ボランティアの活動報告(第4班−2その③)

ボランティア活動報告が届きましたのでご紹介します。
※詳細な報告をいただいていますが、ここでは一部省略してご紹介します。全文をご覧になりたい方は事務局までご連絡下さい。

◎中国ブロック第4班−2【4/22(金)〜4/27(水)】4名(岡山4名)その③

活動場所 : 宮城県石巻市
石巻高校を拠点(救援本部 薬剤師班)とし、
○松並地区にある宮城ヤンマー株式会社を「仮設診療所」として調剤業務、OTC薬の相談・配布を主に行った。(24日・25日)
OTC薬の聞き取り調査・配達(23日PM・26日AM)


活動内容 
4月22日(金) (天候 曇り時々雨)
16:00 岡山空港に集合(4名)、羽田空港
19:30 日本薬剤師会館着
日本薬剤師会宮城班担当の西川氏より宮城までの予定について説明を受けた。活動内容は現地の指示に従うことに。
現地での活動をサポートするため、「今日の治療薬」「識別ハンドブック」など無料で支給される。
20:30 ホテル着
◆感想・申し送り
現地までは岡山チーム4名での行動だが、現地ではこの4名で一緒に活動するかどうかは不明であることを確認。
不安があるが、自分に何ができるかと執拗に考えるより、現地でできること、要求されることをやろうと決意。

4月23日(土) (天候 雨)
7:30 ホテル横にあるパーキングに用意されたレンタカー(TOYOTA WISH/ETC付)にて出発。途中「国見SA」にて昼食・給油。
12:30 宮城県薬剤師会着
宮城県薬剤師会の緑のジャンパーと名札を頂いた。現地ではこれを着用して活動。
宮城県薬剤師会常務理事の森川氏より薬剤師班(救護)の活動内容・今後の予定などについて説明を受けた。詳しい活動内容は、薬剤師班の拠点である石巻高校にて現リーダーに従うことに。
多くの救援物資・支援物資が集められていた。今般の震災にあたり、様々な企業・団体から多くのシステムや各種書籍(今日の治療薬等)の無償提供があった。
12:45 宮城県薬剤師会出発
14:10 石巻高校着
岡山チームからリーダー候補を決定。(リーダーは日替わり。リーダーに指名されたら、到着翌日はサブリーダーとして、その翌日はリーダーとして活動。そのため、現地での活動は到着当日午後と最終日の午前のみとなる。実働3日のうち2日は本部。)
現リーダー(熊本県薬)と打ち合わせ後、OTC聞き取り調査・配達のため近隣の避難所(釜小学校避難所、大街道小学校避難所)へ出発。
途中、被災地にも立ち寄った。(自衛隊による捜索は続いている)

被災が大きかった南浜町


15:40 釜小学校避難所
避難所受付は、体育館。救護班は24時間体制であった。看護協会看護師が対応。OTC需要は無かったが、眼洗浄用の生理食塩注射水20.mlとBOTTLE TIPSの要望があり、本部リーダーに申し送りをした。翌日注文。救護班からサンプルとして患者所有の1組を預かっているので、配達時に要返却。
16:00 大街道小学校避難所
避難所受付は校舎2階だが、5月からは体育館に引っ越し予定。
救護班は信州大学医療チーム。被災者より耳鼻科のお薬相談あり。救護室にて看護師より温湿布、目薬、冷えピタの需要を確認、本部へ戻り配達。持参してきたサンテ抗菌目薬2本と「クレベリン」2本を看護師に渡し、それぞれ説明。

19:30 本部にてミーティング
明日の予定(業務の割り当て等)、申し送り、自己紹介


★薬剤師ボランティア活動派遣先(業務内容:調剤業務・備蓄の整理・避難所の巡回)
(薬剤師班としては石巻日赤病院での活動はなくなり、新たに女川地区が追加となる。)

