本当に「決定力不足」が問題なのか?

■得点は、させない、できないもの
「決定力不足」なのは、世界中のどこのチームもが持ってる訳です。
サッカーは、所詮、「2−1や1−0」のスポーツ。
8−2や6−5などの野球じゃあるまいし、あるいは100得点もするようなバスケットボールでもないわけです。
ようやく、日本代表のアンゴラ戦のHD録画を見ました。

自分には、FWの決定力を云々する感情は、少しも湧き起こりませんでした。

決めきれない高原、とか、相変わらずなヤナギ、とか、多くのサイトや掲示板で目にし、どこのBLOGでも書いてありましたが。
あんなもんです。日本を代表するFWである高原やヤナギがあんなもんだし。それより、自分は、二人とも良くやっていたと思います。高原などはいつもよりも良くやっていた。

ラウールだって、そう簡単にゴールなど決めきれないないわけで。最大、決めても1試合に1点か2点。入らない時は10試合だって続けて入らない。
FWが決定機に決めれないからこそサッカーではないのか。

おまけに、今の代表チームの”切り替え”の遅さや、”動き出し”の遅さ(マイボールになってもいち早く動く出すのはヤナギのみ)、”組み立て”の遅さ。
立ち止まってボールもらう選手があんなにいたんじゃ話しにもならない。

”模様眺め”しているうちに相手の守備陣形はますます整うばかり。

FWにようやくボールが来て、陣形整った中を一体どうこじ開けるのか。
そうではなく、「相手DFを崩す」というイメージがチームにないと真の決定機は作れない。
繰り返し、繰り返し「崩し続ける」うちに明かりは見えてくる。

■本当の課題
紅白戦の後、指揮官はシュート練習を良くさせていますが。自分は、今の日本代表チームはシュート練習を100万回やっても駄目だと思うわけです。
アンゴラ戦見て、連動して決定的なシーンを数多く作り出す決定機が少ないと思いました。
また、どなたかも仰っていましたが、今の代表には「イメージの共有」がなさ過ぎる。
と、ヤナギオタク的には書いておきます。

確かにシュート力に難はあるものの、98年、リーグで年間22ゴールを上げても尚、満足せず、とどまらず。自分のスタイルを変化・進化させ磨こうとするヤナギを長く見て思うのは、真の決定機作りの道を歩むイバラの道。
Jで20や30ゴール上げても、世界のDFを突き崩す術は決して”身につかない”と悟ったからこそ。

ビジョンなし

今更ながら。選手を固定しゲームを繰り返しさえすれば、チームは強くなり、進化するのか。
そして、課題は決定力や得点力なのか。

『それを見た瞬間、恥ずかしながら俺はそのピッチ上の状況を打開する術が、思い浮かばなかったし、何の為に試合をやっているのか混乱してしまった。そして、他の選手は一体どういう気持ちでやっているんだろうか、何を目的でサッカーをやっているんだろうか、と考えてしまった。チームとしてこの試合で何をやりたいのか、それぞれ個人として何をやりたいのかが見えなかったんだよね。 

今回の試合で、相変らず得点力不足が……なんて言われていたけど、正直そんなに気にしていないんだよね。それよりも、このなんとも言えない覇気の無い雰囲気の方が何十倍もやばいと思った。』(21日付け、ヒデメール) 

ヒデのいう”それ”とは、バックスタンドやメインスタンドの「まるで誰も試合を楽しんでいないかのように静けさが漂っていた。」様子。
「味方に要求できる強さ、味方を信じて走れる強さ、味方を助ける声を出せる強さ、そんなちょっとした強さが今の日本代表に1番かけている事だと思う。」と、ヒデも書いているが。この深刻かつ複雑な問題を、コントロールすべき指揮官は知る由もない(感受性がない)し、資金集めに奔走する川淵氏には理解できない(「要は勝ちさえすれば」どうでもいい)ことだろう。

新旧交代

公私多忙で中々に余裕のない日々。
なんとか時間作り、日曜はビッグアイに行ってきました。
以下、ゲームの”雑感”を仕事の合い間に少しづつなぞっていきます。
今季は、5月初めのFC東京戦、10月末のオシムジェフ戦と、この日(11月20日)が今季3試合目のビッグアイ観戦。

厳しい財務状況もマルハン支援でなんとか乗り越え、最近の大分トリニータのこの間の変貌ぶりは、”来季のシャムスカ兄弟の仕事ぶりが本当に楽しみ”になるほど強さと安定感が増してきています。
(個人的には、来季は何度も足を運びそうな予感)


