Hatena::ブログ(Diary)

ギンザ プラスワン

 オリーブアイ ホームページ | 「はじめまして」はこちらから。

2018-07-16 大木あまり「シリーズ自句自解1 ベスト100」おわりに

 大木まり著作再録のおわりに


 最後掲載した「シリーズ自句自解1 ベスト100」(2012年3月ふらんす堂刊)は、大木まり先生第一句集「山の夢」(1980年6月・一日書房から読売文学賞を受賞された第五句集「星涼」(2010年9月ふらんす堂刊)までの作品のなかから、百句選んで解説を付けた自選句集です。これを読めば、俳人の作句の裏側や方法論がちょっぴり垣間見られるかもしれません。


 なお、句集「星涼」のあとに、第六句集「遊星」(2016年10月ふらんす堂刊)が上梓されました。しかし、出版されてまだ日が浅いことを考慮して、ここでご紹介するのは控えることにいたします。書店で一冊でも余計に購入していただけるほうが、書肆も作家もよろこばしいにちがいありません。

 そのため、全著作再録とうたいながら、1冊欠けています。すべて揃わないほうがむしろよろしい、といにしえの賢人がいっておりますので、小人にいささかも不満はありません。よしとします。 以上

2018-07-15 大木あまり「シリーズ自句自解1 ベスト100」P202

 冬草や夢みるために世を去らむ


 昭和五十二年、子宮筋腫の手術のときに受けた輸血が原因でC型肝炎になった。肝炎ってエイズ一種でしょ。感染しないかしら? と聞かれたり、色々な差別も受けた。他人を傷つけずにすむには自分世界に閉じ籠るしかなかった。しだいに、夢を見ることが生きる支えとなっていった。

 あれから三十数年が過ぎた。慢性肝炎になり死を意識しながらの日々ではあるが、〈夢うつつ野分の蝶を追ひもして〉のように相も変らず、俳句という蝶を追いかけている。死生観というほどではないが、夢の続きを見るために死ぬのだと、私は思っている。 (『清涼』)

2018-07-14 大木あまり「シリーズ自句自解1 ベスト100」P200

 終戦の日は四歳で泣き虫


 終戦の日から小学生の長姉は一家の柱のような存在だった。長じてからも、もの静かだが理論家。しかし思ったことは即、実行する彼女は、ロマンチストで夢追い人? ばかりの家族をまとめ、あらゆる面で支えてきた。

 長姉は、私が四歳の時から保護者存在で事あるごとに守ってくれた。美大生のとき、私が愛のカンパを! と言って両手を差し出すと、「私は動くお財布ではありません。お金必要なら働きなさい」と姉に叱られたことがあった。大姉の叱咤激励もなんのその、いまだにお年玉を頂いている。 (『清涼』)

2018-07-13 大木あまり「シリーズ自句自解1 ベスト100」p198

 木の枝に白き茸や七五三


 近くの白山神社は、七五三の親子で賑わっていた。袴姿の男の子も大人びて素敵だし、千歳飴をさげた女の子氏神さまに参詣する姿も可愛らしい。さそく句に詠んだが何となく満足できない。句材を探し神社を歩いていると木の枝に白い茸が! 枝にびっしり生えた白い茸の家族はつかのまの冬の日を浴びて団欒を楽しんでいるように見えた。いや、茸一家のちびっ子の七五三の祝をしているようにも見えた。詠みたいものに出会えた瞬間だった。 (『清涼』)

2018-07-12 大木あまり「シリーズ自句自解1 ベスト100」P196

 春風や人形焼のへんな顔


 街の雑踏の中で孤独になりたいとき浅草に行く。そして、かならず立ち寄るのが人形焼の店。甘い匂いと共に焼き型から人形焼ができあがる。人形町人形焼は七福神だが、浅草のは、観音様や雷神? 儒学者文人石の顔にも似ているのだ。どの人形焼も微笑を浮かべたへんな顔。見るほどに心が和む。同時作〈鳩と遊ぶだけの浅草あたたかし〉のように浅草を歩きながら心ゆくまで孤独感を味わった。人形焼のようにへんな顔で。 (『清涼』)