①港小学校
②仮設診療所(宮城ヤンマー)
③女川町立病院
④女川総合体育館
OTC聞き取り(避難所の巡回)
石巻高校診療所
⑦遊楽館
渡波小学校


19:30 業務内容の確認、同行者との打ち合わせ

未明 就寝  各自持参した寝袋にて雑魚寝


◆感想・出来事・申し送り
午前は活動拠点までの移動。2回目の先生がいて、道路事情も良く理解されておりスムーズにたどり着けた。
宮城県薬剤師会では、通常のボランティアとは違い、医療チームの一員として、周りからは厳しい目で見られているという自覚・認識を持つよう説明があり、再度身が引き締まる思いになった。
石巻市に入り、被災状況を目の当たりにするようになると、被害の大きさに驚くばかりで言葉にならなかった。天候は雨で、避難場所の運動場はかなりぬかるんでいた。以前はヘドロで異臭がしていたとのことだが、現在はそのようなことはなく、状況は改善されているみたいだ。雨の日は長靴の方が活動しやすいと思われる。避難所の入り口では自衛隊の方による炊き出しが行われていた。避難所では、子供たちが私の前を数回と無邪気に走り回っており、子供の声だけが鳴り響いていた。
救護室にて、看護師にOTC薬、医療機器および医療材料などの必要性を確認した。今までは現在あるもので対応していた様子。必要なものを尋ねると、応えてくれる。今後どれくらいの割合で来て下さるのかと相談があり、薬剤師単独でも巡回の必要性を感じた。本部にてその旨申し送りをした。
大震災発生から1ヵ月が経ち、多少整備はされたと聞いているが、瓦礫が道沿いに集められているだけで、復興の兆しが見えてこない状況でもあった。
拠点となる石巻高校においては、日毎にメンバーが入れ替わる。ライフラインはすべて整っている。水・電気・ガス、水洗トイレも完備。生活上で困ることはない。一室で寝食ともにするため、協調性が必要となる。

4月24日(日) (天候 快晴)
6:45 ミーティング
8:00 石巻高校出発 (香川県薬1名と)
9:00 渡波小学校にて合同ミーティング(エリアリーダーは愛媛大学医学部)
10:00 ヤンマー仮設診療所に移動して、診察開始
宮城ヤンマー2Fの一室を借りて、診療。薬剤師の業務は診療所内での調剤、投薬、処方の提案。それぞれの医療チームが持参した薬剤により調剤を行った。持参した薬剤で対応出来ない場合は、石巻日赤病院の処方に記載し、エリア拠点である渡波小経由で石巻日赤病院に。後日、ヤンマーに配達され、患者さんへお渡しする。緊急時は、OTC薬で対応することもあった。
待合室では、薬剤師会で準備したOTC薬の相談・配布。

宮城ヤンマー営業所2Fの一室を借りた仮設診療所にて





石巻日赤処方せん・取り扱い上の注意
後日、石巻日赤病院より避難場所へ配達されるため避難場所は具体的に記載する(○○小の△階●●まで)。ヤンマーの場合は、松並ヤンマーと記載。指定日に患者は来局して下さることになっていた。
◆ヤンマー仮設診療所での活動者
・高知大医療チーム(DMAT)(医師1名、看護師2名、事務2名)
産業医大チーム(医師2名、看護師2名、事務2名)
・薬剤師班 薬剤師2名
15:00 診察終了   (処方せん11枚、日赤処方せん2枚)
16:00 渡波小学校へ移動して、合同ミーティング 
明日より高知大医療チーム(DMAT)は新たなメンバーになり、薬剤師2名帯同。
16:30 被災地巡回(日和山公園、渡波地区)
18:00 石巻高校着
19:30 ミーティング
明日の活動予定(業務の割り当て等)、申し送り、自己紹介
申し送りにて、ヤンマー「仮設診療所」の状況を説明。高知大DMATに薬剤師2名帯同するため、薬剤師班(薬剤師会)からは派遣しないことになった。                      
20:00 石巻薬剤師会丹野佳朗先生より被災状況・活動状況の説明

  • 現在までに1,600名以上の他県からの薬剤師ボランティアが宮城県内で活動してくれた。
  • 4月26日より宮城県薬剤師会理事が交替で薬剤師班本部(石巻高校)へリーダーの補助として参加することに。現場の状況を報告してくれる。
  • この震災で石巻市内の薬剤師は7名死亡した。
  • 死亡者の半数は逃げ遅れた高齢者が半数を占める。
  • まだ瓦礫の整備が出来ていない状況。整備時に遺体がみつかる可能性も大きい。

