教会めぐりとキリシタン


1年ぶりに、古い教会を訪ねて長崎に行ってきました。
今回は平戸・生月島へ。




田平教会。

鉄川与助が最後に設計した教会。
前回、五島の教会を巡った際に、木造からレンガ、鉄コンまで、鉄川建築の教会を沢山見て来たけれど
鐘塔やレンガの装飾も、三廊の立派なこうもり天井も、柱飾りの装飾も、
今まで培った技術と設計が全部つぎ込まれているようでした。






紐差教会

設計は鉄川与助。石造りなのかな?
この教会は、堂内に蝶の羽根を使ったモザイク画が沢山飾られていて
ステンドグラスの装飾とはまた違う、緻密で綺麗な細工にクラクラしました。
生き物の羽を使っているという前情報ありで眺めたせいか、どしっと重たい。




宝亀教会


宝亀教会入り口のステンドグラス

天気が悪いのがとても残念だったけど、赤と白のコントラストが南国らしい。
こういう雰囲気はここだけなのかな。



この後、生月のかくれキリシタンの歴史資料が展示されている「島の館」へ。
わたくし「かくれキリシタン」というのは、あくまでも江戸時代の禁教令の元で、仏教/神道を信仰しているふりをしながらも、隠れてキリスト教信仰をしている人。明治以降は、皆カトリックに移行したものだと思っていました。
歴史の教科書とかではそういう解釈だったと思うので、それでもいいとは思うけど。



だけど、禁教はとけた後もカトリックに移行せず、そのままの信仰を続けている方もいらっしゃったそうで、そういう方達を「かくれキリシタン」と呼ぶそうです。(とはいえ、本人達が積極的にそう名乗っている訳ではなく、研究している人が分類上呼んでいるとか、なにかとややこしい)
キリスト教の信仰をベースにしているけれど、口伝で伝えられたお祈りのことばは時代が変わるごとに少しずつ変化していて、既にカトリックとは別物とされているみたい。仏教・神道も同時信仰しているので、家の中には祭壇や仏壇や神棚が混在。初めてみる信仰のかたちで、とても驚きました。



ここの売店のスタッフの方が、かくれキリシタンの家の方で、一番の疑問だった、なぜカトリックに移行しなかったのかを伺ってみると、カトリック(=一神教)に移行するならば、仏壇や神棚は処分しなければならない。でも表面上とはいえ家族何代も奉られている仏壇や神棚を無下に扱えないという理由が主だったらしいです。
そいういうお話を聞くと、先祖を大切にするこころと、八百万の神様の考え方のある、日本らしい信仰なのかなとも思ったりしました。


今はやっぱり、信仰する人も少しずつ減ってきていて、信仰のグループも解散するところがでてきているみたい。お話が聞けるうちに、ぜひまた訪ねたい。