■興味深いブラジル人監督同士の対決
メインスタンド観戦は、セレーゾを右に、左にシャムスカという国内では名だたる楽しみな指揮官同士の対決。

どちらもブラジル人監督ですが、片方は失望に喘ぐチームを短い期間でものの見事に活性化し、今やまさに売り出し中。
かたや、3冠監督として栄光を欲しいままにしながら、長過ぎた日本での指揮官生活を終えようとしている名物監督。

優勝争いの鹿島とのゲームは、両監督のピッチ横でのジャージ姿の指揮ぶりを生々しく観戦できて、非常に興味深い試合となりました。
ベンチからの飛び出し速度や大振りな右手のシグサ、選手への声かけ頻度では首巻きタオルのセレーゾにかないませんが、機を見てベンチを飛び出すシャムスカもなかなかのものでした。
もちろん今の所、地位も名誉も栄光も、ベンチ前でのパフォーマンスが醸し出す雰囲気も魅力も、セレーゾには太刀打ちできませんが、指揮官としては一部では将来を嘱望されているシャムスカ
スタイル抜群で横顔もカッコいいシャムスカも、チームが強くなればなるほどそれも”絵”になろうというもの。
それにしても、指揮官次第でサッカーチームがこうも変わるものか。

*[ビッグアイのバクスタ]
ビッグアイのゴル裏は女子や子供さんも多く、所謂ゆるい。ゴル裏のバクスタ化で、膨大な数のサポを巻き込んだ応援をしている。

*[ゴル裏もイロイロ]
整然とした応援の鹿島ゴル裏。鹿島は耳慣れたリズムを大切にする応援で、太鼓をたたかせたらこの集団には勝てないような気がする。

こうやって見ると、アビスパのウルトラ達の応援は男臭くて汗くさい、閉鎖集団の応援にも見える。

■両者譲らず
ビッグアイに3万人もの観客が集まったのは、監督交代後の最近の好成績によるものと、大分が内容のある良いサッカーをしていることにあるのだろう。

しかし、この日の大分は、ジェフ戦で見せたような2列目、3列目からの飛び出しがほとんど見られず、前半はセットプレー以外には得点の匂いがしない、少しぎこちないサッカーでした。
おそらくそうせざろうえなかったのは、個人で勝る鹿島の戦い方によるものと思います。
鹿島は、小笠原を怪我で欠くものの、代わりの増田の奮闘と、リカルジーニョ、フェルナンドの両ボランチのポジショニングの良さと相手ボール時の寄せの早さで大分を自由にしなかったことにもよるのでしょう。
鹿島は、攻撃面では、新井場、青木の両SBが外から内側へ切れ込み、攻撃の組み立てを行っていましたが、FWアレックス・ミネイロの調子が今ひとつのようでした。
大分も、エジミウソントゥーリオの両ボランチコンビが相変わらず良いと思いましたが、全般的に、良かったのは相手ボール時の早いプレッシャーで、互いにバイタルエリアには中々食い込めず(むしろ前線との連動は今ひとつで)決定機の数は鹿島の方に分があったと思います。

それにしても、セレーゾのサッカーにはほとほと飽きた。と思わせるゲームでもありました(笑)
選手たちの個人に依存した(依存し過ぎた)サッカーで、局面での打開に組織の匂いがかけらも感じれない。ボールを出して眺める。走れない、遅攻の極意をゆくサッカー。
受け手も走らないサッカーに、残念ながら現在の鹿島の若い選手たちが染まってしまっています。攻撃時に選手が連動して動けないから、首巻きタオルなびかせて叫んでるのか。

ヤナギと浩二がいなくなって、セレーゾのサッカーも色褪せが目だってます。

自分が買っている天才野沢は宝の持ち腐れ。野沢には、是非とも来季ジェフかアビスパで。

同じブラジル出身の監督でもサッカーがこうも違うのか、と。

ゲームは、互いに動きが鈍くなった後半20分過ぎのようやくの得点でドローとなりましたが、局面局面は見応えのある良いゲームとなりました。
このゲームは、強豪チーム相手に、敢えて横綱相撲をした大分を褒めたいと思います。

自分は、個人的には隆行の調子具合を見たかったのですが、後半35分を過ぎての出場で、2度ほどゴール前で見せ場がありましたが、キレ具合を推し量れるようなものではありませんでした。

密かに期待している隆行には、もう少し長くピッチの上での動きを見たいものです。