20:50 緊急地震速報あり
一斉に各自の携帯電話が室内に鳴り響いた。「福島県地震発生。強い揺れに備えて下さい。(気象庁)」
すぐにラジオを付け状況を確認し、地震に備えた。その後大きな地震はなかった。 
未明 就寝
◆感想・出来事・申し送り
活動2日目。昨日とはうってかわっての快晴。早朝校舎からでると、きれいな虹がかかっているのが見えた。
私の活動場所は宮城ヤンマー営業所2Fの1室を借りた「仮設診療所」。あくまで一室を借りての活動のため、ヤンマーの職員に気を使いながらの活動となる。あいさつ等はしっかりするようにされたい。避難所での対応ではなく、通常の診療所と同じ感覚。地元の医師により徐々に医療機関は再開されているとは聞いているが、まだ少ない。
先人のボランティアの方々が近隣へは広報していると聞いていたので、広報活動はしなかった。
仮設の診療所は畳8に診察室が2ユニットあり、その間で、調剤をする形態だった。以外のスペースを待合室と受付・休憩室にしている。待合室には薬剤師会で準備したOTC薬を多数並べ相談・配布できるようにしている。
調剤室(?)では、看護師同様医師の診察に真横で立ち会える状態で、随時在庫薬、処方薬の用法・用量などを聞かれる。そのため、薬剤師の業務として、調剤と、待合でのOTC薬の相談・配布に分かれての対応をとった。
調剤に関しては、各医療チームの看護師が手助けをしてくれる。特に産業医大の看護師(男性2名)には、良く助けられた。
ヤンマー仮設診療所へ診察される方は比較的被害は少なかったように見受けられ、服用薬と薬剤情報提供書を持参される方が多かった。高血圧、腰痛、不眠、アレルギー症状等。降圧剤の合剤は医療チーム持参薬にはなく、組み合わせて処方。必要最少日数で対応。次回以降の診察に備え、全ての方に「お薬手帳」を発行し手書きで処方内容・注意点を記載した。ほとんどの方は持参しておらず、お薬手帳の必要性を説明した。(通常業務と同じである。)
診察室では患者さんが横になるスペースがなく、調剤を行っているスペースにタオルなどを敷き、そこに横になって腰痛・神経痛などの検診を行った。患者が心地よく横になれるよう敷布団などの必要性を感じた。
OTC薬に関しても健康相談の上、特別措置として無償で提供した。医療用薬剤の手持ちがない場合は、OTC薬で対応することもあり、医師自ら診察室でOTC薬を片手に説明する場面もあった。医師・看護師ともに我々薬剤師のアドバイスを聞いてくれながら、医療用医薬品だけでなくOTC薬の在庫品目・数量を把握し対応にあたってくれた。
痛み止めの湿布、ローション、および目薬、ハンドクリーム、胃腸薬などのOTC薬は特にニーズがあり被災者(患者さん)の方には非常に喜んでもらえた。
口内炎、口唇ヘルペス、魚の目のOTC薬は手持ちがなく、対応できなかったことが非常に残念だったが、今後の必要性を考え、明日以降の在庫リストに追加することにした。また、若い女性からは生理用品の依頼もあり、翌日診療所を持参することを伝え、取りに来てもらうことにした。

