリカの実質的な占領下に置かれ、その事を「当たり前」のように思っている世代もある昨今、「当たり前」の根拠にあるのは、半ば固定化された「日米安保条約」にある。


それを強行したのが当時の首相「岸信介氏」だった、「予算」と「条約」は衆議院が通過すれば「参議院」を通さなせなくとも「自然承認」される憲法条文を逆手に取ったのだ。


岸信介氏は東大法学部を首席で卒業した秀才だった、卒業と同時に商工省に入り、満州国産業部次長に着任。満州開発五ヶ年計画の立案など、満州国の経済政策で未来図を策定した。


満州では、その当時関東軍参謀長だった東条英機鮎川義介等と懇意になり、その縁で太平洋戦争決行の東條内閣では「商工大臣」となり戦時必需品の調達で辣腕を振るった。


当時満州は日本の「生命線」だと言われ、昭和の初期には国力の総力が満州に注入されていた。

GHQとの取引説


昨日も記したが敗戦直後のGHQマッカーサー占領軍指令で約3年間、岸氏は東条英機等と共にA級戦犯の指定を受け、巣鴨拘置所に拘留されていたのだが、東條等7人の死刑執行の翌日に釈放されている。


国際情勢の急変があったにしろ、又、日本の幾つかの国内政治状況があったにしても、MP監視の「鉄格子の中」から出て7年後、(敗戦後10年)にして日本のトップに就くとは尋常ではない。


岸信介氏は「妖怪」とも称された、秀才特有の「要領のよさ」「変わり身の早さ」「目端の利く男」だったに違いない。


同時に出獄した「満州人脈」の「隠し財宝」でGHQとの取引説が最も信憑性が高いと思っている。児玉誉士夫は、巣鴨プリズンで尋問された際に、CIAの前身の情報機関(OSS)にタングステンを提供したという。


これを国防総省に売却したCIAはその資金を対日工作の秘密資金にあてた,と伝えられる。敗戦直後の満州人脈には隠された謎が実に多いのである。


更に、岸氏は巣鴨に拘置中にGHQと取引し、アメリカの占領状態を固定化させる役割を自ら買って出たとしても不思議ではない、もしそうなら、その後の「日米安保条約改定」の「強行成立」は「釈放の代償」で「アメリカへの忠誠の証」だったのではあるまいか。



(写真は横浜・市内風景)