4月25日(月) (天候 晴れ)
6:45 ミーティング                     
8:00 石巻高校出発
8:45 渡波小学校にて合同ミーティング
エリアリーダー愛媛大学医学部小原医師より説明。
急遽、高知大DMATは渡波中へ応援に行くことになった。ヤンマーに薬剤師不在となるため、再度香川県薬1名とともに入り、産業医大の医療チームと薬剤師会班で対応することになった。
10:00 ヤンマー仮設診療所に移動して、診察開始
15:30 診察終了(処方せん11枚、日赤処方せん2枚)
時間間際に足底に釘がささり1ヵ月放置化膿していた少年(12歳)が母親とともに来院。外科的処置などのため、診察時間延長。
16:00 渡波小学校へ移動して、合同ミーティング 
16:30 被災地巡回
移動はすべてレンタカー。そのため、3日目ともなれば車のフロントガラスはかなり汚れてしまう。
18:00 石巻高校着
19:30 ミーティング
明日の活動予定(業務の割り当て等)、申し送り。
ヤンマーでの活動を報告。明日からは高知大DMAT(薬剤師も2名帯同)がヤンマーで活動。しかし、OTC薬の対応などDMATでは不十分と判断し、薬剤師班(薬剤師会)からの派遣の必要性を提案。明日以降のヤンマーにも薬剤師班(薬剤師会)から1名派遣することになった。明日はヤンマーの引き継ぎ後、OTC薬の相談・聞き取り調査のため、本日リーダーだった先生(岡山県薬)と牡鹿半島(蛤浜)および雄勝地区に向かうことになった。
未明 就寝
◆感想・出来事・申し送り
月曜日のため、当然のように登校する生徒に廊下ですれ違う。この中には被災された生徒も居る(避難所からの登校)と思うが、皆元気よくあいさつをしてくれる。活動拠点が高校であることを忘れず、モラルある行動を心がけなければと再度意識した。
渡波小での合同ミーティングでは、ヤンマーでの医療チームの配置の変更が急遽伝えられた。避難所の状況(健康状態、避難者数等)も日々変化しており、当然医療チームの配置も随時変更される。薬剤師班のリーダーと相談し臨機応変に対応することが求められると感じた。
診察前には、産業医大医療チームの立案で、広報のために海岸沿いの大通り(240号線)にも「仮設診療所」の看板を設置することにした。段ボールを使い即席で看板を作成した。さらに団結力も深まった感じがあった。
昨日同様、薬剤情報提供書を持参される方が多かった。本日は、釘が足底にささり創傷した2名の患者が来られた。1名(30歳ぐらいの男性)は長くつを貫通し出血しながらの受診。医師の指示のもと外科的処置のための準備が始まる。診察室では対応できないため、畳のスペースで患者とともに私を含め医療スタッフが同じ目線での処置となる。生食により洗浄後、足底へ数か所、麻酔の注射を打ち、デブリ開始。その後縫合も行い、途中痛みがあるとの訴えで再度麻酔の注射を打つ。麻酔の注射自体も痛みを伴うと思うが、顔をしかめる程度で、動きもしない。私は支えることしかできないが、見ているこちらが痛みを伴う程だった。
さらに診察時間終了寸前には、同様に足底に釘が刺さったという12歳の少年が母親に引き連られて受診。1ヵ月程度受診せず、化膿し足が腫れあがっていた。痛みがかなりあったと思う。同様に処置を行なった後、声がかれていたこともあり、扁桃腺の腫れも確認した。医師は我慢しないよう声をかけていたが、痛みに関しては一切弱音を吐くことはない。医師より痛み止めの必要性を伺うが、首を縦に振らない。何度も声をかけると、やはり必要とのこと。若干12歳でこのような辛い体験した中での損傷。弱音を吐くことが出来なかったのだろう。医師より2人の患者にはゲンタシン軟膏で処置した後、破傷風の予防として「トキソイド」を皮下注した。
今後、怪我による破傷風の恐れを考慮しなければならない。医療機関も十分再開していない中、医療機関に安易に足を運ばない方も少なくはない。まして、我慢強い東北人では、なおさらである。衛生状態も悪くなっている避難所生活においては、医師の往診時のみならず、薬剤師単独による巡回時においても、聞き取り調査を行っていかなければならないと感じた。
 
4月26日(火) (天候 晴れ)
6:45 ミーティング
8:00 石巻高校出発
9:00 渡波小学校にて合同ミーティング
エリアリーダー愛媛大学医学部小原医師よりヤンマーに関しては、今後再編成する予定と説明あり。
9:30 宮城ヤンマー「仮設診療所」にて石川県薬1名ならびに高知大DMAT薬剤師2名に引き継ぎ。
10:00 OTC薬の聞き取り調査へ出発(岡山県薬1名、千葉県薬1名と同行)
女川経由で、避難所である蛤浜の集会所(牡鹿半島)、森林公園、および名振コミュニティーセンター(雄勝地区)へ。女川町、雄勝地区の被災状況は大きかった。

途中、女川町立病院に対寄った。高台にあるが1階が浸水したと聞いた。(1階にある薬局も浸水)


仮設トイレを確認。割ときれいだが「クレベリン」の必要性あり。手洗い環境はなし。
それぞれの避難所では保健師(看護師)に聞き取りを行った。前日依頼があったOTC薬、血圧計(替えの電池も添付)、しびん、体温計、蚊取り線香、クレベリン等を渡し、さらに不足品を伺う。翌日配達することに。
昼食は車中でカロリーメイトのみ。

屋外にある仮設トイレ
・衛生的とはいえない



・横のレバーは撹拌するのみ
・「クレベリン」など必要



女川町



雄勝地区
雄勝病院は壊滅的





15:00 石巻高校着 活動終了、申し送り
15:30 日本薬剤師会(東京)へ向け石巻高校出発
出発が遅くなったため、日薬へ連絡。日薬へ立ち寄ることなく、直接パーキングへ駐車し、ホテルのロビーに車の鍵と駐車券を預けるよう指示あり。那須高原SAにて夕食と給油。
22:30 ホテル着。
◆感想・出来事・申し送り
活動最終日。午前中のみの活動予定。ヤンマー仮設診療所での引き継ぎ後、石巻高校より離れた避難所へOTC薬等の配達と聞き取り調査を行った。避難所は学校、集会所、総合体育館、およびコミュニティーハウスである場合が多い。
各避難所では医師の往診、医療用薬剤の供給も定期的に行われている所もあるが、全ての避難所で定期的に行われている訳ではない。また、OTC薬を含め医療器具ならび医療材料のニーズも多くある。健康状態から薬学的な指導も必要となるケースも多く見受けられ、薬剤師の指導で防げる健康被害もある。特別措置としてOTC薬を無償で提供している現状だからこそ慎重に対応することが求められている。今後は特別措置が解除され、法的な問題もからんでくるため、そのことも念頭に入れながら対応しなければならない。
今後は、避難所生活による様々なニーズの変化に対応すべく、手分けしてできるだけ多くの避難所を回り、多くの声に耳を傾けていくことが必要となる。健康状態の確認、医療機関の受診勧告、OTC薬の提供だけでなく心のケアも当然必要になってくる時期でもある。
多くのボランティア薬剤師が介入するため申し送り・引き継ぎを正確に行っていくことも忘れてはならない。

途中津波の被害の大きかった女川町に立ち寄った。人口あたりでは、女川町の方が被災者数・避難者数は多い。
道中、石巻地区同様自衛隊が捜索活動をしていた。被災地の活動4日目にもなれば、自衛隊員ならびに自衛隊車を見るのも当たり前になってきた。今も被災地で「国民の命・暮らしを守る」べく献身的な活動を続けている自衛隊には頭が下がる思いである。各避難所では被災者から自衛隊員に対して労う気持ち・感謝の気持ちを耳にした。

4月27日(水) (天候 晴れ)
7:30 ホテルより羽田空港に向け出発
8:30 東京駅‐浜松町経由で羽田空港
9:40 岡山空港に向け羽田空港
10:55 岡山空港着 解散

◆最後に
このたび、薬剤師としてボランティア活動に参加させて頂きましたが、資格がないと現地に入ることも関わることもできなかったかもしれません。資格がない某大学の学生がノートに「免許もなく無力感をひたすら感じました。感じたことを東京の仲間達に伝えていこうと思います。頑張って下さい。」と書いていました。
資格があるということだけでボランティア活動において必要とされる所がありますが、反面、通常のボランティアとは違い、現地では相応に厳しい目で見られ、モラルを持ち続けなければなりません。資格に甘えず、活動しなければならないと思います。これは被災地に限らず言えることだと思います。
今回の活動を通して、被災地の状況を肌で感じ、様々なことを学ぶことが出来ましたが、現地で同志として活動した薬剤師の仲間達、および被災地で出会った方々は、被災状況とともに一生忘れることができません。被災状況と復興に向け頑張っている人がいるというメッセージは現地に足を運んだ我々が発信し続けなければならないと考えます。そして、必要とされるなら今回の経験を活かし再度現地へ足を運びたいと心より思います。
先人としてボランティア活動に参加され情報提供及び支援して下さった先生方、薬剤師会職員の皆様、そしてボランティア活動を応援し現場を守って下さった薬局職員の皆様、ならびにボランティア活動に参加することを後押し下さった社長に心から感謝申し上げます。
皆様ありがとうございました。
現地で見た虹が日本の明るい未来への架け橋であることを心からお祈り申し上げます。


ご報告ありがとうございました。お疲れ様でした。

■薬剤師会中国ブロック派遣について;5月3日より、石巻における薬剤師会拠点(宿泊場所)が石巻高校から近隣のマンション(石巻薬剤師会が準備)へ移動になったとのことです。寝袋は必要です。

■5月4日に、薬剤師会中国ブロック派遣メンバーとして当会より1名が被災地に向けて出発しました。